たつログ

ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。

えとせとら

ナイロビ便り

ここが昌志のホームグラウンド。

いいじゃないか!って、無責任みたいだけど、新しい場所って、それだけでうらやましい。

じゃあ、僕は。

おんなじ場所で11年目の春。だからこそ、ここで新しい服を着なくっちゃ。

昌志に学んだ春の心持ち。

昌志、離れていても同じように成長しような。

神さま、きょうもいちにちをありがとうございます。昌志のお腹が痛くなりませんように。

孤独のせっかく昼グルメ~鹿島編

せっかく鹿島に来たとやけん、田でんのコロッケば食べていかんね。

ということで、

田でんのコロッケは昔のコロッケ。だからいつ来ても懐かしい。

きょうはナカエリは入学式なので、本当に孤独の昼グルメ。

ごちそうさまでした。

けた外れに面白そう!

日本にはない風景。この草むらの中にハイエナやゾウやキリンが深呼吸しているんだろう,と思うと,いてもたってもいられない。

おそらく学校の正門。黄色いトヨタ車がスクールバスなんだろうか。この車に乗って登校する子どもに単元学習を。

平田先生,面白くやろう。いつでも日本から,長崎から応援しているゾ。

と,LINEに!

……………
4月8日AM4:45
ナイロビ市内のホテルに泊まっています。
聞いたことのない鳥の鳴き声で起きました。
草原は正に国立公園です。「そうげん」という語を体験できました。
それ空が広いです。
気候は夜は寒いくらいに感じます。
今日はこちらの携帯の契約をしに行きます。
ナイロビの先生方も全員お腹壊したと言われていました。
僕のお腹は今は大丈夫です。
……………

いよいよ全国放送

NHKのADさんから連絡が届いた。先日,佐賀県内で放送され,翌週には九州全体に再放送された「変わる国語の授業」のこと。

東京の放送センターが「非常に興味深い、おもしろい」とのこと。

全国放送されるらしい。

2023年4月15日(土),NHK「おはよう日本」午前6時ごろとのこと。

もちろん,災害など突発的な事案があれば真っ先に省かれると思うけれど,九州じゃないところにお住まいの「たつログ」仲間のみなさん,佐賀版,九州版を見逃したという仲間,ぜひ,ご覧ください。

ドバイだより

11時過ぎ,ドバイに着いたらしい。

広すぎる空港で迷っていないか心配していたら,

「ラウンジのシャワーを浴びてきました」とのLINE。

と,立て続けに,

いいじゃないか。

「薄いビールが海外の感じでした」という感想も間違いなし。

帰ってきたら,サッポロの赤ラガーの瓶を飲ませてやるけん。

そろそろ,ナイロビ行きの時間だゾ。

行ってこい,昌志!

12時05分,佐賀空港発羽田行きANA982便。

佐賀空港で見送るつもりだったけど,家族との別れのほうが大事,大学で飛行機雲に手を振ることにした。
佐賀空港で「日曜日よりの使者」を流してやろうともくろんでいたけど,LINEで送ることにした。この曲は高校野球をしていたときの昌志の打席登場曲。以前、そう聞いていたから、ぜひ出発のときのテーマにと考えていた。

ナイロビなんて近いもの。たかが15時間。たいじょうぶ大丈夫。

昌志,行ってこい!

学生を迎える準備

今夜は夜なべ。

来週からはじまる授業の準備が楽しすぎる。一年ぶりのこの授業。おんなじことはやらない。

毎年、アップデート。

これができなくなったら教師辞めます。

拓郎さん、お誕生日おめでとうございます。

おめでとうございます

きょうは拓郎さんの誕生日。曲を流しながら大学への運転に心はずむ。

いくつになられたのか、ということよりも、たくさんの曲をありがとうございます、を伝えたい。

どうかどうか、お元気で。喜寿、おめでとうございます。

かがめる教師に

かがむ。声を聞くためにはかがむこと。

かがんだとき,どこを見つめるか。もちろん,子どもの目。

いや,ときどき,一緒にノートを見ることも,作品を追いかけることも,大事。

そして,何を見るわけでもなく,ただただ,子どもの声だけに集中することがあってもいい。

目を見つめ合ってやりとりすることも大事,
だけど,教師の目のメッセージのない,声だけで考える,
ほかに何もたよらない自分の心と考えだけでことばを伝える,聞く,
そんな時間もあっていい。

だけど,そばでかがんでいる。

かがんでいるけれど,そばにいるんだけど,今は声でつながる。

そんな関係もいい。

かがめる教師,かがめるからこそ可能になる「あいだがら」って,きっとある。

かがむこと。この誠実な動きのもつ奥深さにこれからも学んでいきたい。

学び続ける教師

きょうは指月会(現職教員の研究会)の合宿@平戸。

これは何か?

これは昼ご飯。市場の近くのスーパーで白いご飯を買い,魚市場でヒラスとアジとタイを買い,車の裏でさばき,即席の刺身丼。

美味しくないはずがない。ということで,午後は勉強会。

やわらかな緊張感の中,みごとな実践考察に耳を傾ける。〈問い〉を立てながら,勉強に向かう時間はぜいたくだ。

一年間の実践をやりっぱなしで終えない。仲間の実践にこそ学ぶ。窓の向こうに広がる東シナ海を眺める余裕もないほどの3時間。いい勉強をしたって,みんな満足。

指月会,もっともっと成長できるゾ!

学位授与式っていいものだ

佐賀大学を,たつとみゼミを巣立っていくいのちに拍手。

卒業おめでとう。

いつでも声を届けてください。

見ましたよ,って?

さっきから,いくつものLINEとメール。

「達富先生,見ましたよ!」って,?

確かに取材を受けた覚えはあるけど,その放送日がきょうということはまったく抜け落ちていた。どうやら,さきほどのNHKの番組で放送されたものに僕のコメントが映っていたらしい。

友人が送ってくれたスクリーンショットをいくつか。あんまり,こういうの好きではないのですが,問い合わせが多いので,少しだけ。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。謙遜のうちに生きていきます。

孤独のせっかく昼グルメ~早岐編

せっかく早岐に来たとやったら、丸万食堂の「ヘルシー弁当」ば食べてみらんば。

と,車のディーラの兄ちゃんに教えてもらったので行ってきた。

これで550円。ほぼ野菜,全部,地のもの。からだきれいになりそう。

神さま,きょうも日ごとの糧をありがとうございます。

お帰り,祥平

いそいそと出かけたわけではないけれど,そう見えるらしい。友だちが僕がはしゃいでいるのを面白がっている。そりゃそうだ,3年ぶりなんだから。

軽く一杯,

しっかり乾杯。

3年を取り戻して,さあ,一緒にやろう。

帰りは,あの日,あの最高の一日以来の新幹線。

野球も勝ったし,祥平も帰ってきたし,いい一日。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。年をとっても楽しいときはいそいそしてしまうようです。

離陸までのわずかな時間

昼間の飛行機って,子どもになれる。

夕暮れの飛行機って,大人の味わい。

だけど,僕は,離陸するまで小学校3年の担任に戻る。松本君にごめんって言いながら,離陸までの時間を過ごす。

だから,昼でも夜でも,機内で過ごす離陸までのわずかな時間は終わりのないビデオのよう。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。

孤独のせっかく昼グルメ~唐津編

せっかく唐津に来たっちゃけん、れんが亭の「ヒレカツ」ば食べていかんね。

と、べにばな薬局のステキな店主さんにすすめられたので,行ってきました。

これは,佐賀県ナンバーワンのとんかつ,間違いなし。

神さま,きょうも日ごとの糧をありがとうございます。

教室に生きる

理屈ではなく実践

大村先生のことば――
よく聞ける子どもにしたい。
それなら面白い話をたくさん用意していることです。

面白い話とはどんな話か。自分も面白いと感じる話のことだ。
だったら、面白い言語活動ってどんな言語活動か。
いうまでもない。やりたくないことをさせるなんてもってのほか。やりかたが複雑なものもいや。やりがいのないものなど押しつけないでくれ。
「先生、やってみて楽しかったんですか」「どこが工夫のしどころですか」「これって、役に立ちますか」って問われてきちんと答えられるか。

大村先生のことば――
子どもにとって
何が幸せといって
一人でしっかりいきていける人間に
育てられることぐらい
幸せなことはないと思います

間違いなく存在する教室の中のさまざまな「差」。教師がその「差」を気にしないことは残念なこと。教師が見逃すことは許されないこと。
子どもがその「差」を気にすることは残念なこと。子どもが差に萎縮することは許されないこと。

