上五島行きの朝のフェリー。
波は高いとのことだけど,いいことありそう!
昨日のミサに与った五島の方々と一緒になった。船の中でも,まだ教皇様の話題が尽きない。僕も,うんうんとうなずきながら,だけど,ときどき床に体をくっつけながら。もらったみかんは握ったまま。
高い波,白い波,三角の波。
ようやく有川港。
この男。
前回は強風のため歓迎の幕を広げられなかった。その反省から,今回は上着の下に紙をしのばせる作戦に出た花ちゃん。しかも,昨日の POPE IN JAPAN 2019 のTシャツを着てくれている。実は僕も持ってる。
小学校に着く前に,途中に暮らす南慎太郎に会う。相変わらず元気すぎる。妹のこはるもいた。
そして小学校着。
この小学校はいつもあたたかく迎えてくれる。玄関の小黒板には「子どもたちも研究同人」とのこと。そう!その通り!学校は教師と子ども,みんなでで創るものだ!
そして授業。これまでの中学年複式の単元,高学年複式の単元の成果と課題を見事に調和させ,発展させた低学年複式の単元。
正直,僕は焦った。嫉妬した。うらやましかった。こんなに短期間で一体化した学校。僕は唸ってしまった。ここまでの学びを目の当たりにして,戸惑った。
すべては,大人が子どもを信じていることから始まっている。子どもを安く見積もらないことが創っている。子どもの伸びを誰よりも願った担任だからこそできるわざ。
僕は,この3人の担任教師と出会って幸せだ。この学校の校長や教頭,かかわっているすべての教師に感謝だ。間違いなく,僕がいちばん勉強させてもらってる。そう言い切れる。
きょうの低学年複式の単元は複式ではなかった気がする。複数学年の子どもたちが複数の単元を同じ教室で行っているだけ。異学年による本質的な「言葉の学び」だ。
「複式」っていう区別がそもそも教師の都合だ。子どもは12ヶ月間の誕生日の幅でなくても学びの仲間をつくることができる。誰とでも学べる。大人の都合がいつもいつも最適とは限らない。だって,全校児童全員で遊びの工夫をしたり給食したり掃除したり走ったりできるんだから。
子どもは教師の都合で教えられるのではなく,子どもは子どもの都合で学ぶほうがいい。
そんなことを頭にめぐらせ,言葉にし,共有できたのが放課後の研究協議。先生方のメモをとってくださるタイミングがいい。3回の校内研修で僕を受け入れてくださったんだとうれしいひとときでもあった。
時間だ。終わりの時間,お別れの時間だ。
みなさんが,玄関で,そして駐車場が見える廊下の窓から,いつまでも手を振ってくださってる。僕も熱い熱い気持ちで両手を振った。この学校に縁をいただきありがとうございました,って,何度言っても足りない。
帰りもフェリー。別れのテープは悲しいけれど,ちっともさみしくはない。やっぱり五島の行き帰りはフェリーでなくっちゃ。
上五島。やっぱり,ここが僕のはじまりだ。光も空も水も香りも願いも祈りも,全部,抱きしめてる。
ありがとう,花ちゃん。いつまでも手を振ってくださった二人の影を見続けた僕は幸せでした。
そうそう,昼休みは無理を言って外につれてもらった。
すうっと息を吸い込んで,ふうっと声を出す。
「きょうもいい授業をありがとうございます。」って。そして,「また来るけん」って。
神さま,ほんとうにありがとうございます。僕は五島に惚れとっと。