たつログ

ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。

えとせとら

飲むことすなわち

ビールはサッポロ黒ラベル。日本酒は京都伏見の松竹梅。

プレミアムモルツでもなければ銀嶺立山でもない。

旅先ではクラフトビールを楽しんだり地酒に酔うのが好きだ。だけど自宅では、安定したいつもの酒に酔いたい。

なにより、誘いがいい、

「男は黙ってサッポロビール」

「飲むことすなわち喜びさ、喜びの酒 松竹梅」

それに景色がいい。

三船敏郎、石原裕次郎に宇野重吉。

ああ、昭和の男たちに昭和の酒。今夜も僕は昭和に酔っている。

さあ、中等国語科教育法Ⅲ

手応え十分!

「そこまで考えていたのか」

そうそう、そここそが考えどころ!

僕は、どのカンファレンスにも感激するばかり。発表する側も質問する側もそれに答えるときも追加で尋ねるときも、連続する学びの緊張感!

そのあとの総評と指導助言。僕のコメントだけが止まったものにならないようにと「僕も負けないぞ!」と力が入ったり、しなやかに対応したり。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。この授業、最高なんです。

こんな日は、ちょっと道草して帰りたくなる。

教えるということはできるようにすること

ずっとずっと言い続けている。ゆずれない。大事にしている。

「教えるということは、できるようにすること」

その準備を学生のときに身体に染みこませるっていいことだと思っている。

とにかく、やってみる。子どもができるようになるための方法を考えて、試して、やってみる。

やり方なんて、いくつもある。いくつも試したら、もっと思いつく。もっと思いついたら、その中かふさわしいものを選ぶことができる。やってもみないのに評論家になっちゃいけない。

この授業、評論家など一人もいない。みんなが実践者、みんなが子ども、みんなが教師!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

子どもの作品

きょうは「第7回 きゅうでん はがき新聞コンクール」の審査会でした。何千という応募。第一次審査、第二次審査を経て、いよいよ最終審査です。何度も何度も作品を読み込み、まるで自分が指導したかのような気持ちになるまで作品に惚れてきょうを迎えました。

審査席前方のボードに貼り出された作品は表舞台に立つ子どものように、少しの緊張と大いなる誇りに縁取られているようです。

丁寧な事前の読み込みに支えられ、大きな問題もなく審査は進みました。

子どもの作品とともに楽しみにしているのが、各専門の立場からのコメントです。九州電力のかたの電気資源、環境保護、生活責任のコメントはどれも切り取り方が新鮮で的確で見事です。西日本新聞社のかたの文化としての新聞、民主主義のための新聞、これからを生きる者へのメ発信元としての新聞、この矜持にはしなやかさと強さがあります。

また来年。

年に一度、七夕のように集まる文化人の集まりの中に来年もいられますように。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕がのぞまれることならどんなことでもよろこんで。

いいものにはわけがある

なんとたくさんの人と話したんだろう。全国で活躍の人物がここにもそこにもあそこにも。僕はきょろきょろしながらとにかく聞いて聞いて、ときどき言葉を届けた。

やってきた人の言うことは違う。やってきた人の考えは違う。やってきた人は、やっぱり違う。

いいものにはわけがある。

一人のファンとして、きょうの会議を楽しんできた。

帰り道、「一杯、いきませんか?」と声をかけてもらった。

もう出会って30年くらいになるけれど、未だに学びながらの乾杯を楽しんでいる。

また行きましょう。また来ましょう。親愛なるさんたさん、きょうもありがとうございます。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。いい仕事ができるよう、健康でいさせてください。

教育長室に

教育長室を訪ねた。

僕がさしあげた色紙が飾ってある。

応援していたつもりが、僕が応援してもらっていることに気付いた。

こんなつながりをありがとうございます。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

限りない可能性

毎週、毎週のことだけど、この学生の可能性に感動している。

アクティブラーニングとは、相互による行為の連続であると思う。

予習とか復習とか、そういう枠組みではなく、学びを連続させるために自分は学びにどのようにかかわっていくか、どのようにかかわっているか、それを楽しんでいる。そんなリズムが伝わってくる。

果てしない力、今週もありがとう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

 

さあ、九州場所

北海道から戻った翌日、僕は博多に居る。まずはひいきの平戸海の籏の下で記念撮影。

ご婦人たちが撮っているのを真似して一枚。

デパ地下で買い込んださまざまな肴を並べて、さあ応援だ。

なにもかも大満足、満員御礼!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

道草くうのもいいさ

さて、帰路につく。新冠から長崎まで。

いつもの宿を出る。

きょうは五十番ラーメンではなく、味の大王に連れて行ってもらった。

五郎ちゃんには申し訳ないけど、こっちのほうが僕の口には合っているみたい。

美味い!

成長する教師たち

授業。ほんとうに尊いもの。教師たちのすべて。

僕はいつものスタイルで子どもと教師の声を聞いている。子どもと教師の思考を感じ取っている。

授業者だけが授業を語れるのではない。この学校の教師たちは、先ほどまで教室で繰り広げられていた授業を自分のこととして語っている。

授業後の分科会。家庭科室や理科室の大きな机をうまく活用し、数名が向き合って授業についての交流をする。各テーブルに本校の教員が一人ずついる。この教員がぶれふことなく、この1年半の校内研究を共通のことばと自分の言い回しを織り交ぜて熱く語っている。

もう、僕のいる場所なんて不要。誰もが授業を自分のものにしている。この尊い時間。この穏やかな時間。いつまでも終わってほしくないこの時間。

こんなときにいちばん役立つことばはなんだろう。とにかく、僕はこの2年間の教師たちの本物の仕事を言葉にすることに努めた。

ありがとう。

これからも仲間でいよう。ずっと友だちでいよう。

そして、やっぱり、ありがとう。この時間をありがとう。そして、アイヌ彫りの贈り物もありがとう。ずっと使い続けます。それは、閉校してしまう朝日小学校とこの仲間との熱い時間を忘れないこと。

神さま、きょうもきょうまでもいつくしみをありがとうございます。小さな僕の小さなはたらきをいつも応援してくだってありがとうございます。

旅の重さに

重さはマイナスではない。いい加減で無自覚に通り過ごすわけではないということ。

僕が待っているのも本当、僕を待ってくれているのも本当(であってほしい)。

いつもの鞄に着替えと土産と手帳と水彩絵の具を入れていた昨夜。そうそう、マフラーと手袋をって、追加。北の大地はどのくらい寒いんだろう。

手帳にどんな言葉を綴って帰路を楽しむか。下手な水彩のはがきをどこに向けてポストに入れるか。

そんなこんな思いを巡らしながら旅の重さの楽しみがはじまる。

飛行機から見える日本は冬のはじめの装い。

日本アルプスを過ぎてしばし。ひときわ目立つ美しい山を見つけた。「あれはなんていう山ですか。」

「鳥海山です。」CAさんには見なくても分かるんだろう。すぐに教えてくれた。こんな風景の上を毎日飛んでいたら、ものの見方も違ってくるんだろう。僕にとっての日常の風景って、どんなものなんだろう。

そんなこと考えながら新千歳。きょうはバスで新冠まで行くつもり。3時間ほどのバスの旅に心がおどる。昼ごはんは駅弁と決めている。南千歳駅の「北海道 汐彩弁当」と決めている。それをバスのいちばん後ろの席に座って食べるって決めている。

計画通り、お弁当を手に入れた。

苫小牧駅で7分間の連絡でバスが出る。その間、サッポロクラシックを買わなきゃ。

おっと、バスが来ているぞ。お客さんも乗り込んでいる。急げ、急げ。

見事、いちばん後ろの席に腰を下ろして鞄を食卓がわりにして「いただきます。」

北寄貝もつぶ貝も鮭もいくらも何もかも美味しい。

車窓の景色はデザートだ。

バス停の数82。ようやく到着。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2023年11月16日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

佐賀大学 中等国語科教育法Ⅲ

日本中に公開したくなる。この学生の学びの軌跡。

僕はこの学生たちの最後の担任になれることを何よりも感謝している。

果てのない道をいくあなたたちに役立つ仕事をできることに誇りを感じている。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

学生の力って

勢いがある。その勢いは誠実さが支えている。だから、どれもが美しい。

安心感がある。その安心感は愛に包まれている。だから、どれもが尊い。

僕はこの学生たちの学びが好きだ。

だれもがだれをも侮らない。

みんながみんなと生きている。

共同体って、こんなところから生まれるんだって、今、実感している。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

紫野指月会、復活

子どもの頃、夏休み明けの始業式は少し恥ずかしかった。40日も会っていなかったクラスが集まるとき、どんなふうに交わればいいのか6年生になっても迷っていた。中学生になってからは部活で毎日会っていたからそんなことはなかったけれど、小学生にとって空白みたいな40日間はぎこちなさがどっしりと教室の真ん中に居座っていた。

きょうポッキーの日。比叡山の見える研究室でポッキーパーティしたのは15年ほど前だっけ。

「よし、会おう」って、急に決まったからか、10年にぎこちなさはなかった。よく笑ったし、よくしゃべった。時間って、それぞれを育てるだけでははく、集まりも育てるんだって、実感。

みんな大人になっていた。

ぜんぜん、変わっていない。年をとったのは僕だけ。

声もテンポも息づかいもあのときのまんま。

今年いちばんのできごとにエントリー!

