ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。
たつログ
えとせとら
もてなすためには押しつけないし惜しまない
指折り待ってた夏休み
明日から夏休み。子どもの背中で揺れるランドセルがそう言ってる。今から夏休み。
帰り道、すれ違う子どもの表情に僕までうれしくなる。
明日から何するの?まだ学校あるの?水泳は?ラジオ体操も?
とにかく遊ぶのがいいよ。とことん外ではしゃぐのがいいよ。暑さも大雨も心配だけど、どこまでも夏休みを楽しむのがいいよ。
ひまわり、夕立、蝉の声。
おとなが輝くとき
僕の友だちは輝いている。本気で遊ぶおとなは輝いている。
きょうの達急便は「いかざんまい」
62歳の友だちはいたずら好きでふざけ過ぎ。それが楽しくて僕たちはきょうも惹かれ合っている。
「いか刺し」は,スーパーマーケットの入り口に置いてある雨に日の「傘袋」に丁寧におさめられている。イカちゃんも心地いいにちがいない。
「沖漬け」はイカの色が分からないほどに透明感にみちている。イカちゃんもちょっと恥ずかしいかもしれない。
「いか飯」。お米に染みこむイカの風味はこれは名人級。イカちゃんがたらふく食べたお米をイカちゃんごと食べてしまっていることにごめんなさい。
「いかの一夜干し」。ここまで丁寧に美しく仕事をするなんて。あのごつごつしたデカい手がどんな動きをするんだろう。イカちゃん,晴れの舞台でうれしそう。
ということで,僕の旅の姿に似たかえる君のフィギュアと一緒に記念撮影。沖漬けを小分けする前に包丁をきれいに研いでおいてよかった。イカちゃんの切り口が光ってる。
ありがとう。英利さん!
メロスの自宅
メロスの自宅は何処?手がかりは?
・シラクスから約40キロメートルのところ
・そこは羊を飼う牧場
・そこからシラクスへのちょうど中間点あたりに川が道を横切っている
今はGoogle mapがあるから便利だ。「徒歩」を選択すると土地の高低差も考慮した所要時間がすぐに示される。
およそメロスは走っていない。
まてよ、「走れ!」は誰が誰に言っているの?
メロスが自分に言ってる!
じゃあ、走れていないことを自覚してることになる。
ここまで解読できる中学生。見事だ。
しかし、しかし。
シラクスに向かうとき西日を見ながら走れるということは、メロスの自宅はシラクスより東側に位置することになる。しかし、シラクスはシチリア島の東岸の港町。
ちよっと変!というのが中学生の結論。
もう少し続けて考えさせてみたい。
と、きょうはここまで。また9月に会いましょう。
さて、朝から生徒とよい時間を過ごすことができたから、きょうはちょっと道草。
やっぱり鹿児島に来たら寿庵。
そして、途中下車して。
神さま,きょうも一日ありがとうございます。
たいした大学生
teamみかん、team実家暮らし
どちらのチームのカンファレンスも見事だ。それは発表する側の努力だけではなく、受け止めて批判的に質問を繰り返す側のセンスがあってこそ実現するものだ。まさに協働的な営みであり創造的な時間だ。
たいしたものだ。僕が学生だったあの頃とはまったく違う。本当に頼もしいしたくましい。
このクラス26人の担任になりたい。
さあ、僕は今から大急ぎで鹿児島。大男が待っている鹿児島。
もちろん二軒目。久しぶりの二人酒にほろ酔い。
明日は味のある授業ができる、、、予感。
大学生と考え合う。中学生と語り合う。なんと幸せな自分だろう。こんなに楽しい毎日をありがとうございます。神さま。役立つ仕事ができますように。アレルヤ。
授業
7月15日、授業します。中学3年生と国語教室をつくります。
・・・・・・・・・・・・・・・・
単元名
・「走れメロス」の全力を検証 を検証する
目標
〔知識及び技能〕
イ【語彙】理解したり表現したりするために必要な語句の量を増し,慣用句や四字熟語などについて理解を深め,話や文章の中で使うとともに,和語,漢語,外来語などを使い分けることを通して,語感を磨き語彙を豊かにすること。
〔思考力,判断力,表現力等〕
イ【精査・解釈】文章を批判的に読みながら,文章に表れているものの見方や考え方について考えること。
〔学びに向かう力、人間性等〕
・言葉がもつ価値を認識するとともに,読書を通して自己を向上させ,我が国の言語文化に関わり,思いや考えを伝え合おうとする態度を養う。
■学習課題
この単元では、「走れメロスの全力を検証」と「走れメロス」の二つの文章を批判的に読みながら,文章に表れているものの見方や考え方について考えることができるようになる学習をします。
課題は、「メロスは全力で走っていない」という主張とその主張を支えるために根拠とした原作の描写との関係は適切であるかどうかについて、「走れメロス」の描写の信頼性や客観性を現実的に評価し、
「北中 国語フォーラム」で達富先生と語り合うことです。
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生徒たちとは「はじめまして」を済ませました。zoomって便利。これ、上手く使ってどんどん授業したい!
