たつログ

ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。

えとせとら

鞄をさげて,さあ天草。

天草。

フェリーをいちばんに降りるのははじめて。僕だけの天草に降り立つような気分になる。

途中,迎えに来てくださった教頭先生との珍道中。迎えてくださった先生。研修をご一緒した先生。みんなみんないい人ばかりだ。やっぱり大好きな天草だ。

そして,夕方。

いつもの松屋旅館。

築100年の階段に僕の鞄がよく似合う。

熱い熱い,天草。

実は愛読書

届いた届いた愛読書。

お料理するわけでも,食べくらべするわけでもない。眺めているだけ。

肌寒い梅雨だけど,この雑誌には真夏が見える。

日本の季節は旬のお料理にある。

確かな大地

きょうの午後は長崎西海。大地の授業。子どもが学ぶ授業。きちんと教える授業。楽しみでしかたない。

まずは子どもの声を聞くこと,教室の声を聞くこと。

そして,教師の願いを語ること。

静かだけど,動いている。浸っているから熱い。みんなで学んでいるから,一人一人が考えている。

単元びらきをここまで子どもと一緒につくるあげることは簡単なことではない。いつもの姿が見える。特別じゃないきょうが見える。間違いない明日が見える。

いい授業,いい教室に居られたことに感謝。

そろそろやめよう。

教師の都合に子どもを手繰り寄せるようなワークシートをやめよう。

教師の思考をなぞらせるだけ。子どもは考えない。大人の最短距離に引き込むこと。大きな失敗はないけれど小さな学びの積み重ねもない。単調なことをこなすだけ。教師の教材研究の結果を再整理した表の穴埋めに終始する時間。

そろそろ、こんなことはやめよう。

学ぶということ

いくつになっても学ぶことは尊いこと。

昨日の先生たちが,きょうは学び手になっている。とっても自然に二刀流。

そんなのあたりまえでしょ。っていう毅然とした姿勢に凜とする。

さあ,帰ってきた。この次,スーパーバイザーに変身するまで,僕ももうひとがんばり。

観覧車に乗せて

僕はこの学校のスーパーバイザー、らしい。といって、実はスーパーバイザーって何かよくわかっていない。その名前の意味はわかっていないんだけれど、僕はここに生きている教師たちのことが大好きだ。

毎回、下駄箱に小さないたずら心のこもったメッセージを添えて迎えてくれる男がいる。大村はま先生や有田和臣先生に学び、菊池省三先生に師事している勉強家で恥ずかしがり屋の大男がいる。自分のことはいちばん後回しにして職員のことに心を寄せる姉さんがいる。

とにかく目の前の子どもにがむしゃらに付き合っていく教師たち。若手も新任もベテランも、一気に集まる、一心に取り組む、ひとつになって子どもを守る。そして、みんな涙もろい。語気を荒げながら子どものことを心配し、目尻を下げて子どものことを語る。この教師たちの身体の中にはいつも子どもが棲んでいる。

自分は教師なんだと権威を振りかざす乱暴ないばりん坊など一人もいない。授業を固定化した自分勝手な見方だけで評価するような権力者はいない。子どもを見ようともしないで決めつけたように子どもを語る横着者など存在しない。誠実な仕事人ばかりがここにいる。

こんな学校、ほかにどこにもない。どこにもありはしない。

だから、もう少しだけがんばろう。

僕はこの教師たちと同じ時間を生きていることを誇らしく思ってる。

万博公園の観覧車が遠くに光っている。少しだけ遠回りしてホテルに帰ろう。

きょうの余韻をあの観覧車に乗せてくるくる回してみたい。この余韻を光の粉にしてみんなにふりかけたい。教室の感動って、本当に美しいんだって、観覧車のてっぺんから叫びたい。

ありがとうありがとう、ありがとう。

神さま、幸せって無限なんですね。無限っていいですね。神さま、無限って不器用なんですよ。

神さま、きょうという一日をありがとうございます。ふつかはやい七夕。今夜、教室の織姫とプールサイドの彦星に会えました。

本当に幸せです。

いいことありそう

朝からメール。

壮から、8月は壮の発表に浸ることができる。鶴首。

宮脇さんから、鹿児島の雨も落ち着き、昨夜はゆっくり床についたとのこと。安堵。

大地から、西海は達富のホームですよとのメッセージ。7月10日を心待ち。

松尾から、やる気をあげた姿が目に見える。さらに応援。

そして、松尾に粋な配慮の中尾。大人としての支えを実行している中尾に感謝。

さあ、これから大阪。谷本。スーパーバイザーとしてかかわらせてもらってる教室へ。

いいことありそうな、いや、いいこと続いている金曜日。

神さま、ありがとうございます。

やっぱり教室

きょうは論理学の授業を2コマ。180分。

12時を過ぎて終了。手ごたえ、抜群。心地よい疲労、たっぷり。学生の満足感、あったように感じる。

ここ数週間、この180分のために費やした準備の時間はその10倍以上。

午後、芥川の羅生門を扱った高校単元づくりの授業。90分。

夕方。手ごたえ、満足。教えたという感覚、ぴったり。学生の充実感、高まったと感じる。

ここ数週間、芥川を読むことしばし。昔読んだ全集を棚から取り出し、書斎を散らかしていた。

やっぱり、教室。そして、教室に生きるには準備。準備にかける時間。

今夜のビールは美味しいはず。

牛乳石鹸、よい石鹸

新しい石鹸を使いはじめる日のお風呂は格別。昨日までと同じ香りのはずなのに違う。角張ってる石鹸は若い。はつらつとしている。そうであってかつ妙なみずみずしさがある。

お風呂あがり、世界でいちばんきれいになった気分。

牛乳石鹸、よい石鹸♪

歌いながらつまらない一日を洗い流してる。

酒飲んでねるぞ、

教室で生徒と学びを創り上げている教師を応援したい。それだけだ。僕に立派な理論があるなんて思ってはいない。系統だった指導方法を語れるわけでもない。ただ、子どもの学びを見つめる教師と生きたいだけだ。

それなのに、きょうは誠実な教師を讃えることも励ますことも守ることもできなかった。

そんな自分にうんざりだ。なんと情けないことだ。自分が小さく小さく感じる。

数学教師のMさん。その誠実な気持ちがいちばん。学習の振り返りのとき、一人一人に合わせた言葉かけはMさんにしかできない絶妙な指導でした。逡巡しながら言葉を選び、タイミングをはかり、生徒に言葉を届ける。見事でした。数学の授業でありながら生徒支援の時間。生徒を達成感に近づける時間。

頼りにはならないけれど、僕はずっと応援しています。どんなことでも「言われやすい自分」であり続けることは大切だけれど、瞬時のマイナス評価などには耳を貸さず、誇り高く生きていきましょう。

教室を語れるのは教室に生きている者だけ。僕たちは教室の中に居続けよう。教室、それは僕たちの人生です。

こんな日こそ、神様、一日をありがとうございました。

桜島から

あくゆうからの贈り物。桜島の溶岩板。炭火でじっくりと熱を伝え,新鮮な食材を乗せる。

美味い!