またすぐにでも会おう。

指月会。僕の原点。指月会、僕の身体。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。やってきてよかった、って本当にそう思っています。

感謝のうちに。

京都のお昼

京都駅八条口にある「とり八」。ここの昼定食に外れはない。

きょうは鳥山椒定食。

確実に美味い定食を食うならここ。

ひとつの終わり

きょうは年休をとって大阪に来ている。味生小学校の公開研修会に参加するためだ。

元気をもらおう。まずは腹ごしらえ。伊丹空港の551に直行。朝メニューのみだけど迷わず注文。

よしっ!満足

次は太陽の塔だ。

充電はできた。ここからは味生小学校、ファイナル応援に徹する。思えばここで3人の校長先生と一緒に教職員を応援したことになる。思い出がいっぱいだ。

授業。やる教員も関与する僕も本気だ。ほめたことばかりではない。怒ったり、悲しんだり、涙したり。応援団長などといいながら、本当は僕がいちばん楽しんでいた。

きょうの会は一時代の終わりとして見事だった。

たくさんの仲間たち、ありがとう。

長崎にて

小学生が書写を楽しく学べる動画をつくろう。

そんな授業をしている月曜日。

とにかく、充実している。学生が生み出すアイディアはどれもが圧巻。泉のように湧き出てくるしなやかさに感動。

とにかく、とにかく、素晴らしい。長崎純心大学、僕が大好きなこの大学は海の見える坂の上にある。

 

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

新聞という文化に学ぶ

森山卓郎さん(早稲田大学)と尾高泉さん(新聞博物館館長)と鼎談をした。

尾高さんの主張は一貫している。民主主義は新聞によってつくられる、と。

確かにそうだ。僕はうなずくばかりだった。

家に新聞が届かない生活など想像できない。新聞をざあっとでも広げるときの快感。たった15分でいい。インクの香りとガサっという音。そして組まれた文字の流れの美しさ。

対角線1メートルの世界で「現在」と対話する。時間をかけた取材に圧倒される。読み返さずにはいられない。変わらない枠の中に繰り広げられる連載に心つかまれる。同じように書いてみたいと何度も真似したことがある。

15分間に僕の中に生まれ出ずる問い。この問いがきょうを色づける。新聞という文化は僕にとっては砂場のようなものだ。あってあたりまえ、ふれてあたりまえ、いつまでもここにいられる、だからこそ何かしはじめたくなる。

鼎談も終盤、僕はこう言った。

僕は担任している40人の子どものすべてを芸術家やアスリート、作家や新聞記者にしようとは思ってはいない。もちろんそういう道に進む者がいたらそれはそれで素晴らしいこと。どんな選択も尊重される。ただ限定したジャンルの力を押し付けることはしない。ふれてみることが大事だ。

ただ、すべての子どもは豊かな新聞の読み手になってほしい。新聞を読む力。これは人として外せない。自分に合っていると判断されて送られてくる情報だけで「今」を知った気になるのではなく、ニュースを選んで「今」を知ることが大事。

では、どつやって新聞の読み手として成長するのか。

それには作り手としての体験が必要だ。誰もが新聞を読むことができるようになるために、少々手強くても、面倒でも、難しいと感じても新聞をつくる学習が必要だ。効果的だ。

尾高さんのの言う民主主義に生きるためにも、新聞を読むことができるようになるためにも、新聞を書くことは有効だ。

新聞を賢く創造的に消費するために、あえて生産者としての新聞づくりの経験が必要なのだ。

将吾が来た!

きょうは年の離れた友人が遊びに来る日。
朝からそわそわしながら準備を調える。
出迎えるときはどんなふうに?
なんて、緊張しているわけではないけど、甲子園まで行った高校球児を迎えるなら、やはり素振りでもしておこうかな、と妙案。

楽しんでくれたようでなにより。

お土産にもらったメロンは教会のシスターにもおすそ分け。
「こんな美味しいメロンは生まれてはじめてです。」
と言ってくださった80歳のシスター。
将吾たち、ありがとう。

達富先生と学ぶ会

とってもうれしい勉強会が実現した。
「達富先生と学ぶ会」なんて、申し訳ないネーミング。
その分、みなさんの授業研究に役立つ時間にしなくっちゃ。

僕は、この小学校の先生たちの一体感に惚れてしまっている。
誰もが誰をも敬愛しているって、ほんとうに尊い。
だから、この小学校は強い。
がんばろう!西海北小!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

学生の力は365点!

朝から気分がいい。空いっぱいに気球が飛ぶ。その下を車ですり抜ける。見守られているような、見守っているような。こんな日は、まちがいなくいい日になる。

そして、授業。
僕は学生が好きだ。この果てしない力が好きだ。
見事にやり遂げる学生に惜しみない拍手を。

学生が夢を叶える。そのいちばん近くにいられることに感謝。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

長崎のひつじかい


きょうは「長崎のひつじかい」の日。
今年からはじまった新しい研究会。とっても心地いい。

勉強の前に腹ごしらえ。
これまたいいお店を発見!
きょうは、時間がないのでとりあえず「かつ丼」!

美味い!

授業、やります!

再来週、中学校2年「敦盛の最期」で自己の考えの形成、やります。

もしかすると、残りわずかな僕の授業歴。だいじにだいじに、ちゃんと授業します。

言葉がつくる

金曜日の夕方6時、10人以上の仲間が集まってくる。

昨年の10月にはじまったこの小さな勉強会。隔月開催できょうで7回目、ちょうど1年だ。

着飾らないのがいい。本音がいい。子どものような美しい心がいい。分からないときは分からない顔をするのがいい。分かったふりをしないのがいい。

今夜の話題提供はそんな仲間の宝物になった。それは、分からないがつくった授業でみんなが分かりつつあるから。「できるはずがない」ではなく、「できそう」を共有できる話題提供ってなにより貴重、何より役に立つ、何より元気をくれる。

さあ、みんなみんな話題提供しよう!

来月は、年忘れの会。もう今から心待ち!

言葉が思いや考えをつくり、
言葉が人をつくり、
言葉が仲間をつくる。
そして、言葉が教室をつくり、
言葉がきょうをつくり、
言葉が明日をつくる。
言葉が僕をつくりあなたをつくる。
言葉がつくったものがみんなの幸せをつくる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

さあ、帰るけん

宿の朝食をサラダだけにしたのはわけがある。
朝から宿のまわりを長く散歩したのもわけがある。


大きな空の下で勉強して頭を使ったのには下心がある。


とにかく空腹が大事、「腹が減った」状態になることがめあて。

きょうも目指すは「孤独巡礼」。

五郎ちゃんセットを注文。

平らげられる自信はなかったけど、ぺろり!