大村先生のことば――
たくさんのむだをしなければ、
ひとつの玉を拾うことは
できないのです。

できれば、その日の朝には授業の組み立てを決めたい。
だけど、それができないときがある。
教室までの階段、入り口までの廊下、
そのぎりぎりまで迷うことだってある。
でも、迷えることってぜいたくだ。幾通りもの導き方をもっているわけだから。
使わなかったてびき、「帰り道の二枚」、
使えなかったてびき、「生徒への質問にこたえるための数百種のことばたち」、
それをつくるためにかけた時間は気が遠くなるほどだ。
だけど、使わなかった判断をした爽快感に僕は満たされる。使えなかった気づきへの期待に僕は励まされる。
そして、何より使えた「登場人物カード」をいとおしく思う。

大村先生のことば――
「きょうはどの鉢に・・・・この鉢に」
草花の鉢植えの水やり。
同じ草花でも
鉢の中の土の質も量も同じでない。

だけど、どの草花にも花を咲かせたい。
どの草花も花を咲かせたがっている。
「咲きたいのです」の声が聞こえてくる。
その声を聞き、花を咲かせる。
それが教師の仕事だ。

大村先生のことば――
何々をしなさいと言わずに
いつのまにか
そうさせてしまえてこそ教師。

言語活動とは教師が問わない学び
言語活動とは子どもが自分に問う学び
しかし、
どんな言語活動でも子どもが問えるわけではない
ふさわしくない言語活動もある
ふさわしいくてもうまく出会わせることができずまずくなることだってある。
いや、そっちのほうがうんと多い。
ちゃんと単元びらきしていないのに言語活動のせいにしてはいないか。
教科書の言語活動を目の前の愛する子どもの姿で動かしてみる。教科書の言語活動を伸びようとしている子どもの姿で立体化してみる。
いつのまにか子どもが言語活動してしまっているようにすることが、教師の力だ。

大村先生のことば――
ありあわせ、
持ち合わせの力で授業をしないことです。
何かを加えて教室に入り、
何かを得て教室を出る。

僕の単元づくりや単元研究なんて薄っぺらいものだ。
何も加えられていない。
いい気になってはいないか、自分にたずね、自分をいましめなきゃ。
だけど、安房中の生徒からは大いなる教えることのヒントを得た。
23人の生徒は惜しみなく「教え方」を教えてくれた。
この教室から生まれた僕へのお土産をもう一度、返しに来なくっちゃ。

大村先生のことば――
「先生」
そう呼ばれるのに
足りるだけの人に。

さて、
まだまだだということが分かった今。
妙にすがすがしい。
次はどの教室に行くことができるだろうか。

2年生になった安房中の教室に来てみたい。

教室が仕事場でなくなった者が授業についてどうこう言うことは恥ずかしいこと。だけど、僕はまだまだ授業人でいたい。錆びついてしまわないように授業し続けていたい。

と、壮からメール。仲間の教室の風景が新聞に載ったとの届いた。

てらまい。丁寧な仕事のあかしです。

指月会 for たつゼミ

学生と現職教員との単元づくり研究会を行った。

このような時間は必要だと思う。だからこそ、何のためにやっているかをそれぞれが理解していなけれならない。

学生に尊い経験をさせたい。僕が若かった頃よりも極上の体験をさせたい。そして、一人一人にかけがえのない成長を!

僕は、「教えること」が仕事だから、子どもを「できるようにしたい」ことには一生懸命になりたいけど、子どもに「教えたい」ことには慎重でありたい。

理屈を知ることじゃない、実践できることなんだ。だいじなのは。

北の海からの贈り物

まだ生きている。こういうのは調理しづらい。

まないたの上の毛がに。むしろ覚悟を決めているようにも見える。

いちばんの方法は「蒸し」。甘みと深みと旨み。

いつもにも増して長い夕食。話しにでてくるのは小さな小学校の教師たちと子どものことばかり。酔っているのか冴えてくるのか分からなくなってきたのは、酔っている証拠。

とにかく北の大地は美味いものばかり。

神さま、きょうも仲間との分かち合いをありがとうございます。いつくしみをありがとうございます。

長崎は雨の朝

きょうはずっと校正という仕事をしていた。あまり得意ではない、はず。

まず、見直すということがじれったくなってきている。そして、コンピュータ画面に慣れ切ってしまっている。
だから、紙の文字をじっと見つめて、何度も何度も言葉を確かめて、しかも字数を数えることなんて、、、

が、これがめちゃくちゃ楽しい。楽しいでは済まされない。奥深い。夢中になる。やめられない。大好きだ。

って、大袈裟だけど、僕は校正が好きかもしれない。つくりたい。
とにかく、僕は雨の朝から日差しのお昼を感じながら、風ただよう夕方まで、ずっと部屋にこもって校正をしていた。ときどき、丸窓から海を見ながら。
それくらい、今、手がけている本づくりに魅了されている。

単著でなければ、という研究者がいる。
編著こそ生きてきた感謝と僕は思う。

みんなに支えられてここまで来た。あと少し。あと少しで、みんなと100年あとまで一緒にいられる。本を作るってことは、これまでの記録だけではなく、今からもずっと同じ本の中で生きていられるってこと。

そういうこと,のはず。

夕方の散歩道、見上げる大村湾の空は別格。どこまでも気分のいい日は、何もかもが気持ちいい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕は本のできばえの自信はないけれど、この本の中でみんなとみんなが一緒に居続けられることは、この上なく幸せなことだと分かっています。

ぐっとくる授業

やっぱり言語活動。
やっぱり言語活動モデル。
だから、やっぱり学習課題。
まず単元びらき。
何より子ども研究。
そして評価規準。

ああ、やっぱり学習課題。

僕のノート
(1日目)
・学習履歴-ありがとう集会-前単元-結びつける-場面ごと-今回は人物
・何を結びつけるのか-心に残ったところを探しながら聞いてください△
・登場人物すみれちゃんの絵カード・学習課題の提示
・Aフレーズの登場人物△
・誰ですか-すみれちゃんと書けばいい
・自分は自分の名前
・楽しそうだけど難しそうの声
・すみれちゃんって何が好きだったっけ△
・最後,もうすぐ「わたしは三年生」の歌を作ってみましょう。
・どんな歌を作りますか△
■言語活動モデルの制度

僕のノート
(2日目)

すっとする授業

きょうから第1期佐賀合宿。といっても泊まることはない。三日間連続で教室に学ぶ機会。

第1期の授業者は平田昌志。

平田昌志は子どもの声をすくい取るのが上手い。3分後の活動を先取って子どもをわくわくさせるのは見事。

じゃあ、30分後の見通しは?というのがきょうの課題。

授業は作られたものではないし作ろうとし過ぎるものでもない。だけど、子どもと創っていこうすることは大事。

子どもの声と一緒に創る。

子どもの感覚的で、少し足りない、だけど見事な気づきを含んでいる声をどのように言語化するか。教師が言語化したことをこれからはその子どもが一人でできるようにするにはどのようにかかわるか。それが果てしなく奥深く、限りなく楽しい。教室に働けることに慣れてはいけない。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。教室は僕の頭に灯りをともします。

授業のあと味がいいから

朝からモッチョム岳がきれい。

角度を変えてもかっこいい。

早咲きの桜が,

昨日の生徒の学び(と僕のちょっと気持ちのいい授業)をお祝いしてくれているよう。

授業リフレクションのあと,離陸までのわずかな時間にいいお店でお茶。

僕はまた近いうちにこのお店に来てしまいそう。

ここの時間と空間と人。なんでも受け入れてくれる。僕はこういう時間と空間と人になりたい。

大急ぎの屋久島二泊三日,授業の旅。
小さな飛行機だったので,はじめて鞄をあずけたことだけが心配だった。

ちゃんと運ばれてきた。
こんなことでさえうれしい。それだけで,今回の旅もいいものだった,って,僕は幸せだ。

授業は私のもの,って生徒が言っている

いい一日になる。

まちがいない。

はじめまして。のあとはもちろん気持ちのいい緊張感。生徒もきちんと座っている。

単元びらき。僕はとにかく丁寧な授業をめざしている。

「じゃあ」のことばで,生徒が動き出す。

おいおい,「そんなに熱くなるの?『少年の日の思い出』の登場人物の整理だよ!」って感じ。

納得したら,すぐ座る。そして,僕の声に耳を傾ける。

気持ちのいい達成感。「じゃあ,足りないところ。もっといいこと考えたところ。確かめたいところをどうぞ。」

黒板のところに来る生徒。席で語り合う生徒。

だけど,教室はひとつ。みんながみんなの気配の中で学んでいる。僕はとにかく気持ちいい。

じゃあ,書いてみようか(言語活動のはじまり)。

「先生!」って,担任の先生を呼んでいるのかと思ったら,僕じゃん。
僕,絶対,かなりうれしそうな顔をしていたに違いない。

「また来ます。」の声を置いて,僕はこの中学校を後にした。

授業後,
こんなに幸せな気持ちになったのは何年ぶりだろう。
27人の生徒の名前,全部,言える。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。のぞまれた仕事の小さな役割を果たせた気持ちです。

I did Good Job!って感じ。

ロケット発射!