雨の日曜日に濡れた紫陽花を見ながら昼からサッポロ★!なんとも贅沢だ。

ぺろりと平らげた。こんなに素敵に焼けるなら,,,と,ウインナーを乗せてみた。

これまた美味い。★がすすむ。紫陽花が光る。

ありがとう,壮。そして薩摩の友。金蘭之契。大切にします。

夏に,みんなで一緒に楽しみましょう!

学校

教室っていいもんだ。

何気ない空間に児童との信頼関係が見える。

確かな時間に生徒の育ちが見える。

安心感のある学校。そこに居られ,同じ空気を吸っていることが幸せだ。

神様,きょうも一日をありがとうございました。

ひさしぶりです

少しばかり雲隠れ状態が続いていましたが,完全復活。

とってもとっても素敵な写真をアップ。長崎時津東のタケNatchanのクラスから届いた写真。

たからものです。

はじめまして,ひさしぶり!

今週は教室。きょうは小学校。

午前は佐賀市内。

休み時間に6年生がホワイトボードに書いている。言語活動をすすめている。両面からふたつのグループが書いている。ただただ,書いている。

4年生が語ってる。先生と語ってる。先生の目を見つめ,ただただ声を届け,声を受け止めている。

教室で,こうだから魅力的だ。主役は子ども,主役は教師,どちらも主役。それが教室。

ということで,お昼もとらず移動。

午後は鹿島市。

妹みたいな担任がこっそり言っていたみたい。「たつとみ先生が来るよ。」って。

だから,

書いたものを持って集まってくる。「たつとみ先生,この文末いいでしょう。」って。

初対面なんだけど,答えている。「うまくなったやん。」

妹みたいな担任からこれまで聞いていた子どもの姿どおり。

やっぱり,教室はいいなあ。

神様,きょうもありがとうございます。恵みにあふれたいちにちでした。

虎屋に乾杯!

僕の教え子の南慎太郎。

いい男になった。職人になった。いや,小学生のときから慎は職人だった。

僕の中にぐんと入ってくる職人。そして,今,五島を愛する職人になっている。きっと花ちゃんも慎のことが大好きになるはず。

さあ壮,コラボレーションだ!

始発。行き先は鹿児島。壮のはたらく中学校。

壮が書いてくれた墨書が僕を待つ。力強さは優しさを秘めている。

まずは教室。とにかく話しかけるのが達富スタイル。声を届けるのがだいいち。声を聞くために語る。

日頃の壮の指導がどれだけ生徒に響いているかは一瞬でわかる。声がここまでまっすぐ届くから。

だから,この教室にずっと居たいと思った。ありがとう,郡山中学校2年1組のみなさん。そして,壮。

次のコラボレーション単元はいつにしようか!

帰りは椋鳩十の店で少しだけ喉をうるおした。先ほどの授業についての河野君からの質問が心地いい。こうして,授業が意味づけられ,授業参観が言語化されていくんだ。

授業は一人で行うのもいいが,観てもらうのもいい。そして,語り合うことがなければならない。

神様,きょうもありがとうございます。恵みにあふれたいちにちでした。

5つのパン

心がかさかさだったから,しっとりとしに来た。

心がしっとりしたら,昨日までがしっかり見えたし,明日が楽しみになった。

神様,きょうもありがとうございます。恵みにあふれたいちにちでした。

必ず来ますから

大分行き特急ソニック。

きょうは宇島小学校

丁寧なそして,静かな中に熱気のある授業にふれた。そのあとの先生方との協議の時間もうなずきの中に問いかけがある空間だった。

「また来ますから。」という僕の声はお愛想ではない。必ず来たい,っていう声。

必ず来ますから。

やっぱり,ヤフ!ド

勝った勝った勝った!と思ってしまう延長引き分け!やれやれ。

やれやれの続きは,といえば。

熊本からも参戦!

これまた,延長戦!

2019年6月16日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

やっぱりかっこいい

帰り道,かっこいい車をみつけた。うっとりする。自然の中にあってこれほど溶け込む人工物はない。

来年のこの季節は交渉してみるつもり。ちょっとだけ運転させてくださいって。

そうそうきょうはいいものが届いた。

上五島からの新聞。花ちゃん校長の「きらりびと」@今里小。

応援してるよ!

この新聞を届けてくださったはひとみさん。ありがとうございます。

なかま

I know it ‘s a bit late but happy birthdayHope you have an amazing year ahead!

のメッセージを添えてこんな素敵な動画の贈り物が届いた。

「とってもうれしい!」って言葉は,手持ちのあたりまえ過ぎる言葉だけど,これで十分。これがいい。着飾らない言葉はありきたり過ぎるんだけれど,やっぱり「とってもうれしい!」。うれしいは「うれしい」だ。

このうれしい気持ちが仲間に届くといいんだけれど。

ありがとう。ありがとう。コトジ、ギターありがとう。

神様,きょうもありがとうございます。恵みにあふれたいちにちでした。

いくつになっても

この日ばかりは吉田拓郎さんの「いくつになってもhappy birthday」が朝の曲。我が家のリビングのお気に入りのB&Wのスピーカーで鳴らす♪

きょうは,近くの野市に行って,そこで干物と買ってきて,そのあと庭の芝生の手入れをして,きれいになった緑の上でサッポロビール★を10本飲むつもり♪

紫陽花もたくさんの種類が咲いてきた。毎年恒例のPENNY LANEの紫陽花アルバム。

来週になったら,もう20種類は咲きそう。

と,お昼過ぎ。宅急便のK君も「きょう,お誕生日なんですね♪」と荷物を届けてくれた。

子どものメッセージの書き込まれたnonnonの箱。気に入るに決まってるゾ!と,ご機嫌。

予定通りの庭食べ。野市から連れてきたイカの一夜干し,きびなご,干しカレイ。それと子羊。しいたけ,などなど。しあわせ♪

いくつになっても誕生日は一年で最高のいちにちだ。

夕飯前には,お袋と兄貴とも電話で話した。みんなの元気な声がうれしい。兄貴の誕生日は6月10日。子どもの頃は,一年おきに9日と10日にお祝いをしてもらっていた。そんな懐かしいいちにちを思い出しながら,11本目のサッポロビール★で乾杯!