体力ついた、カロリーもついた、何より自信ついた。

「また来るけん!」って、いつも言ってるけど、待ってくれる人がいるならあたりまえのこと。きっときっと、また来るけん。

北の大地にきれいなお月さま

小さな小学校の大きな感動のあと。北の大地はもう日が暮れかかっている。

今夜の宿も夕景。

さあ、「腹がへった。店をさがそう!」ではなく、ともだちんちに向かおう。

まずは、火照った頭を冷まそう。

肴は漬け。これにイクラを乗せて食う。

そして、ちゃんちゃん焼きにラムのジンギスカン。

しめは蟹おこわ。

道内屈指の料亭「美智子庵」はどれも絶品。「美味しい」以外の言葉がない。時を忘れさせる空間。笑いが絶えない時間。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。

帰り道の名月、「神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。」を何度も何度も、何度も。

 

授業

子どもが学び浸っている姿がここにある。

まずは、この一枚。この一枚の写真にこの教室の充実が凝縮されている。

学び合いとはこういう姿が連続することだ。誰もが誰をも侮っていない。誰もがみんなを大事にしている。国語教室はここからはじまる。そんな授業がこの学校にはある。

では、45分間、ずっと動き回り、話し合っているのか。

それは違う。
授業びらきは楽しさのなかに静けさがあった。
先生が何をおっしゃるか待つ子どもがいた。
それは受け身ではない。
先生が何をおっしゃるか、子どもは知っている。分かっている。期待している。
先生がおっしゃることを確かめながら、子どもは自分の45分の見通しを立てている。

45分のはじめは、こんな姿からはじまった。凜とした空気。しぜんと両手が膝の上でそろう。

この姿は、やらされているのはない。
学びを待っているのだ。
次の学びを心待ちにしている。
もちろん聞く姿勢にはいろいろある。
子どもによってそれぞれだ。
だけど、この教室は誰もが自分を小さく見ていない。

そして、板書の音読に移る。

指斉読。
久々だ。
さらに凜とした空気がただよう。
凜とした空気が次の学びを熟成させようとしている。

さあ、言語活動。
もちろん、動き出すには時間が必要だ。
その時間は子どもによって違う。
それを、「はい、どうぞ」で片付けない教師がここにいる。
動き出すまでの時間は優劣ではない。
そこに寄り添うことは、手のかかる指導でもない。
子どもを待つ。
子どもの学びの立ち上がりを待つ。
ただそれだけのことだ。
そのことがとても大事なことを知っている教師だけが待てる。びきすることができる。

言語活動だけではない。
学び合いにもてびきは必要だ。
さっと入って、きちんとてびきし、そうっと離れる。
教師とはそういうもんだ。

だから、

子どもが動く。
子どもが学ぶ。

再び、この一枚。
この姿はこの教室の日常だ。

この教室には本物がある。
この教室は学びに満ちている。

いや。この学級だけではない。
この学校はそれが当たり前になっている。

当たり前の日常の風景になっている。
とにかくしゃがんで声を聞く教師。とにかく子どもを「主語」に語る教師。とにかく、いい顔している教師。

研究協議はみんな語る。担任だけじゃない。研修部だけじゃない。専科も養護教諭もみんなみんな語る。その語りが、熱くて深くて胸の奥の方まで染みこむ。ずっと語っていたくなる。ずっと聞いていたくなる。

きょうの二人の教師の教室。
僕はうんうんとうなずくことしかなかったし、それがとてもうれしかった。もう一度、朝に戻ればいいのに、もう一回、はじめから体験したいって、本気で思ってしまう授業研究。僕がいちばん好きな時間だ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。美しくも力強い時間を共有できました。

来たゾ!北海道

朝、まずは大きな小学校を訪問。

何か動き出しそうな予感。

そして、馴染みの小さな小学校へ。

きょうはここで二つの学級に学ぶ。コミュニケーションがあふれる時間になること間違いなし。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

行くぜ、北海道

なんだかんだと遅れてしまって、21時をまわってもまだ羽田。夏の100冊の100冊目ももう三度目。

新千歳空港の中のホテルにしておいてよかった。午前零時を回ってから札幌に出るのはきつい。と思いながらチェックイン。部屋に入って驚いた。窓からヒコーキがのぞいている。

今夜はこいつと寝酒。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

明日は新冠。一緒に勉強できる仲間がいることが幸せです。

わたしたち、かもめ!

昨年の9月23日。僕にとって生涯、最高のいちにちだった。あれから1年。

かもめたちは元気かな。

感慨深い今朝。

妹かもめから届いた贈り物。「撮り鉄じゃないですけど」の言葉を添えた写真。昨年の9月にはまだ産声をあげていなかった『ここからはじまる国語教室』と1歳になったかもめとのコラボレーション。

ありがとう。最高にうれしいゾ!

この幸せの9月23日に何かをしたくって、僕はこんなものをつくった。

前回の「天草松屋の集い」からつくりはじめた小さなパンフレット。きょうが第2号。

「今日的問題とされている時事的なことがら」をとりあげ
「大村はま先生のことば」に導かれ
そして「ここからはじまる国語教室」に綴ったことを少しだけ。

それに、僕の折々の思いを脚注に。

さあ、ここからはじまる。

神さま、きょうもわたしたちにいつくしみをありがとうございます。

松屋の集い、ありがとう

松屋に集う本物の仲間たちとの尊い時間。僕はこの時間を心待ちにしていた。

だから、小さいけれどこれまでで最高のものと言える資料を作った。配布したのはまだ作成途中のものだけれど、帰ってから仕上げるつもり。

ありがとう、20名を超える仲間に感謝です。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

やっぱり京都

いつもの宿にチェックイン。

そして、いつものカレーうどん。

やっぱり京都。きょうの授業もそのレベルの高さに満足。

気がついていないのはこの学校の教師だけ。この学校がやっていることは誇り高いこと。どの子どもも、一人の子どももひとりぼっちにさせない授業。本当に素晴らしいこと。それを自慢しない、それをひけらかさない、そして妥協しない。この小学校はまさに京都の心にある学校。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。きょうも子どものよさにふれることができました。きょうも教師の一生懸命にふれることができました。

いつもどおりの「集い」

研究するということは、伸びるということ。
だれが伸びるか。
まず、自分、そして子ども、当然、学校。

つまり、みんな。

ひとりよがりの研究ではなく、みんなに役立つ研究をしてきたつもり。

何度か意識してきたこと。
・もう少し長い表現で《問い》化してもいいのではないか。
・ひとつの問題意識に対して複数の《問い》を立ててもいいのではないか。
・Aフレーズをどれだけ自分の言葉で歳表現できるようにするか。
・Aフリーズは子どもにとって基本的には理解語彙、あるいは無理解語彙。それを表現準備語彙に置き換えるのは誰か。
・置き換えるのは、言葉の言葉による置き換えなのか、そこに言語活動的実感を伴うものを取り入れるのか。
・それは「行為」から「意味づけ」を生むことと同じなのか。

こんなことまで話し合えたら、きっと松屋は不夜城になってしまうだろう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

やっと100冊

夏の100冊、読了。大村線の中で読了。千綿の水平線を見るのもそこそこに、文学に酔って読了。

さて、きょうはこのあと久しぶりの長崎。

このビル、昔っから大好き。

近いうちに、ゆっくりとお昼をしよう。

そして、今夜は久しぶりのビール。

やっぱり、長崎。

反省ばかり

いつも海がある生活。五島列島に住んでいたときはもちろんそうだったけれど、この年になっても海の生活にいるのがうれしい。

きょう、僕はしゃべりすぎた。かなり反省しているところ。心地よくしゃべりすぎた。かなり反省している。

それなのに、こんな名札までつくってもらい、たらふく食べて、がぶ飲みし、ほんとうに楽しんだ。

おまけに妙は帽子までかぶって「将来宣言」。やっぱりきょう、僕はしゃべりすぎた。気分よすぎた。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

旅の重さに

夏の終わり。子どもの頃から夏の終わりが悲しかった。

だけど、この悲しさが秋を連れてくる。

書生気分でちょっと寄り道

朝から教育実習生の応援に行ってきた。昼から看護師を目指す学生に論理的思考の方法を語ってきた。大満足の火曜日。

そのまま自宅に戻るにはまだ早い時間。ちょっと寄り道。

橋のたもとを歩く。昭和の建物がならぶ町並みを歩く。気分は書生。

川むこうの洋館がしゃれている。明治に憧れ学問を続ける書生の気分だ。

「ひと風呂あびてもいいだろう、きょうは昼も喰わずにやったんだから」と、矢がすりの赤い手ぬぐいを頭に乗せて湯につかる姿も書生気分。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

思えば長く学んできた

授業にかかわるすべてのものは子どもから出て、子どもによって保たれ、子どもに向かっている。
授業にかかわるすべてのことは子どもから出て、子どもによって保たれ、子どもに向かっている。

だから大事なことは子どもの息づかいを尊び、愛し、ていねいに観察すること。

一段落のあと、「これからはもっと子どもの側に立ってがんばります」。こんなことは言わない。幼稚な言い訳にすぎない。
誰かに問われたら、即答。そんなことしない。たずねてくださっている方に失礼だ。理解には時間が必要だ。そのことを表現するにはもっと時間が必要だ。
教えてくださった方のことばをコピーして、繰り返すなんてあり得ない。言葉を真似したって勉強にもなっていない。自分の言葉に置き換えられない限り、理解したことにはならない。

