学ぶということは

べそかいた女の子がメールをよこした。だから,僕は「学ぶということはインチキやズルではできないんだよ」と伝えた。自分のことは棚に上げて。

僕にとっての「学ぶということ」はなんだろう。論文を書くことではない気がしてる。人前でそれらしい講演をすることでもない。分かりやすい講義をすることだろうか。それは仕事として必要なことであって学んだ結果。

僕にとっての「学ぶこと」の先には「教室での授業」がある。まちがいなく。

論文を書いても,講演をしても,それらしい顔をしても,「教室での授業」が見えなきゃ何にもならない。子ども不在の「学び」なんて,ちっともおもしろくない。

だからね。「これまでの知識や技能を学んだこととして自覚し,再整理して思考する。それを目の前の課題が求めているスタイルで表現する。課題の文脈で再整理し,ふさわしいスタイルで表現する力をつける。課題という相手をよく知るために,自己内対話をして自分の考えを確かなものにする。いいかな。」なんて,物知り顔。女の子はきょとんとしているはず。僕は得意な顔をしている。自分のことは棚に上げて。

だけど,学ぶことにインチキやズルは通用しないんだ,これは本当のことのような気がする。

だから,丁寧に学ぼう。そして,きっと勝っておいで。そのときは,もっと楽しい話をしてプロの麻婆豆腐を食べよう。