評価することばは文化がつくる

きょうは第4回 きゅうでん はがき新聞コンクールの最終審査会。昨年度までは西日本新聞社ビルだったけれど,今年は九州電力が会場。

九州電力の偉い方や西日本新聞社の偉い方と一緒に過ごした。もう4度目になる。僕の普段の生活ならお目にかかることさえできない文化人と語り合えるのはありがたいことだ。価値観や文化観,人生観に学ぶことばかりである。

じゃあ,ここは教育に生きている者として謙遜のうちに子どものよさをことばにしようと張り切ってします。「子どもってそういうものですか。」「子どもの書いたことのそういうところを見るんですね。子どもが書いているときに考えていることも分かるんですね。」「そうやって学校の先生方は教えておられるんですね。」「まったく想像も付きませんでした。学校って素晴らしいじゃないですか。」なんて言葉が文化人から聞こえてくると,僕がここにいる意味があるように思う。

子どもの作品の審査会は,子どもの作品の順序づけ大会ではない。子どもがしてきたことをちゃんと見つめる大会である。それは,子どもの作品を見ることを通して,私たち審査員の評価能力を試されている大会でもある。子どもの作品は素晴らしいものばかりだ。その素晴らしさを今回のテーマに沿って価値づけるのが審査員の役目だ。九州電力の方の発言は九州の生活を背負っている。九州の快適づくりに責任をもっておられる発言はそれだけでありがたい。過日の台風の後の停電のときの復旧が思い出される。ヘルメット姿で夜も昼もなく働いてくださった社員はこのようは社風に支えられているんだと思うと,頭が下がる。涙さえ浮かぶ。西日本新聞社の方の発想は九州の社会と文化を鋭く切り取りながらもそれを歴史の中に編んでいく。日々の一枚の紙面が九州の歴史を作っている。まだ見ぬ明日を文字にして残すという責任とそのための言葉の力をみがく覚悟がある。

そんな文化人との数時間が楽しくないはずがない。評価する言葉は,それぞれの文化によって同じではない。九州電力の阿部さんや柚須さんの言葉,西日本新聞社の吉村さんの言葉は,僕とは異なる。異なる言葉で,だけど,誰もが「なるほど」とうなずくばかりの評価をされる。表象を切り取り,それに言葉を重ねるという仕事はそれぞれの文化が創っていく。感嘆するばかりだ。

「ありがとうございました。」と僕に届く言葉以上の「ありがとうございました。」を残して九州電力のビルをあとにした。第5回も同じメンバーで再会したいと思いながらの帰りのハンドル。

都市高速を抜け,九州道。鳥栖ジャンクションで鹿児島,熊本,大分,長崎の標識。ここが九州の分岐点。生野さんは元気かな。またかぼすと焼酎で語りたい。壮とは近く会う予定。あくゆうとの年忘れの勉強会を楽しみにしてる。熊本。週末のzoomでの九州 教室の声に学ぶ会で語り合おう。こうやって続けることで互いがつながっていることを実感する。きょうの審査会もそう。つづけることは責任だ。もちろんやめるというのも大きな責任だけど,今の僕はすべてのことを続けたいと思っている。また,きょうの話に戻ってしまってる。

こっちが大分,あっちが鹿児島,僕は右手に進んで長崎。熊本は,,,熊本?そうそう,きょうは中尾の誕生日。いくつになったか。おめでとう。