天草は確かにここに

明日は天草教育研究会の公開授業と授業協議、そして僕の講演。これまでの天草の真摯な研究の姿を参加者が共有できる最高の時間になる。

僕は前日のきょう、天草に入る。

やっつけ仕事でもなく、単なる飛び入りでもなく、僕も研究同人の一人として同じ空で朝を待ちたいから。もちろん、いつもの松屋さんには仲間がいる集う。

さあ、11回目の天草がはじまる。

この天気。間違いなくいい予感。

休みの日に集まってくれた仲間たちは,どの顔にもこれまでの自信と誇りがある。

そして,当日。

見事!コンパクトにまとめた赤城ィの研究趣旨の説明。

そして,鮮やか!射塲さんの単元。

丁寧な授業は子どもを惑わさない。本気の授業は子どもに響く。確かな授業は誰をもうなずかせる。

天草 国語教室の会。この仲間たちとの3年間。とりわけ10回の勉強会に学んだ事実がきょうの50分に凝縮されていた。そのあとの僕の講演など,デザートにもならない。教師にとって授業の事実ほどすべてを語ってくれるものはない。天草の仲間と「ありがとう」を包み合いたい。

本当ならこのまま打ち上げ!といきたいところだけど,打ち上げは単元が終わってから,言語活動の作品ができあがってから,というのも厳しくて素敵なことだ。11月,きょうの授業を再現しながら語り合えるのを楽しみにしてきょうは別れた。

活版印刷伝来の地,河浦をあとにし,僕は天草をぐるりと時計回りに夕日と語りながらフェリーターミナルを目指した。

神様,きょう一日をありがとうございます。

そうそう,「美味しかったです!」のメッセージを届けすぎた僕に,長尾先生がまたまた1本くださった。ありがとうございます。