現職の教師と一緒に学ぶという機会をもてることは尊いことだ。きょうも多くの先生と同じ問題意識で授業にふれた。単元にふれた。子どもの学びにふれ,教室の事実に学んだ。本当に尊い。
同じ事実を見ていても解釈がちがう。新たな気づきというような生やさしいものではない。大発見である。
子どもの学びを言葉で語るには語彙力と表現力が必要だ。教室の事実を言葉で綴るには観察力と構成力が必要だ。誰一人として同じ語りはできない。同じ記述も存在しない。ということは教室の事実は一つではないのか。そもそも教室には事実は存在しないのか。学ぶ者の数だけ,教室の物語が存在するのかもしれない。
教室の主人公は一人ではなく,誰もが主人公であり,それぞれが他とかかわりながら動いている。それを私たちがそれぞれの見方で切り取っているだけのことだ。だから,現職の教師と一緒に学ぶことはこんなに尊く,こんなに楽しく,こんなに厳しいことなんだろう。
教室の事実を記述すること,これは僕の一生の課題であり,趣味でもある。