来て見れば

実際にやってみることはほんとうに大切なことだと思う。やったことがなくても語れる人はいいけど,僕の場合はやっても十分に語れないんだから,やってみないことには何もはじまらない。だから細々でいいから実践を続けたいと思ってる。そして,「むかし」のことを引き合いに出さないようしようと思ってる。以前できたことが今でもできるとは限らないことを知ってるから。

30代の実践は勢いがあった。40代の実践は丁寧になった。50代の実践はどんな言葉で語れるんだろう。50代の終わりが楽しみだ。

僕の仕事の半分くらいは人に語ることでもある。25歳からはじめた「せんせい」。毎年の記録も100冊をこえた。それらを縦に並べたり横に積んだりしながら見えてくることを語っている。30分程度でまとめることもあれば,1時間半×4コマの一日仕事の時もある。

「わかる,わかる,わかりました。」って言ってもらえるのはうれしいけれど,「そんなにかんたんにはわからないでしょう。」と言ってみたくもなる。だって,25年間かけてわかり始めたことを語っているんだから。6時間程度でわかってもらえるはずはないことは僕がよく知っている。

だから僕は実践を重ねるようにしている。子どもの声,教室の声を僕の語りに響かせるようにしている。僕よりもずっとずっと教室に近い方と共有するには実践しかない。子ども不在の研究,子どもの声なき理論,教室の声が聞こえない独りよがり。そんな実践や理論をぶら下げて人前に立つことにならないようにと戒めている。

教室のリアリティが尊い。ほんとうにそう思う。7月28日は僕の部屋にたくさんの現場人がやってきた。僕ももう少し元気でやってみようと思ってる。