3,2,1,発射!

子どもの頃の口ぐせ!それがいよいよ明日。見えるぞ!見るぞ!

 

のはず。だったのに,ちょっと調わなかったみたい。

だけど,僕はすぐ目の前の種子島がとっても近く感じた。

こんなことって,ある。

また,こんな機会がきっとある

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

さあ,屋久島。

胸の高鳴り。もちろん。だって,先週の今頃は苫小牧。
五郎ちゃんのカレーラーメン食べていた頃。
今週は,桜島の上を飛んでいる。

研究会がはじまる時間まで,ちょっと足をのばして,

春の海って,まるい。
島の研究会も,まあるい。

僕はこの仲間たちと近いうちにまた会いそうな気がする。僕が来たり,仲間たちが動いてくれたり。

わずかな時間だったけど,明日の授業の軌道修正ができた。そして,みんなと新しい道をめざそうと約束した。

さて,今夜は屋久島づくし。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

都会

曇天の都会にひと筋の白。新幹線って、どこから見てもカッコいい。

きょうは日帰りで京都。

いい仕事だった。

さてと、長崎に帰ろうっと。帰って、サッポロクラシックを飲もうっと。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

小さな小学校の大きな声

北海道から戻った日曜日、長崎は快晴。祝福の日曜日。

愛犬、久しぶり。

五島椿が咲いた。

こんな日は瞳をとじて黙想するのがいちばん。

一昨日の四つの学年の授業は、どれも僕たちを学びにいざなってくれた。

6年。「だから先生、しつこいくらい言ってたんですね。」この言葉は、教師の繰り返す学びどき(Aフレーズ)が子どもに染み込んでいた証拠。だからこそ、今、書き上げた文章のAフレーズにかかわった部分に線を引かせてみてはどうだっただろう。

特別支援学級。思考のスピードと活動のスピードのズレを子ども自身がコントロールできるような機会をつくりたい。ともすれば「同じ」を求めてしまう僕たちは、「違い」からはじめるのがいいのかもしれない。

3年。教師は、子どもが書いたことに感動するだけではなく、書けたことに感動しなくっちゃならない。量と質とスピード。とりわけ、書かなければならないことが書けたとき、子どもは書き切ったことに自ら感動する。感動を書くのではなく、書けたことに感動する。そのとき、「書いたもの」での不確かな評価ではなく、本当の意味で「書けたこと」を評価できるのである。

1年。30分間のひとり学びの進め方をさりげなく示したい。後半の協働学習になるまでの学びを例示して一緒にデザインしたい。そしてそれを黒板に書いておくことで、1年生は安心できる。

実はこれらのことは言語活動を通した学習に限ったことがらではなく、どんな学習においても有効なこと。

言語活動を位置づけた単元学習は、これまでのスタイルを打ち消す考え方ではなく、完成させるための提案なのだ。昭和22年試案、26年試案に始まった現代教育を整理統合した上に、今からの「教えること」がある。

子ども研究をうたうならば、子ども研究の方法を具体化しなければならない。主体的な学びの実現を目指すなら、主体的な学びに役立つ教師の仕事を明示しなければならない。

午後の3時間の協議はかけがえのない時間だった。僕はこの学校にまた来たいと思った。このメンバー、この仲間となら、もっともっと学びたい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございました。北の丘の小さな実践は大きな声となり、北の大地に響きはじめています。

この小さな小学校の教師たちは、今、できていないことを残念に感じているのではなく、もちろん、やろうとしないことに逃げるのでもなく、できないこと、だけど今から必要なことをやってみることにひたむきなのです。そうすることが、これまでの「教えること」を点検することにもなることを知ってもいます。

できていないことが残念なのではなく、やろうとしないことが残念。

すでにやりはじめ、動きはじめ、高まっている小さな小学校の大きな声がどこまでも白い雪原に響きます。

この小さな小学校、かけがえのない「今」を創造しています。

そうそう、帰り道、空港までの寄り道で食べたほっき貝とほっき貝カレー。北海道にはまだまだ驚かされることばかり。

授業と教師の仕事

朝は日高昆布の出汁茶漬け。

「居酒屋 徳」での酔いは残っていないけれど、また新鮮な身体に戻った感じ。

さて、小学校到着。

「教えるということ」を再考することしばしば。

教えるということは、一人でも学び続けられる人に育てること。それに尽きるように思う。

だから、小学校1年生へのかかわりかたと中学生とのかかわりは同じじゃいけない。

同じ学級の中でも、同じように教えられる場合と個別にかかわらなきゃならないときとがある。それを時間がかかるからとか、準備が大変だからとか、教師の都合や子どものせいにし、たったひとつのだけの、思いつきのような計画で進めようとするのは間違っているように思う。いく通りもの手立てがあって、その中から最適な計画を選ぶことが必要だ。

言語活動を設定さえすればいいという考え方は間違っている。《私の問い》を立てさせれば主体的な学びになるというものでもない。振り返りましょうと言えば、どの子どもも振り返れるというものでもない。

もう一度「教えるということ」を考え直そう。教師の仕事を子どもを主語にして書き表してみよう。

そんなことをうんと考えたきょう。ホロシリ牛乳が妙に濃く感じる。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

さあ、北海道だ

ひとつめの乗り換え駅。

さあ,北海道。お昼過ぎには北の大地だ。

たった2時間ほど離れただけなのに,空港が凍ってる。

ホームが凍ってる。

そんな中,幸せなにおいただようお弁当屋さん。夏に来たときも気になってた「ほっきめし弁当」。

今回もがまんがまん。お昼はもう決めてある。

苫小牧。僕はこのトマコマイの音が好きだ。さて,どうにも気になる店に連れて行ってもらった。

五郎ちゃんが言うとおり,北海度のカレースープとお味噌汁の親戚のようだ。ラーメンに麩が入っている。

ちょっと,写真を失礼!

さあ,これから研修部と研究についての打ち合わせ。北海道の午後は短い。もう日が傾きかかっている。

夜はこの辺りでいちばん美味いと評判の「居酒屋 徳」へ。

お造りもジンギスカンの唐揚げもまあなんと美味いこと!

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

授業を楽しむ

鹿児島の中学校で授業をする機会を得た。僕の授業力なんかすっかり錆びついてしまっているのに生徒の前に立てることになった。

単元は,甲斐利恵子先生の「ルロイ修道士への弔辞」を大いに参考にさせてもらっての「達富版 ルロイ修道士への弔辞」。

今回の僕の挑戦は,単元びらきの工夫。ちょうど今,プラハの日本人学校で祥平がとんでもなく壮大な単元に挑んでいることに触発されたのかもしれない。がんばろう,兄弟姉妹!って感じだ。

さて,単元びらきの工夫とは。

単元には大きく二つの出会いがある。一つは作品や題材,言語活動との出会い。もう一つは学びとの出会いだ。「もの」との出会いと「こと」との出会いと言ってもいい。言語活動は「もの・こと」の両面をもっている。「どんなものをつくるのか」と「どんなことをするのか」である。

各地で授業を見せてもらっていると,この二つの出会いが切り離されていると感じることが少なくない。どちらの出会いも大切だ。

さて,きょう。

僕は準備してきた音読で教室を動かしたり立ち止まらせたりしようと考えていた。

音読百遍。清原先生から習ったことだ。

ルロイ修道士の「今の思い」と「回想」が織りなすこの小説は,とやかく言うより声で感じるのがいちばんだ。その折々に今と回想を区別させる。

言語活動に活用できそうな部分を選ぶことは先ほどの区別の上にある。

選んだエピソードをどのように表すかは語彙学習の上にある。

語彙は学びとの出会いを深いところに連れて行く。

どのように読むか。

感動を声にするというよりは,書かれた小説を動き出させ,立体化させるという感じ。僕の感動を押し付けず,生徒の感動を無理に引っ張り過ぎず,小説のよさと出会うことで自分の読解に出会い,学びに出会うことができる。

