ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。
たつログ
えとせとら
やったれ!佐世保
大切な贈り物
電車に乗って考えたこと
東横線に乗っている。
いつもは革の鞄をさげているけれど、今回の旅は紺色のバッグにした。久しぶりの鞄をなでながら、いくつもあるチャックをあけて数年来、入れっぱなしにしていた美味しい店の箸袋を懐かしく思ったり、折りたたんだ一万円札を見つけて得した気分になったりしている。
と、チャックというのかファスナーというのかジッパーなのか、気になった。あれこれ用例を考えているうちに学大前。この鞄の場合はチャックと呼ぶのがふさわしいと結論づけたときには自由が丘に着いていた。
それにしても、このチャックは便利だ。引くだけで開いたり閉まったりできる。
「誰が作ったんだろう。」
こんなことを調べるのはわけないことだ。スマートフォンがあればほんの5秒。
「ウィットコム・L・ジャドソンら」とのこと。一発、解決!
しかし、僕は紺色のチャックをさわりながら、ウィットコム・L・ジャドソンという名前を知りたかったわけではない。「誰が作ったんだろう。」という問いには
・どうやって作ったんだろう。
・どんなきっかけで作りたくなったんだろう。
・どんな失敗があったんだろう。
・初期のチャックは今のスタイルと同じだったのか。
・材質はどんなものでもできるのか。
・チャックの発明まではどのような方法で対処していたのか。
・日本ではどうだったのか。
・日本人にこの発想はあったのか。
・これからのチャックはどのように発展していくのか。
もろもろ、もっといろんな問いが頭の中に湧き上がる。
それを一言で言い表せば「誰が作ったんだろう」になっただけ。
ということは、子どもの《問い》も同じじゃないか。「そう言っている」だけで、「それだけじゃない」んじゃないだろうか。
ここ数年、気になっていたことが動き出した。教室の《問い》は短すぎる。《問い》にはもっとストーリーがあっていい。文脈があっていい。ドラマがあるはずだ。
《問い》、きょう、僕は東横線に揺られて《問い》を頭の上の方に移動させることができた。と、日記には書いておこう。
おっと、横浜に着いた。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
夏を感じるとき
あの日
もしも、あの年のきょう、きょうと同じような天気だったら。台風が九州の西側を北上するような一日だったら。きっと、日本がこんなに悲しむことにはならなかっただろ。長崎が鎮魂に包まれることはなかっただろう。
永井はそれさえもゆるそうとした。
「もしも」。僕はいつも「もしも」に逃げて目をそらしてしまう。話を正面からとらえずはぐらかしてしまう。
永井に「もしも」はなかった。
何もわかっていない僕と、すべてをゆるそうとした永井。県外生まれということしか共通することはないけれど、長崎を終の住処にすることをきめた僕は、「もしも」をやめようと思う。
僕の「もしも」を何処かにもっていっておくれ。風の向こうに吹き飛ばしておくれ。
今夜は風雨に眠れない夜になりそう。台風の下、九州の命は互いに気づかい、かばいあい、支え合い、分かち合って朝を迎える。あの年の夜、もっと凄まじい景気の中、分かち合いに生きた九州の命。
「もしもあの日、台風が来ていたなら」ではなく、「この現実があるから、あの現実をゆるそう」と思える大人になりたい。
神さま、きょうも日ごとの糧をくださりありがとうございます。きょうもいつくしみをありがとうございます。
カノンの調べ
きょうは朝から51冊目を手に、カノンに浸っている。
夏休みは100冊
中学生の頃だっただろうか。「夏休みの100冊」というような企画があり、書店のレジの横に小さな冊子が積んであった。手に取って驚いた。どれもこれも読んでみたくなる短い文が添えられた100冊の本の紹介集である。
勇気を出して「いくらですか」とたずねたら、「持っていってもええよ」とのこと。
後年、無料であったことを知って安心したが、その当時は、本に興味をもった中学生を応援するためにおじさんがプレゼントしてくれたものだとばかり思っていた。
そこから僕の読書生活がはじまった。
夏休みは部活の野球と読書。
カフカ 『変身』
カミュ 『異邦人』
モンゴメリ 『赤毛のアン』
リチャード・バック 『かもめのジョナサン』
井上靖 『あすなろ物語』
梶井基次郎 『檸檬』
太宰治 『斜陽』
中島敦 『李陵・山月記』
森鷗外 『山椒大夫・高瀬舟』
これらは文学へのいざない。
ドストエフスキー 『罪と罰』
ヘッセ 『車輪の下』
ヘミングウェイ 『老人と海』
ゲーテ 『若きウェルテルの悩み』
サガン 『悲しみよこんにちは』
井伏鱒二 『黒い雨』
三浦綾子 『塩狩峠』
安部公房 『砂の女』
遠藤周作 『海と毒薬』
遠藤周作 『沈黙』
谷崎潤一郎 『痴人の愛』
三島由紀夫 『金閣寺』
これらは大人への導き。
今年の夏、100冊を目指している。8月7日で49冊。猛烈に楽しい。
つまらないことは何処かに置いてきた。僕は本と一緒に雲隠れ。
とにかくいちどリセット。これを今年の口ぐせにする。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
体育館で
夏の朝はひとりで海の上
西の端の長崎の日の出は5時半頃。4時前から本を読んでいる僕は、朝まずめが待ち遠しい。きょうは夏休みの初日。昨晩、手に入れたエサと竿の準備は万端。まだ暗いうちにカヤックを滑らせる。一投。ガツンとあたりが来る。幸先のいい朝だ。
とはいえ、2時間ほどの漂いのほとんどは釣っていない。じっと自然の中に身を置いて、心を水面に映す。
中学校の授業前の「黙想!」のかけ声のさ無機質感を思い出す。あんなものは黙想でも何でもない。型にもなっていない。「黙想の時間をつくった」という教師の思い込み、教師の都合だ。
本当の黙想なんて、そんな簡単なものじゃない。そんなわずかな時間にできるものでもない。黙想するなら黙想を学ばなければならない。教師は教えなければならない。
山から光がさすころ、僕は、釣果に満足しながら我が家に向かう。
きょうは割と釣れた。
黙想1時間、キス釣り1時間。35尾の釣果より、夏休み初日の水辺の黙想に心が充実している。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
この夏、中学生とここに集い、黙想を味わいます。
Don’t Think Twice, It’s All Right
なあ、子どもたち
ようこそ、
きょうは神戸に住む家族がやってきた。大村線の駅まで迎えに行き、我が家のプライベートビーチで泳いだり、シーカヤックしたり。
石窯に火を入れてピザを焼いてたべたり、
うちの月海や星海と遊んだり、
青い夏の海に楽しんだ一日。
「また、おいで。」「きっと、来ます。」
こんな言葉が夏休みにはよく似合う。
と、帰りのフェリーからLINEが届く。
夏、満喫でした。ありがとうございました。
追加の写真に涙が出そうになります。子どものとびきりの笑顔に勝るものはなしですね!
