ラジオ局に着いたら,まずは勉強(?)CDに囲まれた部屋で面白い本を紹介してもらった。自分で見つけられない本に出会えるのは人の縁が届けてくれるお土産だ。
そして,本番。
さて,きょう,僕が伝えたかったこと。そのひとつは,会話はつくりあげるということ。
例えば,二人の会話。
相手が感動を伝えてくれるのを待つことだけが会話ではない。話し相手が言葉を紡いで自分の感動を僕に話してくれる。その話の伝達の完結を待つことだけが聞き手ではない。
会話は一緒に造りあげるものだ。だから話し相手の言葉を編むことを協働で行いたい。それは決してでしゃばっているわけではない。相手を信頼していないわけではない。
感動を伝えられるのを待つだけではなく,感動は一緒につくりあげるもの。感動を伝えるだけではなく,通じ合ったことに感動したい。
僕が聞き手だからよかった,って,もしももしも思ってもらえるならこんなうれしいことはない。
同じように,あなたが聞いてくれたから僕の声も元気になりました,っていう一日もいい。
ノッコさん。きょうも僕の話を聞いてくれてありがとうございました。ラジオで話すって,こんなに楽しいことだっだんですね。オールナイトニッポンで育った僕は,すっかりラジオで話すことに夢中です。だって,聞いてくださっている多くの人がいるんですから。さあ,次は12月21日。今年のしめくくり。クリスマスを前にどんな話をしようかと,明日からが楽しみ。
そうそう,きょうの話題のもうひとつは「鐘」。
鐘は聞こえてくるものではなく聞くもの。鐘はメッセージ。だから,鐘はちゃんと聞かなくっちゃ。鐘を鳴らす人の心が響いてくる。それを受けとめることで鐘が鐘らしくなる。スィンギングベルに祝う祝婚の鐘,天に召されて送る鐘,主日のミサの鐘。同じはずがない。
鐘と同じように,人の声もちゃんと聞かなくっちゃ。僕の声は届いたかな,と思いながら,帰り道は「長崎の鐘」を口ずさんでいる。
ゆるがない安定した大きなものに包まれて,僕は昨日も今日も生きてきた。だから明日も楽しみ。
いい言葉をつかってきょうを締めくくる。いい言葉できょうを語る。だからきょうもいい一日になる。僕は365パーセント,毎日いい日。
僕に「きょう」をくださった神様に感謝。