もちろん,途中で学習課題とつなぐ時間をはさみながら。ここは教師の語りの力が必要。

そのためにも、素手で読ませない。読みのかまえをもって作品に出会う。国語の学習での読むことは,土日の読書とは違う。途中で読みたくなくなってしまっては大変なことだ。いや,読みたくなくなっても読み切らなければならない。読み切るためにはいい加減に読み始めてはいけない。読みのかまえをおでこのあたりに集めて一気に読む。読ませる。聞かせる。

音読百遍。必ずできる。

平和は愛のつながり

素晴らしいコンサートだった。たった6曲の調べが伝えてくれたのは「僕は祝福されている」ということ。

一日の終わりは、足りなかったことや届かなかったことを振り返るのではなく、きょう満たされたという後味のいい振り返りをすることにしよう。

西本さんのかっこいい姿を真似して右に左に揺れながら、凍った街を歩いてる。

神さま、ひと月おくれのクリスマスをありがとうございます。

平和の鐘

明日は平和の鐘プレミアムコンサート。西本智実さんの指揮。

本当に楽しみなんだけど、この天候。西本さんはもう長崎に着いてるんだろうか。

楽しみ、時々心配、のち楽しみ。

神さま、今日もいつくしみをありがとうございます。

2023年1月24日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

アーケードで昭和のランチ

日曜日のお昼はアーケード散策をかねてぶらぶらと。

つい昭和のお店に吸い込まれてしまう。ほぼ予想できる味を確かめに行くわけじゃないけれど、昭和って、何かいい。

ナポリタン、と心に決めて入ったのにメニューを見て心変わり。

20代になった気分でトルコライス。ナポリタンもいい役していてお得。

しかし、今夜は夕飯抜きになりそう。

ちょっと食べ過ぎて苦しいかも。

熊本のみち

熊本の歩き方が変わった。もう下通を歩くことはない。

あたたかな灯りにあふれる公民館ですてきな仲間と語り合い、

長崎を右手に、

昭和という歴史を感じながら、

ぶらりと立ち寄ったお店で昼ごはん。

ふつうの焼き飯がなぜ美味いのか。分かりきった問いはつまらない。

昨夜の宇土の仲間、今からの天草の仲間。仲間が待つ道には安心感がある。

僕の道はいつも新しい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

お土産にもらった「熊本」。

どれも仲間との味が滴りおちる。

ありがとうございます。みんな。

京都

やっぱりここは別格に落ち着く。京都。

ひつじメール通信25-1

ついに来た!

こんな日が来るなんて!

いつもは「ひつじメール通信」の愛読者の一人だったのに,その通信に僕の名前があるじゃないか。

まだ,ゲラにも届いていない状態なのに。

「うれしい。」なんて,小学生の作文みたいな言い回し。だけど,うれしい。うれしいものはうれしいしか言い表せないんじゃ!

明日からは,子どもの「うれしい表現」を大いに認めることにしよう!

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。「ここからはじまる国語教室」産声をあげられそうです。ひつじ書房からの出版です。迷える小羊,羊飼いの声を聞き分ける小羊。僕は長いあいだ迷いすぎてしまっていましたが,ちゃんと僕を待っていてくれた99匹の羊の仲間に感謝です。

待っていてくれてありがとう。100匹でお祝いしよう。4月22日。

 

以下,ひつじメール通信25-1から転載

◆◇◆ひつじメール通信25-1◆◇◆
2023.1.11

いつもお世話になりましてありがとうございます。
「ひつじメール通信」をお送りいたします。

 

【房主】より

言語活動に焦点を当てる

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

現在、達富洋二先生編著の『ここからはじまる国語教室』という本をほぼ原稿をいただいて刊行に向けて進めています。新しい国語教育の教科書です。面白いと思いますのは、言語活動に焦点を当てているということです。

国語科教育という言い方の方が良いでしょうか。このことはちょっと分かりませんが、国語教育という言い方をさせてもらいます。国語教育というと国語という言語を教えるものだとずっと思ってきましたが、言語活動に焦点を当てているということは興味深いことです。言語そのもの、記号としての言語というふうに言った方がいいでしょうか。この展開は国語教育の業界内ではもうよく知られていることなのでしょうか。国語を美しいとか美学的なもの、情緒的なもの、こころを伝えるというふうに考える考え方に対して、美的な言語観を批判して、言語技術として教えようという、また、言語は美的な情緒や気持ちではなく資源である考えようという潮流はあります。また、さらに国語教育はチラシの読み方を教えるようなものではないと言語技術的な言語観に対する批判もあるわけですが、言語活動として教えようという言語の見方があることについてはあまり認識していませんでした。私が世の中の動きに疎いということがあるのかもしれないです。

言語研究も、社会的なインタラクションに関する研究が社会言語科学会などでは行われていて、言語活動という考えに近いものがあると思います。がしかし、国語教育研究と社会言語科学会が連携しているということはほとんど聞かないと思います。これも私が世の中の動きに疎いのかも知れないですが。

記号としての言語、自立した体系としての言語という考えはありますが、活動としての言語という考えもあって、それらは混ざり合うというか、言語に対する注目と言語活動についての注目は、どちらか一方ではなく、連携し合ったり、対立し合ったり、混在し合ったりするもののように私は思います。

一方、日本語教育だと記号としての言語、体系としての言語を批判して、言語と関わることを捨てようという動きがここ十年くらいあって、記号としての言語を否定したいために言語活動としての言語も切り捨てて、そのことが日本語教育として望ましいという考えがかなり強いように思います。言語は言語として自立しているとか、規範的な言語観は否定される傾向にありまして、求心的な言語観は嫌われ、遠心的、分散的な言語観が尊重されていると感じます。そのように考えると言語活動に注目している国語教育は、言語教育として、重要なのではないかと思います。私は言語を単に記号としての言語だけと考えるのはなく、インタラクションを含めたあるいはインタラクションそのものであると言っていいような複雑なものとして考える方がいいと思っているので、記号として言語を研究対象として捨てるために言語を止めてしまうことに対しては問題だと思っています。

私は日本語教育の潮流を批判したいのではなくて、国語教育の言語活動という見方が面白いと思っているということを言いたいのです。日本語学が国語教育と連携しようとするならば、言語活動に注目する方がいいと思います。そのようなタイミングで、『ここからはじまる国語教室』を刊行できますことはありがたいことだと思います。これも私が世の中の動きに疎いのかも知れないですが、国語教育側がうまく発信ができていなかったからなのではないかと思っていますが、どうでしょうか。言語活動という見方が面白いわけですが、言語心理学だと言語実践という呼び方をすることもあり、言語研究者、言語教育者が、言語を捨て去ってしまうのではなく、言語観について議論していくことが望ましいのではないかと思います。

袋かけみかん「夢味」は,「みかん姫」!

僕の妹分,いわく,「十二単を着たみかん」とのこと。

驚いた。

これは「みかん」ではない。「おみかん」,いや「みかん様」,ちょっと仰々しい,「みかんちゃん」,いや軽い。

風景とも馴染む。いいじゃないか。

で,お味は,,,

これで焼酎が飲める,って言っても信じてもらえないだろうけど,飲める。

とにかくかわいくてかわいくて,しかたがない。

結局,「みかん姫」と呼ぶことにした。しっくりくる。

ようこそ,我が家へ!PENNY LANEへ!みかん姫!

ありがとうございました。苓北からのみかん姫に,我が家はときめきの1月9日でした。ほんと,美味しい!

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。明日,神さまにもこのみかん姫をお届けします。

小さな,だけど本気の研究会

4月に本気の研究をしようと考えています。

教室の事実,子どもの姿を見る,声の共有,どんなキーワードになるか,僕自身が楽しみです。

言い切れるのは,教師としての矜持を今いちど確かめ,僕たちが教室で仕事をする力を高めたい人はぜひ集まりませんか,ということです。達富,本気でやります。壮,てらまい,浩,ヤクエリらと本気です!残り31名です。絶対,満足させます!

どうぞ,お問い合わせください。

片手があいた

少し大きな仕事を片付けた。

だから、片手があいた。この開放感がたまらない。仕事は嫌いじゃないけど、なにもないっていい。

と思っていたら、忘れかけていた仕事がどどどって、風の又三郎のようにやってきた。

原稿起こし、小学生の作文のてびきづくり、少年の日の言語活動、来年度のシラバスなどなど。

でも、まだ、片手が空いている気分。それだけでっかいことが通り過ぎていったということ。

よし、今夜は町に出よう。いや、庭で食べよう。

どうしよう。やっとクリスマスが来た感じ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。望まれた仕事ができることに感謝です。

あのじいさんときたら

北海道に贈った一枚のレコード(CD)。

これを聞きながら九州の焼酎を飲んでいる男がいるというだけでうれしくなる。井の頭五郎ちゃんも苫小牧に行ったようだし,そろそろ僕も,と心おどる。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

そうそう,厳正な抽選(?)の結果,京都からのリクエストにおこたえしてサインを送りました。「LOVE 2」が貴重だと思うんだけど。

明日,届きます。

Quiet Quitting

車に乗って運転席のパネルを見ると2023年になっていた。あたりまえなんだけど、もう2023年。

今年は、Quiet Quitting !

