処暑

いろんな夏の終わりを感じる。今年も夏を存分に楽しんだ。残暑見舞いが届くようになってから,朝夕の風がかわった。とりわけ大村湾からの風はまちがいなく秋をつれてきている。

子どもの頃は三重にある母の実家で夏を送った。一学期の終業式を済ませると一切合切をリュックに詰めて国鉄や近鉄に乗って田舎に行った。吉祥寺の池で鮒を釣った。用水路で蛙と泳いだ。お淀海岸の河口で鰻をつかまえた。坊山に仕掛けを作って何十匹もカブトムシを持って帰ったこともある。少年野球の練習に夏休みをとられるようになるまで,僕の夏は自然の中にあった。

子どもの頃の夏休みの光とにおいを覚えている。だから,大人になっても,ぼくは街の灯りより草を通り抜ける風の音や潮にのってくる明日の天気に心ひかれるんだと思う。

この夏のいちばんの思い出は次男と魚をさばいたこと。---8月のある朝。ぼくの家の波打ち際で近所の釣り人が尺上のチヌを下げていた。少し寝坊をしてしまったぼくを哀れに思ってくれたのか,目が合うと同時に,「チヌ喰わんですか」ときた。「よかですか」で成立。

自慢の出刃を出してきて倅とさばいた。「この部分はお父の焼酎用。ここはぼくのおかず。ちょっと食べにくいところは月海と星海に」。ぼくが三重の正雄おじさんから教えてもらったとおりに,倅が包丁を動かす。正雄おじさんが僕に話したとおりに僕が倅に語ってる。そして,正雄おじさんが片付けたとおりに倅がまな板を水で洗って,五人前ほどの活造りができた。とびっきりの一日になった。京都に居たときには地蔵盆が夏の終わりの風物詩で,その地蔵盆を全身で楽しんでいた倅が,この地で自分の夏の風物詩をつくってる。その中に身を置いている。たくましくなった倅をちょっとかっこよく感じる。

この夏の大きな感動は甲子園。---栄冠は君に輝く。テレビだけではなく球場にも何度も通った。阪神甲子園駅から球場まで,歩くことができない。跳ねている。そう,50を過ぎた男が跳ねている。駆けている。それが甲子園。ここにいるだけでいいと思っているのに,球音はさらにぼくをしびれさせる。鳥羽高校に何度も何度も「ありがとう」を贈った。キャプテン梅谷成悟が大切にしている「感謝」の言葉を,高校野球ファンとしてそのまま18人の選手に,アルプスの選手に贈りたい。ありがとう。

この夏の尊い学びは九州各地の先生方との時間。---多くの同志と語り合った。焼酎を交わした。握手で誓った。これからその整理をしなくっちゃと思ってる。昨日の鳥栖市での研究会を含め,20を超える学びの場で学び合った。それらのひとつずつを言葉にしておきたい。

明日からもまだまだ予定は続くけど,ぼくはやっぱり日に焼けた肌の色をちょっと自慢しながら,「夏休み」という言葉に浸っていたい。「ひまわり,ゆうだち,せみのこえ」と歌った吉田拓郎さんのメロディーを唇に,もう少しなごりの夏色に酔っていたい。

夏休みを楽しめなくなったら,自分がつまんない大人になったことを自覚しなきゃ。さあ,次の夏休みはなにをしようかな。指折り待つのが夏休み。