教師たちが学ぶならその中に居たい。これは20代から変わらない僕の欲求。
教師は時として子どもになり学び手となる。
ふだん教室で子どもが使っている小さなホワイトボードを持ち込んで、自分たちもそれを使いながら学びを深めている。
子どもたちのように書いて並べて比べて関連づけている。自分が体験するからこそ分かることってあるに違いない。教師の都合をやめるとは、そういうことだ。僕は宇土の教師たちの応援を約束する。ずっと、応援団でいられるようにと願っている。
さて、お土産にもらった茗荷まんじゅう。ほんとうに美味しい初夏の味がする。移動のつかれなんて、一気になくなっちゃう。
神さま、うもいつくしみをありがとうございます。