ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。
たつログ
えとせとら
朝まずめ,大地の恵み
あたらしい服を着るように
長崎に新しい研究会ができる。
たった5人からのはじまりはじまり。楽しみ楽しみ。
ああ、この祝福を
麦秋
京都、散策
ちょっと難しめの本を片手に
雨の日は Clara Haskil のしらべ
こんな日はピアノコンチェルト。
行為の国語科
僕は言語活動に大いなる魅力を感じている。
そもそも、学習は誰にでもできるものでなければならない。教室の学習は一部の子どもだけのものであってはいけない。そういう意味では、言語活動は誰にでも取り掛かれるものでなければならないのである。
言語活動経験があるからできるとかないからできないとか、それは間違っている。
教師の意図を理解できたからできるけれど手順が複雑だからできないというのは教師の都合である。
入り口は誰にも分かりやすく、その後の進め方は一人一人がデザインできるものでなければならない。
どれくらいその活動(行為)に夢中になれるか。それは教室内で相対的に見るものではない。個人が確実に活動に浸っていることだけが正解なのである。
妙に冷めた子どもがいてはいけない、と言って、周囲が見えなくなるほど前のめりになる子どもがいるのも好ましくない。浸るというのは、ある種、自分に冷静になることが必要だからである。
子どもの日、すべての子どもの学びを考えていると、こんなことを綴りたくなった。
神さま、今日も一日をありがとうございます。
凪の子どもの日
声が届く幸せ
『ここからはじまる国語教室』の謹呈本が届き,各地の書店に並び,インターネット書店からも発送されはじめた今週。
届けてくださった声です。
*****
教科書が届きました。感動です。
*****
ありがたいです!!
こんなに大切に届けてくださって😌
かわいいかわいい子どもみたいだなと思いました😁愛しいですね😉
*****
本日、ひつじ書房から達富さんのご編著書を送っていただきました。ありがとうございます。そして、ご出版おめでとうございます㊗
本を拝見して、多くの先生方と一緒にこうして本を編まれる達富さんの厚い人望と統率力に感服した次第です。
今後益々のご活躍、ご発展をお祈りいたします。
*****
今、湯島に届きました。今から読みます。ありがとうございました。
*****
屋久島にも届きました!
達富先生、私、感動です。
屋久島で震えてます。
改めまして、このような機会を頂きありがとうございます。
*****
おはようございます^ ^
私の元にも届きました。感慨深いものを感じて、手元で包装された包みをしばらく眺めてしまっていたので、封を解くまでに時間がかかってしまいました^ ^
明日から大型連休に入りますので、初心に還ってもう一度学び直したいと思います。
*****
今、届いた!
あとがきから読んでみる。
*****
おはようございます。
素敵な本が届き、わくわくしながらページをめくりました。
皆様にお会いできるのがとても楽しみです。
20日、お世話になります。
よろしくお願いします。
良い連休をお過ごしください!!
*****
本当に素敵な本が完成して、そしてまた、
丁寧に読んで、丁寧に学びたいと思っています。
皆さま、よい連休をお過ごしください。
*****
昨日、謹呈本が届き、破顔一笑した私。
今日はお礼を!と思っていましたが、その前のご連絡。
有難いことだなとしみじみ。
5/20に向けての取組は、
改めてじっくりと拝読し、私の問いの解決に励みます。
連休中は部活三昧ですが、勉強もせねば…と気を引き締めました。
学習材研究を済ませ、早急に取り掛かります。
洋二兄、皆様、よいGWをお過ごしくださいませ。
*****
本日、素敵な本が届きました。
本当に本当に素敵な本で、表紙を見ただけでワクワクしました!
息子が寝ついたので、じっくり読みたいと思います。
パラパラとめくっただけでも、
こんな素敵なことに参加させていただき、
私の教員人生第一章、
達富先生、ありがとうございました。
そして、出版おめでとうございます。
*****
先生、ついに、ついに本日、届きました。
もう感激です。手に取り眺めるだけで涙が出てきました。
この本に携わることができて、
「今から」でもなく、「これから」でもなく、「ここから」
「はじめよう」でもなく、「はじめる」でもなく、「はじまる」
「国語授業」でもなく、「国語学習」でもなく、「国語教室」
このタイトルでなければならない理由がどのページを見ても伝わっ
「まえがき」に書かれています「
「そうですよね。言葉で生きる、
また何度も何度も読みます。
今日ははじめてサッカーボールを買ってもらった小学生の時によう
先生、本当にありがとうございます。感謝しかありません。
ありがとうございます。
*****
こんばんは。
ひつじ書房から、本が届きました!
先生、ありがとうございます。
大興奮し、感動しています。
こんな経験はありません。
この感情を味わいます。
そして、本にひたります。
20日、皆さんとお会いできる日が待ち遠しいです。
*****
ついに本日、届きました。手に取って実感がわきます。
表紙を見て、にやけます。
ページをめくるとうなずき、考え、納得します。
閉じるとすぐにまた読みたくなって、
1つ読むたびに明日の国語が楽しみになります。
達富先生、本当にありがとうございます。
*****
帰り着いたら、『ここからはじまる国語教室』が届いてました!