車に乗って、しばらくは、子どもたちのおしゃべりが止まらずでした。また、達富先生に会いに行きたいと大騒ぎです。その後、急に電池が切れて、熟睡していた子どもたちです。
時間の関係で、デパートには寄れませんでしたが、(次回は、大阪を出るときもデパート寄ろうと決まりました)、地元スーパーにて、にぎりや巻き寿司、お酒にジュースにと買い込みました。
それでは、船旅を楽しみます!!
✉僕から
あれほど満ちていた大村湾も6時間ほどのあいだに潮が引きました
一日の終わり、楽しかったあとはこんな景色にさえ、
✉ふたたび
太陽に向か
妹は、歯が抜けた、ピーマンが食べられたと自慢げです。彼女は、お
今度は、兵庫のお酒も持って行かせてください。先生がミサに通わ
姉ちゃんは、教えてもいないのに、大浦天主堂のマリア様の前で祈りを捧
九州の人々、大地に感謝しながら、宝塚に帰ります。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。み言葉のままに、人の中で生きていくことが毎日の僕です。
三軒目、店ごと
綴じることから伝わること
僕の授業
[中等国語科教育法 Ⅰ]
とにかく、教室の事実と教師の仕事について学生と学び合っている。最終回のきょうは、「電子黒板に一人一人の学生からの個別の質問」を映し、それをもとにディスカッションして進めていった。
「実は、最終回にあたってテキストを見返していたら、こんなメモが出てきたんです。」
といって、テキストを見せてくれた。
『ここからはじまる国語教室』にぎっしりとメモと線が書き込まれている。胸が熱くなる。思い切って一冊にまとめてよかった、って、本気で思う。
[初等国語科教育法]
毎回、僕の元と学生の間を行ったり来たりする緑のノートを「シャトルノート」と呼んでいる。そこに書き込まれた最終回の記述。
「学習指導案の書き方について詳しく学ぶことができ、教育実習に向けて何をすべきか考えることができました。また、国語科特有の授業についても知ることができました。私が小学生の時に、担任の先生が毎日行っていた授業は、先生が一つひとつ目的をもって、試行錯誤して作り上げていたのだと知り、感銘を受けました。国語は社会に出てもとても役立つ科目です。子どもたちの将来に役立つ授業ができるように大学で学んでいきたいです。」
学習指導案の作成のついて、本気で取り組んでよかった。丁寧に扱ってよかった。誰も教えてくれないまま教師になるより、大学時代に学びの機会があるほうがいい。学習指導案に定型はないけれど、学習指導案はどうでもいいものではない。我流は悪いことではないけれど、無関心で適当、ネットで見つけたものの上書き保存であっていいはずはない。
佐賀大学教育学部の学生が作成する「国語科学習指導案」は、まちがいなくその学生独自のもの。かけがえのないものである。
こんな気持ちのいい授業の翌日は、朝からごちそう。平戸沖の鯛のお茶漬け。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
大分に来ています
パンの会 はじまりました
長崎から2人、熊本から2人、鹿児島から3人、佐賀から3人、大阪から1人、東京から1人、12名ではじめます。
パンの会。
高等学校の教員も参加ならと思い、「現代の国語」、「論理国語」、「文学国語」の学習材も準備していたのですが、小学校と中学校に絞ってはじめることにします。
今週末から学び合いましょう。
さっそく、参加者からの声。
「パンの会。楽しみとともに、エントリーシートがあることに緊張感があり、背筋が伸びます。よろしくお願いします。鹿児島より」
「令和10年度版という言葉にわくわくします。熊本より」
学びの夏にしよう!
