きょうは久しぶりの大学院の授業。これが、ほんとうに味わい深い。
スイミーの作品論で90分。あっという間。院生と味わい深い時間だったねとしみじみ。次の演習が楽しみ。そう、めちゃくちゃ楽しみ。
さて、授業記録、第3章!
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教師は黒板の前に立ち、生徒たちが書き始めた1枚ノートを静かに見守っていた。「スーパーに寄った」「リンゴを買う」「家に帰って食べる」。わずかな情報しか与えられていないにもかかわらず、生徒たちの鉛筆は止まらない。教室には、紙をこする音だけが静かに響いていた。
しばらくすると、一人の生徒が顔を上げ、「で、どっち買ったんですか」と尋ねた。教室に笑いが広がる。教師はその生徒の方を向き、「先生は、帰りに1個250円のリンゴを買って帰るつもりです」と答えた。そのあと、教室のあちこちで小さなざわめきが起こる。「えっ」「なんで」「3個の方が安いのに」。数人の生徒が黒板の右側に描かれた3個450円のリンゴを見ていた。
教師は、その反応を急いで説明しようとはしなかった。一人の生徒のところまで歩いていき、「1個250円のリンゴを買おうと決めましたが、君の考えとは違いましたか」と穏やかに問い返す。生徒は少し照れながら、「1個あたり150円です」「先生は100円損しています」と答えた。教師はその言葉をすぐには評価せず、「それを、問いにしてごらん」と促した。
生徒は少し考え、「先生は、1個あたり250円のリンゴを買うのはなぜか」と書いた。教師は微笑みながら、「そこに、『私は』を入れてごらん」と言う。さらに、「君は、150円のリンゴを選ぶんですよね」と確かめると、生徒はうなずき、「私だったら1個あたり150円のリンゴを買うのに、先生が250円のリンゴを買うのはなぜか」と書き直した。
教師はその問いを読み、「もう少し、丁寧な問いにできるでしょ」と声を掛けた。教室は静かだった。生徒はゆっくりと言葉を書き直し、「先生は100円も損をするのに、250円のリンゴを買うのはなぜか」とした。教師は笑顔でうなずき、「そうそう」とだけ言った。それ以上、正解とも不正解とも言わなかった。
教師は教室全体を見渡し、「問いは、もっと詳しく問うことができます。自分の言葉をいっぱいつぎ込んで、問いを詳しく、丁寧な問いにしましょう」と語った。生徒たちは、自分のノートに戻っていく。教師は一人の問いを取り上げ、その言葉を少しずつ書き直す過程を、教室全体に見せていた。
問いは、短い言葉のままではなく、少しずつ具体的になっていった。「私だったら」「100円も損をするのに」。生徒が書き加えた言葉によって、問いの中に自分の立場や考えが入っていった。
教師の「1個250円の方を買う」という言葉のあと、ノートの問いは同じ場面にとどまりながら、少しずつ細かくなっていった。「なぜ1個の方を買うのか」「なぜ100円もそんするのに左のりんごを買うのか」「リンゴは、保管できるのに、なぜ1個だけ買うのか」「別に1日で全部食べなくてはいけないのか」「冷蔵庫の中を減らせばいいのでは」。また、「東京に持っていけば良いのではないか」と読める問いもあった。中には「たつとみ先生はなぜ……」のように、教師の名前や理由をたどろうとしているが、途中が判読しにくい問いもある。おそらく、教師が損をしてまで1個のりんごを選ぶ理由を確かめようとしたのであろう。
教師はそこで、「この問いは、先生のことを知るための問いです。先生が中学校へ来るまでに何をしたのか、どんなことを考えたのかを知るための問いです」と整理したうえで、「今からは、教科書の説明文の目標を達成できるための問いを立てるんです」と語った。その一言のあと、数人の生徒が黒板に書かれた学習目標へ視線を移した。リンゴの話は、ここで教科書の説明文を読むための問いへとつながっていった。