大事に抱きかかえて10階まで上がりました。
なぜでしょうか。想像を大きく超える感動を味わいました!
この込み上げてくるものは何だろうと思っています。
興奮とは違います。
高揚でもありません。
深く感じるものです。
答えを急がず感動を味わいます。
達富洋二先生
ありがとうございます。
そして、おめでとうございます。
*****
達富先生
届きました!
うれしいです。
ありがとうございます。
にやにやが止まりません…
そして、ドキドキしていて、
手が震えます
*****
『ここからはじまる国語教室』完成おめでとうございます。届きました!(実家に帰れておらず、まだ手元に無いのですが、今日このあと帰って開封式をします📗)
*****
(本は届いたか?)本はまだです。(そりゃそうだ,ケニアは遠い)
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先程、帰宅すると「ここからはじまる国語教室」が自宅に届いていました。先日、研究室でお見せしていただきましたが、やはり手元に届くと感動もひとしおでした。連休中にじっくり読み、勉強したいと思います!
*****
達富先生の大切な本の執筆者として仲間に入れていただき感謝しかありません。仲間の一員として恥じないように、これからも国語教室に向き合っていきます。
*****
おはようございます。自宅に本日戻り、『ここからはじまる国語教室』を手に取りました〜。改めていろんな意味で感慨深いです。
さて、鹿児島での洋二兄の言葉は、当日は酒精が入っていなかったので、尚更、心に沁みました、ありがとうございます。
5/20は、どうにかして、なんとしてでも伺いたいです😁
【桑の実や風流る先の憲法:涼風】
*****
こんにちは。
献本、ありがたく受け取りました。
このような機会を与えてくださり、ありがとうございます。
大切に読み深めます。噛み締めます。
*****
本📕を、手にしました
感動で手が震えています
父にも報告しました
*****
最高の本に、素敵な言語活動。
ありがとうございます!!
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本が届き先生にご連絡を!!と思っておりましたが、なかなかできずに申し訳ありません。
とっても素敵な本で感激しました。まだまだ途中までしか読めてないので、じっくり読まさせていただきます。
*****
達富先生、いかがお過ごしですか?(わーい)
本日、待ちに待った本が到着しました。ゴールデンウィークにじっくり読みます!!
*****
達富先生、こんにちは。
素敵なギフトが今朝手元に届きました。
直接伺ってお礼を申し上げたいところですが、ゴールデンウィークも部活の練習試合が連日入っており、お会いできないのが残念です。
授業の方は、まだ手応えが掴めずにいますが、何とか授業はできています。今日までは物語文の単元をしていました。
先生からせっかく頂いた本を熟読して次回以降の授業をより実のあるものにできるよう精進します。
この度はありがとうございました。
*****
お疲れ様です!今、献本を受け取りました!こうやって手にすると、喜びを実感しますね!ありがとうございます!うちの職員にも回覧し、校内研で活用します!
*****
こんばんは。何と、今日、2冊目(自分でも頼んでいた)
それで、
課題の言語活動を提出します。ご確認ください
えっ?もう言語活動,提出!
すばらしい!うれしい!
すてきな「ひつじの名文」,編集します!
道具はどれだけさわるかが大事
ことしのキス
お祝いしてあげよう
晴れの日
もうひとつの書簡
達富先生
先日の集いから1週間…問いを立てること一枚に書くこと、評価を生徒と共有することが今年の私のテーマです。
中1、残念ながら問いを立てたことがありません。集いを経て、授業計画を変更しました。生徒ととことん問いに向き合いました。できないよーと下を向いていた顔が、少しずつ顔をあげ、今日は自分の立てた問いを愛おしそうに授業が終わってもノートに書いていました。
中2の1枚での振り返り、すごいです。こんなに思考していたのか…と感動してます。
中3の握手。昔の私が発問していたことを、生徒たちが問いにして議論している。先生はどう思いますか?って私も学びの仲間に入れてくれる。
教室は尊いです。生徒がかわいくて仕方ないです。だから、力を付けるのが私の仕事です。集いが、また一つ分岐点でした。ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
児童生徒も教師も,生涯を通して学び続けることができる命でありたい。
そのためには「一人でもできる」「みんなとならもっとできる」「みんなとやりたい」「だけど,一人でもできる」そんな一人であり続けたい。
そのためには,学びの声に真摯になることだ。学びの声を聞き逃さないことだ。
この書簡を受け取った僕は,「ふうっ」と息をはきだした。もちろんため息ではない。すうっと吸い込んだ息を「ふうっ」と息をはきだした。書簡を読み始める前に吸い込んだ胸いっぱいの息が,書簡の言葉を包み込んで「ふうっ」と出てきた。