大村空港の朝焼け。いいじゃないか。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

寒い岬を思い出す

正月三日。おせち料理じゃない味を,と。

上五島から届いた「かっとっぽ」,絶品。

シェラカップを直火で黒糖焼酎と日本酒,絶品。

明太子の燻製。

こんな穏やかな冬の日はいつまでも外に居たくなる。
穏やかな大村湾のかもめを眺めていると,ふと,昨秋の北のかもめの黒い目を思い出した。

日本中,お正月。襟裳岬もお正月。
また行きたいぞ。僕は角砂糖ひとつ。

僕はことしも旅を続けるつもり。

神さま,きょう一日のいつくしみをありがとうございます。

そうそう,今夜はコンフィデンスマンが楽しみ♪

いつくしみをわたしたちに

12月31日,夕景。

1月1日,夕景。

僕はきょう一日,ずっと空を見上げていた。ずっと空の声を聞いていた。

今年は新しい歌を歌う。

神さま,きょう一日のいつくしみをありがとうございます。

2023年1月1日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

贈り物

ほしい人,あげます。多分,最後のサインです。

日本中から年の瀬

みなさんの「たつとみに食べさせてやろう」の気持ちを全部だきしめて。「全部,食っています。」

ありがとうございます。年の瀬は旅から戻り,いつもの鞄もひとやすみです。

この学び舎に

いいじゃないか。

いいじゃないか。

僕は,この学び舎に居ることだけで感謝に包まれている。
僕は,この学び舎に学ぶ学生と語らえることだけで賛美に包まれている。
僕は,ここに居ることだけでもう十分だと知っている。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。アレルヤ。

2022年12月26日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

Merry Christmas ! from Prague

にぎやかなクリスマス。プラハからの大行進。

しあわせなクリスマス。プラハからMerry Christmas!

来年は,思案橋で飲ませてやるからな。

ありがとう。いちばん年下の友人とメリークリスマス!

ほどこしと感謝はコラボレーション

「お父さん、ありがとう」を言いやすいお父さんでありたい。

「大丈夫だいじょうぶ」と言えるお父さんでありたい。

「いつもありがとう」を感じられる自分でいたい。

望まれた一日を送れるよう大人でありたい。

今宵はごんぎつね

第2回、宇土の会(仮)。参加者は一気に倍増。

1時間目は「思考操作のトレーニング」

2時間目は《私の問い》を立てる値打ちのある言語活動の設定。

どちらも「脱!教師の都合」が合い言葉。

そのあとは、作品研究!

今宵は「ごんぎつね」が話題。かなりしゃべりすぎたのは分かっている。しかし、文学ってこんなに奥深いものなんだ、って、そんな経験をすることも時に必要。

ただし、この時間はまさに、「教師の都合」。

お好み焼きをいつ切るか

たいした話じゃない。

お好み焼きは食べる分だけ、その都度、切って食べるか、

まず全部切ってから、さあ!食べるぞ!とはじめるか、

お好み焼きをいつ切るか、それだけの話。

それだけ、それだけで、しばし笑いながらお好み焼きを食べたのは日曜日の夜。それを、また思い出してたつログしている。

寄せられるリプライを見ていると、食べる分だけ切って食べる派の僕は少数派になりつつある。

ううん。切っちゃうと内側のほくほく感がなくなっちゃうじゃん、と少し反論してみたりもする。

月曜日はLet it Be

授業が終わり、駐車場に向かう。僕はいつも聖堂の近くに車を駐めているから、待降節の間は僕の車も灯りに包まれることになる。

建学の精神にのっとり、謙遜のうちに授業をつくる。

「できるようになりたいのです。」の声にこたえられるように。

Be動詞って、奥深い。

コール・マリーヱ,美しき調べ

僕は勤め先の学歌は知らないけれど,この学園歌は歌える。

清き流れ 楽しせせらぎ ほとりに汲む
生命の水 永遠に尽きず 潤いあれと
その名ゆかし わが純心 マリアの心
鑑と仰ぎ 真理のさと 英知の窓
励み集い 深く巨き
神の御栄えを 讃え奉らん

きょうはコール・マリーヱの定期演奏会。

待降節の日曜日。浦上教会での美しい調べ。こんなに心地よい夕方。かけがえのない時間。

きょうの演奏会に誘ってくれた学生さんに感謝。付き合ってくれたマキシミリアノ・マリアに感謝。

2022年12月11日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

旅の帰り道

ようやく長崎本線。

いつもの赤いキャップをかぶった中央軒のおばちゃんが退屈そうにホームの向こうからこっちを見てる。

きょうは途中下車しないでまっすぐ帰る。

中央軒のかしわうどんは、もう少し寒い夕方のほうが値打ちがある。

創立記念日

建学の精神を思い起こし、これまでの成果を謙遜のうちに見つめる。それが創立記念日だと思う。

この大学に身を置いて学生と対峙できることに感謝して声を聞くことにつとめたい。

神さまきょうも一日をありがとうございます。

2022年12月8日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

あなたの「育ち」に

月曜日が好きだ。日曜日の次っていうのが好きだ。僕を新しくしてくれる。

きょうの月曜日もステキだった。小さな存在として,弱い生き方として,自分を見つめる時は元気になれる。

午後,授業の中、僕はまた自分を見つめる。

「先生,見てください。」

この「ら」。この「ら」の変容。

字がととのったことより,この変容に気づき,それを感じることが何よりうれしい。

「先生,見てください。」の声が僕の身体にリフレインする。「上手くなったこと」より,「上手くなった瞬間に一緒にいられたこと」のほうがずっと幸せだ。
普段の「ら」が,よそ行きの「ら」になり,それがあたりまえの「ら」になる。このBeforeからAfterへの気づきと育ちがステキだ。

僕は,学び手の「育ち」が大好きだ。みんなの「育ち」ほどステキなものはない。ステキは感謝の賛美の内にある心の動きだ。その瞬間を,いちばん近いところで感じることができる月曜日に感謝。

学生がつくる授業!

いいじゃないか!この学びの工夫。

なにもかもが僕の予想を超え,でも,それがあたりまえのようにここにある。ステキの連続。

今週は木曜日も日曜日も長崎。

出会えた学生に感謝。目の前の学生の姿に賛美。育ちゆく学生にもう一度,感謝。

少しばかり大きな仕事を終えた僕は,「僕は何を望まれているか」に耳を澄ましながら月曜日を過ごしと。

不器用な授業だったかもしれないけれど,不躾な語りだっただろうけど,だけど,また,少し近づけたことに感謝しつつ,来週の授業のことを考えている。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。大村湾にかかるお月さんを見ながらの帰り道は,行くときよりもずっとずっとこころ穏やかです。きょうも一日に感謝です。

2022年12月5日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

12月4日

いざやる、せいかる。新しい言葉を作ることには消極的ですが、今朝はこんな気分。

神さま、きょうも一日をありがとございます。

きょうもLet it Be

授業の後,学生さんと一緒に点灯式。

キャンドルに灯る火は,それだけで待つ身の気持ちをあたためてくれる。

ここで学生に出会わせてくださってありがとうございます。学生の夢を叶える仕事ができますように。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。

2022年11月28日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

待降節

きょうからは待つ時間。
待つことって楽しい。待てる自分ってうれしい。待ってくれる人がいるなら、必ずその場所に行きたい。
来てほしいというより、そこに行きたい。今もそう思えている僕は、まだ元気なのかもしれない。

君の街に行くよ。

神さま、きょうも一日をありがとうございます。

2022年11月27日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

大阪,ええとこや

朝の万博公園から届いたすてきな写真。

きょうは大阪。大阪弁でやったるで。

いつもの下駄箱に,いつもより歓迎されている感じやん。

手紙まで置いたあるやん。

ということで,素晴らしい授業と分科会。

1年生のふたつのクラスに見られる入門期後半のそれぞれの伸びと共通した育ち,
ふたつのクラスを合体させた6年生の大所帯の授業に見られるたくましさと,確かな軌跡。

「味生小学校だからここまでの学びができるんですよ。うちじゃ無理です。」なんて,誰が言っているんだい。

「そう,味生小学校だからできるんです。味生小の教師たちだからここまで育てられたんです。」って,僕は言ってやるぞ。

つらいときもあった,とがった言葉もあった,どうすればいいか分からないときのほうが多かった。だけど,そんなこと忘れそうになるくらい,きょうの味生小の教師たちはかっこよかった。

応援団長なんて,えらそうな肩書きはやめだ!僕はふつうに味生小の教師たちのファンやっていることが似合っている。

 

また,サッポロに行かなあかんな!