戻る旅、
苫小牧発、仙台行きフェリー
苫小牧発、仙台行きフェリー
あの爺さん見つけた。
わざわざ港まで見送ってくれた男、土産にさいころ二つ握らせてくれた奴。
テープを拾わせることは次の次に取っておいたけど、こいつがここに棲みついていることをうらやましく感じたり、一緒に連れて帰りたい衝動に駆られたり。
「賭けるものなんて何にもなかばってん、せめてあと二年、あと四年、育てることに賭けてみるか。」
フーテン暮らしは僕のほうだけど、なあ同い年の爺さん、元気に生きていてくれ。
この旅、しっかり胸に残しておく。
土産にもらったさいころ二つを手の中で振りながらの僕の旅。
またふりだし。それが心地いい。
いつもふりだし。ふりだしを楽しんでる。
戻る旅に陽が沈む。
戻る旅はいつもふりだし。僕はもしかしたらふりだしを待ってるのかもしれない。
またな、同い年の爺さん。
授業、それは育てること・育つこと
北の夜明けは早い。4時前にはすっかり明るい。得した気分で朝の散歩。海岸線を歩いたり。教会でお祈りしたり。
さすが馬の里、新冠。ホテルの朝食券が馬券スタイルになっている。
北のごちそうに大満足。校長先生の車で小学校に向かう。途中、いたるところで馬が駆けている。食んでいる。
きょうは長い研究になるだろうと、北海道の天然水を買ってくれた。
小学校に到着。
森のような小学校。
さっそく4年生の授業。
子どもの学びどきを見抜くことは教師の力。教師の教えどきの逃さないのも教師の力。学びどきと教えどきが織りなすこの包み込まれるひとときが授業。見事な時間だった。
お昼は給食。もちろん、北の大地の馬鈴薯。
さあ、午後は2年生の教室。
ワークシートは教師の都合になりやすい。だから子どもが作るノートを大事にしている。
とはいえ、教師が学びどきに鈍くなってはいけない。だから、ノート観察を大事にする。大事にし過ぎると子どもは自分が書き切ることよりも教師に見せることに意識が向く。
このさじ加減。これも学びどきと教えどき。
評価規準はチェックポイントではなく、がんばりどきの目印。
新冠町立朝日小学校、いいじゃないか。
授業後の研究協議。素晴らしかった。
単元づくりに垣根はない。大人数だって複式学級だって。特別支援教育も日本語教育もどれもがいちばん大事だ。すべてがいちばんであることはまちがいない。
そのことに真摯に向きある教師たちの話題提供に僕はこれまでの経験の言葉をかき集めて組み立てる。その緊張感、ほんの少しの楽しみ、そして、僕の話を聞いてくれる教師たちの表情が緩む瞬間。さらにわずかな空気が動くような瞬間、そう、教師たちの次の《問い》が生まれる瞬間を肌で感じ取りながらの研究協議。
圧巻だった。ここが北海道であることを忘れている。ここは大村はま先生が見てくれている研究のための教室だ。本気の教師たちの息づかいが一つになると、それは時に息がつまりそうになるくらい強く、重く、同時に美しい。
新冠町立朝日小学校、本当にいいじゃないか。
視覚的にとらえることを有効な手段として学びに取り入れること。賛成。その通り。だからこそ、そのことを学びの後半に「思考操作」の言葉で自覚させること、定着させることが大事。そのひと手間が子どもを育てる。
決して質が高いとは言えない《問い》をどうするか。もちろん放っておかない。ちゃんと教えること。賛成。その通り。《問い》を立てること立てさせることに私たち教え手も習熟しているわけではない。子どもたちも初めての体験だ。だけど《問い》を立てることは必要なことだ、尊いことだ、大切なことだということは分かっている。だからこそ研究心に溢れていて、やってみたくて、だけど、ちょっととらえどころのない魅力的な教師たちの学び。そこから目をそらさない新冠町立朝日小学校の教師たち。
出会えたことに感謝。僕が道のこっち側しか歩こうとしていなかったら出会えていなかった。だけど、道には両側がある。たどり着きたいところまで歩くには、道のどちらか一方の側した歩けない。だから、僕は自分の都合のいい側だけではなく、道を歩くすべての子どもとすべての教師と一緒に生きていきたい。
「先生はあの瞬間、どこを見て、何を考えておられたのですか。」と授業者にたずねた若人。
「きょうは参観者だったから聞こえただけで、授業者だったら聞いていなかったと思います。」と語った謙虚な教師。
「はじめまして」なのに、「はじめまして」じゃないでしょ、と勘違いしそうになるくらい居心地いいこの小学校。
またすぐ来ますから。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。僕は道の向こうを見ることなしに自分の都合で歩くことばかりですが、きょう朝の海辺への散散の帰りに、山の手にも足をのばしてみました。すると、小さな小さな聖堂が見えました。ホテルのすぐそばだったのに。
道の向こう側に足をのばさなければ手を合わせることも十字を切ることもなく一日をはじめてしまうところでした。いつもそばにいてくださってありがとうございます。アレルヤ。
七夕、青い夏
朝、若いいのちからのLINE。
なあ、
困ったことがあったら、風に向かって僕の名前を呼びな。どっからでも飛んできてやるから。
こんなかっこいい台詞は僕には似合わないけど、待ってくれている人がいるかぎり、僕は旅を続ける。
さて、
風の向くまま気の向くまま。
苫小牧に向かう。きょうは七夕。いつものホームに幼稚園から笹飾りのプレゼント。
途中、懐かしい駅弁「ほっきめし」の売店に遭遇。
苫小牧到着。ここから太平洋を右手に約100キロ。
宮本輝の優駿の舞台。オラシオン。新冠。
あたりまえの風景として馬が駆けている。赤い屋根は馬の寝床なんだろうか。
水の澄んだ日にはこの川でサクラマスが釣れるらしい。来年の初夏にはぜひ挑戦。
この樹、まるごとクリスマスツリーにしてみたい。
さて、夜は花咲蟹に舌つづみ。
友との酒は時を忘れる。同じことを何度も語ったような、アルバムをめくっているような、若い頃に戻ったような。
肌寒い夏。草いきれを忘れてしまいそうになる。
明日の夜明けが楽しみ。僕ははじめての新冠の夜に包まれている。
北の大地へ
さて、いよいよ明日は北の大地へ。新冠に行くゾ!
そんなわくわくする気持ちをさらに高まらせてくれたきょうの授業。
看護学校での「論理的思考」の授業がこんなに盛り上がるなんて、、、僕は幸せだ。
なんなんだ、この一体感。学生は学びたがっている。学ぶ仕組みさえ作れば学び出す。
「でも、同じようにやってもうまくできそうな気がしません。」と、参観者。
そりゃあそうだ。こっちだって30年以上、教師やってるんだ。そこには言葉にしない授業のあやや仕事人の機微がある。移動しながら声の調子を変えることや、スライドを変えるときの言葉のつなぎ、見つめて目をそらしてもう一度微笑み返すなんて、あたりまえのこと。
授業。僕はこの神聖な時間に真正面から向き合っている。
さて、明日は、新冠で友との一体感を楽しむつもり。翌週は上五島の若松島、そして鹿児島で授業。
一学期の終わりに楽しいことが目白押し。夏本番。その前に、達富本番!