神さま、学びのつながり、成長の分かち合いをありがとうございます。
単元学習「パンの会」、はじめます
やりたくてうずうすしている企画があります。
僕が単元学習にのめり込んだきっかけとなった研究方法です。
30年を経て、今もう一度、その研究をやってみたいと思いはじめています。あの頃とちがうのは、『ここからはじまる国語教室』があること、少しだけ実践に慣れてきたこと、時代がものわかりよくなってきたこと。
希望のかたには資料を送ります。それを熟読し、自分自身の考えを形成し、参加のためのエントリーシートを提出してもらおうと考えています。参加エントリーシートの提出は8月15日頃の予定です。
資料送付は7月末、実際の研究会はオンラインで8月下旬(8月26日 午前6時から2時間の予定)と考えています。
希望される方は、達富までメールをください(7月24日未明まで)。参加は九州に限りません。まあ、5人程度ではじめようかと思っているところですが、減っても増えてもいいです。いい気分になれば、第2回をするかもしれません。常連が12人ほどになれば、僕の仕事はおしまいです。
「パンの会」っていうのは、インターネットで調べればいろんな歴史をもった諸団体が出てくるけれど、そんなものに影響を受けたのではなく、毎日食べているパンのように、研究も毎日続けたいと思ったからです。
じゃあ、「米の会」でも「蕎麦の会」でもいいかといえば、いいです。
でも、今はなぜか、カタカナのパンがいいのです。
確かにみんないそがしい
この頃、みんなで研究している実感がない。
と綴ったとたん、「そんなことないでしょ」の声が届きそう。
□新冠川でルアーをしたのはつい最近でしょ。
■そう、牧場の朝ご飯も、舞茸のお蕎麦も美味しかった。仲間との研究もハイボールも最高だった。
□熊本県天草苓北にも行ったじゃない。
■そう、松屋さんで熱く語った。
□大阪の八重の会でも朝から昼過ぎまで休憩なしだったでしょ。
■そう、あの雨で新幹線が止まった日だ。
□七夕給食のあと、廊下で質問に対して一生懸命に語ったやん。
■そう、はじめて会った教員になんとか分かってほしくってたとえ話をいっぱい並べた。
□新しい「長崎のひつじかい」もできたけん、ますます研究に力が入っとるやろ。
■そう、成長したい僕は、研究をいつも心のすぐ近くに置いとるけん。
じゃあ、何なんだろう。この少し足りない気持ちは。何か、やり残している焦りは。どうしてこんなにやりきれないんだろう。
こたえは。
天文館で奴に逢っていないからか。米屋の仲間との次の予定が立っていないからか。クイズ嬢の歌を聴いていないからか。
せっかくの仲間、かけがえのない仲間、惜しみなく分かち合える仲間。仲間とは「とんとご無沙汰」であってはいけない。
君の町に行こう。風に吹かれて旅をしよう。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。仲間とつないでくださってありがとうございます。
カブトムシに聞け!
さあ、唐津
きょう、唐津国語教室の会が再開する。待ち遠しい。
中学校評論の比較、日頃の単元づくり、そして「学習の個性化と指導の個別化」。そんな話題を準備。もりあがること間違いなし!
と、出かけるときに綴ったことがそれ以上の成果を上げた。12時終了、2時間半。本当にあっというまの研究会。
毎月やろう!って言いたいくらいの充実だった。
言えに帰ったら木槿が満開。
と、
夕方、京都の友達からLINE。
息子の初戦の勝利に乾杯しています。とのこと。
球児の夏は、親の夏でもある。
だけど、なんで、京都市北区のおまえんちの焼酎に僕の名前シールが貼ってあるの?
今夜、僕は最高の晩柑にクラッシュアイスと焼酎をなみなみとついで、ぐっと飲み干すつもり。
この天草金子果樹園の晩柑、最高!
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
学生と語らう
七夕給食
やっぱり、ここ
達富先生、いらいらしてる?
達富先生、この頃いらいらしてる?
そんな声が聞こえて来そう。それは半分以上間違い。ただ、ちょっとだけ適切。
言い訳なんていちばんみっともない。そんなことは誰だって知っている。だから誰も言い訳なんかしないししたくない。
次はもっと頑張ります、って、それは反省なのかこれからの展望なのか、具体的な見通しなのか。言い訳なのか。
「子どもの興味や関心に合っていませんでした」って、言い訳でしょ。子どもの興味や関心に合わせるのが授業ではなくて、子どもの興味や関心を育てて単元と重ねるんだよね。こんな単元をしたい、って考えるなら、それまでに子どもの興味や関心をその単元に近づけておかないと面白く感じるはずないでしょ。
学習材の研究が足りませんでした、っておかしいでしょ。ガソリン足りないこと分かっていて遠出はしないもん。
見るべきもの見ないで、するべきこと放っておいて、次はがんばりますって、なんだか虚しい。
達富先生、いらいらしてる。じゃなくて、達富先生、しおしおしてる。なんですよ、きっと。
大阪は美味い
幸せな空腹
「先生、きのうの夕飯、何でしたか?」
なんて、たずねてくれる学生がいるんですよ。うらやましいでしょ。
そう、僕の自慢なんです。
「ゆうべはもつ鍋。三田川ホルモンっていうお店でおすすめのホルモンとちゃんぽん麺を買ったんよ。」
「めっちゃ、いいですね。」
「美味しかったよ。今度、一緒に食べよう。」
「ぜひ、楽しみい!」
いいでしょ。こんな会話が5時間目のあとにできるなんて。5コマ、フルの火曜日も元気に帰れそう。
さて、帰ろうっと。
まちがいなく新冠が好きだ!
やっぱり,新冠が大好きだ!
新冠が大好きだ!と叫びたい
なにもないけど,仲間がいる北の大地に僕は帰ってきた。
馬のいる風景。僕にとっての非日常がたちまち見慣れた風景になる。そう,ここは北の大地。
三日ほど前,この看板を見に来た熊がいたらしい。怖くないはずはないけど,熊除けの鈴と撃退スプレーとを揺らしながら,川へ。
もちろん釣りたかったけど,釣ることが目的ではない。北の大地を流れる新冠川。この川面を見つめるだけで遠く地の果てまで思いが流れて行く気がする。
このすがすがしいひとときに僕はただじっと糸を見つめる。
ハナミズキ,満開。
陽が落ちるとたちまち肌寒く感じる。
国鉄日高線跡。この上を揺られたことある。日本中のユースホステルを泊まり歩いていた頃。あの頃、こんな大人になんかなりたくなかったはず。
砂浜に小さな花。
その横に山のように積まれた広葉樹の丸太。
すうっと息を吸い込んだら北海道の味がする。
新冠が大好きだと叫びたい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。
日高。きょう、僕は、息を吸うことを意識しました。
夜はこのあたりでいちばんの酒処「徳庵」。
美味いに決まってる。
東京
ひつじかい,誕生
大分なんて近い近い
なにもない平日こそ美味しい昼ごはんを
もういちど教室の声
この頃は、学習課題や《私の問い》や「一枚に書く」など、本来、意識しなくてもいい単元づくりのもろもろのことがらが妙に前に出てきてしまって、教室の事実を見なくなってしまっている。
見えなくなってしまっているのではなく、見なくなってしまっている自分が残念だ。
あの頃、僕は教室に生きる子どもの「今」を丁寧に基準することに一生懸命だった。それが、今はどうだ。
きょうは6年生の教室。太一朗が教える。
いまいちど、教室の声を聞ける教師に戻りたい。
種をまく
9月9日は天草で
紫陽花ビール
いくつになってもHappy Birthday
我らの星,ヨコハマ
ひとりドーム
ふたつめの誕生日
ひつじたちの朝の会
06:53:45 :
抜けたくないですが、、、途中ですみません。ありがとうございました。失礼します!
