問い返すということ

今年になってから、各地の研究会で《問い》を立てることが話題になることが多い。いよいよ《問い》が根づいてきたか。そして、話題は《問い》の質や《問い》の修正、《問い》の更新へと広がっていく。

このような教師の関心に対して僕なりにひとこと言うと、それは「問い返すこと」でしょ、ということになる。

《問い》は目的でも目標でもない。《問い》を立てることはとても大事なことではあるが、《問い》そのものは過程の中での足あとのようなものである。

だからこそ、はじめの足あとであるはじめの《問い》を見つめなおし、少し調った、そして値打ちのある《問い》になるよう自分に問い返すのである。これからしばらく付き合っていくことになるこの《問い》に愛着と手強さを感じつつ、学びがいを実感し、向き合うために問い返すのである。

はじめの《問い》なんて一瞬でその姿を変えてしまうことが多い。1度目の問い返しによって、はじめの足あとはたちまち新たな足あとに移動するからである。

《問い》。きっととても大事な足あとなんだと思う。この足あとのつながりを軌跡というんだと思う。そしてその軌跡が今の僕の後ろに見えるから成長を感じるんだと思う。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。