授業という時間

有朋自遠方来不亦楽乎

こんな便りが届いた。K氏からだ。僕は彼の授業を見てこんなことを伝えた。

授業中に黒板を見つめてしばし考えていましたよね。それこそ子どもに背を向けて。そしてすぐに子どもの中に入って行きましたよね、グループで話し合っている中に。そして、再び、黒板の前に来てうんうん言いながら頭をかいていましたよね。深い観察と瞬時の判断と運び方の比較と見通しの柔らかな扱いですよね。教師のあの姿が必要なんですよね。あの時、先生の背中が見えている間、先生が頭をかいている間、子どもは僕たちはいろいろ考えていてもいいんだって思っていたと思いますよ。

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K氏の授業はライブだ。計算高いものではない。出たとこ勝負という感もある。しかしふところ深いし、あたたかな思慮がある。そんな45分を見て参観者は熱くなる。

だからこそ、授業の事実を見る力を高めたい。自分の枠組みだけで授業を見るなんてつまらない。そんなことをしている限り、自分の授業が最高のものであり続けてしまう。隣に自分とは違う授業の事実をとらえる人がほしい。そして、授業者とその人と三人で語り合う時間が必要だ。

この日、僕の65センチ隣には教育心理学から見事に授業の事実をとらえる友がいた。授業後、65センチの間隔で授業を語りながら廊下を歩く贅沢をもらった。

K氏からの便りは続く。

「二択の問い」は、考える契機を与えるものであり、解は必ずどちらかである必要はないと私も考えています。「?」で終わる授業にも手応えを感じています。「考える子を育む」には、問い続ける体力が必要だと思うからです。だから、明日の授業で、子どもたちがどんな考えを表出してくれるのかとても楽しみです。40分もかけて単元の学びを子どもたちがふり返ります。「先生がはりきって答えを言っちゃう」ことがないように気をつけます。

K氏の授業はとにかく魅力的なライブだ。