神さま,きょうも一日ありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。

京都の夜はだるま

来た来た,来たで。京都のだるま。

ややこしい串よりも,僕は

紅生姜にきまってるやん。

みんな食べたはる。
飲んだはる。
笑ろたはる。

アルバイトの中谷君のおすすめの6本を楽しみながら,帰ってこなくなったお嬢を探した夜も懐かしい。

こんな月曜日は、Let It Be

きょうは長崎。授業そのものの手応えよりも、学生と息づかいを共有できたことの安定感がうれしい。

とにかく、この教室に任せるしかないと考えている。僕の都合ではなく教室の事実。

それが「きょう」を作ってくれた。僕が「きょう」を作ろうとするのではなく、いつのまにかある「きょう」に気づいただけ。

確かに、ここに「きょう」がある。

神さま、きょうも一日をありがとうございます。確かに、ありました。きょうが。

2022年11月21日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

はじめてのもの

10年間,ずっと探していた菱。やっと,出会えた。

並べるのも食べるのもいい。

やっと。10年の旅。佐々木さん,ありがとうございました。

天草に来ることはあたりまえ

やっぱり天草。

やっぱり天草。

こんなに大きな研究会になるなんて誰も思わなかったはず。あの松屋の二階で下ちゃんと赤城ィと三人だったのは事実。

やっぱり松屋。

土産にもらった新聞の包み。
もちろん,中には「銘酒 天草」。

そして,赤城ィの心にくい逸品。

これじゃあ,明日の早起きは無理みたい。

ストーブの音

今年はじめてのストーブ。僕のお気に入りのアラジンに火を入れた。

石油を入れる音,火を入れたあとの火が馴染んでいくまでの音,火が調うまでの音,筒を立てるときの金属音,炎が背を競い合う音。

だけど,何よりも好きなのは,アラジンの上にやかんを置いたときの音。やかんの底についていたしずくがストーブとやかんのあいだでつぶやいている。こいつが朝いちばんに僕に語りかけてくる声。

おはよう,きょうもいい一日になります。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。

しいたけが好物です

近くの農協で原木の椎茸を見つけた日は幸せな気分に包まれる。だからついついたくさん買ってきて,

海風の下,天日で干すのです。

うま味,増します。

とご満悦の土曜日,
ピロリン♪と届いた写真。
親愛なる家族からの写真。

楽しい思い出つくっておいで。
家族,もっともっと強くなあれ。

家族そろった外食べと,
星空の下の夢と,
朝霧に包まれたコーヒーは格別。

さあ,朝から冒険だ!

冒険に行こう!冒険に行こう!

神さま,きょうも一日ありがとうございます。みんなみんな,幸せでありますように。アレルヤ!

そうそう,キャンプでもコーヒーには角砂糖ひとつ,です。

できたできた

半年ほど前に見つけた波佐見焼きの印材。これを彫ってもらった。

なかなか素敵な印影。

みなさんへのはがきに「ぽん」とするのが楽しみです。

今夜は@博多屋さん

久しぶりに行きます!と電話した。席に座るやいなや,クロとイサキの舟盛り。

店長さん,やるなあ。

と,2時間ほど。

久しぶりに平らげました。

ごちそうさま。

秋の夕暮れ

たまには外食べもいいだろう,と今夕はランタンまで出して食べ始めた。

秋の落陽を眺めながら天橋立のオイルサーディンを炭であたためて芋焼酎。

最高。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。

紫どんぐり

7年ほど前,紫のどんぐりの苗を連れてきた。

2年ほど前にいちど,花が咲いたような気がしたが,今年,ようやく実をつけた。

紫のどんぐりは紫じゃなければいけないけど,紫どんぐりは何色だってかまわない。

だけど,僕にはしっかりと紫に見える。

入院中の身内にこの写真を添えてメッセージ。はやくよくなあれ。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。すべての人に神さまのお恵みがありますように。

日曜日

晴天,どこまでも青い。こんな昼は散歩。

愛犬もひなたぼっこ。

大村湾に足をつける日曜日。

大村湾を眺める日曜日。

柴犬と寝っ転がる日曜日。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。アレルヤ。

秋の夜長

僕の家の庭は透き通るような虫の声。

誰に聞かせようとしているのか,毎晩,第4楽章までやっている。

と,お月さんも遠慮気味の秋の夜。冬の星座が所狭しと輝いている。

もう11月。今年も九州場所には行きませんが,「待つ」ことを味わいながら日々を過ごそう。

神さま。きょうも一日をありがとうございます。

1964年6月生まれのランタン

ずっうと,ずっと,探していたランタンを手に入れた。

1964年6月生まれの赤いランタン。

あまりにかわいくて,あまりにすてきで,あまりにもほれぼれして,僕は早く夜にならないかなあと目を閉じたりサングラスをかけたりしてる。

ちゃんと,「64」と「6」の刻印が見える。

神さま,願っていれば叶いますね。ありがとうございます。

白いみどり

そう言えば,この前までは「ねずみ色のみどり」もあった。以前は「赤いみどり」もあった。そして,この9月からは「白いみどり」。

「緑のみどり」が走るまで僕は緑に乗り続けるぞ。

そうそう,京都はホテルの中まで紅葉だった。

なにをやってもかっこいいのが京都。

このめあて、どう?

きょうのキーワードは「めあての調整」。

福岡県京築地区行橋市の国語科研究会。

「めあてとまとめをつなぐのは子どもの仕事です。」とは言いながらも、それは簡単なことではない。と言って、言いっぱなしで帰りたくはない。

だから、ちょっとだけ経験談。

めあてとまとめの間にあるのは「私の学び」。もちろん、その学級全体のまとめもあっていいけれど、「私不在」のまとめになってはいけない。

だからこそ、まずは「めあての調整」が必要だ。その授業に私がいるため、その授業を私のためのものにするため、その授業が私に役立つものになるため、学級のめあてを調整して私のめあてにする。

そうすれば、自ずと授業のまとめは、まずは私のまとめになる。その上に学級のまとめを重ねる。だからこそ自分の学びの値打ちを自覚することができる。

めあてを黒板に書いたらすぐに「では、きょうは」と言っていないだろうか。

めあてを示したら、まずはめあてについて語り合おう。

「このめあて、どう?」

めあての調整はここからはじまる。きょうの学びはこうして立ち上がる。

めあての調整。

ぜひ、どうぞ。めあての調整ができるようにこの週末を使ってみませんか。

なんでナフコやねん

きょうの虹は素晴らしかった。朝から神さまの祝福をいただいた。

ワイパーを動かすのがもったいないくらいきれいな雨。サササ、って音のする柔らかい雨の向こうに色硝子が降ってきた。

早く車を停めて息を吸い込みながら見たい。と、駐車場、発見。

もう少ししゃれたところで撮りたかったんだけど、これはこれできょうのお恵み。

神さま、思いがけない創造物をありがとうございました。

たつとみゼミ

今年は久しぶりの大所帯。2005年の10人以来の大所帯。

9人のステキなゼミ生と充実の一年半になること間違いなし。

さあ、晴れの舞台

もう何年になるだろう。この学校が好きだ。本気で応援したくなるのは僕の担任時代に似た教師が多いからに違いない。

今年も晴れの舞台がやってきた。

click

僕のテーマは「学ぶことと教えること」。いいテーマをもらった。今の僕の《問い》にぴったりだ。

何ひとつ無駄のない、だけど廻り道しているように見える研究こそが美しい。教師たちの本気が子どもの学びを輝かせている。

3年ぶりの本気の研究発表会ライブ!