自分の言葉で子どもを語れるようになりなさい。
自分の表象の切り取り方で子どもを見るようになりなさい。
だから、子どもを尊びなさい。
そして、子どもと同じ大地を一緒に歩きなさい。

学んでいるただ中の子どもの「本当」は見えない。だから、学んでいる子どもと心で対話しながら子どもの声を聞くしかない。
見えている姿と、心で対話しているからこそ見える姿と、どちらが尊いか。
聞こえている声と、心で対話しているからこそ聞こえる声と、どちらが尊いか。

子どもと心で対話するということは、謙虚に子どもと対峙するということ。
子どもと心で対話するということは、子どもを愛するということ。

若い頃、授業の記録の取り方が分からなかった。
だからいいこと思いついた。
授業を見るときはいつも倉澤栄吉先生の斜め真後ろに立つことにした。そして、授業を聞きながら、倉澤先生がメモする真似をした。配られた学習指導案の同じ場所に同じ言葉を書くことにした。書く言葉も、下線をひく部分も、丸く囲むところも一緒。授業後、倉澤先生のとまったく同じ学習指導案をもった僕は、倉澤先生と一緒に授業を見たような気分に充実を感じていた。その後の倉澤先生の講演は、いくつもの「なるほど」があった。こうして授業を言語化することを鍛えた。もちろんあくまでも「贋作・倉澤流」。

若い頃、授業の見方も分からなかった。
だから、またいいことを思いついた。
授業を見るときにはいつも大村はま先生の真後ろに立つことにした。そして、少し腰をかがめて目の高さをそろえるようにして、大村先生の見方を真似した。右に向けば右を向くことにした。板書を見るときにはそうした。授業者を追いかけるときもそのようにした。歩くことも、立ち止まることも、生徒のノートをのぞき込むことも一緒。大村先生の授業観察の方法をまねした僕は、大村先生と一緒に同じ授業の事実を見たにもかかわらず、観察の文脈を調えることはできていなかった。だけど、こうして、授業を映像化することを鍛えた。もちろんあくまでも「贋作・大村流」。

お二人が天に召されてからは、そんなこともできず、真似もできず、話も聞けず、自分で学ぶしかない。そこからはじまった僕の談話研究。子ども研究。とにかくはじめた。

授業の事実を見る。授業の物語を作る。もしかすると、今の僕のもっとも得意なことなこと。心ある後進に伝えておかなければならないことかもしれない。
そんなおこがましいことを言うのも思うのもよそう。誰も伝えてほしいなんて思っていないし、僕も伝えたいわけではない。

さあ、あたらしい一週間がはじまる。明日から、3年生の教育実習だ。明後日からは旅がはじまる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。九州に来て12年。後期は研究室の模様がえをがんばります。カーテンは何色にしようかな。教育書はとりあえず段ボールに入れた。

残暑お見舞い申し上げるつもりです

僕に「おはようございません」のスタンプを送ってくる妹分がいる。僕は「おはようございました」の言葉を届ける。間違った言い回しなのか、これも一興なのか。ただ、言葉を楽しんでいること、言葉の近くにいること、言葉に無関心ではないこと、はまちがいない。間違っても上司や保護者に「おはようございません」や「おはようございました」と話しかけることはないんだから、僕は、朝のこの短いふざけあいが大好きだ。

さあ、今から佐世保にでかける。きょうは終日、三浦町、相浦町、三浦町。馴染みのお店が改装のためしばらく休業だから、置いている「大島」を空けにいかなくっちゃ。

店長には、暑中お見舞い申し上げなかったので、残暑お見舞い申し上げるつもりです。さてと、残暑お見舞い申し上げに行ってきます。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

パンの会

たぶん僕は最高に楽しんでいたと思う。心待ちにしていたパンの会。

はじまる前も、終わったあとも、参加仲間からのLINE。そこからもみんなの感動が伝わってくる。やってよかった。ほんとう、よかった。

さっそく、きょうの記録と表紙とちょっとしたコメントを書いて参加者に配信。どんな顔して開いてくれるのか、それが楽しみ。あの2時間半がよみがえること、まちがいなし。

もう、あんまり動くことはしないけど、パンの会だけは続けたいと思っている。メンバーは12名。固定されてもいいし、毎回、募集してもいい。そんなことはあまり大きなことではない。とにかく、楽しませてもらおうと思っている。

と、パンの仲間から写真が届いた。なんと、パンの写真。僕もパン屋に急ごう。

もちろん、明日の朝はチョココルネ。先っちょから食べるつもり。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

現代美術

実家の兄貴に小包を送ることにした。佐世保玉屋の紙袋に詰めて送ることにした。いつもは宅急便に持っていくところだけど、なんだかんだと余ってしまい、使い損ねたままの少額切手が沢山あるので、郵便局に行って、それで支払いをすることにした。

おびただしい数の切手を快く受け取ってくれた郵便屋さんに感謝だ。貼るのがたいへんだろうな、と思いつつ、「任せてください、貼っておきますから。」の言葉に甘えた。

後日、兄貴から「現代美術が届いたよ」とLINE。

玉屋の薔薇の柄はどこにも見えないけれど、あの郵便屋さんのセンスというか、おしゃれな子ども心というか、夏休みの宿題的仕事というか。みんなをあたたかくできる仕事は、それだけで尊い。この写真をいちはやく送ってくれた兄貴もきっと笑顔のはず。もちろん、僕はこうして綴っているくらいい気分。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

行橋市

行橋市国語班。きっと福岡県の中心的な研究会になるでしょう。

2023年12月7日の研究発表大会。子どもが《問い》を立てる、まさにその時間を公開できるかも。乞うご期待!ぜひ、参加しましょう。

さあ、きょうから日常

ということで、大学での会議を終えて帰り道。スーパーに寄って買い物。

きょうはノドグロが美しくて安い。

じゃあ、軽く天日で干して、肴にすることにしよう。こんなことはなんてことないこと。

さあ、お風呂に入って、★★★。いつもより、ずっと美味しい★。この★飲んだら、歌が上手になるかなあ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

夏の終わりはとつぜんに

ぽかんと心に隙間ができた三日目の午後。「お昼ごはんは武雄の餃子が美味しいゾ!」なんて、情報をLINEすることで隙間をごまかしているのは自分がいちばんよく知っている。

あっという間、っていうあたりまえの言葉しか出てこない。

そんなとき、「達富さん、ビールが届きましたよ!」って、いつものトラックの運転手さんの声。

うれしいじゃん。それは★のマークだからということだけではなく、J-45に合わせて歌ってくれた天使からの贈り物だったから。天使のビールに灯りをともそう。って、いうことで、お気に入りのランタンをふたつならべてテラスで写真。

いいじゃないか。3日前のあの感謝がよみがえってくる。ありがとう。ありがとう。平和をありがとう。

と、LINEに写真。

ファミリーが別府港から九州にさよならしている頃、

僕は、長崎で三日月を見ていた。

あのにぎやかなちびっ子が帰ったあとのPENNY LANE は、急に夏の終わりを連れてきた。

またおいで。きっとおいで。いつでも「お帰り」って言うから。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。ちびっ子3人にお恵みを、ファミリーの新しい一日に祝福を!

 

2023年8月22日 | カテゴリー : 家族 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

24時間、一緒だゾ!

5時半、集合!

お昼は、キス釣り。

夕方は、庭でごちそう。

夜はランタンの灯りで乾杯♪

ようこそ、PENNY LANE へ。いつまでもPENNY LANE  で!

フリーマーケット

きょうは、佐世保のフリーマーケット。

小さな買い物を繰り返し、最後はカレーライスを食べた。

too hot!

美味しいカレーは暑さを忘れさせてくれる。

さあ、急いで帰らなきゃ。きょうは大阪からファミリーがやってくる♪最高のお出迎えをしたい。

ようこそ、PENNY LANE へ!

