いくつになっても

誕生日はいいもんだあ ♪♪ と,先日のKTNの番組で虎さんも唄ってた。夕方,浜辺に集まった子どもや孫や友達や近所の人と唄ってた。そして,孫とチューをして「もう死んでもよかあ。」と目を細めていた。誕生日は本当にいいもんだ。

僕の誕生日には毎年,かけがえのない贈り物が届く。48になったとき,「もう来年からはこんなことしてもらわなくてもいいから。」と言ったんだけど,あれからもずっと届き,今年もまたステキな一冊が届いた。

111人の達富ゼミ生からの「声」が一葉の写真と一緒に綴られ,それが「声の重なり」となり,一冊にまとめられている。アルバムなんかじゃない。「声の手帖」だ。いつもいつも111人全員がそろうわけではない。久しぶりに声を届けてくれる人もいれば,生まれたばかりの赤ん坊との生活に届け忘れたという人もいる。「先生!今,先生の誕生日どころじゃないんです!危機的状況なんです!」なんて人もいる。「完全に忘れていました!」っていう常連組もいるだろう。目に浮かぶ。「完璧なものを作ろうと作戦を練っているうちに・・・」なんていう性格は学生の時から変わらないよね。そんな人の顔も目に浮かぶ。みんなみんな,たまらなくうれしい。届いた声も,届かなかった声もうれしい。人数なんかじゃない。届いても届かなくても声が重なっているのが伝わる。僕はこの人たちに包まれていることをほんとうに幸せに感じてる。

まちがいなく,そう,まちがいなく,たしかに,この111人と2年間のゼミで同じ時間を過ごした。本気で時を共有したから,今でも「元気です」の言葉が交わせる。「久しぶり」の言葉が遠くない。「じゃあまたね」の声は嘘じゃない。それは事実。

今年もありがとう。また河原町で読書会をしよう。木屋町を歩こう。三条大橋や阪急前で待ち合わせよう。渡辺屋さんで,井川丸で,王将で涙流して笑おう。そして,北京亭で熱い話しをして盛り上がろう。

ありがとう。ほんとうにありがとう。みんなありがとう。そしてけんじ,かおり。声を集めてくれてありがとう。声を重ねてくれてありがとう。

モノ/アルバム

そうそう,48歳のときに「もういいよ」って言ったのは,48歳引退説をまじめに考えていたから。僕が25の時,虎さんが37の時,まじめに「退きどき」について語っていた。「引退するなら旬の内にやめたかねえ」「それは何歳ぐらいかねえ」「そりゃあ48歳」「48歳しかなかって」「48歳でやめる,で,自然に生きる」「で?」「で,海に帰る」なんて語ってた。虎さんは海に帰っちゃったけど,僕は「退きどき」をわかっていながら,もう少しだけ本気でやってみる。