結局,そういうことだ。
この春。日常ではないことは分かっている。だから,みんな一生懸命だし,そんな姿に応援したくなっている自分がいる。
学校に行けない間,子どもは家庭で自学自習。それも分かる,分かる。分かるからこその点検だ。
体育のチームゲームや音楽の合奏,特別活動の学校行事の自学自習は現実的でない。しかし,どの教科でも自学自習できることはたくさんあるはずだ。
だけど,自学自習プリントは国語と数学(算数)と英語。なぜ。しかもその内容は,ドリル的、繰り返し練習、単純な調べものに限られている。
平穏な日々が戻ってきたとき,どうなるんだろう。
学校は年35週。その中の5週間を使ってしまったわけだ。若干の余剰週はあるが,残った30週を全教科で仲良く割り算するのだろうか。国語と数学は既に5週間にプリント学習をしていたということで,当然,週あたりの配当は,1,2時間少なく計画されるだろう。そうしなければ,全教科漏れなく内容未消化,つまり未履修となってしまう。
じゃあ,国語の5週間分のプリント自習の成果はどうなんだろう。思考力・判断力・表現力のプリントはあったんだろうか。言語活動の自学自習を成立させることはできていたんだろうか。
5月6日から学校再開。
そうなったとき,残りの30週間で新学習指導要領の趣旨を全うできる教育課程をこの2週間で完成させなければならない。
結局,そういうことだ。教師がいなければできない国語をやってきていたわけだ。教師が発問して,指名して,「なるほど」,「ほかに」と言わなければ進まない授業をしてきたわけだ。
やってこなかったことは問題ではない。そういう時代だったんだから仕方がない。
だからこそ,だ。
だからこそ,これまでの続きに甘んじるのではなく,今からつくっていけばいい。今から動き出せばいい。
さあ,やろう。今こそ,課題解決学習を自学自習で。言語活動をプリントで。単元学習を一人でもすすめる学び方を。すべての子どもの学ぶ力を守るんだ。
僕には仲間がいる。九州にいる。関西にいる。全国にいる。大阪の連中は,4月から5月6日までずっと自学自習スタイルに悔しい思いをしている。谷本,梶田,石川。こいつらの本気に応えるのも僕の仕事だ。
九州の教室の声に学んでいる仲間たち,動いているか。立ち止まってはいないか。
ぱうろ,動きます。