神さま、きょうも一日ありがとうございます。いつもそばにいてください。アレルヤ。
この指とまれ!
新聞整理の朝
なまえの由来もわからない
こんな日はカレーうどん。
卒業カレンダー
こんな夜はランタン
朝から研究、昼からたこやき
ホームグランド
ぼくの大好きな3年生
父の日、ありがとう。
とにかくひだまりに集う
まとはずれ
まとはずれ。
僕の歩いてきた道はこの言葉に限る。「まとはずれ」。
神さま。きょうも一日ありがとうございます。4時間目の授業は最高だったし、学生たちに最高の拍手を贈りたいんだけど、僕のコメントはまとはずれ。
だめだなあ。だめだ。ほんとうにだめだ。
まとはずれ。きょうはまとはずれに乾杯しよう。
神さま。きょうも一日ありがとうございます。明日はもう少しまとに近づけますように。
コロッケの時間
好きになりかけてる
はじめての小学校。はじめての校長室。少しばかりの緊張感のあと、算数科におけるコンパクトライティングについて話をした。
教育委員会の指導主事の方とのコラボレーションは心地よい。
90分が短い時間のように感じられるのは聞き手のみなさんとの距離が近くなった証拠。
先生がたの聞く姿に安心感があふれてくる。この学校の教師たち、聞き上手。もう何年も前からこの学校に来ているようだ。質問の手が止まらない。訊き上手。とにかく近い。
16時。ほとんど手をつけなかったペットボトルと一緒に戻ってきた校長室は先ほどとは違う景色。なんだか一体感がある。仕事は見え方を変える。仕事は景色まで変えてしまう。
と、おどろいた。
来たときにもあったはず。だけど、見えていたのに見ていなかった。
校長室に貼ってある掲示物。何代か前の校長先生が貼られたらしい。見たことのあるフレーズ。
おどろいた。
西海市立西海北小学校。ぐんと近い小学校。僕はすでにこの学校のファンになってしまっている。
帰り道。ちょっと道草しても神さまにしかられることはないだろう。本当によい一日だ。
あじさい、
ひさしぶり、キャンディーズ!
いくつになっても Happy Birthday
誕生日がやってきた。
一年のなかの「お楽しみの日」の中の大事ないちにち。誕生日ありがとう。たくさんの言葉をありがとう。心のこもった贈り物をありがとう。いつも一緒にいてくれてありがとう。やさしい気持ちをありがとう。みんな、ありがとう。父さん、母さん、神さま、誕生日をありがとうございます。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。感謝のうちに一日をかみしめます。
ふさわしさ
上五島若松島のサカナ
カンパチ、イサキ、アジ。水揚げからわずかな時間で活きじめされた魚。
若松島から魚が届いた。
届く前に何をしていたか忘れた。とにかく、宅急便が帰ったあと、僕はお気に入りのエプロンをつけ、長靴に履き替えて、庭の水場で包丁を研いでいた。
5分後。包丁とまな板の準備完了。魚料理は楽しい。送ってくれた思いをそのまま受け止めて、僕の手はすいすい動く。
刺身。かんぺき。
素揚げにも南蛮漬けにもフライにもできるようにアジをおろした。美しい。
そうそう、ひとつ残さず平らげたいから、骨せんべい用に丁寧に仕事。満足!
ブロックはこれから、なめろうと琉球に。小さなアジは背切りに。
今夜、食べきれないものはフライ用にアジを下ごしらえして冷凍。
刺身はクーラーボックスに氷を入れて冷やしておこう。冷蔵庫で乾燥させてはもったいない。上五島からの思いは全部うけとめたい。
ありがとう。大地。このお礼は、そっちに行って乾杯させてもらうよ。夏までに行く!
神さま、きょうも一日ありがとうございます。
夕飯のあと、撃沈していなければ、たつログにもう一葉、お皿にのせた写真を載せたいんだけど。無理な予感。
ごちそうさま、お造り。
ごちそうさま、漬け。
ごちそうさま、鯵フライ。
ごちそうさま、かま焼き。
ごちそうさま、南蛮漬け。
ごちそうさま、骨せんべい。
ごちそうさま、あら汁。
ごちそうさま、大地!ありがとう。
武雄に棲むきつね
武雄御船山のふもとにはきつねが棲んでいると聞いたことがある。たいへん美しくかわいいきつねとのこと。
10年ほど前にその話を聞いてからは、車を走らせるときには気をつけて見ているが見たこともすれちがったこともない。
そのきつねは鹿島あたりにも出かけているらしい。
さて、きょうは土曜日。久しぶりに自宅で過ごした。
我が家の紫陽花もいろづいてきた。
石窯の炎も心地よい。
ちょっとドライブにと車を走らせるとおもしろいバス停にも出会える。
いい土曜日。
家に戻ったとき、庭先のほうを見ると、納屋にとうもろこしが並べて置いてあるのが、目についた。
「おや。」僕はびっくりして、ちょっと剥いてみた。生でも甘い。いける。
「いいじゃないか。」
一本は乾かしてキャンプに持っていくことにした。
蒸しても最高に美味い。胃袋が黄色くなりそうだ。
きっと、武雄に棲むきつねのしわざにちがいない。
ありがとう、ナカエリ。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。つながりの中にいることをいつも感謝しています。
支えられているということ
今週で前期7週間が終わる。来週が前期の折り返しだ。
本気でやる、と決めた今学期。正直、きつかった。今までも続けてきていたとはいえ、ここまで本気にアクティブ・ラーニングをやり切ったのは長崎に越してきてはじめてのこと。小学校中学校の教師たちと一緒に開発してきたけれど、自分をぎりぎりのところまで追い込んだのは久しぶりのこと。
教師としての矜持。使命、信念。
今は手応えと次への見通ししかない。
成就感?違う。
達成感?違う。
満足感?なし!