僕も本気で楽しむ。

神さま、きょうも一日をありがとうございます。

思考のスピード

今いちど、書籍活用のよさを考える

あまりにかっこよすぎるタイトルに耐えられる話ができるかどうか。

本気で準備した。今朝も3時に起きて点検した。

そして、自宅を出る直前にふうっと、キーワードに導かれた。

「生徒の思考のスピードは、紙書籍がちょうどいい。」

デジタルスピードについていけない生徒は、テキストは見えているけど見ていない。聞こえているけど聞いていない。

僕はこのフレーズを伝えたくて高槻四中にきた。

教室をめぐる。そこには書籍の中に学ぶ生徒の姿があふれている。

アナログを使いこなす生徒。

生徒が学習材を使い切っている。

振り回されていない。

使いこなしている。

そして、僕。この教室の事実が伝わるようにありったけの経験と知識と生徒を表す語彙を絞り出した。
そして、一生懸命に語った。そう、一生懸命。

先週の鹿児島、きょうの高槻。僕は友だちの中で力を出せている。

田中氏、ありがとう。帰り際のビールのにおいのしない握手を忘れない。

17時45分のスーパー

お店に入ったときはそうじゃなかった。

一周まわってきたら80%引きになっていたから,兄ちゃんにたずねたら「よかですよ」の一言で90%引きになった。

分刻みのディスカウント。夕方のエレナはやさしい。

北海道産の生牡蠣。ひとつ40円。

今夜は日本酒。ジョーのお別れに涙酒。

これまで楽しませてくれた高城俊人選手,ありがとう。

(仮)という本気

(仮)と銘打った研究会がうまれた。

語ることは得意ではない,だけど,聞いもらうことは大好きだ。
聞かせることは満足にできない,ただ,声を届けることには一生懸命でありたい。

一生懸命とは,命を懸けて生きること。僕にとって生きることとは,相手に声を届けること。伝わりますようにと祈ること。

それは小学校で教師をしていた頃からかわらない。

昨夜も素敵な出会いばかりだった。ずらりと集ってくださった。声を受け止めてくださる教師に囲まれる。コの字に並んだ仲間の一つ一つの瞳の向こうに声を届けることに一生懸命だった僕の2時間。

幸せとは,一生懸命が叶ったときとは限らない。幸せとは,一生懸命のとき。幸せとは,一生懸命な自分に気付いたとき。

まちがいなく,今夜,僕は一生懸命だった。(仮)という研究会の本気の仲間に僕は完全に魅了されている。

時間割りのある研究会っていうのもステキだ。次回は,1時間目「思考操作をやってみよう」,2時間目「《問い》を高めよう」,3時間目「事例で語り合おう」,4時間目「振り返ってがぶ飲みしよう」ですよね。まさに僕の好きなスタイル!

ありがとう,ショーゴ。帰り道のギンモクセイの香りははじまりの香り。

教室の声に学ぶということ

私たちは「教材研究」という用語を当たり前のように使っていますが,教材研究とは何をどのように研究することなのでしょうか。もしかしたら,それはたんなる説明文研究,作品研究で終わってはいないでしょうか。それに少し加えて,言語活動研究で終わっていないでしょうか。作品研究に言語活動研究を加えただけになっていないでしょうか。

学習材であり,教材である作品を詳しく丁寧に理解し,その特性を知ることは重要なことです。ですが,それと同じくらい,いえ,それ以上に大切なこと,忘れてはならないことは,子ども研究です。学習者研究です。

この子どもはどのように学んできたのかり何を学んできたのか。どんな考え方ができるのか。私はこの子どもに,何をできるようにさせたいのか。それはどのようにすれば可能なのか。どのような作品を,どのように扱い,どのような活動の中でどのようにてびきすればいいのか。

子ども研究があるから作品研究が実り,子ども研究があるから言語活動研究が具体的なものになるのです。そのために作品研究が役立つのです。

どのような力をつけることが目標なのか,どのような言語活動を通して学ぶのか。そのためにこの作品がなぜ有効で,どのように活用できるのか。この作品とこの言語活動だからこそ,どのような考え方で目標にたどり着くのか。そのための作品研究であり,言語活動研究でありたいのです。基盤は子ども研究であることはまちがいありません。

子どもがその作品でどのように考えるのかということが具体化されることで,言語活動が価値ある学びとなるのです。

みなさんはきょうの授業の事実をどのように見て聞きましたか。私は前方中央のグループのところに座って授業に参加していました。私は,教室の事実,子どものライブの声を聞くことを大事にしています。きょうの授業では次のような声が大事な声として残っています。

・確かに
・じゃあ
・なるほど
・もっとさあ
・ただ
・〇〇〇みたいじゃん
・ここのところさあ

こんなことばが子どもの思考をつなぎます。こんな言葉が仲間との学びをつないでいます。

・ちょっと待って,もうちょっと時間ちょうだい
・今の質問いいと思う,〇〇どう思う
・じゃあ,〇〇はどう,ちょっと違うでしょ
・僕もなんだけど,書いてないけど,こうじゃん
・教科書にもあったんだけど

粘り強さとはこういう声からはじまる。

・自分は言葉選びがだめなんだけど
・ここに赤い線を引いておきたい
・分からなくはないんだけど,何て言えばいいか引っかかって(物足りないんでしょ)物足りないというか

粘り強さの中に学習の調整がはじまりつつある。

これらの声は「説明文のキーワード」ではありません。かけがえのない「学びのキーワード」です。説明文のキーワードを学びのキーワードが意味づけている。学びのキーワードが生徒の学習を意味づけ,自覚化を形づくっている。生徒が作品で学んでいる。作品の向こう側に,作品を越えて行こうとしている。

私たちは「説明文のキーワード」を発問で取り出させてきました。個別最適化の学習は,「説明文のキーワード」の取り出しだけではなく,「学びのキーワード」を自覚させることで実現できます。

「教科書の説明文はどう書いてありますか」を問うことだけの授業をやめましょう。「あなたはそれをどう読みましたか」を言語化する授業をもとめましょう。「どう書いてあるか」を問うだけではなく「どう読んだか」を言語化することで,自己の考えが形成され,すべての子どもが「学習の主人公」になれるのです。

私たち教師は,その子どもの姿に学びたいのです。

全国のどこかでみなさんとお目にかかれることがあるでしょう。その時まで,教室の事実に学び,成長し続ける教師でいようではありませんか。

………………………………

これは,第51回全日本中学校国語教区研究協議会鹿児島大会の第4分科会で僕がしゃべったこと。

司会が粋な計らいをし、少しの時間を余らせたことでこのコメントの時間が生まれました。ありがとう,名司会者さん。

そこからは新幹線とローカル列車を乗り継いで移動。打ち上げのアナウンスを背に西駅へ。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。こんなことばっかりして旅している僕を導いてくださり感謝しています。

頭のいい人

池田雅延の随筆(2017)「考えるという言葉」の中にこうある。

考えるとは,「すでに明白に存在し、誰もが知っているはずのデータを適宜に取り出し、それらを比較し取捨して当面の課題の結論を導く、多くはそういう頭の操作」のことである。

頭のいい人が書くと,どうしてこんなにすっきりするんだろう。

この引用文の「課題」を「学習課題」や《私の問い》とし,頭の操作を「思考操作」とすれば,まさに,まさに,だ。

ちょっと待てよ,と,書棚の研究コーナを確かめる。

僕がはじめて「学習課題」について論じたのは2016年,「国語科単元学習を創造するための検討カテゴリ」という拙論。そこには実践に支えられた考えを綴っているから「学習課題」に取り組みはじめたのはさらに前。よかった。池田雅延の盗作じゃないことははっきりしている。

そこで,ちょっとまとめて見たくなった。

…………
 考えるということは,問いを解決しようとしていることです。私たちが何かを考えるのは,そこに「問い」があるからです。人は,「問い」を与えられたときや「問い」に出会ったときに考えはじめるのではないでしょうか。
 教室では教師が子どもに問うてきました。私たちが発問と呼んでいる行為は,子どもに考えさせるために問いを発することです。子どもは,教師からの発問によって考えはじめるのです。そして考えたことを教師に答え,評価をもらう。考えて新たな知識や技能を得ることができる直接的で明快な学ぶことの原点とも言えます。
 しかし,教室の外では誰が問うてくれるでしょうか。卒業すればそばに教師はいません。大人になれば誰も問いかけてくれません。「問い」がないということは,考えはじめられないということです。それでは私たちの思考は成長しません。
 誰かに問われなければ考えはじめられないのではなく,私たちは,自ら「問い」を立て,一人でも考え続けられるように成長する必要があるのです。そのことが生涯学び続ける根底になるからです。
…………

旅はつづく

なんだか久しぶりに旅に出る気がする。きょうは大分。だけどまずは有田で降りてみた。この景色にこの鞄、絵になる。やがてはこの駅の木造駅舎も取り壊されるんじゃないかと思うと、こんな途中下車も大事な道草のように感じる。

