午前中は本当に大きな仕事。考えながら話しながら、また考える。ふうっとひと息ついたら、午前が終わっていた。
青森での仕事を終え、少し足を伸ばして津軽線。
蟹田を通って、
三厩で降りる。30年ほど前に親友の雅文と来た地。
町営バスはもちろん貸し切り。
転がり落ちるような断崖に秋の紫陽花が咲いているのは今も変わらない。
上野駅からの急行八甲田、そしてホームを走って青函連絡船。懐かしい記憶が鮮明によみがえる。あの頃、間違いなく僕は若かったし、歪に輝いていた。信じることと疑うこと、許すことと諦めること、さまざまな葛藤の中を美しく生きていたはずだ。
僻地ばかりを選んで受験した教員採用試験。青森も合格し、勤務地も決まっていた。縁を結ぶことはなかったけれど、僕の未完成な青春の1ページは「青森の章」に綴られている。
その頃にはなかった歌謡碑をたずねた。
誰が押しても、何度押しても、いつ押しても、赤いボタンを押すと津軽海峡冬景色が流れる。しかも2番から。「こんなに荒れた天候の中歌い続ける石川さんもたいへんだろう。」と思いつつ、「さ〜よなら〜あなた〜♪わたしは〜か〜え〜ります〜♪」と口ずさみながら、僕はカバンを下げて歩いてる。大切な竜飛崎をゆっくりと確かめている。ゆっくりゆっくり確かめている。あの頃の仲間の顔を一人一人思い浮かべながら、名前をフルネームで呼びながら。