早く来年度の4月にならないか。今はその期待しかない。もっとできる。もっと学生に響かせられる。もっと、、、
やっぱり僕は教師。教師でしかない。教師にさえなりきれていないかもしれない。だけど教師でありたい。
だから、教師をやり切る。謙遜のもと、教師であり続けたい。
6時間の講習。
3時間の歓談。
僕は支えられていることに感謝しかない。福岡で出会えた40人の看護師さん。長崎で確かめ合った二人の仲間。
そうそう、さすが長崎。赤い新幹線のサインの量にうれしくなる。
ありがとうございます。賛美と感謝しかありません。
神さま。きょうも一日をありがとうございました。僕はこうして生きていることに奉仕できることを幸せに感じます。アレルヤ。
あれから一週間。
さあ、6月
6月。生まれ月というのはそれだけでいいもんだ。梅雨だからじめじめするとか、蒸し暑くて調子をくずすとか言われるけれど、やはりこの世界に生まれて、はじめて息を吸った空気に満ちた6月は僕の月だ。
と、届いた贈り物。
洒落た小さなお皿とワイン。アウトドア用のクックウエア。そしてすてきなカード。
はるか大海原を渡って来たと思うだけで感激だけど、それ以上に変わらない文字が懐かしい。
確かコイツにキャンプを教えたのは僕だったはず。それなのに、このクックウエア。
これで美味しいものをつくって、一緒に焚き火を囲む日を楽しみにしてるゾ!
ああ感激、うん感謝。
神さまきょうも一日をありがとうございます。たつとみ、元気です。アレルヤ。
祥平、ありがとう。
博多、久しぶりだ
やりたいこと・望まれていること
やりたいことをやる。そりゃあそうだ。そうでなきゃ楽しくない。
と、おもってた二十歳の頃。
教師として働いている。仕事をしてる。やりたいことをしているだけでいいんだろうか。
僕がしなきゃならないことってなんだ?やりたいこと、それは、やりたいことだけではなく、望まれていることであるはずだ。
望まれていることがやりたいことと重なったらすてきだ。
ところで、望まれていることって、誰に望まれていることなのか。それは国や教育委員会や校長先生や、、、っていうこともあるかもしれないけれど、いちばんは、子ども。
子どもに望まれていること。
それは簡単で楽できて笑えるそのとき限りのお楽しみではないはず。
子どもが望んでいるのは、生涯を通じて役に立つ力をつけること。一人でも生きていける力。知らない人とでも創造できる力。未知の世界でも誇り高く生きていける力。
先生、よい子にしてください。できるようにしてください。
って、見つめられたとき。僕は、やりたいことより、望まれた仕事をまっとうすることを選びたい。
そんな教師が集まっている小学校。摂津市立味生小学校。
今秋、この小学校が、授業公開をする。
望まれた仕事をする教師を応援するよ、って約束した5月25日。第1回の校内研究会は手応え抜群の3時間だった。
心のかたより
常に比べている僕がいる。自分の心のかたよりに滅入ってる。
他と他を比べるのもいや。他と自分と比べるのはもっといや。僕の心のかたよりに疲れてる。
かたよりは偏り。片寄り。何に向いてるか。それは世俗的な自分中心の満足感。
こんなときはどうするか。教えてもらったことがある。
こんなときは何をするか。いつも心がけようとしている。
「相対的」から離れること。
そう、相対を別の目から観ること。
だから僕はきょうも早起きして丸い窓の外を観ながらあれこれ想ってる。
アレルヤ。
さあ、帰ろう。
旅の重さに
JR
Long Time No See
行き先のない自然の恵み
五島の玉ねぎときゅうりといんげん豆をいただいた。どれも好物。
これは五島のお百姓が作ったにもかかわらず、売ることも引き取ってもらうこともない自然の恵み。
この行き先のない大地の恵みを教会の神父さまが買い取り、僕にもくださった。
神さま、大地の恵み、労働の実りをありがとうございます。
自然に心からの感謝を
土曜日。ひさしぶりの青空。庭の草花。季節が変わる前に、摘んでおこう。
すでに紫陽花が咲き始めた。
気温26度。まもなく雨の季節。薪は軒下に移動。
薪の色が異なるのは、木の種類の違いだけではなく、割った時期が違うから。そして、雨のあたりかたが違うから。
これからの雨の時期。雨ざらしになる丸太には背中側にビニルハウス用のシートをかける。
自然とは対話しなきゃいけない。これは中学校1年のときの理科の荻野先生の口癖。「自然との対話やからな、理科っちゅうもんは。」今でも覚えている、というより、今でも原点。名言。
さて、土曜日。週の終わりは自然を語りながら庭でビールでも飲もうかな。
なつきも宏ちゃんも来ればいいのに。
アーメン、アレルヤ!
佐賀ひだまりの集い、みんな集まれ!
九州 教室の声に学ぶ会「佐賀ひだまりの集い」の参加募集がはじまりました。ぜひ、九州各地から、そして日本から、プラハからお出かけください。
学び合うことに渇いていませんか。ひだまりには水があります。潤いがあります。さあ、集いましょう。
看護学生のアクティブ・ラーニング
あなたの将来に遊びにいくよ
僕の自慢です。学生のこの姿は本当に美しいんです。
かけがえのないたからものです。学生の力は本当に尊いんです。
学生は果てしない心と力と情熱をもっている。それを実感し、感じ入り、心がふるえる。大好きだ。
そんな贅沢な時間を過ごしている木曜日の4限。
大学に入学した頃からマスクで過ごしてきた3年生。ぜんぶ我慢して、ほとんどあきらめて、待ち続けている学生時代。そんな時代の学生にとにかく極上の学びをさずけたい。学ぶって楽しいんだって感じさせたい。生涯、学び続けるんだって、熱くさせたい。
我慢じゃない。あきらめでもない。待つことは、叶うこと。待つことは、祝福されること。待つことは、分かち合うこと。
この中等国語科教育法Ⅰでは我慢しなくていい、あきなめなくていい。分かち合って、夢を叶えよう。デキル自分をちょっと感じて、わたしは学び続けるってまわりにそっと教えよう。きっときっと、あなたたちの将来に遊びに行くから。
そのとき、中等国語科教育法Ⅰで分かち合った達富先生を待っていてくださいな。
アレルヤ!
