「あたりまえ」にやる

大阪、八重の会。

「あたりまえ」にやってきたことで,みんなと話したいことを出し合いましょう。という梶田さんの声ではじまり,

ほな、これからも「あたりまえ」にやっていきましょう。という梶田さんの声で閉じたきょうの八重の会。

3時間半の会は、知的欲求が途切れることのない大きな川の流れのようだった。

会場の小学校の廊下にも普段の学びの軌跡。

きょうもまた、みんなが学ぶのにふさわしい価値ある実践が語られた。市平均を大きく下回っていた学校が、市平均より20点近く上回ったという報告も受けた。

僕は,点数に固執しない。だけど、「あたりまえ」のようにやってきた教師にとって、「あたりまえ」が間違っていなかったことを確かめる一つの手がかりにはなる。

子どもに「ちゃんとやろう。そうすればできるようになるから。」と言うのなら、私たちも「ちゃんとやろう。そうすれば伸ばすことができるんだから。」を続けよう。

別の会でのある中学校からの報告。

4クラスを2クラスずつ二人で3学年を担当。指導法が学年ごとで偏らない縦割りの担当性は、教員にはきついが複数の目で生徒を見ることができる点では好ましい。二人の教員は、密に話し合っていたわけではないが、これまで共有し合っていた指導法を行うことで、どの学年も安定した成績が続いた。

翌年、一人の教員が異動。

新しい教員がやってきた。これまでと同じように縦割りの担当。異動した教員の2クラスずつを担当。

担当時間割の説明を受けたあと、新しい教員は、「参考に」の言葉を添えて全単元のプリントを手渡された。「でも、先生の好きなようにやればいいから。」とも言われた。

年度末。二人の指導法の違いが数字に現れた。クラス平均で13点の差。吹奏楽部の担当をすることになった新しい教員の人気が数字に表れただけかもしれないが、翌年、その差は39点に開いた。

その学校は、縦割りの担当を横割りの担当にすることにした。学級数が減ったこともあり,新しい教員は2年と3年の担当になった。

間違った措置だ。生徒も親も気付いてる。もちろん職員室も気づいてるはずだ。いや、職員室はもっと早くに気づいていたはずだ。

「ちゃんとやろう。そうすれば伸ばすことができるんだから。」をあたりまえにやろう。

ということで,お土産が551。

この赤い袋を提げて帰るお父さんは,みんな幸せ。