鹿児島の集いがひとつの分岐点。
僕にとってもそうです。
きょうは京都からの友が佐世保にやってきました。春から大学教員になった後輩がその報告にと,一枚目の名刺をもってきました。
神さま,きょうも一日をありがとうございます。息を吸うこと,呼吸を合わせること,大事なことだとまた教えてくださりありがとうございます。
銘酒,小鼓
「走れメロスを検証」を検証する。
書簡
「鹿児島の集い」から2日。書簡が届いた。
達富先生
私は、字数を決めて書くことの良さを見ていたのに、見えていませんでした。でも、今日は意識して見とることができました。
今年入学してきた一年生が、初めて、学習課題から問いを立て、言語活動に取り組みました。手遊びなしに人の話を聞けなかった子どもたちが、集中して、一枚の紙に書くことを始めました。本当に感動しました。
先生、ありがとうございます。
こういうことだ。そういうことなんだ。
丁寧な実践とは,謙遜のうちに実現するものなんだ。
自分の都合をやめる。分かった気にならない。子どもの声に,教室の声に学ぶ。
そういうことなんだ。
神さま,きょうも友からの声を聞かせてくださってありがとうございます。友の声を捜し,友の声を待つ。ありがとうございます。
ここは地球の裏側の教室
「鹿児島」このまぶしいほど青い空の真下で
「鹿児島」このまぶしいほど青い空の真下で
突然にお願いにもかかわらず,司会を進めてくださった「タバスコをこよなく愛する」立和田さん。ありがとう。
僕の仲間を,仲間の研究を支えてくださる理想教育財団。同い年の同志,田中さん。熱い語りのしなやかな心づかいをありがとうございます。
思えばほんとうに長いつきあいになったもんだ。その人懐っこい笑顔にやられてしまう高弟,前田壮一。
そして,誠実な実践,子どもを包む確かな完成,丁寧な指導。
てらまい,やくえり,みぞりえ。ありがとう。
教師の成長とは,この時間のかかる小さな仕事の積み重ねなんだ,とうことを実感した1日。
こんな尊い研究会を,もっとみんなに開きたいです。
僕はこれからも言葉を通して学ぶことに一生懸命になりたい。
神さま,きょうも一日をありがとうございます。
孤独のせっかく昼グルメ~鹿児島編
ことしの旅ぐらし
4月、はじめての旅。
まずは宇土から鹿児島へ。今年の旅ぐらしが始まった。
野球小僧、健在
長崎ベイスターズ
ナイロビ便り
孤独のせっかく昼グルメ~鹿島編
九州発!《問い》からはじまる授業
けた外れに面白そう!
日本にはない風景。この草むらの中にハイエナやゾウやキリンが深呼吸しているんだろう,と思うと,いてもたってもいられない。
おそらく学校の正門。黄色いトヨタ車がスクールバスなんだろうか。この車に乗って登校する子どもに単元学習を。
平田先生,面白くやろう。いつでも日本から,長崎から応援しているゾ。
と,LINEに!
……………
4月8日AM4:45
ナイロビ市内のホテルに泊まっています。
聞いたことのない鳥の鳴き声で起きました。
草原は正に国立公園です。「そうげん」という語を体験できました。
それ空が広いです。
気候は夜は寒いくらいに感じます。
今日はこちらの携帯の契約をしに行きます。
ナイロビの先生方も全員お腹壊したと言われていました。
僕のお腹は今は大丈夫です。
……………
いよいよ全国放送
NHKのADさんから連絡が届いた。先日,佐賀県内で放送され,翌週には九州全体に再放送された「変わる国語の授業」のこと。
東京の放送センターが「非常に興味深い、おもしろい」とのこと。
全国放送されるらしい。
2023年4月15日(土),NHK「おはよう日本」午前6時ごろとのこと。
もちろん,災害など突発的な事案があれば真っ先に省かれると思うけれど,九州じゃないところにお住まいの「たつログ」仲間のみなさん,佐賀版,九州版を見逃したという仲間,ぜひ,ご覧ください。
ドバイだより
行ってこい,昌志!
学生を迎える準備
おめでとうございます
きょうは拓郎さんの誕生日。曲を流しながら大学への運転に心はずむ。
いくつになられたのか、ということよりも、たくさんの曲をありがとうございます、を伝えたい。
どうかどうか、お元気で。喜寿、おめでとうございます。
かがめる教師に
かがむ。声を聞くためにはかがむこと。
かがんだとき,どこを見つめるか。もちろん,子どもの目。
いや,ときどき,一緒にノートを見ることも,作品を追いかけることも,大事。
そして,何を見るわけでもなく,ただただ,子どもの声だけに集中することがあってもいい。
目を見つめ合ってやりとりすることも大事,
だけど,教師の目のメッセージのない,声だけで考える,
ほかに何もたよらない自分の心と考えだけでことばを伝える,聞く,
そんな時間もあっていい。
だけど,そばでかがんでいる。
かがんでいるけれど,そばにいるんだけど,今は声でつながる。
そんな関係もいい。
かがめる教師,かがめるからこそ可能になる「あいだがら」って,きっとある。
かがむこと。この誠実な動きのもつ奥深さにこれからも学んでいきたい。
学び続ける教師
学位授与式っていいものだ
見ましたよ,って?