麦秋
外食べで5月
10連休も残すところきょうと明日。青空の下の木陰で友と語り合う。
上五島から送ってもらったサザエさんを食べよう。
お造りでも食べよう。
外食べだからこそ天ぷらもして食べよう。
5月だからtrangiaの赤のMess tinsで豆ご飯も炊いて食べよう。
僕のキャンプ道具をフル回転させて遊んだ5月6日。語り合って笑って飲んで食べて、ずっと語り合う。
見上げれば鯉が泳いでいる。
友と語り合う時間は長くて短い。大村湾に沈む夕日を背に友が帰路につく。みんな元気になったかい?みんなまた来てくれるかい?
夜。僕はしっかりとまとめ上げられた丁寧な論文に目を通しながらも、
いただいた見慣れない★印に興味津々。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。分かち合うことは僕を大きくさせてくれます。
小休止なんかじゃないゾ
10連休の小休止なんかじゃない。朝からランドセルからって歩く小学生、とびっきりの笑顔を連ねて歩く中学生、身体の前と後ろに鞄を提げながらの高校生。きょうは5月初旬の金曜日。
僕も新たな気持ちで仕事しごと。
ということで、お知らせです。
5月21日に順延していた「九州教室の声に学ぶ会@長崎」ですが、5月22日に運動会をひかえている学校が多いため、再度の延期をすることにしました。予定は、9月23日です。早めに指定席を予約して集合です!場所は「出島メッセ」です。
じゃあ、5月の集いは?ということで、@佐賀が6月に準備をしてくださいました。
九州の若い実践に学びましょう。どうかどうか、みなさん、十分な対策のもと、学び合いましょう。
夏の予定は変わりません。
場所が中央駅近くに変更になるというハナシも聞きましたが、詳細は近々お知らせします。
ということで、9月まで見通せた5月6日。とてもいい朝のはじまりです。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。
子どもの日は子どもだった日
海の幸に心おどらせて
さて、連休
釣れてもよし、釣れずともよし。
この評価がいいかどうかは学び手が知っている。
言うことなし、っていう評価はない。
だから、この優秀な学生たちの評価は長い長い記述によってなされることになる。あるいは、事前に周到につくっておいたルーブリックによって採点されることになる。僕は、その両方で評価することを心がけている。
ということで、単元づくりの大半が評価づくりとなる。
いや、
「単元づくり」の中に「評価」があるというより、「単元づくり」と「評価づくり」が並行して進んでいるという感じかもしれない。
僕の評価計画には、学生全員が反応するに違いない。学生全員が評価計画に質問を寄せるに違いない。
なぜか、学習者こそが評価規準が申請であるかどうかを判断できる位置にいるからだ。
中等国語科教育法、僕は本気で向かっている。
こんな夜は、帰り道に一杯ひっかけても許される(かな)。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。学び手を信じるなんてあたりまえのことを、きょう、今いちど言葉にすることができました。ありがとうございます。
ハッチが先生だったころ
幼い頃の思い出。かなしくてかなしくて、テレビを観るのがいやだった思い出。
だけど、心のたいせつな引き出しにしまってある。
モンシロチョウがやさしいことも、バッタはおどけ者だということも、
カマキリやムカデがこわいことも、スズメバチには気をつけなければならないことも、
てんとう虫もゲンゴロウもハンミョウもぜんぶここで習った。
だけど、愛と勇気を背中にしょっていけばいいということになんとなく憧れたのを覚えている。
そして、僕はお母さんとまいにち一緒にいられてうれしくなったことを覚えている。
さて、もうすぐ母の日。今年のプレゼントはこのZippoにしようかな。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。
前略、学生ってすごい!
新しい言葉を語る。
毎朝の30分。静かに黙想。そして、リアルタイムにモレスキンのノートに書き込む。
「新しい言葉を語る。」
きょうはこれ。新しい言葉。新しい言葉を語る。さっそく、語ってみる。新しい言葉を語ってみる。
これまでの学習とは違った学びがはじまる気配。
やっぱり「朝の考える時間」はいい。僕の元気が降ってくる。
こんな日曜日はLet it Be
みんな元気がない。送ったメールの帰ってこない返信も途切れたままの友情も足踏みしている計画も、息づかいに戸惑ってる。
僕の元気を届けに行きたいのに。連休中は鹿児島か熊本か上五島か、って一人芝居。
こんなときは「いる」より「ある」になりたい。「する」より「ある」で居続けたい。
元気全部を九州にまきちらしたい。
単元「検証を検証する。」
前略、達富先生、質問があります。
[は]の引き出し
大学の総務課には個人用のレターボックスがある。学内の連絡や個人宛の郵便物がここに届けられる。きょう、16枚のはがきがレターボックスに入っていた。透明のケースに見える小学生の文字に胸が高鳴る。
先日、授業をさせてもらったクラスからだ。
「苦手な国語が少しすきになりました。」の「少し」がいいじゃないか。
担任のナカエリ先生がうんと教えたいちばん最後に僕が乗っかっただけ。それなのにわざわざはがきをくれたんだ。
「たつとみ賞」を届けることはできないけれど、この一葉は間違いなく僕の自宅の「[は]の引き出し」に入る。
ありがとう。ほんとうのありがとう。
ところで、[は」の引き出しとは・・・・・・
向田の「うの引き出し」を真似をしてつくったもの。
まずは、[う]の引き出し。これは「美味いもの」を入れておく引き出し。全国の美味い店の包み紙や説明書、割り箸袋、名刺などが詰め込んである。最近は舌が肥えてきたのか、引き出しが窮屈になったのか、かなりのレベルにならないと引き出しに入れてもらえない。
つぎに、[た]の引き出し。これは「旅の思い出」をしまっておく引き出し。切符や入場券、地図や絵はがき、旅の途中の色づいた葉っぱ。ここ2年、閑古鳥が鳴いている。
そして[は]の引き出し。何度も何度も見返したいはがきがここにある。何度も読み返すので時系列での整理は不向き。とにかくざっと入れてある。きょうの一葉もここ。きっとたびたび見ることになる。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。なんともいい気分の金曜日です。
弘法筆を選ばず、達富選びまくり
どうでもいいことですが、この筆、扱いやすいです。