今年も届いた教え子からのエッセイ集。いつもいつもとりまとめをしてくれている賢治にも感謝。こんなの読んでいるとまたまた★がふえてしまうよ。ヒロ,りゅう,あや,かおり,賢治,DO,恵理子,ぐ,なほ,直子,真美,源,みっち。元気にしていますか。ありがとう。

たくさんのメールありがとうございました。キリ!日付変更線ぎりぎりのLINE,うれしかったよ。何年たっても,年の差は変わらんから,ずっと,いちばん年の離れた友人でいてちょうだい。

誕生日,ありがとう。

2019年6月9日 | カテゴリー : 家族 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

それでも

吉田拓郎さんの「夏休み」という歌に,「それでも 待ってる 夏休み」というフレーズがある。ちあきなおみさんの「喝采」に,「それでも 私は きょうも恋の歌 歌ってる」というフレーズがある。

ぼくは「それでも」が好きだ。誰かに言う「それでも」は好きじゃないけど,自分に言う「それでも」は自分への賛歌だ。「それでも」。自分が自分に言い聞かせている。僕が僕に言い聞かせている。

まるで,到着駅に着く直前,ゆっくりになった列車の窓に映る自分に語りかけるように。まるで,その地を去る列車,スピードを上げる窓に映る自分の顔に眼を閉じるように。

上手くいくこととそうじゃないことは,そうじゃないことのほうがうんと多いけれど,「それでも」僕は,明日を生きる。

そう,
「それでも,きょうも,授業をしている」。

トラック

ひさしぶりに何にもない日曜日。ゆっくりしたいけど,きょうを逃すと,次の休みはお盆。だから全力でゆっくりすることにした。

何かしなきゃ。何がしたいんだろう。

何もないから,,,何かすることを決めるのに気ぜわしい。

ということで,トラックに乗せてチビたちとドライブすることにした。

おとなしく風を感じている。雨が降る前に遠出。いい気分。

トラックのあとは,芝生。雨が降る前の外遊び。贅沢。

夏になったらトラックで海に行こうな。

何もない日曜日は,何もできない日曜日。

土と生きる

佐賀平野から県境にむかって走っていた。誰もいない国道ぞい。雨のにおいがする。

僕はこんな景色が好きだ。

授業が上手くいった日の夕方は,仕事人としての同じ快感をこんな景色に重ねてしまう。一日の終わりを同じように閉じようとしてしまう。

チョークしか持たない仕事とは思っていないけれど,土と生きている仕事がとてつもなく大きな,そして尊いものに感じる。憧れている。畏れている。

そして,やっぱり,こいつに乗って運転してみたい。ひそかにねらってる。

次の声のために

ひとりはずっと作品を読んでいる。ひとりはひたすらノートに綴っている。そしてひとりは電子辞書で言葉の世界にいる。

これがグループ学習のなかの個の時間。

このとき,教師の言葉かけはひかえるべきだと思う。じっと,子どもの学びを見とどけたい。

次の教師の出番のために,子どもの学びを記憶しておきたい。言語化しておきたい。

教師の次の声のために。

平易平明

自分が分かっていることを相手にわかるように語るとき、心がけることはつかう言葉のふさわしさと、言葉の並べ方と、声の届け方。

易しい言葉がいいというわけではない。思いついた順でいいというはずはない。いつも同じ声でもいけない。

少しつかいなれない言葉でも、少し間があいたとしても、普段と違う声の態度がいいこともある。

のんきそうじゃないか

僕が気球に向かって言ってるんじゃない。

たぶん,空からみれば,僕はずいぶんとのんきそうに見えているはず。だって,もう何分も眺め続けているんだから。

僕も飛びたい。

さあ行きましょう

勉強をするというのは何歳になってもいいものだ。小さな自分と柔らかい自分に出会える。

さあ、行きましょう。

明日は、大学で教員免許状更新講習(中学)。

クリームパンを旅に連れて

きょうのお昼はクリームパン。古くて小さなパン屋の気に入っているひとしな。

先からかじるんだけど、いつまでクリームが出てこない。うなじから背中にかけて静かなパン。ところが、おなかあたりまでくると、急にずっしりとしたクリームが流れてくる。そいつを舌でペロリと上手に操りながら食べ切るのが好きだ。

さあ、きょうは長崎。また人に出会える。

ということで、今は帰りのJR。さっきまでの余韻にふれながら、ひとりの帰り道。

「たのしかったなあ。」って、小学校3年生で野球を始めた帰り道と同じ感覚。

僕は教室で生きていく。そう、教室に生きていく。それだけ。

麦秋

麦畑に蝶々が飛ぶ。どこまでも広がる黄色い世界を愉しんでいるのか,迷ってしまったのか。

もう少し高いところを飛べばいいのに。ちくちくしそうなすれすれを飛んでいる。

ということは,やっぱり愉しんでるんだ。

白い点を追いかけながら,僕は気温27度の5月に立ち止まっている。

青い空の下で

学内で写真を撮っていたら学生に声をかけられた。

「先生,何,撮ってるんですか?」
「ラクウショウとその向こうの青い空。」
「僕も自然を愛でられる人になろうっと。」

って,言った彼。何処まで本気かわかんないけど,その後の僕の授業はすこぶる熱心だった。

学ぶことって尊い。教えることって,,,やっぱり好きだ。

みんな,ありがとう。

こんな日は遠回りして帰ろう

きょうも誕生日の人がいる。一生懸命に自分の生命を育てている人がいる。

一生懸命の人,健気な人,愚直な人。

みんなに祝福を。

神様,きょうもありがとうございます。

人が好きやけん

筆で描いたような空。

きょうは教員免許状更新講習があった。30名の先生がたと熱い6時間をつくりあげた。

僕はやっぱり教えることが好きなんだろうけど,人と話しているのが好きなんだと思う。そして,人に魅せられているんだと思う。

はじめまして,だったのに,夕方が悲しかった。

言葉はどこまでも

ちょっと,寄り道した。

唐津の勉強会も熱かった。言葉が何処までも届いていくような気がする。

言葉の権威は話し手ではなく,聞き手にある。だから僕は謙虚に話そうと思う。思っている。思っているはず。

いや,きょうはいつも以上にそう思った。だから,聞き手が心を寄せてくれたんだ。

ありがとう,古川さん。

 