孤独のせっかく昼グルメ~早岐編
お帰り,祥平
離陸までのわずかな時間
孤独のせっかく昼グルメ~唐津編
教室に生きる
理屈ではなく実践
大村先生のことば――
よく聞ける子どもにしたい。
それなら面白い話をたくさん用意していることです。
面白い話とはどんな話か。自分も面白いと感じる話のことだ。
だったら、面白い言語活動ってどんな言語活動か。
いうまでもない。やりたくないことをさせるなんてもってのほか。やりかたが複雑なものもいや。やりがいのないものなど押しつけないでくれ。
「先生、やってみて楽しかったんですか」「どこが工夫のしどころですか」「これって、役に立ちますか」って問われてきちんと答えられるか。
大村先生のことば――
子どもにとって
何が幸せといって
一人でしっかりいきていける人間に
育てられることぐらい
幸せなことはないと思います
間違いなく存在する教室の中のさまざまな「差」。教師がその「差」を気にしないことは残念なこと。教師が見逃すことは許されないこと。
子どもがその「差」を気にすることは残念なこと。子どもが差に萎縮することは許されないこと。
大村先生のことば――
たくさんのむだをしなければ、
ひとつの玉を拾うことは
できないのです。
できれば、その日の朝には授業の組み立てを決めたい。
だけど、それができないときがある。
教室までの階段、入り口までの廊下、
そのぎりぎりまで迷うことだってある。
でも、迷えることってぜいたくだ。幾通りもの導き方をもっているわけだから。
使わなかったてびき、「帰り道の二枚」、
使えなかったてびき、「生徒への質問にこたえるための数百種のことばたち」、
それをつくるためにかけた時間は気が遠くなるほどだ。
だけど、使わなかった判断をした爽快感に僕は満たされる。使えなかった気づきへの期待に僕は励まされる。
そして、何より使えた「登場人物カード」をいとおしく思う。
大村先生のことば――
「きょうはどの鉢に・・・・この鉢に」
草花の鉢植えの水やり。
同じ草花でも
鉢の中の土の質も量も同じでない。
だけど、どの草花にも花を咲かせたい。
どの草花も花を咲かせたがっている。
「咲きたいのです」の声が聞こえてくる。
その声を聞き、花を咲かせる。
それが教師の仕事だ。
大村先生のことば――
何々をしなさいと言わずに
いつのまにか
そうさせてしまえてこそ教師。
言語活動とは教師が問わない学び
言語活動とは子どもが自分に問う学び
しかし、
どんな言語活動でも子どもが問えるわけではない
ふさわしくない言語活動もある
ふさわしいくてもうまく出会わせることができずまずくなることだってある。
いや、そっちのほうがうんと多い。
ちゃんと単元びらきしていないのに言語活動のせいにしてはいないか。
教科書の言語活動を目の前の愛する子どもの姿で動かしてみる。教科書の言語活動を伸びようとしている子どもの姿で立体化してみる。
いつのまにか子どもが言語活動してしまっているようにすることが、教師の力だ。
大村先生のことば――
ありあわせ、
持ち合わせの力で授業をしないことです。
何かを加えて教室に入り、
何かを得て教室を出る。
僕の単元づくりや単元研究なんて薄っぺらいものだ。
何も加えられていない。
いい気になってはいないか、自分にたずね、自分をいましめなきゃ。
だけど、安房中の生徒からは大いなる教えることのヒントを得た。
23人の生徒は惜しみなく「教え方」を教えてくれた。
この教室から生まれた僕へのお土産をもう一度、返しに来なくっちゃ。
大村先生のことば――
「先生」
そう呼ばれるのに
足りるだけの人に。
さて、
まだまだだということが分かった今。
妙にすがすがしい。
次はどの教室に行くことができるだろうか。
2年生になった安房中の教室に来てみたい。
教室が仕事場でなくなった者が授業についてどうこう言うことは恥ずかしいこと。だけど、僕はまだまだ授業人でいたい。錆びついてしまわないように授業し続けていたい。
と、壮からメール。仲間の教室の風景が新聞に載ったとの届いた。
てらまい。丁寧な仕事のあかしです。
三月の椿
指月会 for たつゼミ
北の海からの贈り物
長崎は雨の朝
きょうはずっと校正という仕事をしていた。あまり得意ではない、はず。
まず、見直すということがじれったくなってきている。そして、コンピュータ画面に慣れ切ってしまっている。
