子どもの学ぶ姿、教師の教える力

朝から虹。なんだかいい予感。

二人の教師の授業を見た。単元をつくることに本気で立ち向かったことが分かる教室だった。

キャラクターで子どもの心をつかむのはいかがなものかという考えもあるかもしれない。確かにそれだけでは単元は成り立たない。しかしジョリーの単元はそんなもんじゃない。キャラクターに助けられたのように見えるかもしれないが、実際にキャラクターが登場するのは授業の前後のほんの数分、子どものたちの学ぶ姿にキャラクターなど不要だ。ジョリーが演じる課題提示を子どもたちはまともに受け止め、自らの活動を進めている。

そうだ、その通りだ。僕はこのジョリーの教える力にただただ引き込まれている。

5年生の子どものみなぎる力に流れを与えたのはチハル。「おれたち、できたもん」という少しばかりの自慢と、「私たちできそうな気がする」という芽生え始めた自信を作ったのはこれまでの単元のつながり。許さない厳しさは子どもへの否定ではない。曲げない一貫性は頑固だからじゃない。できないことをできるように、やりたいことが叶うように、チハルさんの信念は分かりやすい。

そうだ、その通りだ。僕はこのチハルの教える力にいよいよ魅了されている。

この年齢だった頃の僕を遥かに越している二人。

さあ、もっとやろう。

ということで、恒例の「がぶ飲み」の会。一足先に店を出る僕も一緒に記念撮影。僕がJRに乗ってから届いた写真は2枚。タイトルは「間違い探し」。

こんな子ども心が魅力的な単元を創るセンスにつながっているのは間違いない。

神様、きょうも一日をありがとうございました。