天草は思ったより近くて

口之津から鬼池へ。フェリーに乗ってる。もちろん口ずさむのは拓郎さんの落陽。

泊まるのはいつもの松屋さん。築100年の廊下は何人もの旅人の心を抱きかかえたはずだ。

あまくさの会は熱い。今夜も20名を越える先生たちが集まってくる。ぼくも,それ以上に熱くなる。

勉強2時間,食事2時間。その後は,寝静まった天草の町に出かけた。

どこにでも表れる仲間。それが心地いい。

神様,きょうもありがとうございます。

僕はいま

駅に向かう車の音楽。僕のスマートフォンにつながったスピーカーからはQueen。

今朝の心境とは少し違うかと感じたんだけど、そうじゃない。

We are the champions – my friends.

そう、まさにそう。

And well keep on fighting – till the end.

やるしかないんだ。時間がないんだ。

僕はいま、東に向かう列車の中。

届いた写真

素敵な写真が届いた。きょうも神様の祝福を。

我が家の柿の葉もみごとな色!

芝生も青。

キャンプ場も中尾や西原を待っている。

すてきな親子もはやく遊びにおいで!おじさんがくちゃくちゃにさわりまくってあげるから。

ジョー,復活

こんなスクショしてるだけでも幸せ!

ジョー,2安打おめでとう!ナイスリード!明日もスタメンで!

2019年5月11日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

愛に包まれ祝福を

5月10日。僕は東へ。

大事な人と大事な人の大事な人に会いにいく。大丈夫だいじょうぶ。

神様、二人に祝福を。

大丈夫だいじょうぶ。

緑の光のまぶしさにも夕焼けの懐かしいにおいにも感謝。

神様,僕に声を届けてさせてくださってありがとうございます。

K先生と歩いた道

この道はいつか来た道。

「達富さん、連休が終わってしまいましたな。冷たいビールでも飲みたいですな。」

そんなK先生の声が聞こえそうだ。

あざみ

連休明けの朝。あざみが咲いていた。連休中も咲いていたはずなのに今朝になって気がついた。

休みの日に浮かれていた証拠。見えなかったんじゃなくて見ていなかったんだ。見ようとしていなかったんだ。

だめだよなあ。

令和のしごとはじめ

半年ほど温め続けていたことがある。

昨年末、「調」という漢字の勉強をしていた。「調」を「ととのえる」と読むことは知っていたけれど、「調」を深く調べれば調べるほどこの漢字に惹かれていく。

調整、調理、調達、調律。

「調」、いい漢字だ。深い意味だ。この漢字を使って論文を纏めたくて仕方がない。

以来、練り続けていた構想を綴ってみた。使いたい言葉がきっかけで思考が立ち上がってくる。言葉が僕を形づくる。そんな言葉に出会うと贅沢な気分だ。

連休中、5月1日と5月5日は机に向かう時間をつくった。そのかいあって、令和のしごとはじめは調子よくすべりだした。

ととのえるというのは、整理整頓だけではなく、必要なものを必要なときに必要なだけ必要なように揃えること。まさにこの瞬間をやりがいのあるようにこしらえること。

調えられる大人になりたい。

神様、きょうも一日をありがとうございます。

さあ、子どもの日

PENNY  LANEの子どもの日。

にぎやかだった昨日とはうってかわり、静かな空を見上げる僕は、子どもの顔と教え子の顔を空に映して語りかける。

僕は子どもの前に立つ大人としてずっとちゃんとしようと思ってる。

PENNY  LANEに日が沈む。子どもの日、ありがとう。

かつて子どもだった大人の日

親子でカヤックを楽しむ。

焼いて食べて、食べては飲んで、その間、語りっぱなし。楽しすぎる。

間違いなく屋根より高い鯉のぼり。泳ぐ泳ぐ。

濡れた身体には焚き火。

夜はキャンプファイヤー。花火を見ながら、星空を見上げながら、やっぱり僕たちは語り続ける。

子どもの日はかつて子どもだった大人のための日でもある。みなさん、また来てちょうだい。いつまでも友だちでいよう!

神様、きょうも一日をありがとうございます。

さあ,明日は「子どもの日」イブ

明日の準備はできた。

あとは,このベイスターズの旗を降ろして,鯉のぼりを泳がせる!

そうそう,ちょっと庭にテントを張ってみた。以前は毎週これで各地を旅してたのに,,,

神様,きょうも一日をありがとうございます。

どこまでもひろがれ

我が家の銀杏が手を広げている。こっちだよって。

子どもの手のひらのようなこの木を見ていると,「ぼくらはみんな生きている♪」が流れてくる。どこからともなく。

そう,みんなみんな生きているんだ,ともだちなんだ。

今,憧れていること。それは天気を見分けられるようになること。

新しい時代を生きる

これまでに感謝、これからに感謝。事実を信じ、過去を許し、新しい時代を悠々と航っていきたい。

神さま、ありがとうございます。

僕はもう少し愚直で小さな自分であり続けようと前を見ています。

新しい明日に祝福を!

陶器市

5月の連休といえば陶器市。今年もなかなかいいものを見つけた。これで明日からの庭食べが愉しくなるはず♪。

プロ野球はしばらく見ないことにする。

雨に唄えば

連休の三日目は雨。

僕は雨の日のドライブが好きだから,きょうは賢治を連れて馴染みの店で定食を食べてきた。

帰ってきたら庭の小手毬が雨の中で揺れていた。一枝,手折ってリビングに飾ろうと思って「花は咲く♪」をくちずさみながら,少し濡れて庭を歩いた。

Bay Stars もトンネルから抜け出したから,今夜は久しぶりに高城俊人の応援歌でも歌いながら SAPPORO★ でも愉しもうっと。

壮!粗相野!赤城ィ!元気にしてるかあ?宏ちゃん!中尾!大地!ミゾ!太イチロー!飲んでるかあ?