J-45、久しぶり、ハイジの水辺にて♪

久しぶりにJ-45を弾いた。「ハイジの水辺にて」を8ビートで。

我が家のテラスでボロンとギターを鳴らした。青い空と潮風にCのコード音が流れる。なんとも言えない幸せな時間だった。大好きな仲間が歌ってくれる。感謝の時間だった。

そのあとは、石を積んだり並べたり、

石窯でピザを焼いて食べたり、

カヤックで大村湾の水面に楽しんだり、

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

2023年8月19日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

長崎新聞の楽しみ方

流行の風邪が話題の頃、長崎新聞の「投書欄」に変化が見られたような気がした。

が、何が変わったのかは、分からなかった。毎朝の新聞タイム。

ふと、直感。「バスにまつわる投書」を集めよう。

何故、バスなのかは僕も分からない。だけど、この3年間で「バスにまつわる声」はかなりの数になった。

それだけでうれしい。それだけで長崎ジンになった気がする。そう、僕は長崎ジン。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

僕の第4楽章

さて、第4楽章。

そういえば、このweb site の、初期のトップページは「第3楽章」だった。

まずは研究室のもようがえをしよう。使わなくなった教育書はどこかに置いてこよう。子どもの作文は本人に送り返そう。驚くだろう。手書きの卒業論文も届けよう。といっても京都市内の下宿に送っても届くはずはない。実家に送ることにしよう。100台近くあるボイスレコーダー、30枚以上あるiPad、これはどうすればいいか。

手を伸ばせば文学にさわれる部屋にしよう。大学の授業研究が充実するように書籍の順番をかえよう。学生が腰掛けやすいように僕の指定席を窓際にしよう。大きなソファーが邪魔だ。

さて、第4楽章。

きょうはとってもいいことがあった。第4楽章のはじまりにふさわしい出来事。

テレビ中継のほんの一瞬の一コマ。背番号137。まぎれもなく、ジョー!ブルペンキャッチャーとしてしっかりと仕事をしている姿に感激。いつもの笑顔に感動。

与えられたところ、置かれたところで花を咲かせているジョー。しかも最高の笑顔で。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

月は雲間に

「達富さん、お月さまはどこに?」の言葉からはじまった僕の国語科研究も雲隠れ。
京都五山の送り火を遠く感じながら雲隠れ。風の吹くまま気の向くまま。

どうかみなさん、熊本と鹿児島、佐賀も宮崎も大分も福岡も長崎も地域関係なく、教科校種関係なく、永遠の親睦を!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。なんだか妙にすっきりして79冊目に向かいます。

2023年8月16日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

マリアさま、ありがとうございます。

きょうは聖母平和祈願祭。佐世保にみんなが集まって平和の祈りを捧げる日。何人もの友だち、仲間、知人と久しぶりの笑みを交換し、静かな中にもあたたかで懐かしい時間だった。

一緒に写真を撮りましょう、って、若い人みたいだけど楽しい。

夕方、帰り道。待ち合わせまでのちょっとした時間。

たこ焼きを食べながら一杯だけ飲んで待つことにした。

77冊目の宮本輝を左手に、たこ焼きを膝の上に、もちろん右手はジョッキ!

マリアさま、きょうもいつくしみをありがとうございます。わたしたちの母ちゃんでいてくださってありがとうございます。

夏も終わりに近づいて

先日の台風で我が家の海岸べりはたいへんなことになった。流木が大量に漂着した。

取っておきたくなるものもあるんだけれど、ゴミ焼却所まで運ぶのに軽トラで何度往復しなければならないのか、とため息が出そうになる。

でも前向き。僕はいつも前向きだ。

だから、

大きな丸太の椅子を作った。チェーンソーを操って、丸太の原木の形をそのままいかして椅子のできあがり。これに腰掛けて夕方の水面を見ることを日課にしよう。

火照った身体には冷たいものがいちばん!

そうそう、この椅子の上でまず考えたことは天草のこと。

参加者が少なく、中止にしようかと逡巡していた「天草の集い」のこと。ちょっと弱気になった僕にとびっきりの言葉を贈ってくれたのは高弟、赤城ィ。

「延期でも、規模縮小でもなく、いつもの天草での会ですよ。」なんてこと、言ってくれるようになったこいつに僕は大感激。この椅子の上で考えてよかったゾ!

9月9日、天草の集い。やるよ!やろう!楽しもう。「九州 教室の声に学ぶ会 第一楽章 Final」にふさわしい勉強会になることまちがいなし。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。自然の声を聞きます。

やったれ!佐世保

僕はこの街が大好きだ。どんなことがあっても長崎が大好きだ。

だれか一緒にビールを飲んでくれないかなあ。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

大切な贈り物

「ぜんぶ、おめでとう!」の気持ちが届きますように。

何をやっても面白い日って、確かにある。きょうはそんな大切な日。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕の大切なすべての人に祝福を。

電車に乗って考えたこと

東横線に乗っている。

いつもは革の鞄をさげているけれど、今回の旅は紺色のバッグにした。久しぶりの鞄をなでながら、いくつもあるチャックをあけて数年来、入れっぱなしにしていた美味しい店の箸袋を懐かしく思ったり、折りたたんだ一万円札を見つけて得した気分になったりしている。

と、チャックというのかファスナーというのかジッパーなのか、気になった。あれこれ用例を考えているうちに学大前。この鞄の場合はチャックと呼ぶのがふさわしいと結論づけたときには自由が丘に着いていた。

それにしても、このチャックは便利だ。引くだけで開いたり閉まったりできる。

「誰が作ったんだろう。」

こんなことを調べるのはわけないことだ。スマートフォンがあればほんの5秒。

「ウィットコム・L・ジャドソンら」とのこと。一発、解決!

しかし、僕は紺色のチャックをさわりながら、ウィットコム・L・ジャドソンという名前を知りたかったわけではない。「誰が作ったんだろう。」という問いには
・どうやって作ったんだろう。
・どんなきっかけで作りたくなったんだろう。
・どんな失敗があったんだろう。
・初期のチャックは今のスタイルと同じだったのか。
・材質はどんなものでもできるのか。
・チャックの発明まではどのような方法で対処していたのか。
・日本ではどうだったのか。
・日本人にこの発想はあったのか。
・これからのチャックはどのように発展していくのか。

もろもろ、もっといろんな問いが頭の中に湧き上がる。

それを一言で言い表せば「誰が作ったんだろう」になっただけ。

ということは、子どもの《問い》も同じじゃないか。「そう言っている」だけで、「それだけじゃない」んじゃないだろうか。

ここ数年、気になっていたことが動き出した。教室の《問い》は短すぎる。《問い》にはもっとストーリーがあっていい。文脈があっていい。ドラマがあるはずだ。

《問い》、きょう、僕は東横線に揺られて《問い》を頭の上の方に移動させることができた。と、日記には書いておこう。

おっと、横浜に着いた。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

夏を感じるとき

家の前の海でひと泳ぎ。きょうは愛犬も一緒に連れて行った。

せかせかと足を動かす星海に比べると月海はゆったりと海を楽しんでいるようにも見える。

夏は海。海は眺めても入ってもいい。山は祈っても登ってもいい。だけど、きょうは海に身をあずけて自然を感じてる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。自然の声が確かに届いています。

あの日

もしも、あの年のきょう、きょうと同じような天気だったら。台風が九州の西側を北上するような一日だったら。きっと、日本がこんなに悲しむことにはならなかっただろ。長崎が鎮魂に包まれることはなかっただろう。

永井はそれさえもゆるそうとした。

「もしも」。僕はいつも「もしも」に逃げて目をそらしてしまう。話を正面からとらえずはぐらかしてしまう。

永井に「もしも」はなかった。

何もわかっていない僕と、すべてをゆるそうとした永井。県外生まれということしか共通することはないけれど、長崎を終の住処にすることをきめた僕は、「もしも」をやめようと思う。

僕の「もしも」を何処かにもっていっておくれ。風の向こうに吹き飛ばしておくれ。

今夜は風雨に眠れない夜になりそう。台風の下、九州の命は互いに気づかい、かばいあい、支え合い、分かち合って朝を迎える。あの年の夜、もっと凄まじい景気の中、分かち合いに生きた九州の命。

「もしもあの日、台風が来ていたなら」ではなく、「この現実があるから、あの現実をゆるそう」と思える大人になりたい。

神さま、きょうも日ごとの糧をくださりありがとうございます。きょうもいつくしみをありがとうございます。

夏休みは100冊

中学生の頃だっただろうか。「夏休みの100冊」というような企画があり、書店のレジの横に小さな冊子が積んであった。手に取って驚いた。どれもこれも読んでみたくなる短い文が添えられた100冊の本の紹介集である。

