「拝啓」でははじめないけど

メールが僕のコミュニケーションの大切なひとつの方法になってからどれくらいだろう。20年近く使っているような気がする。はじめの頃は,やっぱり電話,いやいや手紙,とかなんとか言っていたような気がする。

電話だったらわざわざ伝えないこと。もちろん手紙のやりとりではできない瞬時の短いやりとりだからこそ伝えたいこと。歳を重ねたからだろうか、そんなことが増えてきているのかもしれない。

昨日も今日。とんとご無沙汰だったともだちからのメール。クライマックスシリーズの話題のメールが届く。年末の旅の誘い。仕事で必要な本を貸してくれと頼まれる。

送れば届く,届けば返ってくる。読めば返信したくなる。たった数行の何でもないやりとりだ。50や60のおじさんがすることではないような気もするけど,これはこれでけっこう楽しい。

僕はつらいメールはしない。トゲのあるメールや攻撃するようなメールもしない。もちろん,届くものはぜんぶ大事だけど,気の利いたことばが出てこないこともしばしば。何でもないことだけど,ちょっと伝えておきたいこと。どうってことないけど残しておきたいこと。「拝啓」でははじめなくて,「ねえ」ではじめたいこと。そんなメールって,すてきだと思う。

ねえ,どうして打てなかったんだろう。ねえ,あのスライダーは見事だよね。ねえ,明日,北海道に行ったほうがいいよ。ねえ,お月さんがきれいですよ。ねえ,次,いつ飲む?