庭仕事

これは我が家 PENNY LANE のエントランスに置いてあるScrap Art のにわとり。奥には五島列島のたこつぼとギヤマン。

さあ,この連休はこれを研いて芝を刈って山で木を切って薪をこしらえようっと。

ということで,賢治と汗まみれ。

さてと,

これからはじまる休日。まずは部屋の片付け。我が家の図書室の丸窓からは初夏の風景。

もうすぐ京都からゼミの卒業生がやってくる。三日間,賢治と人生の話をするつもり。もちろん右手にはサッポロ黒ラベル。男は黙ってサッポロ★ビール!

お誕生日おめでとう。

クリスマスよりもお正月よりも復活祭よりも誕生日。僕は誕生日が好きだ。この日ばかりは、一日を胸張って、深呼吸して、きょろきょろしないで少しばかり背が高くなった気持ちで過ごすことができる。

きょうは僕の大好きな友だちの誕生日。

おめでとうの言葉では物足りない。だって「ありがとう」の気持ちも多いから。「よかった」って気分も加えたいから。

いろんなことを、いろんなことが、そして、もっと大切なことを経験し、実現し、夢見ることを教えてくれた友には「ありがとう」も「よかった」も大切だから。

「おめでとう」って、「ありがとう」に似てる。「よかったね」に支えられてる。きっとそう。

同じ時を歩むことができた奇跡に感謝します。そして、これからも同じ轍を創っていけることに感謝します。なにより、出会えたことに感謝します。

本多ひとみさんに祝福を。

サプライズを企画してくださったタケなっちゃんや花ちゃんに感謝。

とにかく友

今夜はあくゆう。人懐っこい顔が手強い。

壮は今夜も元気。部活での心残りな出来事がますます彼の心を美しくする。壮の口から出る言葉に生徒へのネガテイブキャンペーンはない。

ヒロシの言葉への頑なさが僕は好きだ。「言葉」が話題になったときばかりはヒロシがかっこよく見える。

粗相野。これほどまでに丁寧な男はいない。Queenが好きなのかThe Beatlesが好きなのかは不明だけど、生徒が好きなのは間違いない。今夜のレノンのTシャツ、似合ってたよ。

むらながさん。生徒の見方や考え方についての誠実な観察は圧巻。そうなんだよね。そうすればいいんだけどね。と、みんなを教師一年目の姿に戻してくれる。

鹿児島の友とその友と、そのまた友との出会いの夜は、僕が鹿児島にいるという事実。

ありがとう。鹿児島の友。鹿児島県のあくゆう。

翌日の中学校の教室。

学ぶ姿はいつも美しい。

僕も中学生の前で,

ありがとうの気持ちだけだ。もうしばらく僕は鹿児島に浸りたい。

我がよき友よ

いい天気。

こんないい天気の日はカヤックで海遊び!とはしゃぎたいところだけど,きょうは佐賀。

ひさしぶりの佐賀でのがぶ飲みの会。いや,佐賀 指月会。午後1時半から4時間の勉強は花の頃の頭に心地よい。勉強することで春の終わりに気がついた。熊本から駆けつけてくれた友に感謝。佐賀の仲間に感謝。きょうの一日に感謝。

そして,がぶ飲み。

神様,きょうもいちにちをありがとうございました。

#NAGASAKI こいつがともだち

ひさしぶりの長崎。「ちょっと間があきましたね。」と,仲間の待つお店に着いた。

何をどんなふうに語ったのかは覚えていないけれど,確かに3時間以上の時は熱かった。

大村はま先生から習ったこと,大村はま先生が書かれた書籍に学んだこと。自分がしてきたことを言語化して伝えるのがこれからの僕の仕事だ。

そんなことを考えながらの最終。いつもならこのホームには花ちゃんがいるのに,,,,と思っていたとき,小さな声。「先生,どうですか」

ふり向いたときに見えたサッポロ黒ラベル。再びホームに降りて乾杯。

こいつ,僕のいちばん年の離れた友だち。

神様,ほんとうにありがとうございます。

門司港

なぜか懐かしい駅。

この町は昭和が漂っている。

2019年4月11日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

天草、そして島原

 

いつもの宿。

いつものフェリーターミナル。

そしていつもの島原半島。

昨夜の学びを繰り返して帰る。この時間がたまらない。一人一人の先生たちの名前を呼びながら、昨夜の学びを繰り返してる。

窓の向こうに石積みの風景。

    

神様、きょうも一日をありがとうございます。

天草に学ぶ

午後6時。定刻に集まる。上天草から下天草から。牛深からの赤城ィは着替える時間ももったいない!と、ジャージのまんまだ。抱きつかないけど抱きつきたくなるいい男だ。抱きつく代わりに背中を押してやる。

「天草ですね。」「天草です。」「顔なじみになりました。」「私たちもです。」「深まりましたもんね。」「なんかできそうな気分です。」

前回、熱く熱く語った若い女性教師が同じ場所に座ってる。マスク姿が心配だけど花粉症かな。体調は悪くなさそう。小さな子どもはどうしたんだろう。そんなことを思い巡らせている僕に「この言語活動がしっくりきません!」の声。

僕が学んでいる。僕が育ててもらっている。

この春、定年退職を迎えた僕の大好きな大ベテランから甲子園のベンチ入り経験者の若手まで。新しい時代が来るのを待っているのではなく、こちらから迎えにいこうとしている天草の教師と一緒に今年も僕はここに通うつもりだ。

長崎の鐘

きょうは長崎大学での勉強会。家を早く出て朝の長崎を歩いた。

歩くだけでいい。それだけでじゅうぶん。

神様きょうもありがとうございます。

山桜の向こう

淡い桜色の花弁と桜色が染み込んだような若い葉。山桜は桜色の協奏曲。

「また春が来たね、」

そう、また春だ。

自分の授業に学ぶ

「明後日の会」は定期的に授業リフレクションを行なっている。前回は確か2月の半ばだった。

きょうは本年度の総括としての授業リフレクション。

 

授業当日を再現し、ビデオを流し、その時見たこと聞いた声、思っていた心の内を言葉にする時間。

予定していた時間をはるかに超えて語り続ける教師。

残された時間で的確にまとめ、課題を浮き彫りにする教師。

4時間近くのこの時間は本当に貴重な学びだ。校舎を出ると、夕方の匂いと桜。

僕たちは今夜もサッポロビールで語ってる。

球春

キャッチャーミットが鳴らす高校生のボール、土煙を残して消えていくスパイクの刻み、空気を切る金属音、そして悲鳴。君に届けとブラバン。

   