06:54:17 :
頑張ってください!
07:05:30 :
中座します。また、戻ります。
07:08:39 :
子どもたちが起きてきたので場所を移動します。すみません。
07:23:55 :
途中入室、途中退出で申し訳ありません。ありがとうございました。
学習課題について、改めていろいろ考えさせていただきました。
①「おとす」の件。自戒もこめて深く納得しました。勤務校で使われている言葉について、しっかり見つめ直したいと思います。
②学習課題については、自分で考えて、ABCの形になった段階で安心してしまっている自分がいるように感じています。
まさに、ここからはじまる国語教室、でした。ありがとうございました。
イモ苗植えてきます。
08:05:59 :
すみません、校舎を掃除してきます。行ってきます。
08:07:33 :
ステキな週末を!
朝早くから,ありがとうございます
佐賀はもちろん,熊本,宮崎,鹿児島,屋久島からありがとうございます。
そして,僕の午後は,キス釣りと庭食べ。
兄貴から届いた京都美山の地鶏を溶岩板で焼いて食べる。塩は高弟,壮からもらったもの。
一週間前の夢のような時間を思い出しながらの昼ビールは最高。
夜はキスフライ。
神さま,僕に仲間を授けてくださってありがとうございます。今日もいちにち,感謝のうちに。
博多、よかとこ
先週の土曜日に続き、きょうも博多に来ている。毎年恒例の講習会だ。夕方4時に終わるのがうれしい。ひいきのチームが来ていたらドームで野球を観るのもいい。そうでなければ中洲川端で鯖の造りと鶏鍋。
今夜はひとり酒。もちろんその前には熱い講習を。
きょうのつかみは「大丈夫っス!」の多義性。
天窓から月と星
朝まずめ,大地の恵み
あたらしい服を着るように
長崎に新しい研究会ができる。
たった5人からのはじまりはじまり。楽しみ楽しみ。
ああ、この祝福を
麦秋
京都、散策
ちょっと難しめの本を片手に
雨の日は Clara Haskil のしらべ
こんな日はピアノコンチェルト。
行為の国語科
僕は言語活動に大いなる魅力を感じている。
そもそも、学習は誰にでもできるものでなければならない。教室の学習は一部の子どもだけのものであってはいけない。そういう意味では、言語活動は誰にでも取り掛かれるものでなければならないのである。
言語活動経験があるからできるとかないからできないとか、それは間違っている。
教師の意図を理解できたからできるけれど手順が複雑だからできないというのは教師の都合である。
入り口は誰にも分かりやすく、その後の進め方は一人一人がデザインできるものでなければならない。
どれくらいその活動(行為)に夢中になれるか。それは教室内で相対的に見るものではない。個人が確実に活動に浸っていることだけが正解なのである。
妙に冷めた子どもがいてはいけない、と言って、周囲が見えなくなるほど前のめりになる子どもがいるのも好ましくない。浸るというのは、ある種、自分に冷静になることが必要だからである。
子どもの日、すべての子どもの学びを考えていると、こんなことを綴りたくなった。
神さま、今日も一日をありがとうございます。
凪の子どもの日
声が届く幸せ
『ここからはじまる国語教室』の謹呈本が届き,各地の書店に並び,インターネット書店からも発送されはじめた今週。
届けてくださった声です。
*****
教科書が届きました。感動です。
*****
ありがたいです!!
こんなに大切に届けてくださって😌
かわいいかわいい子どもみたいだなと思いました😁愛しいですね😉
*****
本日、ひつじ書房から達富さんのご編著書を送っていただきました。ありがとうございます。そして、ご出版おめでとうございます㊗
本を拝見して、多くの先生方と一緒にこうして本を編まれる達富さんの厚い人望と統率力に感服した次第です。
今後益々のご活躍、ご発展をお祈りいたします。
*****
今、湯島に届きました。今から読みます。ありがとうございました。
*****
屋久島にも届きました!
達富先生、私、感動です。
屋久島で震えてます。
改めまして、このような機会を頂きありがとうございます。
*****
おはようございます^ ^
私の元にも届きました。感慨深いものを感じて、手元で包装された包みをしばらく眺めてしまっていたので、封を解くまでに時間がかかってしまいました^ ^
明日から大型連休に入りますので、初心に還ってもう一度学び直したいと思います。
*****
今、届いた!
あとがきから読んでみる。
*****
おはようございます。
素敵な本が届き、わくわくしながらページをめくりました。
皆様にお会いできるのがとても楽しみです。
20日、お世話になります。
よろしくお願いします。
良い連休をお過ごしください!!
*****
本当に素敵な本が完成して、そしてまた、
丁寧に読んで、丁寧に学びたいと思っています。
皆さま、よい連休をお過ごしください。
*****
昨日、謹呈本が届き、破顔一笑した私。
今日はお礼を!と思っていましたが、その前のご連絡。
有難いことだなとしみじみ。
5/20に向けての取組は、
改めてじっくりと拝読し、私の問いの解決に励みます。
連休中は部活三昧ですが、勉強もせねば…と気を引き締めました。
学習材研究を済ませ、早急に取り掛かります。
洋二兄、皆様、よいGWをお過ごしくださいませ。
*****
本日、素敵な本が届きました。
本当に本当に素敵な本で、表紙を見ただけでワクワクしました!