http://kakinumashop.cart.fc2.com/ca3/24/p-r3-s/
週に一度しかお習字しない僕にも扱いやすく、墨を自在に動かせるって感じ。筆を買い換えることを考えているなら、ぜひ、どうぞ。
という短い「たつログ」です。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。
やはり特別ないちにち
吉田拓郎さんの誕生日。4月5日。やはり特別ないちにち。もちろん、通勤途中のはじめの歌は「いくつになってもHappy Birthday」。
そして、「唇をかみしめて」「親切」「いつか夜の雨が」「どうしてこんなに悲しいんだろう」「ペニーレインでバーボンを」など、100分の通勤ドライブがお祝いのLIVEになった。
ずっとずっと追い続け、今もこれからも勇気をもらってる。人とのつきあい方はぜんぶ拓郎さんに教えてもらった。やんちゃな飲み方も教えてもらった。
悲しいとき、つらいとき、絶対にそばに居てくれる存在に、僕は、僕もそんなふうになるんだって、ずっと追いかける。
お誕生日おめでとうございます。
神さま、拓郎さんの「唇をかみしめて」って、福音ですよね。きょうも一日をありがとうございます。
直すための大チャンス
振り返るなら、後味のいい振り返りがいい。
振り返るなら、つながる振り返りがいい。
振り返るなら、成長する振り返りがいい。
振り返りは、直すための大チャンス。成長するための大チャンス。
5年生に教えてもらったきょうのいい言葉。「直すための大チャンス」。
神さま、成長し続ける機会を与えてくださってありがとうございます。
きょうは小さな食事会
友は確かにそこに居て
「おはよう国語教室」FINAL
2月20日から6週間。朝6時からのリモート勉強会、全6回。
きょうFINAL。
限りない学びの成果を感じた。やりきった顔は僕だけではなく、参加者の表情にもあふれていた。いい時間だった。
最後に参加者に届けたメッセージ。
・・・・・・・・・・・・・・・
牡蠣を焼いてビール。
なんだか美味しそうなお皿とビール。デザート付き。
Season01は終了、Season02もやります!
その気分になったら、「たつログ」で募集します。乞うご期待!
神さま、きょうも一日ありがとうございます。「みんな」というのは「私たち」のこと。「私たち」というのは「私」の集まり。だから、「ぜんぶ私」。分かち合いをありがとうございます。
おすそわけ
我ら画面に密を楽しむ
この春。僕は「おはよう国語教室」に一生懸命です。何かにとりつかれたように、一日に12時間以上、このことにとりくんでいます。それはきっと望まれている仕事だと確信しています。
2月20日、そう、20220220という「2」ばっかりの日にはじめた「おはよう国語教室」。もう一ヶ月になります。確実に歴史がつくられました。
日曜日の朝、6時には20人ほどの大人が画面に集まってくる。俵万智さんの短歌の「しちならべ」のようだ。
トランプの絵札のように集まって
我ら画面に密を楽しむ
さてきょう、エピソード05は適用題のはなし。単元での育ちを活用するためにどのような活動題を作成するか。
転じて、児童文学の話まで。
僕の紹介した適用題に用いたのは大草原の小さな家。
長く続くお父さんのものづくり。ひとことで言えば「お父さんはものしり」。お父さんってどんな人、って問われたとき「ものしり」は外せない言葉。ものしりのお父さんに憧れるのがこの物語のすべて。だったら、「人物像を想像する単元」ではこの作品を扱って、いろいろな部分の描写を結びつけて「ものしり」の言葉を導かせたい。そんな単純で深いことを適用題で確かめたい。
自分が学んでいることが学校の外の読書に役立つという実感をすべての子どもに。教室の外への動き出す単元学習を。
「何を」「どのように」「どんなことを目的として」学んでいるのか。そのことを子どもが自覚している。子どもが理解している。子どもがデザインしている。それこそが生涯学び続けることができる力のなる。
まさに、学び手としてのSDGs。
と、プラハからメール。
「これまで私が受けてきた授業とちがい、しっかりと何を目的にやっているのか、自分がりかいできているため、その目的にあうように自分の考えを深め」ていることを生徒が実感している。そんな授業をしている仲間からのメール。
児童文学は学校の外、本物の文学。教科書は教室の中の文学。
児童文学をひとつのきっかけに、適用題を手がかりに外に動き出す授業をつくろう。
来週で最終回。「おは国」FINAL。僕は、きっと「おは国」ロス。
よし、俳句をつくろう
最終回 FM佐世保
本当の本当の最終回。
「前回は僕のこれまでのテーマソングです。」ということで「熱中時代」をオープニングに流した。
「きょうの一曲は、僕のこれからのテーマソングです。」ということで「男はつらいよ」を流した。
反響が大きく、次から次へとリスナーさんからTwitterやfacsimileが届く。
きょうの話題は「感謝」。
「感謝のコミュニケーションって、感謝を伝える人と伝えられる人とのコラボレーションです。」
「ちゃんと感謝されなきゃ。感謝されるって、感謝の言葉を聞くことではなく、感謝の気持ちを共有することなんだから。」
「こちらに感謝を受け取る心のはばがなければ、感謝って伝わらないし受け止められない。だから望まれている仕事以上の仕事をしようとしているときって、心のはばが小さくなっているから感謝を受け取れなくなっちゃう。感謝されるって、ものすごいことなのに、それを軽く流しちゃう。望まれている仕事を、望まれたとおりに謙遜のうちにやりとげる。そうすると、そのなかで生まれた感謝を僕とあなたが共有できる。それの感謝のコミュニケーションは二人のコラボレーションなんですよ。」
なんて、思いつきじゃないけど、ついついしゃべりすぎてしまう。
もう10時前。
さよならの一曲は、「神ともにいまして」。
「ごきげんよう」の言葉を残して局をあとにした。
「さて、店を探そう!」
番組の途中、しゃべっているときにひらめいたお店は臨時休業。残念。
じゃあ、今、僕のお腹が求めているものは・・・・・・刺激。ということで、
美味しいお店でした。
神さま、きょうも一日ありがとうございます。いつもともにいてくださってありがとうございます。
小さき者、弱き者
昨日、届いた贈り物はstrawberryとpistachioのケーキ。ひょいっと、贈り物を届けてくれる「ひろ」。そのセンスは抜群。とっておきたくなるものばかり。
今夜はこのケーキを少しずつかじりながら、PENNY LANEのグラスでバーボンを飲んでいた。
しばらくは音楽を聴きながら、古い本を読みながら。気分良し!