やはり春はここから始まる。

陽春

きょうは佐賀大学の学位記授与式。学部4年生、大学院2年生。卒業、修了おめでとうございます。

みなさんの明日が祝福に包まれますように。

小学校では新しい年度に向かう研修会。先生たちはかつて自分が大学生だったことをどれくらい覚えているだろう。

子どもと一緒に教室で生きることを選んで教師になった。そして今日がある。そして今もなお学んでいる。ぼくはとにかくこの時間を大事にしたい。

 

仲間と迎える春休み

前の学年でもない。といって、次の学年でもない。春休みは無所属のようで気楽であり、どこにも頼りがないたんぽぽの種のよう。

これは僕の中学校3年生の時の作文。

きょう。春休みはじめての日曜日。佐賀の教師仲間と集まった。月例の指月会。

4月の第1単元に向けてたんぽぽたちと一緒に学んだ。

おーい、ぽぽんた!って呼びかけたくなるほど、仲間の顔は先を見ていた。

球春は相浦にも

「達富さん,きっと市立和歌山に感動していることと思います。」とか,「ひいきの高松商の見事な姿に春のビールがすすんでいることでしょう。」とか,午前中から僕に届くメールは球春の便り。みんな僕が甲子園で酔っていると思っているらしい。

ところがどっこい。

僕は部員10人ほどの野球部の試合に来ている。守りのときの三塁側ベンチはがらんとしている。といって、一塁側もそれほど多いわけじゃない。スタンドに鳴り物はない。

ここにも球春。

おい,球児たち!イチロー選手がバットを置いたって知っているかあ。お前たちも一塁ベースまで全力で走り抜くんだぞ!塁間は甲子園もシアトルも相浦も27.431メートルなんだから。

帰り道,夕焼け。

僕の携帯電話には写真がいっぱい。坊主頭の高校生,九州の仲間,駅前の蕎麦,商売道具のかばん,家の近くの夕景など,いろんな写真がつめこんである。

神様きょうもいちにちをありがとうございます。

甲子園も相浦もシアトルも,明日,天気になあれ!

イチローが

イチローが引退を語ったとき,不覚にも僕は眠りの中に居た。理由はあの連中とはしゃぎすぎたから。

だから,朝からテレビのニュースをはしごしてイチローに浸った。ごめんなさいイチロー選手。

さて,桜は朝。

もいいけど,夕景にも

映える。

鯉幟には暮れなずむ時間も似合う。

薩摩の春の風,今,此処に立ち 涼風

我が家の山桜が薄紅を空に透かした春分の日。鹿児島から壮と隆啓がやってきた。

彼らを迎えるのを楽しみに佐賀から昌志と長崎からキリもやってきた。だから僕は鯉の幟を空に泳がせた。

カヤックも楽しめるのがPENNY LANEのじまん。

いつものようにサッポロ黒ラベルが,のはずが,今回はちょっと違った。相手は薩摩男。ビールは2,3本ですませ,芋焼酎にうつった。本当に,あっという間に一升瓶がごろりと空になった。土産にもらったはずが,我が家の酒棚に並ぶ前に空いた。庭だけでの披露になってしまった。

飲んで騒いで,教室を語り,友を語り,仲間を誇りに思う。これが僕たちの飲み方。

お酒の隙間にほおばる「いちごさん」。これがまた最高に美味い。そして,鶏飯。壮の奥方が早朝からもたせてくれた逸品。僕たちは頬張るように流し込むように,だけど,しっとりとかみしめながら薩摩の味に酔った。あの雨の桜島以来の前田屋の鶏飯。美味い。本当に美味い。

帰り際,「鹿児島からの日帰りなんて,たいしたことないですよ。」の二人のひとことがうれしい。学年末の気忙しさくらい僕も知っている。だけど,こうして集まってくる。僕は,どんな時でも仲間と一緒に居たいと思っている。連中に愛想を尽かされないように気をつけなくっちゃ。

またおいで。

5月の10連休は「みんなで黒ラベル1000本飲もうウィーク」をするつもり。

薩摩と対馬の焼酎があと3本,唐津の苺がもう1盛り。明日からゆっくりと味わわせてもらうよ。壮,隆啓,そして昌志とキリ。ありがとう。かならずまたおいで。

薩摩の春の風,今,此処に立ち
これは浩(涼風)の句。

わかばちゃんの春

この道を通って7年目。佐賀大学でのはじめての年の春。登校中の小さな1年生を見た。そう、車の中から見た。勝手に「わかばちゃん」と名付けた。

大きいランドセルと大きな帽子。わかばちゃんが見えない。荷物と洋服が歩いているようだった。

7時18分。決まったように道を渡る。横断歩道のない農道は誰かが停まってくれないと渡ることができない。僕はわかばちゃんを渡らせるために、7時18分にそこを通過できるように運転を調整した。

僕だけじゃない。誰もがわかばちゃんを渡らせるために一旦停止をしたかったに違いない。僕たちはおじさんドライバーは競って停まった。

雨の日は傘が歩く。写生会のときは絵の具かばんが歩く。水着やリコーダー、図画工作で使うんだろうか空き箱やペットボトルも歩く。学期末は、それら全部が歩いて帰ってくる。

あれから6年。

卒業式の日。大きくなったわかばちゃんは新しい服に身を包み、自分の目で確かめてお辞儀をして道を渡った。競って停まろうとするおじさんを先に通らせ、小走りに渡るわかばちゃん。

卒業おめでとう。

つぼみ,ふくらむ

我が家の山桜のつぼみ。おそらく春分の日までにはほころぶ。

春の陽差しの中,春の波の上,僕は文庫本を片手に海に漂う。

静かな土曜日

柴犬と走るのが好きだ。ずっと家に居る土曜日。ずっと柴と居る土曜日。幸せな土曜日。

夜は寅さんの映画を2本。静かな夜に寅さんの声が響く。その声にお酒が進む。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