だから、紙の文字をじっと見つめて、何度も何度も言葉を確かめて、しかも字数を数えることなんて、、、
が、これがめちゃくちゃ楽しい。楽しいでは済まされない。奥深い。夢中になる。やめられない。大好きだ。
って、大袈裟だけど、僕は校正が好きかもしれない。つくりたい。
とにかく、僕は雨の朝から日差しのお昼を感じながら、風ただよう夕方まで、ずっと部屋にこもって校正をしていた。ときどき、丸窓から海を見ながら。
それくらい、今、手がけている本づくりに魅了されている。
単著でなければ、という研究者がいる。
編著こそ生きてきた感謝と僕は思う。
みんなに支えられてここまで来た。あと少し。あと少しで、みんなと100年あとまで一緒にいられる。本を作るってことは、これまでの記録だけではなく、今からもずっと同じ本の中で生きていられるってこと。
そういうこと,のはず。
夕方の散歩道、見上げる大村湾の空は別格。どこまでも気分のいい日は、何もかもが気持ちいい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。僕は本のできばえの自信はないけれど、この本の中でみんなとみんなが一緒に居続けられることは、この上なく幸せなことだと分かっています。
ぐっとくる授業
やっぱり言語活動。
やっぱり言語活動モデル。
だから、やっぱり学習課題。
まず単元びらき。
何より子ども研究。
そして評価規準。
ああ、やっぱり学習課題。
僕のノート
(1日目)
・学習履歴-ありがとう集会-前単元-結びつける-場面ごと-今回は人物
・何を結びつけるのか-心に残ったところを探しながら聞いてください△
・登場人物すみれちゃんの絵カード・学習課題の提示
・Aフレーズの登場人物△
・誰ですか-すみれちゃんと書けばいい
・自分は自分の名前
・楽しそうだけど難しそうの声
・すみれちゃんって何が好きだったっけ△
・最後,もうすぐ「わたしは三年生」の歌を作ってみましょう。
・どんな歌を作りますか△
■言語活動モデルの制度
僕のノート
(2日目)
すっとする授業
きょうから第1期佐賀合宿。といっても泊まることはない。三日間連続で教室に学ぶ機会。
第1期の授業者は平田昌志。
平田昌志は子どもの声をすくい取るのが上手い。3分後の活動を先取って子どもをわくわくさせるのは見事。
じゃあ、30分後の見通しは?というのがきょうの課題。
授業は作られたものではないし作ろうとし過ぎるものでもない。だけど、子どもと創っていこうすることは大事。
子どもの声と一緒に創る。
子どもの感覚的で、少し足りない、だけど見事な気づきを含んでいる声をどのように言語化するか。教師が言語化したことをこれからはその子どもが一人でできるようにするにはどのようにかかわるか。それが果てしなく奥深く、限りなく楽しい。教室に働けることに慣れてはいけない。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。教室は僕の頭に灯りをともします。
授業のあと味がいいから
授業は私のもの,って生徒が言っている
いい一日になる。
まちがいない。
はじめまして。のあとはもちろん気持ちのいい緊張感。生徒もきちんと座っている。
単元びらき。僕はとにかく丁寧な授業をめざしている。
「じゃあ」のことばで,生徒が動き出す。
おいおい,「そんなに熱くなるの?『少年の日の思い出』の登場人物の整理だよ!」って感じ。
納得したら,すぐ座る。そして,僕の声に耳を傾ける。
気持ちのいい達成感。「じゃあ,足りないところ。もっといいこと考えたところ。確かめたいところをどうぞ。」
黒板のところに来る生徒。席で語り合う生徒。
だけど,教室はひとつ。みんながみんなの気配の中で学んでいる。僕はとにかく気持ちいい。
じゃあ,書いてみようか(言語活動のはじまり)。
「先生!」って,担任の先生を呼んでいるのかと思ったら,僕じゃん。
僕,絶対,かなりうれしそうな顔をしていたに違いない。
「また来ます。」の声を置いて,僕はこの中学校を後にした。
授業後,
こんなに幸せな気持ちになったのは何年ぶりだろう。
27人の生徒の名前,全部,言える。
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。のぞまれた仕事の小さな役割を果たせた気持ちです。
I did Good Job!って感じ。
ロケット発射!