息子が寝ついたので、じっくり読みたいと思います。
パラパラとめくっただけでも、
こんな素敵なことに参加させていただき、
私の教員人生第一章、
達富先生、ありがとうございました。
そして、出版おめでとうございます。
*****
先生、ついに、ついに本日、届きました。
もう感激です。手に取り眺めるだけで涙が出てきました。
この本に携わることができて、
「今から」でもなく、「これから」でもなく、「ここから」
「はじめよう」でもなく、「はじめる」でもなく、「はじまる」
「国語授業」でもなく、「国語学習」でもなく、「国語教室」
このタイトルでなければならない理由がどのページを見ても伝わっ
「まえがき」に書かれています「
「そうですよね。言葉で生きる、
また何度も何度も読みます。
今日ははじめてサッカーボールを買ってもらった小学生の時によう
先生、本当にありがとうございます。感謝しかありません。
ありがとうございます。
*****
こんばんは。
ひつじ書房から、本が届きました!
先生、ありがとうございます。
大興奮し、感動しています。
こんな経験はありません。
この感情を味わいます。
そして、本にひたります。
20日、皆さんとお会いできる日が待ち遠しいです。
*****
ついに本日、届きました。手に取って実感がわきます。
表紙を見て、にやけます。
ページをめくるとうなずき、考え、納得します。
閉じるとすぐにまた読みたくなって、
1つ読むたびに明日の国語が楽しみになります。
達富先生、本当にありがとうございます。
*****
帰り着いたら、『ここからはじまる国語教室』が届いてました!
大事に抱きかかえて10階まで上がりました。
なぜでしょうか。想像を大きく超える感動を味わいました!
この込み上げてくるものは何だろうと思っています。
興奮とは違います。
高揚でもありません。
深く感じるものです。
答えを急がず感動を味わいます。
達富洋二先生
ありがとうございます。
そして、おめでとうございます。
*****
達富先生
届きました!
うれしいです。
ありがとうございます。
にやにやが止まりません…
そして、ドキドキしていて、
手が震えます
*****
『ここからはじまる国語教室』完成おめでとうございます。届きました!(実家に帰れておらず、まだ手元に無いのですが、今日このあと帰って開封式をします📗)
*****
(本は届いたか?)本はまだです。(そりゃそうだ,ケニアは遠い)
*****
先程、帰宅すると「ここからはじまる国語教室」が自宅に届いていました。先日、研究室でお見せしていただきましたが、やはり手元に届くと感動もひとしおでした。連休中にじっくり読み、勉強したいと思います!
*****
達富先生の大切な本の執筆者として仲間に入れていただき感謝しかありません。仲間の一員として恥じないように、これからも国語教室に向き合っていきます。
*****
おはようございます。自宅に本日戻り、『ここからはじまる国語教室』を手に取りました〜。改めていろんな意味で感慨深いです。
さて、鹿児島での洋二兄の言葉は、当日は酒精が入っていなかったので、尚更、心に沁みました、ありがとうございます。
5/20は、どうにかして、なんとしてでも伺いたいです😁
【桑の実や風流る先の憲法:涼風】
*****
こんにちは。
献本、ありがたく受け取りました。
このような機会を与えてくださり、ありがとうございます。
大切に読み深めます。噛み締めます。
*****
本📕を、手にしました
感動で手が震えています
父にも報告しました
*****
最高の本に、素敵な言語活動。
ありがとうございます!!
*****
本が届き先生にご連絡を!!と思っておりましたが、なかなかできずに申し訳ありません。
とっても素敵な本で感激しました。まだまだ途中までしか読めてないので、じっくり読まさせていただきます。
*****
達富先生、いかがお過ごしですか?(わーい)
本日、待ちに待った本が到着しました。ゴールデンウィークにじっくり読みます!!
*****
達富先生、こんにちは。
素敵なギフトが今朝手元に届きました。
直接伺ってお礼を申し上げたいところですが、ゴールデンウィークも部活の練習試合が連日入っており、お会いできないのが残念です。
授業の方は、まだ手応えが掴めずにいますが、何とか授業はできています。今日までは物語文の単元をしていました。
先生からせっかく頂いた本を熟読して次回以降の授業をより実のあるものにできるよう精進します。
この度はありがとうございました。
*****
お疲れ様です!今、献本を受け取りました!こうやって手にすると、喜びを実感しますね!ありがとうございます!うちの職員にも回覧し、校内研で活用します!
*****
こんばんは。何と、今日、2冊目(自分でも頼んでいた)
それで、
課題の言語活動を提出します。ご確認ください
えっ?もう言語活動,提出!
すばらしい!うれしい!
すてきな「ひつじの名文」,編集します!