勇気を出して「いくらですか」とたずねたら、「持っていってもええよ」とのこと。

後年、無料であったことを知って安心したが、その当時は、本に興味をもった中学生を応援するためにおじさんがプレゼントしてくれたものだとばかり思っていた。

そこから僕の読書生活がはじまった。
夏休みは部活の野球と読書。

カフカ 『変身』
カミュ 『異邦人』
モンゴメリ 『赤毛のアン』
リチャード・バック 『かもめのジョナサン』
井上靖 『あすなろ物語』
梶井基次郎 『檸檬』
太宰治 『斜陽』
中島敦 『李陵・山月記』
森鷗外 『山椒大夫・高瀬舟』

これらは文学へのいざない。

ドストエフスキー 『罪と罰』
ヘッセ 『車輪の下』
ヘミングウェイ 『老人と海』
ゲーテ 『若きウェルテルの悩み』
サガン 『悲しみよこんにちは』
井伏鱒二 『黒い雨』
三浦綾子 『塩狩峠』
安部公房 『砂の女』
遠藤周作 『海と毒薬』
遠藤周作 『沈黙』
谷崎潤一郎 『痴人の愛』
三島由紀夫 『金閣寺』

これらは大人への導き。

今年の夏、100冊を目指している。8月7日で49冊。猛烈に楽しい。

つまらないことは何処かに置いてきた。僕は本と一緒に雲隠れ。
とにかくいちどリセット。これを今年の口ぐせにする。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

体育館で

きょうは朝から佐世保の相浦体育館に行ってきた。子どもたちのお楽しみ交流会。

大なわを回したり、

「だるまさんがころんだ」を楽しんだり、

ちびっ子とおにごっこをしたり、

汗びっしょりになったけど、こんなに気持ちのいい汗は久しぶり。やっぱり小学校の先生が向いているのかも、って、転職を考える一日。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

夏の朝はひとりで海の上

西の端の長崎の日の出は5時半頃。4時前から本を読んでいる僕は、朝まずめが待ち遠しい。きょうは夏休みの初日。昨晩、手に入れたエサと竿の準備は万端。まだ暗いうちにカヤックを滑らせる。一投。ガツンとあたりが来る。幸先のいい朝だ。

とはいえ、2時間ほどの漂いのほとんどは釣っていない。じっと自然の中に身を置いて、心を水面に映す。

中学校の授業前の「黙想!」のかけ声のさ無機質感を思い出す。あんなものは黙想でも何でもない。型にもなっていない。「黙想の時間をつくった」という教師の思い込み、教師の都合だ。

本当の黙想なんて、そんな簡単なものじゃない。そんなわずかな時間にできるものでもない。黙想するなら黙想を学ばなければならない。教師は教えなければならない。

山から光がさすころ、僕は、釣果に満足しながら我が家に向かう。

きょうは割と釣れた。

黙想1時間、キス釣り1時間。35尾の釣果より、夏休み初日の水辺の黙想に心が充実している。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

この夏、中学生とここに集い、黙想を味わいます。

2023年8月5日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

Don’t Think Twice, It’s All Right

いうことなしの夏。

きょうは佐世保で中学生の声に耳を傾ける会。「学び方を学ぶ」をテーマに1時間半。

中学生ってなんて素敵なんだろう。なんて魅力的なんだろう。可能性のかたまりなんだろう。気になるんだろう。頼もしいんだろう。なんて、、、

こんないい日に、どうでもいい報せも届くけど、僕は明日の新しい僕を楽しみにしている。つまらないことからは、きょうを最後に雲隠れ!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

なあ、子どもたち

夏。

山本二三の雲、みっけ。

きょうは佐賀県中堅教諭等研修会と佐賀市立勧興小学校での研究会。

「なあ、子どもたち。あなたたちがこの青い夏空の下で汗を流しているとき、先生たちは2学期に向けて勉強しているんだぞ。一緒に幸せになろうな。」

そんな声が聞こえた、きょうの研究会でした。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

ようこそ、

きょうは神戸に住む家族がやってきた。大村線の駅まで迎えに行き、我が家のプライベートビーチで泳いだり、シーカヤックしたり。

石窯に火を入れてピザを焼いてたべたり、

うちの月海や星海と遊んだり、

青い夏の海に楽しんだ一日。
「また、おいで。」「きっと、来ます。」
こんな言葉が夏休みにはよく似合う。

と、帰りのフェリーからLINEが届く。

夏、満喫でした。ありがとうございました。
追加の写真に涙が出そうになります。子どものとびきりの笑顔に勝るものはなしですね!
車に乗って、しばらくは、子どもたちのおしゃべりが止まらずでした。また、達富先生に会いに行きたいと大騒ぎです。その後、急に電池が切れて、熟睡していた子どもたちです。
時間の関係で、デパートには寄れませんでしたが、(次回は、大阪を出るときもデパート寄ろうと決まりました)、地元スーパーにて、にぎりや巻き寿司、お酒にジュースにと買い込みました。
それでは、船旅を楽しみます!!

✉僕から
あれほど満ちていた大村湾も6時間ほどのあいだに潮が引きました
一日の終わり、楽しかったあとはこんな景色にさえ、感謝の気持ちがあふれます。

僕の帽子をすっと取って、かぶって、ピースサイン。この一枚は今年の夏アルバムのはじめの1ページです。

またおいで。
 

✉ふたたび
太陽に向かって大きく育つようにとつけた名前の通り、大村湾で泳ぎ、先生の帽子もひょいとかぶるお姉ちゃんに育ったことを見ることができ、感謝しかありません。
妹は、歯が抜けた、ピーマンが食べられたと自慢げです。彼女は、お月様です。
今度は、兵庫のお酒も持って行かせてください。先生がミサに通われる教会にもいきたいです。
姉ちゃんは、教えてもいないのに、大浦天主堂のマリア様の前で祈りを捧げていました。
九州の人々、大地に感謝しながら、宝塚に帰ります。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。み言葉のままに、人の中で生きていくことが毎日の僕です。

綴じることから伝わること

写真が届いた。

もう一枚、

午前中に仲間に配信したとっておきの「単元づくり」の資料。平成のはじめから愛用している僕の参考書を届けたら、もうファイルになっている。

実は僕も一緒。綴じることで実感できることがある。画面保存だけでは学べないことがある。

こうして大事にしてくれる仲間がいるかぎり、発信し続けようって、いつもいつもそう思わせてくれる「なかま」、ありがとう。

きょうは、夕方から、弟分と一学期の慰労会!しかも泊まり!語って、飲んで、さわごう!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

僕の授業

[中等国語科教育法 Ⅰ]

とにかく、教室の事実と教師の仕事について学生と学び合っている。最終回のきょうは、「電子黒板に一人一人の学生からの個別の質問」を映し、それをもとにディスカッションして進めていった。

「実は、最終回にあたってテキストを見返していたら、こんなメモが出てきたんです。」

といって、テキストを見せてくれた。

『ここからはじまる国語教室』にぎっしりとメモと線が書き込まれている。胸が熱くなる。思い切って一冊にまとめてよかった、って、本気で思う。

[初等国語科教育法]

毎回、僕の元と学生の間を行ったり来たりする緑のノートを「シャトルノート」と呼んでいる。そこに書き込まれた最終回の記述。

「学習指導案の書き方について詳しく学ぶことができ、教育実習に向けて何をすべきか考えることができました。また、国語科特有の授業についても知ることができました。私が小学生の時に、担任の先生が毎日行っていた授業は、先生が一つひとつ目的をもって、試行錯誤して作り上げていたのだと知り、感銘を受けました。国語は社会に出てもとても役立つ科目です。子どもたちの将来に役立つ授業ができるように大学で学んでいきたいです。」

学習指導案の作成のついて、本気で取り組んでよかった。丁寧に扱ってよかった。誰も教えてくれないまま教師になるより、大学時代に学びの機会があるほうがいい。学習指導案に定型はないけれど、学習指導案はどうでもいいものではない。我流は悪いことではないけれど、無関心で適当、ネットで見つけたものの上書き保存であっていいはずはない。

佐賀大学教育学部の学生が作成する「国語科学習指導案」は、まちがいなくその学生独自のもの。かけがえのないものである。

こんな気持ちのいい授業の翌日は、朝からごちそう。平戸沖の鯛のお茶漬け。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

大分に来ています

こんないい天気の下。

日田でお昼ごはん。

このスープがたまらない。

と、雲行きがおかしくなってきた。

翌日は、けろりと青い空。大分市の先生たちとずっと学び合っていきたいって、本気で思ってる。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

パンの会 はじまりました

長崎から2人、熊本から2人、鹿児島から3人、佐賀から3人、大阪から1人、東京から1人、12名ではじめます。

パンの会。

高等学校の教員も参加ならと思い、「現代の国語」、「論理国語」、「文学国語」の学習材も準備していたのですが、小学校と中学校に絞ってはじめることにします。

今週末から学び合いましょう。
さっそく、参加者からの声。

「パンの会。楽しみとともに、エントリーシートがあることに緊張感があり、背筋が伸びます。よろしくお願いします。鹿児島より」

「令和10年度版という言葉にわくわくします。熊本より」

学びの夏にしよう!