さあ,屋久島。
都会
小さな小学校の大きな声
北海道から戻った日曜日、長崎は快晴。祝福の日曜日。
愛犬、久しぶり。
五島椿が咲いた。
こんな日は瞳をとじて黙想するのがいちばん。
一昨日の四つの学年の授業は、どれも僕たちを学びにいざなってくれた。
6年。「だから先生、しつこいくらい言ってたんですね。」この言葉は、教師の繰り返す学びどき(Aフレーズ)が子どもに染み込んでいた証拠。だからこそ、今、書き上げた文章のAフレーズにかかわった部分に線を引かせてみてはどうだっただろう。
特別支援学級。思考のスピードと活動のスピードのズレを子ども自身がコントロールできるような機会をつくりたい。ともすれば「同じ」を求めてしまう僕たちは、「違い」からはじめるのがいいのかもしれない。
3年。教師は、子どもが書いたことに感動するだけではなく、書けたことに感動しなくっちゃならない。量と質とスピード。とりわけ、書かなければならないことが書けたとき、子どもは書き切ったことに自ら感動する。感動を書くのではなく、書けたことに感動する。そのとき、「書いたもの」での不確かな評価ではなく、本当の意味で「書けたこと」を評価できるのである。
1年。30分間のひとり学びの進め方をさりげなく示したい。後半の協働学習になるまでの学びを例示して一緒にデザインしたい。そしてそれを黒板に書いておくことで、1年生は安心できる。
実はこれらのことは言語活動を通した学習に限ったことがらではなく、どんな学習においても有効なこと。
言語活動を位置づけた単元学習は、これまでのスタイルを打ち消す考え方ではなく、完成させるための提案なのだ。昭和22年試案、26年試案に始まった現代教育を整理統合した上に、今からの「教えること」がある。
子ども研究をうたうならば、子ども研究の方法を具体化しなければならない。主体的な学びの実現を目指すなら、主体的な学びに役立つ教師の仕事を明示しなければならない。
午後の3時間の協議はかけがえのない時間だった。僕はこの学校にまた来たいと思った。このメンバー、この仲間となら、もっともっと学びたい。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございました。北の丘の小さな実践は大きな声となり、北の大地に響きはじめています。
この小さな小学校の教師たちは、今、できていないことを残念に感じているのではなく、もちろん、やろうとしないことに逃げるのでもなく、できないこと、だけど今から必要なことをやってみることにひたむきなのです。そうすることが、これまでの「教えること」を点検することにもなることを知ってもいます。
できていないことが残念なのではなく、やろうとしないことが残念。
すでにやりはじめ、動きはじめ、高まっている小さな小学校の大きな声がどこまでも白い雪原に響きます。
この小さな小学校、かけがえのない「今」を創造しています。
そうそう、帰り道、空港までの寄り道で食べたほっき貝とほっき貝カレー。北海道にはまだまだ驚かされることばかり。
授業と教師の仕事
朝は日高昆布の出汁茶漬け。
「居酒屋 徳」での酔いは残っていないけれど、また新鮮な身体に戻った感じ。
さて、小学校到着。
「教えるということ」を再考することしばしば。
教えるということは、一人でも学び続けられる人に育てること。それに尽きるように思う。
だから、小学校1年生へのかかわりかたと中学生とのかかわりは同じじゃいけない。
同じ学級の中でも、同じように教えられる場合と個別にかかわらなきゃならないときとがある。それを時間がかかるからとか、準備が大変だからとか、教師の都合や子どものせいにし、たったひとつのだけの、思いつきのような計画で進めようとするのは間違っているように思う。いく通りもの手立てがあって、その中から最適な計画を選ぶことが必要だ。
言語活動を設定さえすればいいという考え方は間違っている。《私の問い》を立てさせれば主体的な学びになるというものでもない。振り返りましょうと言えば、どの子どもも振り返れるというものでもない。
もう一度「教えるということ」を考え直そう。教師の仕事を子どもを主語にして書き表してみよう。
そんなことをうんと考えたきょう。ホロシリ牛乳が妙に濃く感じる。
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。
さあ、北海道だ
ひとつめの乗り換え駅。
さあ,北海道。お昼過ぎには北の大地だ。
たった2時間ほど離れただけなのに,空港が凍ってる。
ホームが凍ってる。
そんな中,幸せなにおいただようお弁当屋さん。夏に来たときも気になってた「ほっきめし弁当」。
今回もがまんがまん。お昼はもう決めてある。
苫小牧。僕はこのトマコマイの音が好きだ。さて,どうにも気になる店に連れて行ってもらった。
五郎ちゃんが言うとおり,北海度のカレースープとお味噌汁の親戚のようだ。ラーメンに麩が入っている。
ちょっと,写真を失礼!
さあ,これから研修部と研究についての打ち合わせ。北海道の午後は短い。もう日が傾きかかっている。
夜はこの辺りでいちばん美味いと評判の「居酒屋 徳」へ。
お造りもジンギスカンの唐揚げもまあなんと美味いこと!
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。
授業を楽しむ
鹿児島の中学校で授業をする機会を得た。僕の授業力なんかすっかり錆びついてしまっているのに生徒の前に立てることになった。
単元は,甲斐利恵子先生の「ルロイ修道士への弔辞」を大いに参考にさせてもらっての「達富版 ルロイ修道士への弔辞」。
今回の僕の挑戦は,単元びらきの工夫。ちょうど今,プラハの日本人学校で祥平がとんでもなく壮大な単元に挑んでいることに触発されたのかもしれない。がんばろう,兄弟姉妹!って感じだ。
さて,単元びらきの工夫とは。
単元には大きく二つの出会いがある。一つは作品や題材,言語活動との出会い。もう一つは学びとの出会いだ。「もの」との出会いと「こと」との出会いと言ってもいい。言語活動は「もの・こと」の両面をもっている。「どんなものをつくるのか」と「どんなことをするのか」である。
各地で授業を見せてもらっていると,この二つの出会いが切り離されていると感じることが少なくない。どちらの出会いも大切だ。
さて,きょう。
僕は準備してきた音読で教室を動かしたり立ち止まらせたりしようと考えていた。
音読百遍。清原先生から習ったことだ。
ルロイ修道士の「今の思い」と「回想」が織りなすこの小説は,とやかく言うより声で感じるのがいちばんだ。その折々に今と回想を区別させる。
言語活動に活用できそうな部分を選ぶことは先ほどの区別の上にある。
選んだエピソードをどのように表すかは語彙学習の上にある。
語彙は学びとの出会いを深いところに連れて行く。
どのように読むか。
感動を声にするというよりは,書かれた小説を動き出させ,立体化させるという感じ。僕の感動を押し付けず,生徒の感動を無理に引っ張り過ぎず,小説のよさと出会うことで自分の読解に出会い,学びに出会うことができる。
もちろん,途中で学習課題とつなぐ時間をはさみながら。ここは教師の語りの力が必要。
そのためにも、素手で読ませない。読みのかまえをもって作品に出会う。国語の学習での読むことは,土日の読書とは違う。途中で読みたくなくなってしまっては大変なことだ。いや,読みたくなくなっても読み切らなければならない。読み切るためにはいい加減に読み始めてはいけない。読みのかまえをおでこのあたりに集めて一気に読む。読ませる。聞かせる。
音読百遍。必ずできる。
平和は愛のつながり
平和の鐘
アーケードで昭和のランチ
熊本のみち
京都
ひつじメール通信25-1
ついに来た!
