日本海に向かうには大阪駅の何番ホームからだろう。すっかりと新しくなった駅舎に学生の頃の懐かしさは微塵もない。
特急はくと。
浜坂。前の大学のたつゼミ11期生の一人が教師として丁寧な仕事をしている小さな町。ここを訪ねるようになってもう6年。交差点の看板も町の抜け道も宿の生垣も、そして熱い教師たちの名前もすっかり覚えた。
研究会で話をするときはよくばらないこと。そして、僕のスタイルを守ること。それは「たった一つの大事なことをたとえ話で丁寧に伝えること」。
子どもと教室を語るのに人数は関係ない。全体記念公演なら行くけど分科会レベルは引き受けないという大学教授もいると聞くけれど、僕とは住む世界が違う。
ゆったりと、だけど大事なことをしみじみと語り合う。音読の仕方から視写の続け方まで、単元の作り方から評価のまとめ方まで。
そして、宿に着く。
女将の生花はいつものことだが迎えられている気持ちになる。
そして、熱い湯。
いつもの石鹸を連れてきた。
もちろん、日本海の魚も但馬の牛も平らげたけれど、僕にはこんな山あいの野菜がうれしい。
仲間としばしの宴。僕はこういうつながりや分かち合いが好きなんだと、きょう、日本海を眺める小さな町でしみじみしている。教育について語り合うこと、それがなければ何をしたってむなしさだけが残ってしまう。子どもを語り合っていればそこには若さがあふれる。
語らうのは教室の声のことばかり。花も少し酔ったか。
翌朝。無理を言って早めの食事。
天草の松屋とともに僕の常宿、大田荘。心づくしとはこういうことだろう。
安藤君の車に揺られ、宿を発つ。1輌だけの列車が動き出すまで15分。見送りに駆けつけてくれた二人をもういいからと帰らせ、田舎町の駅舎を楽しんでいた。部活に行く野球部の高校生に声をかけ、セカンドの守り方を教えているうちに大きな音を立てて駅を出た。
と、線路沿いの道を見覚えのある白い車。安藤君、やるなあ。
そういえば、かつて京築の駅でも同じようなことがあった。日豊戦が動き出すまで身を隠して待っていてくれたのは野村さん。
幸せ者だなあ、僕。
コナン空港のトリックアートにいつもの鞄を置いて一枚。さあ、東京経由で帰るとするか。
今年はあと2回。熱い湯に浸かりにくることにしよう。次はカニに香住鶴。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。