つながって,網になって

駅で出迎えてくれたのは出水の鶴。会場で出迎えてくれたのは事務局の鶴長さん。町中に鶴のモニュメント。めでたい気分というよりは何かが生まれそうな予感。講演前に湯を楽しむのは部活をしている先生方に失礼とは思いながらも,源泉掛け流しに朝からの慌ただしさを忘れた。

100まで数えてから出よう。10まで数えたのは覚えてる。11,12,と,そのうちに,頭の中は,今夕,伝えたいキーワードの復習。キーワードの復習のつもりが「見通しを立てる」の項目ですでに思考は脱線。この研究会と僕の見通しは何だろう。と,思い始めたとき,駅前の鶴を思い出した。鶴は群れるて飛ぶよなあ。花岡大学の「百羽のつる」がそうだった。そういえばガンもそうだ。群だ。そうそう,ここから霧島連山を越えたら栗野岳,大造じいさんとガン。となると,青木幹勇先生の授業を思い出す。先生は発問をゼロにしたいとおっしゃっていた。ゼロか。ノンアルコールビールの銘柄も「ゼロ」,ニュース番組も「ゼロ」,何だったっけ?ゼロ?ちがうちがう。青木先生。そう青木先生,で,大造じいさん,ガン,鶴,そうそう「見通し」。その次は粘り強く,そして振り返り,で,つなぐことが大事。そうだよなあ,今日だけの単発ではなく,今日が何かとつながらないと。「百羽のつる」では鶴がつながって大きな網のようになって子どもを救ったんだった。「真っ白な羽をひわひわと鳴らしながら」飛んでいた鶴が,そう99羽の鶴が「月の光をつらぬいてとぶ銀色の矢のように」子どもの下に回って網になって。網になって,そうか網か。今日の講演が何かの網みたいになったらいいんだけど。このお風呂のタイルみたいにきれいにつながらなくても,えっと,30くらいまでかぞえてたっけ,,,

20人ほどの懇親会。つながりはじめてるぞ。そして午前零時を回っても,鶴さんたちと「木挽き」のお湯割りの二次会。鶴さんが「あたたかくなったら」って言ってくれてる。つながってる,つながってる,つながりはじめてる。

2時間の講演よりも,壮の教え子を発見したり,壮の同期採用の教師と語ったり,壮と同時期に研究校で力を伸ばした教師に出会ったり,「つながっている」を実感した金曜日。

「ひわひわ」ってほど叙情的ではないけれど,つながっている中で生きているって,どんなことでもできそうな気がする。