こんな日が来るなんて!
いつもは「ひつじメール通信」の愛読者の一人だったのに,その通信に僕の名前があるじゃないか。
まだ,ゲラにも届いていない状態なのに。
「うれしい。」なんて,小学生の作文みたいな言い回し。だけど,うれしい。うれしいものはうれしいしか言い表せないんじゃ!
明日からは,子どもの「うれしい表現」を大いに認めることにしよう!
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。「ここからはじまる国語教室」産声をあげられそうです。ひつじ書房からの出版です。迷える小羊,羊飼いの声を聞き分ける小羊。僕は長いあいだ迷いすぎてしまっていましたが,ちゃんと僕を待っていてくれた99匹の羊の仲間に感謝です。
待っていてくれてありがとう。100匹でお祝いしよう。4月22日。
以下,ひつじメール通信25-1から転載
◆◇◆ひつじメール通信25-1◆◇◆
2023.1.11
いつもお世話になりましてありがとうございます。
「ひつじメール通信」をお送りいたします。
【房主】より
言語活動に焦点を当てる
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
現在、達富洋二先生編著の『ここからはじまる国語教室』という本
国語科教育という言い方の方が良いでしょうか。このことはちょっ
言語研究も、社会的なインタラクションに関する研究が社会言語科
記号としての言語、自立した体系としての言語という考えはありま
一方、日本語教育だと記号としての言語、体系としての言語を批判
私は日本語教育の潮流を批判したいのではなくて、国語教育の言語
袋かけみかん「夢味」は,「みかん姫」!
僕の妹分,いわく,「十二単を着たみかん」とのこと。
驚いた。
これは「みかん」ではない。「おみかん」,いや「みかん様」,ちょっと仰々しい,「みかんちゃん」,いや軽い。
風景とも馴染む。いいじゃないか。
で,お味は,,,
これで焼酎が飲める,って言っても信じてもらえないだろうけど,飲める。
とにかくかわいくてかわいくて,しかたがない。
結局,「みかん姫」と呼ぶことにした。しっくりくる。
ようこそ,我が家へ!PENNY LANEへ!みかん姫!
ありがとうございました。苓北からのみかん姫に,我が家はときめきの1月9日でした。ほんと,美味しい!
神さま,きょうもいつくしみをありがとうございます。明日,神さまにもこのみかん姫をお届けします。
小さな,だけど本気の研究会
片手があいた
少し大きな仕事を片付けた。
だから、片手があいた。この開放感がたまらない。仕事は嫌いじゃないけど、なにもないっていい。
と思っていたら、忘れかけていた仕事がどどどって、風の又三郎のようにやってきた。
原稿起こし、小学生の作文のてびきづくり、少年の日の言語活動、来年度のシラバスなどなど。
でも、まだ、片手が空いている気分。それだけでっかいことが通り過ぎていったということ。
よし、今夜は町に出よう。いや、庭で食べよう。
どうしよう。やっとクリスマスが来た感じ。
神さま、きょうもいつくしみをありがとうございます。望まれた仕事ができることに感謝です。
あのじいさんときたら
Quiet Quitting
寒い岬を思い出す
いつくしみをわたしたちに
贈り物
日本中から年の瀬
この学び舎に
Merry Christmas ! from Prague
ほどこしと感謝はコラボレーション
「お父さん、ありがとう」を言いやすいお父さんでありたい。
「大丈夫だいじょうぶ」と言えるお父さんでありたい。
「いつもありがとう」を感じられる自分でいたい。
望まれた一日を送れるよう大人でありたい。
今宵はごんぎつね
お好み焼きをいつ切るか
月曜日はLet it Be
コール・マリーヱ,美しき調べ
旅の帰り道
ようやく長崎本線。
いつもの赤いキャップをかぶった中央軒のおばちゃんが退屈そうにホームの向こうからこっちを見てる。
きょうは途中下車しないでまっすぐ帰る。
中央軒のかしわうどんは、もう少し寒い夕方のほうが値打ちがある。
創立記念日
建学の精神を思い起こし、これまでの成果を謙遜のうちに見つめる。それが創立記念日だと思う。
この大学に身を置いて学生と対峙できることに感謝して声を聞くことにつとめたい。
神さまきょうも一日をありがとうございます。
あなたの「育ち」に
月曜日が好きだ。日曜日の次っていうのが好きだ。僕を新しくしてくれる。
きょうの月曜日もステキだった。小さな存在として,弱い生き方として,自分を見つめる時は元気になれる。