さて、今日のお宿は高等温泉。

あまりの安さと落ち着きは昭和というより大正。

お風呂も風情あふれている。

旅の景色はただそれだけで美しい。その時間に身を置いている自分に満足している。

大分の仲間たちと研究を肴に話し込むのも楽しい。ああだこうだが途切れない。時間は流れるように過ぎていく。

と、帰り道の別府行きのホーム。

あの青い姿は少し前まで大村線を走っていたキハ。こんなところにいたのか。感慨深い。

そして手前の黄色は確か枕崎線で世話になったはず。何年ぶりだろう。

人と人、暮らしをつなぐ列車の旅にもうしばらく身を委ねるつもり。

僕がよろこんで

9月26日,きょうから長崎純心大学での授業がはじまった。ちょっとばかり元気の出ないここ数日だったから,あの三ッ山の坂道はこたえるだろうと覚悟して向かった。

案の定,息が切れた。すれ違う学生の軽やかな足取りに年の差を感じてしまう。

きょうは1コマだけ。はじめの一歩としては,ちょうどいい。授業に緊張感はなかった。

そりゃそうだ。こっちだってもう何年も教師をやっているんだ。変な緊張はない。くたびれた心で授業ができるかが心配なだけだ。

しかしそれも杞憂のものだった。

何かにつけ,学生に透き通る空気を感じる。授業をすることで身体が洗われる。学生と交わることで今が見える。ここに居ることで自分が分かる。爽やかな光が降っている。

この大学,廊下を歩くといつも見えることば。僕は,透き通ることばの中に今の僕を確かめてしまっている。

授業後,大村湾の落陽。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。

「いやなことは僕がよろこんで」。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

おまけ

今夜は仲間で集まりました。そして神父さまの誕生日お祝いし,僕の純心大デビューも祝福してくださいました。僕は望まれた仕事を丁寧にしていきます。

アレルヤ。

メイド・イン・ニッポン の鮭

北海道から鮭が届いた。僕の使っているまな板よりでかい。

これじゃあ,愛用の出刃包丁では一引きではおろせそうにない。

とは言っても,魚は食べる前の捌きも楽しい。捌いたからこその味がある。今頃,佐賀のみやき町でも2尾の鮭とたたかっている男がいるはずだ。彼との捌き比べもちょっと楽しい。

イクラも白子もとばも。全部,メイド・イン・ニッポン。

生涯,最良の日 Happy Birthday みんな!

2022年9月23日,僕の生涯,最良の日にしたいと願っていた。

決して鉄道マニアではない。だけど,こんな僕を何処にでも連れて行ってくれる鉄道が好きだ。フェリーが好きだ。飛行機も好きだ。僕の生涯,最良の日に,その鉄道も花を添えてくれた。

長崎新幹線開通。それに乗って,友だちが集まる。そして,最高のメンバーで語り合う。それが最良でないはずはない。

朝,僕はできたばかりの新しい駅舎に立っている。

自動販売機までが新幹線に装われている。

向かいのホームに長崎から来た新幹線が入ってくる。胸が高鳴る。

そして,いよいよ,僕を生涯,最良の場所に連れて行ってくれる「かもめ」がやってきた。

いつものように鞄を棚に載せて長崎までのわずかな時間を楽しむ。

9月23日。かけがえのない一日。

会場着。

いちばん舎弟を名乗る男からの祝電に泣ける。

開会までの1時間は,Happy Birthday KAMOME! をエンドレスで流しっぱなし。会場の外を通る一般のかたものぞき込むくらい,この会場は幸せに包まれている。

何から何まで幸せな学びの空間。

Happy Birthday あなた!

Happy Birthday あなた!

Happy Birthday あなた!

Happy Birthday わたし!

Happy Birthday みんな!

ありがとう,みんな。

コンパクトライティングの効果の共有とともに,わたしたちの絆の誇り。
コンパクトライティングの未来とともに,わたしたちの明日。
コンパクトライティングの可能性ととに,わたしたちの誠実。

この日の切符はとっておこう。

新大村から長崎,長崎から新大村,そして,出島メッセからなかま。

そうそう,僕が乗って長崎駅に着く瞬間。動画からの一枚。

こんな心にくい一枚を届けてくれる妹に祝福を!

神さま,きょうも一日ありがとうございます。心乱すというのは,自分が裁こうとしているからです。まだまだ声を聞くことができていません。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。このHappy Birthday みんな!は,きょうが新しい誕生日であるということ。九州に学んで10年。

明日からが2度目の1年目です。

Happy Birthday みんな!さあ,はじまるよ。

Long Time No See

たつログ,どうなっちゃったんですか?とのメールがわんさか届いています。

心配してくださってありがとうございます。ちょっとばかり心乱していて,コンピュータに打ち込むよりも,モレスキンのノートに綴っていました。

このメッセージを9月22日の日付にして,このあと,大事な大事な9月23日から再びたつログします。

台風見舞い

「屋久島が台風の目に入りました。風がやんでいます。」のメッセージを受け取ったとき,僕はランタンのマントルを焼いていた。

「こんな日の海岸温泉はどうなっているんでしょう。」と送りながら,僕はクックバーナーにホワイトガソリンを入れていた。

家の中でキャンプするみたいでわくわくしないでもないんだけど,やはり怖い。

みなさん,どうかご無事で。

屋久島,あくゆう,天草,美里町,宮崎,若松島,長崎,大分,佐賀,福岡西南,今日明日は大人しく,音無しく。

干物のうたげ

10月になったらPENNY LANEで「干物のうたげ」をやります。ぜひ,ご参加ください。

これでもか干物!ビールと熱燗で夢を見ましょう。

長崎新幹線

Happy Birthday !まであと2週間!

僕は新大村から長崎までの往復を予約済み!

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2022年9月11日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

凍えることない僕の旅

定宿。部屋もいつもの一番室。朝ごはんの時間も伝えることなく七時。

田舎に帰ってきたような時間だ。

と、女将さん登場。この半年ばかりの話を聞きながらの朝ごはん。お茶を入れてくれたり、梅干し入れのふたをあけてくれたり。

「そうそう、焼酎、持って帰んなっせ。」

てっきり昨夜飲み残した焼酎のことだと思って焼き魚を食べていた。

サービスなんかじゃない身内感覚。

「行ってきます。」と宿を出る。いつまでも見送ってくれる姿をミラーに見ながら,僕は左折。きょうは天草文化交流館。

なんとも昭和。

風格と貫禄と誇り。そんな部屋で熱い授業論を2時間半。

帰り道,玄関で「ああ,面白かった。」と若い教師たちが記念撮影をしている。ここに来てよかった。

さて,きょうは港から時計と反対回りで帰ろう。

普賢岳近くの紅葉がはじまったか確かめたいのもある。雲仙教会で黙想したいのもある。高いところから眺める橘湾に溶けこみたい気持ちもある。丁寧な石積みに触れてみたいのも本当。

だけど,ほんとうは,これが無性に食べたくなったから。

ほんとうに美味しい。

家に帰ると素敵な贈り物が机の上に。この夏の写真集。

こんなすてきな夜は,もう一杯のんでねよう。

先週は北海道,きょうは天草,来週は大阪,京都,鹿児島。

まだまだ続く僕の旅。

凍えることない僕の旅。

神さま,ありがとうございます。

さあ,天草 重陽の節句

東の果ての海を見てきた僕は,西の果ての海に立っている。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。

寅さんが寝っ転がっていそうな部屋が僕の定宿。

もちろん,ご飯も美味しい。

勉強の時間はもっと素晴らしい。赤城ィ。いつもいつもありがとう。

僕にとって生涯最良の日,9月23日

新大村駅に立っている。ちゃんと,切符も持っている。

僕は鉄道マニアではない。何処にでも僕を連れて行ってくれる鉄道を愛しているだけだ。きょうは,「生涯最良の場所」に僕を連れて行ってくれる長崎新幹線に感謝しかない。

自動販売機も愉快。

さあ,乗るよ。

いつものように鞄を置いて,さあ,出発!

僕が乗っている長崎新幹線「かもめ」が長崎駅に着いた。

乗っているのにどうやって撮ったの?は愚問。仲間なつきからの一枚。生涯,たからもの。

つづく

2022年9月9日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

夕焼けくらべ

襟裳岬の夕焼けは大きかった。

僕の暮らす長崎の夕焼は懐かしい。

そんな落陽の下で夕飯。

ことしの夏にありがとう。いくつもの旅の空にありがとう。

神さま,きょうも一日ありがとうございます。落陽に染まる一日をありがとうございます。アレルヤ

角砂糖はひとつ

旅から戻ってからというもの,僕はコーヒーを飲んでいる。ふだんならお茶の僕がコーヒーを飲んでいる。

もちろん,二杯目。角砂糖はひとつ。

2022年9月6日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

北の大地ロス

カレーラーメン

えび蕎麦

さて,今夜は帆立とかにとほっけ。

北の大地ロス。

やれやれ