ちいちゃん

上野紀子さんが天に召された。多くの教室にやさしさと平和を贈ってくださった。ありがとうございました。

このごろ元気

8年前のこの時刻。僕は京都市上京区の仁和小学校で授業をしていた。手応えを感じた授業だった。

先生がたと協議をし、気持ちよく街に出て紫明小学校の友人と秋刀魚の塩焼きを肴に乾杯した。その店のテレビに映っていた映像で地震を知った。

情報社会なのに、このお粗末で遅い動き。僕は恥ずかしいやら情けないやら悔しいやら。以来、何か震災復興に乗り遅れた気持ちが残っている。

だからといって、常にテレビやラジオを気にしたり、ネットニュースをチェックしたりするような情報依存になりたいとも思っていない。

ただ、空や風を感じ、全国に生きる友や地域に暮らす仲間と「今」を共有したいと思っている。リアルタイムでなくてもいい、葉書のスピードがいい。僕は「この頃、近頃、ここ最近」元気にしている。だから、たぶん、「もうしばらく」幸せだと思ってる。

神様、きょうも一日ありがとうございます。

下関球場

予報通り,雨。試合前に中止の報せ。

「長崎に雨は似合うけど,下関には似合わないよ」と野球の神様はご存じないのかなあ。

2019年3月10日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

仕事帰りに100球

久しぶりに打ってきた。140キロには手が出なかったけれど,130なら何とかいい打率。110キロなら自信満々。100球で子どもに戻れるなら,また来ようっと。

2019年3月8日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

教室にいるということ

「達富先生!」という声。それだけで十分なのに,きょうは給食まで一緒だった。

「質問があるんですけど。」
「なに?」
「好きな食べ物は何ですか?」
「とびっきり辛いカレーです。」

という日常生活から,

「先生は努力をすることはどんなことだと思いますか。」
「誇り高く生きていくことだと考えています。」

「先生は自分自身に漢字を贈るとすればどんな字を送りますか。」
「《許》という字を贈りたいです。むずかしいことだけどね。」

という人生論まで。

これらが一緒にあふれているのが教室。だから教室は尊いんだ。

「誇り高く生きる」「許」「信」,求められたノートにこんな言葉を書いた。

書きながら,もっと誇り高く生きなきゃ,って何度も何度も思った。子どもの瞳が僕に語っている。子どもの声が僕の背中を押す。僕は,もう少し教室にたたずんでいたいと思っていた。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

いまいちど

四万十川を上流に向かって車を走らせる。目指す学校は全校6人の小学校。

5年生と3年生の女の子二人が肩を並べて学んでいる。

本を読むのが大好きな5年生とその女の子とおしゃべりをするのが大好きな3年生。となりの複式学級からもまあるい声が聞こえてくる。

こういう学び舎に身を置くと、僕は自分の体たらくが恥ずかしくなる。

どんな教師になりたかったのか。こんな教師になりたかったんだ。

それなのにどうなんだ。何に心を動かしながら生きているんだ。心は錆びていないか。磨いてきた力は衰えていないか。まだまだ磨き上げるつもりはないのか。子どもの声は聞こえているのか。聞き逃している声をどうしてるんだ。

神様が問う。

雑な仕事をしてはいませんか。あたたかい仕事を残していますか。人の声の中で生きていますか。明日が見えていますか。明後日を創り出そうとしていますか。

小さな小学校が僕に語る。まだ間に合いますよと。

こんなはずじゃなかったと、僕は小さくなりかけた自分を言葉にする。

四万十の川の水は何も知らないのに何もかもお見通しのように僕の前を通り過ぎる。

いまいちど、子どもの声の中で生きてみたいって、そう思っている。

心見つめさせてくれた四万十の旅。

沈下橋と僕の鞄,向こうには菜の花,そしてふりそそぐ春の陽。この切り取られた景色を見るたび、僕は心あらたにいられそうな気がする。

僕はいま長崎に向かう飛行機を待っているところ。一昨日の僕と何一つ変わっていないように見えるけど、ちょっと美しくなった僕になって長崎に帰るつもり。ちょっとだけ、教師になったばかりの時の僕の心に戻って帰るつもり。

飛行機の窓から見たかつて働いていた大阪市の灯り。25年前、僕はここに居た。この明るすぎる街。きょうのふたつだけの机が並ぶ教室。どちらにも子どもが生きている。子どもと教師がいる限り、そういる限り。

神様、きょうも一日をありがとうございます。

桃の節句は四万十で

友達と四万十川。土産物屋で調達してくれた穴の空いた猪口と底の尖った猪口。辛口の土佐鶴。じゃこ天,うつぼのたたき,ひじきの天ぷら,鯨肉の干したもの,はらんぼと猪の串焼き。両手で持ち込む舟は季節のせいか、降り出しそうな空ためか、暮れなずむ時間のおかげか、貸し切り。

春の四万十に酔っているのか,舟に酔っているのか,土佐鶴にやられているのかわからないけれど,沈下橋を舟から見上げたのははじめて。

男二人,桃の節句の珍道中。

PENNY LANE でサッポロ!

長崎の友がやってきた。昨夜から冷やして準備万端のサッポロ黒ラベルは54本。

牡蠣を持って,長崎和牛を持って,ケーキやドーナッツを持って,大きな笑顔と素敵な声を持って,みんなが集まる。

カヤックで海に遊ぶ友,キャッチボールに汗を流す友,焚き火の向こうに揺れる顔を見ながら語る友,ギブソンを鳴らす友。

そんな横で僕は目を細めてる。それがいちばん。僕の理想のPENNY LANE!

次は,庭で大きなチキンを焼いて,PENNY LANEでバーボンを!

神様,きょうもいちにちをありがとうございました。

さて、がんばりどき

科研費の助成を受けた研究も総括の時期を迎えてる。ここが研究者のがんばりどきだ。

ということで、五島行きのフェリーを見送りながら僕は京都に行ってきます。

こんな夕日に照らされて

国立大学の前期試験も終わった火曜日。

帰り道を包む大きな夕空。受験生の心も晴れてるかな。40年近く前は僕も受験生だった。

その頃の空で覚えているのは、白球が真一文字に切る甲子園の青い空。伊勢の田んぼを照らす夏の空。八ヶ岳のペルセウス座流星群が降った宙の空。新冠の川向こうに馬が走る霧の空。そして、大学受験の帰り道、京都市バスの赤いライトが揺れる百万遍の群青の空。

みんなに神様の祝福がありますように。

行脚

この一年,彼とはいろんなところでコラボレーションした。まさかこうして京都駅で一緒に電車を待つなんて,,,

大阪の研究会でも彼の話は魅力的だ。

帰りは新大阪駅でビールを三杯。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

話を聞いてくださるということ

きょうは京都教育大学附属小学校での研究会。地元京都だけではなく、兵庫や大阪、和歌山あたりからの参加者もあると聞いている。

交流が広がると思うと胸が高鳴る。佐賀平野を走る特急の揺れも軽やかだ。さあ、博多で朝うどんを食べて新幹線!