何杯目だろう。テレビをつけた。ニュースは戦禍を伝えている。砲弾を見ながらのバーボンは急に美味しくなくなっちゃう。
僕は番組をかえて、YouTubeにした。
先日、友人がしらせてくれたこの動画。
今はただ平和と平安を祈るだけ。
さて、明日はいよいよラジオ出演の最終回。
朝10時から、FM佐世保の生放送。今回のテーマは「感謝」。何を話そうかと考えるより、これまで出演させてもらった感謝の気持ちでアナウンサーのノッコさんの言葉を受けとめるだけ。僕からの言葉なんて着飾ることもできないほど小さなもの。だから、「ありがとう」の気持ちを「ありがとう」をつかわないで語るだけ。
時間が合えばお聞きください。FM佐世保(はっぴいFM)です。
神さま、世界の小さき者、弱き者を救ってください。
ここで生きている
薪しごと、それは「問い」の連続
また来たよ
道の駅で「有明海苔うどん」をたいらげて車を走らせる。海苔の香りがマスク越しに余韻を楽しませる。
一年ぶりのこの学校。そしてこのクラス。
学年は同じじゃないけれど、毎年、僕を呼んでくれる素敵な学級担任の自慢のクラス。昨年は6年生、今年は4年生。
授業をさせてもらった。
はじめまして、達富です。
はじめての気がしません。
みなさんのコンパクト・ライティングはいつも楽しみに読んでいます。
みなさんの名前もぜんぶ覚えていますよ。
三好達治の詩を紹介。
担任が書いてくれた墨書を指で指しながらの詩の授業。
指黙読、指斉読。そして一斉読。
「三好さんは何を見ていますか。」「そしてどう感じましたか。」これをたずねなきゃ主体的な学びは始まらない。
「三好さんは他にも見ていますね。」
いい授業、それは子どもが考え込んでいる授業、子どもが考え続ける授業。
「おしまいです。また会いましょう。」のあとは行列。
コンパクト・ライティングをひとつひとつ読んで言葉を届ける。
なんとも幸せで懐かしい時間。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。
やっぱり、僕には教室が似合っているみたいです。
ハンバーグ
なにも食べない一日
3月2日、水曜日。きょうは朝からなにも食べなかった。お昼のうどんも我慢した。夜のビールはもちろん、食後のウイスキーもなしにした。空腹で観る「孤独のグルメ」はつらい。五郎ちゃんの食欲がいやみに見えてしまう。
明日の朝。30時間ぶりのお味噌汁は春のお葱とお揚げにしよう。
河津桜が潮風にゆれて
朝の勉強会を終え、西海市に出かけた。お世話になった神父さまの故郷巡礼だ。
以前、たずねたときは台風のあとだった。修復された教会堂が春の青空に映える。
マリア様にお祈りをし、教会堂で黙想をし、しおりにスタンプを押して。
しばし誰もいないところに身を置くのはいいことだ。ちかごろ、ちょっとせわしない日々が続いていた。いい日曜日。なにもしないぞ、とただただ、春の潮風に吹かれてる。
昼ごはんは久しぶりの店。
ちゃんぽんの日本一が香蘭さんなら、長崎一のラーメンはあづまやさん。
ちなみに、鹿児島一のラーメンはのり一(のりいち)さん。
我が家のような西海東小学校の横を抜け、みかんドームでひといき、西海橋の河津桜を褒める。
ああ、風流。
そういえば、きょうの一日は長い。起きたのは2時半。起きたというか、寝ていないというか。
そして、勉強しながら6時を待ち、それから「おはよう国語教室」のエピソード02。
このゼミがとにかく熱い。僕だけが熱いのではなく、みんな楽しそう。
今朝は小さなワークショップなんかもやってみた。ひとりひとりのつぶやきが共有される。だれが何を言っているか分からなくてもいい。同時につぶやいているこの瞬間の連帯感がいとおしい。僕はこの「おはよう国語教室」が好きだ。
長崎、佐賀、熊本、鹿児島、宮崎、そして関西とヨーロッパ。みんながつながっている。もっとつながりたい。zoomだからこその企画が楽しい。Season02も企画中。
あと4回。まだまだやりたいこといっぱい。
長い春の一日の夕景、我が家のリビングからの夕焼けに心なごむ。さっき割った薪の火があたたかい。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。お世話になった中村倫明大司教さまのへのお祝いは日曜日の彩りを濃くしてくださいました。きょうも謙遜のうちに歩みます。
春の空はなぜかなつかしい
おはよう国語教室
日曜日の朝6時。オンラインであってもちょっと不親切?な時間設定。だけど、そのあとの日曜日がそのまま残っている時間設定。眠たいけどさわやか、ちょっと辛いけどその分の満足感は格別、っていうのを分かりながらの「おはよう国語教室」。
第1回。無事、終了。
少なくとも僕は大満足。
大きな自然のなか、風を聞く
きょうのFMラジオでは、この2年間の閉塞感にすさんだ日々の中で相手の声を聞くことの大切さ、そして聞く心を大事にしながら、聞いたことを振り返って語ることについて話をしました。
こんな話を聞いたことがあります。昔、足をけがした人が床の上で本を読み、思いを巡らし、夜空にちりばめられた無限にひろがる星を見つめ、天の声と対話したとのことです。
僕は早く床に就くので夜空は苦手です。だから、朝の海辺に座り、風を聞き、大自然と対話することにしています。
きょう、ラジオでそんな話をしているとき、相手の声(あるいはもっと大きな声)を聞くこととはまさに黙想であり、声を聞くことこそが語りかけることだとわかったのです。
