整理することは苦手じゃない。それなのにどうしてもうまくまとめられない段ボール箱がある。大阪の小学校で3年生を担任していた頃のプリントやノート,作品,準備のためのメモなどが入っている。ひっくり返して全部を眺めたい思いと,避けたい気持ち。「3の3」と書いたサインペンの線も薄くなっている。
その段ボールの夢をみた。離陸の順番待ちをしているわずかな時間の飛行機の中でのわずかな居眠りの中で一人の男子と夢で再会した。ヒトシ(仮名)は僕に語った。「仕上げられへんかったプリント,まだ持ってんねんけど,先生見てくれへんか。」って。当時とおんなじくるりんとしたまつげで僕にプリントを手渡してくれた。
20年以上も前。達富先生,29歳。
4月,「段落に分けて書けること」「段落に気をつけて読みとれること」を目標にして「花,いろいろ。小さく書こう,ならべて読もう。」という単元を始めた。気の長い単元だ。4月から夏休みまで。そして,夏休みに,朝顔かひまわりかおしろいばなに向かわせようと思っていた。
順調。説明文「道具を使う動物たち」の読み取りも段落に注意して的確に読めていた。3年3組からは多くの花博士と段落名人がうまれた。「花とことばのたからばこ」という一人一人の箱はプリントや植物園の資料,花のたねの袋,図鑑のコピーなどでいっぱいになった。朝の会に教室に行くと,みんなが箱をあけている。終わりの会が終わるとその中から何か持って帰る。たからばこが毎日の流れに位置付いていた。ヒトシの箱以外は。
「ヒトシ,何も持って帰らへんのん?」「ええねん。おれ,あほやさかい,国語,分かれへんねん。ええねん。国語できひんかっても。」
「花,いろいろ。小さく書こう,ならべて読もう。」なんていう単元をつくって浮いた気持ちになっていた僕はなんて言っていいか分からなかった。「どの子どもも夢中になれる単元だ」と,ちょっと得意な気持ちになっていた僕は立ちすくんでしまった。にせものの単元。ひとりよがりの単元。やらせの単元。嫌みなことばが耳の中で繰り返される。
悲しいなんてことばじゃなかったと思う。反省なんて気持ちでもなかった。どうしようなんてうろたえる場合でもなかった。無力,そう,無力な自分。自分の無力を知っているにもかかわらず,無力な僕の前で教えてくれと言っているヒトシを見ようともしないいい加減な自分,なんとかできたかもしれないのに何もしてこなかった無責任,力もないくせに。29歳。あかん。
ヒトシのために,ヒトシにぴったりのてびきをつくること。もう,それしかなかった。それからの僕の毎日は駅で電車を待っていても,地下鉄に乗っても,お風呂に入っても,てびき。何枚つくった?何種類つくった?どのくらい失敗した?ヒトシが学びの入り口に立てるように。立ってほしい。いざないたい。手を引きたい。
「先生,もうええし。もうええねん。おれ,あたま悪うてごめんな。」辛かった。でも,ヒトシはもっと辛かった。ヒトシはもっと悲しかったんだ。ヒトシがおれあたま悪ないかもって思えるようにしたかった。
今でも胸の奥に深々と刺さったナイフ。えらそうなこと言ってもあかん。本当に教えられる先生になりたかった。ほんとうにしんどい子どもが学び続けるられるように,どの子どもも学びに夢中になれるようにしたかった。ほんとうにしんどい子どもが「ええこと思いついた,できた,見てえや!」って言える時間をつくりたかった。そんな先生になりたかった。
そんなこと思い出しながら,横浜の地下道を歩いてる。