教室に学ぶ

いい授業だった。ひとつの飾りもないいい授業だった。等身大。普段着。平易平明。いい授業とはこういう授業を言う。子どもが飾らない。教師は丁寧に運ぶ。子どもは譲らない。教師は丁寧にてびきする。子どもは前を向く。教師は背中をそっと押す。明日につながる授業とはこういう授業を言う。

参会者の大人にうまく伝えられないならその力を鍛える。うまくまとめられないなら材料を吟味する。使った言葉が難しすぎたなら,ひいてきた言葉がこなれていないなら,もっと勉強する。その覚悟はあるし,それはしなければならないと分かっている。そのことは大事だ。でも,それだけのことだ。だけど,もっと大事なことがある。大事なことを見事にやりきった事実がここにある。

大事なこと,それは子どもへの授業。子どもとの授業。明日をつくる授業。未来を生きる授業。子どもの授業だ。

ひとつひとつの教えることを丁寧にしていることが美しい。一人一人の子どもと誠実に向かいあっていることが尊い。

いい授業だった。申し分のない授業だった。ひとつ誤算があったとすれば,子どもの大きな可能性を少しだけ小さく見積もってしまったこと。それほど,3年生と4年生の子どもは大きく育っていた。

いい授業だった。そのことを僕は僕の言葉で残しておきたいと思った。

その夜の乾杯は気持ちよかった。午前2時の街は,授業人をやさしく包んでくれていた。