道具はどれだけさわるかが大事
ことしのキス
お祝いしてあげよう
晴れの日
もうひとつの書簡
達富先生
先日の集いから1週間…問いを立てること一枚に書くこと、評価を生徒と共有することが今年の私のテーマです。
中1、残念ながら問いを立てたことがありません。集いを経て、授業計画を変更しました。生徒ととことん問いに向き合いました。できないよーと下を向いていた顔が、少しずつ顔をあげ、今日は自分の立てた問いを愛おしそうに授業が終わってもノートに書いていました。
中2の1枚での振り返り、すごいです。こんなに思考していたのか…と感動してます。
中3の握手。昔の私が発問していたことを、生徒たちが問いにして議論している。先生はどう思いますか?って私も学びの仲間に入れてくれる。
教室は尊いです。生徒がかわいくて仕方ないです。だから、力を付けるのが私の仕事です。集いが、また一つ分岐点でした。ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
児童生徒も教師も,生涯を通して学び続けることができる命でありたい。
そのためには「一人でもできる」「みんなとならもっとできる」「みんなとやりたい」「だけど,一人でもできる」そんな一人であり続けたい。
そのためには,学びの声に真摯になることだ。学びの声を聞き逃さないことだ。
この書簡を受け取った僕は,「ふうっ」と息をはきだした。もちろんため息ではない。すうっと吸い込んだ息を「ふうっ」と息をはきだした。書簡を読み始める前に吸い込んだ胸いっぱいの息が,書簡の言葉を包み込んで「ふうっ」と出てきた。
鹿児島の集いがひとつの分岐点。
僕にとってもそうです。
きょうは京都からの友が佐世保にやってきました。春から大学教員になった後輩がその報告にと,一枚目の名刺をもってきました。
神さま,きょうも一日をありがとうございます。息を吸うこと,呼吸を合わせること,大事なことだとまた教えてくださりありがとうございます。
銘酒,小鼓
「走れメロスを検証」を検証する。
書簡
「鹿児島の集い」から2日。書簡が届いた。
達富先生
私は、字数を決めて書くことの良さを見ていたのに、見えていませんでした。でも、今日は意識して見とることができました。
今年入学してきた一年生が、初めて、学習課題から問いを立て、言語活動に取り組みました。手遊びなしに人の話を聞けなかった子どもたちが、集中して、一枚の紙に書くことを始めました。本当に感動しました。
先生、ありがとうございます。
こういうことだ。そういうことなんだ。
丁寧な実践とは,謙遜のうちに実現するものなんだ。
自分の都合をやめる。分かった気にならない。子どもの声に,教室の声に学ぶ。
そういうことなんだ。
神さま,きょうも友からの声を聞かせてくださってありがとうございます。友の声を捜し,友の声を待つ。ありがとうございます。
ここは地球の裏側の教室
「鹿児島」このまぶしいほど青い空の真下で
「鹿児島」このまぶしいほど青い空の真下で
突然にお願いにもかかわらず,司会を進めてくださった「タバスコをこよなく愛する」立和田さん。ありがとう。
僕の仲間を,仲間の研究を支えてくださる理想教育財団。同い年の同志,田中さん。熱い語りのしなやかな心づかいをありがとうございます。
思えばほんとうに長いつきあいになったもんだ。その人懐っこい笑顔にやられてしまう高弟,前田壮一。
そして,誠実な実践,子どもを包む確かな完成,丁寧な指導。
てらまい,やくえり,みぞりえ。ありがとう。
教師の成長とは,この時間のかかる小さな仕事の積み重ねなんだ,とうことを実感した1日。
こんな尊い研究会を,もっとみんなに開きたいです。
僕はこれからも言葉を通して学ぶことに一生懸命になりたい。
神さま,きょうも一日をありがとうございます。
孤独のせっかく昼グルメ~鹿児島編
ことしの旅ぐらし
4月、はじめての旅。
まずは宇土から鹿児島へ。今年の旅ぐらしが始まった。
野球小僧、健在
長崎ベイスターズ
ナイロビ便り
孤独のせっかく昼グルメ~鹿島編
九州発!《問い》からはじまる授業
けた外れに面白そう!
日本にはない風景。この草むらの中にハイエナやゾウやキリンが深呼吸しているんだろう,と思うと,いてもたってもいられない。
おそらく学校の正門。黄色いトヨタ車がスクールバスなんだろうか。この車に乗って登校する子どもに単元学習を。
平田先生,面白くやろう。いつでも日本から,長崎から応援しているゾ。
と,LINEに!
……………
4月8日AM4:45
ナイロビ市内のホテルに泊まっています。
聞いたことのない鳥の鳴き声で起きました。
草原は正に国立公園です。「そうげん」という語を体験できました。
それ空が広いです。
気候は夜は寒いくらいに感じます。
今日はこちらの携帯の契約をしに行きます。
ナイロビの先生方も全員お腹壊したと言われていました。
僕のお腹は今は大丈夫です。
……………
いよいよ全国放送
NHKのADさんから連絡が届いた。先日,佐賀県内で放送され,翌週には九州全体に再放送された「変わる国語の授業」のこと。
東京の放送センターが「非常に興味深い、おもしろい」とのこと。
全国放送されるらしい。
2023年4月15日(土),NHK「おはよう日本」午前6時ごろとのこと。
もちろん,災害など突発的な事案があれば真っ先に省かれると思うけれど,九州じゃないところにお住まいの「たつログ」仲間のみなさん,佐賀版,九州版を見逃したという仲間,ぜひ,ご覧ください。
ドバイだより
行ってこい,昌志!
学生を迎える準備
おめでとうございます
きょうは拓郎さんの誕生日。曲を流しながら大学への運転に心はずむ。
いくつになられたのか、ということよりも、たくさんの曲をありがとうございます、を伝えたい。
どうかどうか、お元気で。喜寿、おめでとうございます。
かがめる教師に
かがむ。声を聞くためにはかがむこと。
かがんだとき,どこを見つめるか。もちろん,子どもの目。
いや,ときどき,一緒にノートを見ることも,作品を追いかけることも,大事。
そして,何を見るわけでもなく,ただただ,子どもの声だけに集中することがあってもいい。
目を見つめ合ってやりとりすることも大事,
だけど,教師の目のメッセージのない,声だけで考える,
ほかに何もたよらない自分の心と考えだけでことばを伝える,聞く,
そんな時間もあっていい。
だけど,そばでかがんでいる。
かがんでいるけれど,そばにいるんだけど,今は声でつながる。
そんな関係もいい。
かがめる教師,かがめるからこそ可能になる「あいだがら」って,きっとある。
かがむこと。この誠実な動きのもつ奥深さにこれからも学んでいきたい。
学び続ける教師
学位授与式っていいものだ
見ましたよ,って?
