年下の同級生が校長先生になったのは昨年の春。校長2年目のこの夏,彼の校長室に行ってきた。正門の前まで出てきて迎えてくれた彼の表情は30年前のままだったが,彼の向こうに建つ大きく,そして生きている校舎は間違いなく彼の学校だった。
校長室でのやりとりは30年前に大学に通っていた阪急電車の中のやりとりと何もかわらない。京都のことばで途切れることなく重なるやりとりは心地よい。僕が何を言うか分かっているくせに「うんうん」うなずくところは一つも変わらない。何を聞きたがっているか分かっているのに回り道する僕もあの時のままだ。
校長室に入ったときから見えていた紙袋。正面にどんと置かれた紙袋。どう考えてみても僕への手土産であろう紙袋。案の定,扇子をとじて「ほなな」と立ち上がったら紙袋を手渡してきた。思いのほか重い。「お前からの手土産なんかいらん,しかもこんな重いもん」とのぞくとなすび。「小学校の畑の野菜や,子どもと地域の人が作ってくれてるんや」ということ。やられた。長崎まで持って帰らなあかんやん。
「また来てえや」なんてことばをストレートに言う。「そんなこと言うのはお前だけやぞ」と返しはするが,絶対に来てやると思うのもこいつにだけだ。僕のことを「洋二!」と呼ぶただ一人の男は相変わらず僕のライバルだった。