あたりまえの科学

今年7回目の鹿児島。夏になってから3度目。懐かしいという気持ちにはまだなれないけれど,珍しさはなくなってきた。芝生の上を走る電車がかっこいい。

年に一度はどこかで研究の成果を発表するということを続けている。それは小学校で働きはじめたときから続けていること。小さな研究会のこともあれば,海外の大学でのこともある。大先輩の前で小さくなりながら聞いてもらったこともあれば,若い人の前で語ったこともある。九州に暮らすようになってからはこの九州国語教育学会を続けようと思っている,今のところ。

研究は丁寧で誠実な姿勢で続けたい。それを纏めるのは謙虚で平易平明なことばで綴ることを約束している,自分とこれまで教えてくださった方に。

ぼくの研究は世界的新発見をめざしているわけではない。あたりまえの日常のあたりまえの事実を観察し,誰もが「そりゃそうでしょ」とか「そうそう」とうなずくこと、時には「そんなこと分かりきってるじゃん」と言われることを,教室の事実として、記録をもとに一つずつ示すことに夢中になっている。

どうして大村先生の実践はいつも魅力的なのか。清原先生のことばは静かなのに力強いのか。甲斐先生の教室は生徒が主人公になるのか。それを科学したい。名人を科学する。あたりまえということを感覚だけで語らない。ぼくの研究が教室で子どもと丁寧に向き合っている「先生」にとって役に立つのならうれしい。その「先生」がたった一人であっても,ぼくにはそれが尊い。

と,少しくたびれた発表のあと,二人の研究仲間と薩摩黒豚定食を楽しんだ。ぼくはビールを二杯いただいてご機嫌な一日だった。