孤独のせっかく昼グルメ~早岐編
お帰り,祥平
離陸までのわずかな時間
孤独のせっかく昼グルメ~唐津編
教室に生きる
理屈ではなく実践
大村先生のことば――
よく聞ける子どもにしたい。
それなら面白い話をたくさん用意していることです。
面白い話とはどんな話か。自分も面白いと感じる話のことだ。
だったら、面白い言語活動ってどんな言語活動か。
いうまでもない。やりたくないことをさせるなんてもってのほか。やりかたが複雑なものもいや。やりがいのないものなど押しつけないでくれ。
「先生、やってみて楽しかったんですか」「どこが工夫のしどころですか」「これって、役に立ちますか」って問われてきちんと答えられるか。
大村先生のことば――
子どもにとって
何が幸せといって
一人でしっかりいきていける人間に
育てられることぐらい
幸せなことはないと思います
間違いなく存在する教室の中のさまざまな「差」。教師がその「差」を気にしないことは残念なこと。教師が見逃すことは許されないこと。
子どもがその「差」を気にすることは残念なこと。子どもが差に萎縮することは許されないこと。
大村先生のことば――
たくさんのむだをしなければ、
ひとつの玉を拾うことは
できないのです。
できれば、その日の朝には授業の組み立てを決めたい。
だけど、それができないときがある。
教室までの階段、入り口までの廊下、
そのぎりぎりまで迷うことだってある。
でも、迷えることってぜいたくだ。幾通りもの導き方をもっているわけだから。
使わなかったてびき、「帰り道の二枚」、
使えなかったてびき、「生徒への質問にこたえるための数百種のことばたち」、
それをつくるためにかけた時間は気が遠くなるほどだ。
だけど、使わなかった判断をした爽快感に僕は満たされる。使えなかった気づきへの期待に僕は励まされる。
そして、何より使えた「登場人物カード」をいとおしく思う。
大村先生のことば――
「きょうはどの鉢に・・・・この鉢に」
草花の鉢植えの水やり。
同じ草花でも
鉢の中の土の質も量も同じでない。
だけど、どの草花にも花を咲かせたい。
どの草花も花を咲かせたがっている。
「咲きたいのです」の声が聞こえてくる。
その声を聞き、花を咲かせる。
それが教師の仕事だ。
大村先生のことば――
何々をしなさいと言わずに
いつのまにか
そうさせてしまえてこそ教師。
言語活動とは教師が問わない学び
言語活動とは子どもが自分に問う学び
しかし、
どんな言語活動でも子どもが問えるわけではない
ふさわしくない言語活動もある
ふさわしいくてもうまく出会わせることができずまずくなることだってある。
いや、そっちのほうがうんと多い。
ちゃんと単元びらきしていないのに言語活動のせいにしてはいないか。
教科書の言語活動を目の前の愛する子どもの姿で動かしてみる。教科書の言語活動を伸びようとしている子どもの姿で立体化してみる。
いつのまにか子どもが言語活動してしまっているようにすることが、教師の力だ。
大村先生のことば――
ありあわせ、
持ち合わせの力で授業をしないことです。
何かを加えて教室に入り、
何かを得て教室を出る。
僕の単元づくりや単元研究なんて薄っぺらいものだ。
何も加えられていない。
いい気になってはいないか、自分にたずね、自分をいましめなきゃ。
だけど、安房中の生徒からは大いなる教えることのヒントを得た。
23人の生徒は惜しみなく「教え方」を教えてくれた。
この教室から生まれた僕へのお土産をもう一度、返しに来なくっちゃ。
大村先生のことば――
「先生」
そう呼ばれるのに
足りるだけの人に。
さて、
まだまだだということが分かった今。
妙にすがすがしい。
次はどの教室に行くことができるだろうか。
2年生になった安房中の教室に来てみたい。
教室が仕事場でなくなった者が授業についてどうこう言うことは恥ずかしいこと。だけど、僕はまだまだ授業人でいたい。錆びついてしまわないように授業し続けていたい。
と、壮からメール。仲間の教室の風景が新聞に載ったとの届いた。
てらまい。丁寧な仕事のあかしです。
三月の椿
指月会 for たつゼミ
北の海からの贈り物
長崎は雨の朝
きょうはずっと校正という仕事をしていた。あまり得意ではない、はず。
まず、見直すということがじれったくなってきている。そして、コンピュータ画面に慣れ切ってしまっている。
だから、紙の文字をじっと見つめて、何度も何度も言葉を確かめて、しかも字数を数えることなんて、、、
が、これがめちゃくちゃ楽しい。楽しいでは済まされない。奥深い。夢中になる。やめられない。大好きだ。
って、大袈裟だけど、僕は校正が好きかもしれない。つくりたい。
とにかく、僕は雨の朝から日差しのお昼を感じながら、風ただよう夕方まで、ずっと部屋にこもって校正をしていた。ときどき、丸窓から海を見ながら。
それくらい、今、手がけている本づくりに魅了されている。
単著でなければ、という研究者がいる。
編著こそ生きてきた感謝と僕は思う。
みんなに支えられてここまで来た。あと少し。あと少しで、みんなと100年あとまで一緒にいられる。本を作るってことは、これまでの記録だけではなく、今からもずっと同じ本の中で生きていられるってこと。
そういうこと,のはず。
夕方の散歩道、見上げる大村湾の空は別格。どこまでも気分のいい日は、何もかもが気持ちいい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕は本のできばえの自信はないけれど、この本の中でみんなとみんなが一緒に居続けられることは、この上なく幸せなことだと分かっています。
ぐっとくる授業
やっぱり言語活動。
やっぱり言語活動モデル。
だから、やっぱり学習課題。
まず単元びらき。
何より子ども研究。
そして評価規準。
ああ、やっぱり学習課題。
僕のノート
(1日目)
・学習履歴-ありがとう集会-前単元-結びつける-場面ごと-今回は人物
・何を結びつけるのか-心に残ったところを探しながら聞いてください△
・登場人物すみれちゃんの絵カード・学習課題の提示
・Aフレーズの登場人物△
・誰ですか-すみれちゃんと書けばいい
・自分は自分の名前
・楽しそうだけど難しそうの声
・すみれちゃんって何が好きだったっけ△
・最後,もうすぐ「わたしは三年生」の歌を作ってみましょう。
・どんな歌を作りますか△
■言語活動モデルの制度
僕のノート
(2日目)
すっとする授業
きょうから第1期佐賀合宿。といっても泊まることはない。三日間連続で教室に学ぶ機会。
第1期の授業者は平田昌志。