神さま、学びのつながり、成長の分かち合いをありがとうございます。

単元学習「パンの会」、はじめます

やりたくてうずうすしている企画があります。

僕が単元学習にのめり込んだきっかけとなった研究方法です。

30年を経て、今もう一度、その研究をやってみたいと思いはじめています。あの頃とちがうのは、『ここからはじまる国語教室』があること、少しだけ実践に慣れてきたこと、時代がものわかりよくなってきたこと。

希望のかたには資料を送ります。それを熟読し、自分自身の考えを形成し、参加のためのエントリーシートを提出してもらおうと考えています。参加エントリーシートの提出は8月15日頃の予定です。

資料送付は7月末、実際の研究会はオンラインで8月下旬(8月26日 午前6時から2時間の予定)と考えています。

希望される方は、達富までメールをください(7月24日未明まで)。参加は九州に限りません。まあ、5人程度ではじめようかと思っているところですが、減っても増えてもいいです。いい気分になれば、第2回をするかもしれません。常連が12人ほどになれば、僕の仕事はおしまいです。

「パンの会」っていうのは、インターネットで調べればいろんな歴史をもった諸団体が出てくるけれど、そんなものに影響を受けたのではなく、毎日食べているパンのように、研究も毎日続けたいと思ったからです。
じゃあ、「米の会」でも「蕎麦の会」でもいいかといえば、いいです。
でも、今はなぜか、カタカナのパンがいいのです。

確かにみんないそがしい

この頃、みんなで研究している実感がない。
と綴ったとたん、「そんなことないでしょ」の声が届きそう。

□新冠川でルアーをしたのはつい最近でしょ。
■そう、牧場の朝ご飯も、舞茸のお蕎麦も美味しかった。仲間との研究もハイボールも最高だった。

□熊本県天草苓北にも行ったじゃない。
■そう、松屋さんで熱く語った。

□大阪の八重の会でも朝から昼過ぎまで休憩なしだったでしょ。
■そう、あの雨で新幹線が止まった日だ。

□七夕給食のあと、廊下で質問に対して一生懸命に語ったやん。
■そう、はじめて会った教員になんとか分かってほしくってたとえ話をいっぱい並べた。

□新しい「長崎のひつじかい」もできたけん、ますます研究に力が入っとるやろ。
■そう、成長したい僕は、研究をいつも心のすぐ近くに置いとるけん。

じゃあ、何なんだろう。この少し足りない気持ちは。何か、やり残している焦りは。どうしてこんなにやりきれないんだろう。

こたえは。

天文館で奴に逢っていないからか。米屋の仲間との次の予定が立っていないからか。クイズ嬢の歌を聴いていないからか。

せっかくの仲間、かけがえのない仲間、惜しみなく分かち合える仲間。仲間とは「とんとご無沙汰」であってはいけない。

君の町に行こう。風に吹かれて旅をしよう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。仲間とつないでくださってありがとうございます。

カブトムシに聞け!

通勤途中の雑木林のクヌギの木で見つけたカブトムシ。

よし、持っていってやろう。

「夕方6時。おじさんがビールを飲んでいるお店にママと取りに来なさい。」

K登場!お腹を空かせたカブトムシのためにエサを持って登場。
いいじゃないか!子どもは昆虫にいろんなことを教えてもらいなさい!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。世界中の虫好きの子どもたちに神さまのお恵みがありますように。

さあ、唐津

きょう、唐津国語教室の会が再開する。待ち遠しい。

中学校評論の比較、日頃の単元づくり、そして「学習の個性化と指導の個別化」。そんな話題を準備。もりあがること間違いなし!

と、出かけるときに綴ったことがそれ以上の成果を上げた。12時終了、2時間半。本当にあっというまの研究会。

毎月やろう!って言いたいくらいの充実だった。

言えに帰ったら木槿が満開。

と、
夕方、京都の友達からLINE。

息子の初戦の勝利に乾杯しています。とのこと。

球児の夏は、親の夏でもある。

だけど、なんで、京都市北区のおまえんちの焼酎に僕の名前シールが貼ってあるの?

今夜、僕は最高の晩柑にクラッシュアイスと焼酎をなみなみとついで、ぐっと飲み干すつもり。

この天草金子果樹園の晩柑、最高!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

学生と語らう

きょうは朝から4人の学生が研究室を訪ねてくれた。

「はじめまして」からはじめるんだけど、研究室を出て行くときには「また来ます!」になっている。

うれしいことだ。

授業だって楽しすぎる。

後ろには空席が。前には学生が。僕は、こんな学生のことが大好きだ。息子よりもうんと若いいのちに励まされている。学んでいる。勇気づけられている。

教師が学び続けられるのは、学び続けるいのちに包まれているから。

学び続けられない教師は、きっと教え続けていないんだろう。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

七夕給食

オクラは織姫様と彦星様。
そうめんは天の川。

とのことだ。

久しぶりの小学校の給食。

やっぱり、ここ

肩に力を入れなくていいって、とっても心地いい。

前日からもう楽しみで仕方なかった久しぶりの天草。苓北、志岐。

早めに到着したので、まずは腹ごしらえ。地元でも人気の店らしい。

天草の海鮮と鰹の燻製のカレーライス。もちろん、絶品。

授業はとにかく圧巻。大絶賛。

教師は必要最低限のかかわり(時間)と上質最高のかかわり(てびき)。

その結果は子どもの学びの姿にくっきりあらわれる。

食べることも飲むことも忘れるくらいの夕飯。

また来ます!

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

達富先生、いらいらしてる?

達富先生、この頃いらいらしてる?

そんな声が聞こえて来そう。それは半分以上間違い。ただ、ちょっとだけ適切。

言い訳なんていちばんみっともない。そんなことは誰だって知っている。だから誰も言い訳なんかしないししたくない。

次はもっと頑張ります、って、それは反省なのかこれからの展望なのか、具体的な見通しなのか。言い訳なのか。

「子どもの興味や関心に合っていませんでした」って、言い訳でしょ。子どもの興味や関心に合わせるのが授業ではなくて、子どもの興味や関心を育てて単元と重ねるんだよね。こんな単元をしたい、って考えるなら、それまでに子どもの興味や関心をその単元に近づけておかないと面白く感じるはずないでしょ。

学習材の研究が足りませんでした、っておかしいでしょ。ガソリン足りないこと分かっていて遠出はしないもん。

見るべきもの見ないで、するべきこと放っておいて、次はがんばりますって、なんだか虚しい。

達富先生、いらいらしてる。じゃなくて、達富先生、しおしおしてる。なんですよ、きっと。

大阪は美味い

新幹線までの少しの時間。

駅でオムライスを食べた。

時間がかかりそうだったので、一杯だけ飲むことにした。

お腹が空いたので、オムライスにヒレカツを乗せたらお腹がいっぱいになった。

お腹いっぱいで新幹線に乗ったら眠たくなった。

いくら眠っても眠っても博多に着かない。

広島駅で止まっている。

まだまだ動きそうにない。

だったら、駅前のホテルの屋上の温泉に行こう。

誰もいない温泉に沈む贅沢。きっと、今夜は広島泊になりそう。

幸せな空腹

「先生、きのうの夕飯、何でしたか?」

なんて、たずねてくれる学生がいるんですよ。うらやましいでしょ。

そう、僕の自慢なんです。

「ゆうべはもつ鍋。三田川ホルモンっていうお店でおすすめのホルモンとちゃんぽん麺を買ったんよ。」

「めっちゃ、いいですね。」

「美味しかったよ。今度、一緒に食べよう。」

「ぜひ、楽しみい!」

いいでしょ。こんな会話が5時間目のあとにできるなんて。5コマ、フルの火曜日も元気に帰れそう。

さて、帰ろうっと。

 

まちがいなく新冠が好きだ!

