ゼミ生だった瀧川賢治がやってきた。研究の話はそこそこにして,ぼくたちは薪をつくることにした。冬の間に集めておいた玉切の樫や橅,焚き付け用の檜を40センチに切り,割る。
チェーンソーの目立ての仕方,それぞれの作業をする場所,木っ端を集めておくところ,飲み物の場所,一輪車は常に見えるところに置くこと,そんなことをなんとなく確認し合ってからというもの,僕たちはすれ違いざまに声を掛け合う以外は黙々と仕事をした。
言わなくても通じるということは確かにある。重なるようにわかり合うというのは同じ仕事をしている時だと思う。
瀧川賢治を頼もしい男だと思った。来る日も来る日も小学1年生の談話をトランスクリプションにして,「あんな」がどのような文脈でつかわれているかの傾向を分析していた22歳だった賢治が,もう10年を越える教師になっている。そのことも大いなる拍手だけど,ぼくは手拭いを頭にまき,チェーンソーを操り,そして何より,まったく無駄のない動きをみごとに組み立てる賢治に惚れてしまった(かもしれない)。