平田昌志は子どもの声をすくい取るのが上手い。3分後の活動を先取って子どもをわくわくさせるのは見事。
じゃあ、30分後の見通しは?というのがきょうの課題。
授業は作られたものではないし作ろうとし過ぎるものでもない。だけど、子どもと創っていこうすることは大事。
子どもの声と一緒に創る。
子どもの感覚的で、少し足りない、だけど見事な気づきを含んでいる声をどのように言語化するか。教師が言語化したことをこれからはその子どもが一人でできるようにするにはどのようにかかわるか。それが果てしなく奥深く、限りなく楽しい。教室に働けることに慣れてはいけない。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。教室は僕の頭に灯りをともします。
授業のあと味がいいから
授業は私のもの,って生徒が言っている
いい一日になる。
まちがいない。
はじめまして。のあとはもちろん気持ちのいい緊張感。生徒もきちんと座っている。
単元びらき。僕はとにかく丁寧な授業をめざしている。
「じゃあ」のことばで,生徒が動き出す。
おいおい,「そんなに熱くなるの?『少年の日の思い出』の登場人物の整理だよ!」って感じ。
納得したら,すぐ座る。そして,僕の声に耳を傾ける。
気持ちのいい達成感。「じゃあ,足りないところ。もっといいこと考えたところ。確かめたいところをどうぞ。」
黒板のところに来る生徒。席で語り合う生徒。
だけど,教室はひとつ。みんながみんなの気配の中で学んでいる。僕はとにかく気持ちいい。
じゃあ,書いてみようか(言語活動のはじまり)。
「先生!」って,担任の先生を呼んでいるのかと思ったら,僕じゃん。
僕,絶対,かなりうれしそうな顔をしていたに違いない。
「また来ます。」の声を置いて,僕はこの中学校を後にした。
授業後,
こんなに幸せな気持ちになったのは何年ぶりだろう。
27人の生徒の名前,全部,言える。
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。のぞまれた仕事の小さな役割を果たせた気持ちです。
I did Good Job!って感じ。
ロケット発射!
さあ,屋久島。
都会
小さな小学校の大きな声
北海道から戻った日曜日、長崎は快晴。祝福の日曜日。
愛犬、久しぶり。
五島椿が咲いた。
こんな日は瞳をとじて黙想するのがいちばん。
一昨日の四つの学年の授業は、どれも僕たちを学びにいざなってくれた。
6年。「だから先生、しつこいくらい言ってたんですね。」この言葉は、教師の繰り返す学びどき(Aフレーズ)が子どもに染み込んでいた証拠。だからこそ、今、書き上げた文章のAフレーズにかかわった部分に線を引かせてみてはどうだっただろう。
特別支援学級。思考のスピードと活動のスピードのズレを子ども自身がコントロールできるような機会をつくりたい。ともすれば「同じ」を求めてしまう僕たちは、「違い」からはじめるのがいいのかもしれない。
3年。教師は、子どもが書いたことに感動するだけではなく、書けたことに感動しなくっちゃならない。量と質とスピード。とりわけ、書かなければならないことが書けたとき、子どもは書き切ったことに自ら感動する。感動を書くのではなく、書けたことに感動する。そのとき、「書いたもの」での不確かな評価ではなく、本当の意味で「書けたこと」を評価できるのである。
1年。30分間のひとり学びの進め方をさりげなく示したい。後半の協働学習になるまでの学びを例示して一緒にデザインしたい。そしてそれを黒板に書いておくことで、1年生は安心できる。
実はこれらのことは言語活動を通した学習に限ったことがらではなく、どんな学習においても有効なこと。
言語活動を位置づけた単元学習は、これまでのスタイルを打ち消す考え方ではなく、完成させるための提案なのだ。昭和22年試案、26年試案に始まった現代教育を整理統合した上に、今からの「教えること」がある。
子ども研究をうたうならば、子ども研究の方法を具体化しなければならない。主体的な学びの実現を目指すなら、主体的な学びに役立つ教師の仕事を明示しなければならない。
午後の3時間の協議はかけがえのない時間だった。僕はこの学校にまた来たいと思った。このメンバー、この仲間となら、もっともっと学びたい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございました。北の丘の小さな実践は大きな声となり、北の大地に響きはじめています。
この小さな小学校の教師たちは、今、できていないことを残念に感じているのではなく、もちろん、やろうとしないことに逃げるのでもなく、できないこと、だけど今から必要なことをやってみることにひたむきなのです。そうすることが、これまでの「教えること」を点検することにもなることを知ってもいます。
できていないことが残念なのではなく、やろうとしないことが残念。
すでにやりはじめ、動きはじめ、高まっている小さな小学校の大きな声がどこまでも白い雪原に響きます。
この小さな小学校、かけがえのない「今」を創造しています。
そうそう、帰り道、空港までの寄り道で食べたほっき貝とほっき貝カレー。北海道にはまだまだ驚かされることばかり。
授業と教師の仕事
朝は日高昆布の出汁茶漬け。
「居酒屋 徳」での酔いは残っていないけれど、また新鮮な身体に戻った感じ。
さて、小学校到着。
「教えるということ」を再考することしばしば。
教えるということは、一人でも学び続けられる人に育てること。それに尽きるように思う。
だから、小学校1年生へのかかわりかたと中学生とのかかわりは同じじゃいけない。
同じ学級の中でも、同じように教えられる場合と個別にかかわらなきゃならないときとがある。それを時間がかかるからとか、準備が大変だからとか、教師の都合や子どものせいにし、たったひとつのだけの、思いつきのような計画で進めようとするのは間違っているように思う。いく通りもの手立てがあって、その中から最適な計画を選ぶことが必要だ。
言語活動を設定さえすればいいという考え方は間違っている。《私の問い》を立てさせれば主体的な学びになるというものでもない。振り返りましょうと言えば、どの子どもも振り返れるというものでもない。
もう一度「教えるということ」を考え直そう。教師の仕事を子どもを主語にして書き表してみよう。
そんなことをうんと考えたきょう。ホロシリ牛乳が妙に濃く感じる。
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。