あたりまえに思ってはいけない。僕の話を聞いてくださるなんて、もったいないこと。

そのことを忘れてはいけない。

そして拍手をくださるなんて。忘れてはいけない。

ありがとうございます、を忘れるような日がきたら、僕は人前に立たないことにする。

と、来てくださったかたの中にかつての達富ゼミ生!うれしい!

感謝ばかりの土曜日。

もちろん、京都の夜も最高!

神様、きょうも一日をありがとうございます。

水仙の向こうは春がすみ

潮騒の向こうに何を見ているんだろう。三体の石像が水仙の香りに包まれている。

8キロほどなのに,目の前の島が遠く霞む春。沈黙の中に,僕もしばし身を置いた。ここに雑踏の響きはない。ただどこまでも続く潮騒だけ。水仙の香りがよく似合う。

あくゆうから春の便り

あくゆうの壮から便りが届いた。
 
・・・・・
洋二兄
 
今日は朝から嬉しい記事が載っておりました。教育センターで毎年行われる「調査研究発表会」の記事。発表の中でもMさんの発表が取り上げられていました。
兄にも報告を!と思い、早速添付いたしました。
 
昨日「あくゆうの会 ~平成の軌跡~」についてMさんと話したばかりでした。授業をされたあくゆうたちに、資料提供を呼びかけました。兄から頂いた資料も含めて冊子にするつもりです。春休み頃になりそうですが…。ただ一冊は春分の日に持参できれば幸甚です。
 
今日から学年末テストが始まりました。2月は本当に逃げていくと感慨に耽っております。けれど、今週末から続くバレーの大会に向け闘志は燃やし続けます。
 
洋二兄も落ち着かれる間のない毎日かと存じます。少しでも心和んでいただけたらと送信いたします。
 
愚弟 壮一
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こんな日は,読みかけの文庫本にそっとたたんでしまっておきなくなる。キーボードで打ち込む文と万年筆で綴る文とがこんなに重なるメールは多くない。このあくゆうの文才と心待ちと人間臭さがなせる技だ。ありがとう,壮。
 
ということで,僕は今から熊本!市立中学校の校内研修に参加。楽しみ楽しみ。
 
公立中学校での研修はたいへんいい時間だった。みなさんのボールペンを「カチッ!」と音を立てて握られる音が重なる研修会って,それだけでうれしい。美術科も体育科も数学科も,もちろん国語科も,全教科が共鳴している90分。このひとときをあたりまえって思っちゃいけない。
夕方からは,熊本城の復興途中を見とどけながら,下通りのいつもの居酒屋でがぶ飲み。これも最高!
 
*写真は「南日本新聞朝刊」2019.02.20.

夕方に仲間が集うということ

時間をもてあましている人なんているわけない。みんな時間をやりくりしてるんだ。そうしてでも集ってくる。これが「西海の会」。

授業力を高めるには,「時間ができたら研究する」では無理。「研究するのがあたりまえ」でなきゃ無理。西海の会はあたりまえをさりげなくやろうとしている。だから美しい。

発問といってもいい。問いといってもいい。課題といってもいい。

ただ,これらのものが「教師からのもの」だけではなく,「子どもたちから」のものになりたい。そう,こどもたちが自ら「私の問い」を立てるような単元。

そのためには,まずは学習課題から。とうことで,今夕はみんなでワークショップをした。もちろん盛り上がる。

参加者からの「なるほど!」の声が,また僕を西海好きにさせる。(きょうは花粉症ではながぐずぐずしていてごめんなさい。)

もう一度,授業をみるということ

きょうは授業リフレクション。先日,2月8日の授業をもう一度,みることにした。

参加者が一人称で,そして,授業者が三人称の立場で授業を語る。この瞬間が僕たちをひとまわり大きく育てる。

(^^)/ http://kokugo-kumadaifuzokusho.blogspot.com/2019/02/blog-post_19.html?m=1

続きは3月下旬に熊本で!と約束して,佐賀の夜は更けていく。

神様,きょうも一日をありがとうございました。

巣立ちゆく4年生

4年生たちからプレゼント。スイミーのマグカップ。「先生,絶対気に入りますから!」の言葉どおり,しっかり気に入りました。研究室で大事に使います。

ラッピングに添えられた桜のかざり。これは研究室のプレートに。一気に春がやってきました。

みんな,夢を叶えるんだぞ!

僕は今、天草へ

橘湾を右手に眺めながら小浜に進むと東シナ海から寄せる潮がきちんと列をつくり、その線の隙間の光が美しい。

それはきっと南串山に辿り着くまでに見てきたの石積みの仕事が隙間の安定感を教えてくれたから。

そして、あまくさの会。

単元学習もグループ学習も談話も熟してきた。

勉強の後も熱い熱い!

ところで,赤城ィ!風邪ひいたらしかっちゃん。はよ、なおさんばいかんよ。お大事に!

くたびれました。

たいへんいい経験だったんだけど。くたびれました。

友も緊張のなか,くたびれたようです。

ですから,陽気に飲んで九州に帰ります。

メールなんて

ゆうべ、なんとなく周囲とのちぐはぐな感じに気がついた。

原因は僕のメールの状況。どうやら二日前くらいから僕からのメールがみなさんに届いていないようだ。

受信はできる。こちらには間違いなく届いている。しかし、そのメールの返信がみなさんに届いていないようだ。もちろん新規に僕から送ったものは届いていないらしい。

そりゃあ、ちぐはぐになってしまうはずだ。

メールを届けられない焦りとメールを届けることができなくても何とかなる妙な安心感。だけど、メール社会から取り残された寂しさ。いや、メールに頼らない生き方ができるという妙な自信。

ともかく、みなさん。僕はメールの返信もしていたし、新しく届けようともしていたんですよ。

どのメールが届いていて、どのメールが行方不明なっているのかを定めることもできませんが、僕はちゃんと普段通りに過ごしていましたし、すべてのメールに返信していましたよ。

だけど、とりわけ、江里口、平田、中尾、溝上、藏田へ応援メールを届けられなかったのが残念。

神様、きょうも一日をありがとうございます。