午後,授業の中、僕はまた自分を見つめる。
「先生,見てください。」
この「ら」。この「ら」の変容。
字がととのったことより,この変容に気づき,それを感じることが何よりうれしい。
「先生,見てください。」の声が僕の身体にリフレインする。「上手くなったこと」より,「上手くなった瞬間に一緒にいられたこと」のほうがずっと幸せだ。
普段の「ら」が,よそ行きの「ら」になり,それがあたりまえの「ら」になる。このBeforeからAfterへの気づきと育ちがステキだ。
僕は,学び手の「育ち」が大好きだ。みんなの「育ち」ほどステキなものはない。ステキは感謝の賛美の内にある心の動きだ。その瞬間を,いちばん近いところで感じることができる月曜日に感謝。
学生がつくる授業!
いいじゃないか!この学びの工夫。
なにもかもが僕の予想を超え,でも,それがあたりまえのようにここにある。ステキの連続。
今週は木曜日も日曜日も長崎。
出会えた学生に感謝。目の前の学生の姿に賛美。育ちゆく学生にもう一度,感謝。
少しばかり大きな仕事を終えた僕は,「僕は何を望まれているか」に耳を澄ましながら月曜日を過ごしと。
不器用な授業だったかもしれないけれど,不躾な語りだっただろうけど,だけど,また,少し近づけたことに感謝しつつ,来週の授業のことを考えている。
神さま,きょうも一日ありがとうございます。大村湾にかかるお月さんを見ながらの帰り道は,行くときよりもずっとずっとこころ穏やかです。きょうも一日に感謝です。
12月4日
いざやる、せいかる。新しい言葉を作ることには消極的ですが、今朝はこんな気分。
神さま、きょうも一日をありがとございます。
きょうもLet it Be
待降節
きょうからは待つ時間。
待つことって楽しい。待てる自分ってうれしい。待ってくれる人がいるなら、必ずその場所に行きたい。
来てほしいというより、そこに行きたい。今もそう思えている僕は、まだ元気なのかもしれない。
君の街に行くよ。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。
大阪,ええとこや
朝の万博公園から届いたすてきな写真。
きょうは大阪。大阪弁でやったるで。
いつもの下駄箱に,いつもより歓迎されている感じやん。
手紙まで置いたあるやん。
ということで,素晴らしい授業と分科会。
1年生のふたつのクラスに見られる入門期後半のそれぞれの伸びと共通した育ち,
ふたつのクラスを合体させた6年生の大所帯の授業に見られるたくましさと,確かな軌跡。
「味生小学校だからここまでの学びができるんですよ。うちじゃ無理です。」なんて,誰が言っているんだい。
「そう,味生小学校だからできるんです。味生小の教師たちだからここまで育てられたんです。」って,僕は言ってやるぞ。
つらいときもあった,とがった言葉もあった,どうすればいいか分からないときのほうが多かった。だけど,そんなこと忘れそうになるくらい,きょうの味生小の教師たちはかっこよかった。
応援団長なんて,えらそうな肩書きはやめだ!僕はふつうに味生小の教師たちのファンやっていることが似合っている。
また,サッポロに行かなあかんな!
神さま,きょうも一日ありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。
京都の夜はだるま
こんな月曜日は、Let It Be
きょうは長崎。授業そのものの手応えよりも、学生と息づかいを共有できたことの安定感がうれしい。
とにかく、この教室に任せるしかないと考えている。僕の都合ではなく教室の事実。
それが「きょう」を作ってくれた。僕が「きょう」を作ろうとするのではなく、いつのまにかある「きょう」に気づいただけ。
確かに、ここに「きょう」がある。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。確かに、ありました。きょうが。
はじめてのもの
天草に来ることはあたりまえ
ストーブの音
今年はじめてのストーブ。僕のお気に入りのアラジンに火を入れた。
石油を入れる音,火を入れたあとの火が馴染んでいくまでの音,火が調うまでの音,筒を立てるときの金属音,炎が背を競い合う音。
だけど,何よりも好きなのは,アラジンの上にやかんを置いたときの音。やかんの底についていたしずくがストーブとやかんのあいだでつぶやいている。こいつが朝いちばんに僕に語りかけてくる声。
おはよう,きょうもいい一日になります。
神さま,きょうも一日をありがとうございます。