牧草地の朝は美味しい。

三日目,長崎に戻る日の朝。

自宅は好きだ。帰りたい。だけど,ここにも居たい。

間違いなく新冠が好きだ,と叫びたい。

ということで,9月の再会を約束して,新千歳空港経由,

長崎行き!

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

やっぱり,新冠が大好きだ!

ピーマンはアイスで喰うのがいい。

道の駅でピーマンソフト。

美味いに決まってる。

朝から気分は最高。新冠は最高。

授業も最高。

授業。3年生の子どもが《私の問い》をどんどん立てている。担任の厳しくも半歩先を見た指導が生きている。

教師は3歩先,5歩先を見つめて計画を立てなきゃいけないけど,子どもに寄り添うのは半歩先。
そうすれば,自分の3歩先が見誤っていたことが分かる。5歩先なんてずれまくっている。

半歩先。半歩先の教師がこの小学校ではめずらしくない。

神さま,神さまは半歩先どころか,いつもともにいてくだいます。いつもいつくしみをありがとうございます。

新冠が大好きだ!と叫びたい

なにもないけど,仲間がいる北の大地に僕は帰ってきた。

馬のいる風景。僕にとっての非日常がたちまち見慣れた風景になる。そう,ここは北の大地。

三日ほど前,この看板を見に来た熊がいたらしい。怖くないはずはないけど,熊除けの鈴と撃退スプレーとを揺らしながら,川へ。

もちろん釣りたかったけど,釣ることが目的ではない。北の大地を流れる新冠川。この川面を見つめるだけで遠く地の果てまで思いが流れて行く気がする。

このすがすがしいひとときに僕はただじっと糸を見つめる。

ハナミズキ,満開。

陽が落ちるとたちまち肌寒く感じる。

国鉄日高線跡。この上を揺られたことある。日本中のユースホステルを泊まり歩いていた頃。あの頃、こんな大人になんかなりたくなかったはず。

砂浜に小さな花。

その横に山のように積まれた広葉樹の丸太。

すうっと息を吸い込んだら北海道の味がする。
新冠が大好きだと叫びたい。

神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。

日高。きょう、僕は、息を吸うことを意識しました。

夜はこのあたりでいちばんの酒処「徳庵」。

美味いに決まってる。

2023年6月23日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

東京

すてきなパン屋さんの角を曲がって,東京を歩く。

夜は美味しいものに舌鼓。そして,もう一軒。

銀座のBarなんて,久しぶり。

ひつじかい,誕生

長崎に研究会,誕生。

「長崎のひつじかい」って名前。

6月17日がいっかいめの集まり。

静かな学びの時間。すてきな学びの仲間。

長崎のひつじかい。これから成長していきます。新しい研究会のはじまり。

勉強のあとは,舌鼓。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

大分なんて近い近い

きょうは福岡でひと仕事。

帰りはなじみのうどん屋さんでいつもの一杯。

ここから,大分まで足をのばそう。

なつかしい土地でひとやすみ。

大分を拠点に新しい研究会が産声をあげそう。僕は,この瞬間がたまらない。
「一緒にやろう」この言葉にいつわりはない。
だから,この景色がなつかしいものになる前にまた来よう。

一緒にやろう。

神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。

もういちど教室の声

この頃は、学習課題や《私の問い》や「一枚に書く」など、本来、意識しなくてもいい単元づくりのもろもろのことがらが妙に前に出てきてしまって、教室の事実を見なくなってしまっている。

見えなくなってしまっているのではなく、見なくなってしまっている自分が残念だ。

あの頃、僕は教室に生きる子どもの「今」を丁寧に基準することに一生懸命だった。それが、今はどうだ。

きょうは6年生の教室。太一朗が教える。

いまいちど、教室の声を聞ける教師に戻りたい。

種をまく

小さなてのひらにコスモスの種がふたつ。

ちっちゃな指でそっとつまんで,土をかぶせる。

こうやっていのちが芽吹く。こうやって想いがかたちになっていく。

僕のあやふやな想いも光をあびて確かなものになればいいのに。

種もまかないのに花を期待することはしない。だから,まずは土を両手でほぐすところからはじめる。そうやって慰められていることに気付きたい。

2023年6月12日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

9月9日は天草で

9月9日,天草に集いませんか。

「教室の事実を見る」ということについて本気で語り合います。
わたしたちは,思いのほか,教室の事実が見えていません。教室の声を聞いていません。

さあ,授業名人にならなくてもいいけど,すべての子どものための教師になる努力はしたいですね。
学び合いましょう。教室の事実を語れる教師になりましょう。

語り合ってくれる人がいれば連絡ください。部屋は7部屋あります。一部屋,多くて3人まで泊まれます。

紫陽花ビール

庭に咲いている紫陽花を100輪あつめてビールを飲もう、と思い立ったら,どうしてもそうしたくなって、そうした。

本当に100輪の紫陽花。

紫陽花ビール。今年から達富王国の定番の楽しみ方になりそう。

いくつになってもHappy Birthday

兄貴から贈り物が届いた。

今年の誕生日の昼ご飯はカレーや焼きそばからはじまる。

そして,宵は佐世保にお出かけ。

お気に入りの白いシャツにジャケット。

まずはエスカルゴ,そして小羊のステーキ。

ワインを楽しんだあとは,もちろんパエリア。

いくつになってもHappy Birthday!明日の昼は唐津の魚,夜は鹿児島の和牛。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。感謝のうちに,人を愛して生きていきます。ありがとう,シェフ&かよこさん。

と,オドロキのビデオメッセージ。

ジャボーン!

ケニアの男たちにお祝いしてもらった今年の誕生日。きっといいことありそう。

我らの星,ヨコハマ

ということで,

快勝!どころか,ひやひや逃げるような勝利だったけど,昼間のステキな授業の手応えがあったから,今夜は,楽しく応援。

ありがとう,ベイスターズ!そして,ありがとう,Team みやん & Team チョコ!

神さま,きょうも学びの中に心をひらいてくださりありがとうございます。感謝のうちに。

ひとりドーム

ダイヤモンドビューシート、って思ったよりも近い。

宮崎選手がそこに居る。

石田投手もそこにいる。

ああ,ジョーもここにいたらなあ,と思ったらビールを飲む気にもならなくなった。こんなことなら,一塁側に座っている国語科の学生とビールを飲めばよかった。なあ,陸一君。

よし,明日はレフトスタンドに行こう。

神さま,きょうも一日をありがとうございます。

ふたつめの誕生日

きょうは僕のふたつめの誕生日。

だから,朝から穏やかな気持ちに包まれている。

先週,仲間からもらった白い花束のカサブランカも大きく花弁を広げている。

大地の恵み。

2023年5月28日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

ひつじたちの朝の会

06:53:45 :
抜けたくないですが、、、途中ですみません。ありがとうございました。失礼します!
06:54:17 :
頑張ってください!
07:05:30 :
中座します。また、戻ります。
07:08:39 :
子どもたちが起きてきたので場所を移動します。すみません。
07:23:55 :
途中入室、途中退出で申し訳ありません。ありがとうございました。
学習課題について、改めていろいろ考えさせていただきました。
①「おとす」の件。自戒もこめて深く納得しました。勤務校で使われている言葉について、しっかり見つめ直したいと思います。
②学習課題については、自分で考えて、ABCの形になった段階で安心してしまっている自分がいるように感じています。
まさに、ここからはじまる国語教室、でした。ありがとうございました。
イモ苗植えてきます。
08:05:59 :
すみません、校舎を掃除してきます。行ってきます。
08:07:33 :
ステキな週末を!

朝早くから,ありがとうございます
佐賀はもちろん,熊本,宮崎,鹿児島,屋久島からありがとうございます。

そして,僕の午後は,キス釣りと庭食べ。

兄貴から届いた京都美山の地鶏を溶岩板で焼いて食べる。塩は高弟,壮からもらったもの。

一週間前の夢のような時間を思い出しながらの昼ビールは最高。

夜はキスフライ。

神さま,僕に仲間を授けてくださってありがとうございます。今日もいちにち,感謝のうちに。

博多、よかとこ

先週の土曜日に続き、きょうも博多に来ている。毎年恒例の講習会だ。夕方4時に終わるのがうれしい。ひいきのチームが来ていたらドームで野球を観るのもいい。そうでなければ中洲川端で鯖の造りと鶏鍋。

今夜はひとり酒。もちろんその前には熱い講習を。

きょうのつかみは「大丈夫っス!」の多義性。