ラジオでは、敬語の使い方、コミュニケーションのとり方が、具体的な話題でしたが、声を聞き、声を届けるという一連の営みは、この2年間の苦難な中に、忍耐し、海をわたる風を聞き、そのなかで謙遜に考え、少しだけ頭をはたらかせる。そうすることが希望につないでくれることと重なると気づいたのです。
忍耐が心を育て、忍耐がつながりを創造する。そんなことを考えながらの40分間でした。ラジオ局の中で「わたし」を見つめ直すことができました。僕に語らせてくれたノッコさん、そしてリスナーのみなさん。感謝です。
みなさん、聞いてくださり、ありがとうございました。
きょうの一曲は「熱中時代 -僕の先生はフィーバー-」でした。
僕が中学生だった頃、教師ドラマ(水谷豊さんが主演)があり、そのテーマソングがこの曲でした。
水谷さんが演じる北野先生に憧れ、離島の教師になることこそが自分の使命だと委ね、五島列島に向かい、「教えること」に熱中しました。
以来、この曲は僕の原点であり、僕のテーマソングなのです。
子どものいのち、子どもの成長、子どもの幸せ。
そこに奉仕することは、あの頃も、そして今もなお僕にとって、大空の無限の星の向こうから包み込んでくれるかけがえのない確かな尊い仕事なのです。
ということで、神さまのお恵み、聖霊の支えに生かされた木曜日の朝でした。
神さま、きょうも一日をありがとうございます。
FM佐世保、はっぴいFM、久しぶりです!
明日、2月17日。何度もおしゃべりしたFM佐世保の最後の出演です!
流す曲ももう決めた。話す文脈はアナウンサーのノッコさんとのノリでなすがまま。
とにかく、「たっちゃん先生」、楽しみます!
春は名のみの
大阪から
いいじゃないか、リモート
きょうはリモートの研究会。同じ45分間に4つの授業を渡り歩く、いや、のぞく。
「いいじゃないか。」
これが僕の感想。評価。感激。
そのあとの分科会ものぞく。分科会報告は僕ののぞけなかった部分を十分に補ってくれる。
「いいじゃないか。」
時計が動く、教室も動く。その教室の子どものリズムが同じような動きに変化をつくる。
教師の学習指導案も動き出す。あっちにこっちに。思わぬ展開に。
「いいじゃないか。」
残り10分。だんだんとまとまってくる。学びに流れができてきている。
チャイムがなる前、4つの教室の学びがまとまる。同じように。
普段から、この学校で、いや日本中で日本中の教室が同時に動いていることを改めて感じた。
この小学校、「いいじゃないか。」
2月はじめ
おはよう国語教室
丸太が我が家にやってきた
国語教室通信18号発行
きょうは「国語教室通信18」を発行した。
研究会への参加や講演が片っ端からなくなり、突然できた時間を有効に研究に結び付けたいと考えた。静かな中にも熱さをと、国語教室通信を作成した。テーマは「学習指導要領と評価」。
はやいもので、この通信ももう18号だ。さっそく各地から反応をいただいた。てらまい、ありがとう!小野さん、感謝しています。こういう声が僕の背中を押してくれる。まるで夕日のように。
さて、19号はどのようなテーマで綴るか。壮!理恵さん、恵理さん!粗相野!なにかリクエストはありませんか。
バックナンバーのタイトル一覧
2020 04 04 国語教室通信01/「教えること」を考える
2020 04 12 国語教室通信02/今だからこそ単元学習
2020 05 08 国語教室通信03/学習課題についてちょっと丁寧に説明してみようと思った
2020 05 21 国語教室通信04/学校再開を祝し,改めて言語活動について考えましょう
2020 05 22 国語教室通信05/学んでいることをコンパクト・ライティングで実感させよう
2020 07 10 国語教室通信06/新上五島町立今里小学校の校内研究への応援便り
2020 08 25 国語教室通信07/あくゆうの会,元気です!やっぱり学習課題
2020 10 01 国語教室通信08/時津東小学校の授業研究「7歳が《私の問い》を立てる」
2020 10 05 国語教室通信09/「声」国語教室を点検する
2020 10 06 国語教室通信10/全体像をめんどうなものと考えていないか
2021 01 09 国語教室通信11/見通し・振り返り
2021 02 01 国語教室通信12/「問い」の絞り込み
2021 05 21 国語教室通信13/第4の書く
2021 09 12 国語教室通信14/学びのつながり
2021 11 23 国語教室通信15/上五島
2021 12 08 国語教室通信16/小林明子実践に学ぶ
2022 01 20 国語教室通信17/「めあて」について考えてみた
2022 02 04 国語教室通信18/教師には評価の学習が必要です
神さま、きょうも一日をありがとうございます。お願いごとをよくばってしまう小さき者であることはよくわかっています。
いきなり企画更新、「おはよう国語教室」
昨晩の企画を両手に床に就いた。そしてまた考えた。
まずは土曜日の設定を見直した。2月3月は入試シーズン。土曜日は思いのほか予定が詰まっている。
ということで、日曜日の早朝、朝6時から参加可能、6時30分から90分間、しっかりと学びましょう!という企画に更新することにした。
限定12人。
会の名称は、「おはよう国語教室」。
日程は次の通り。
Season 1
エピソード1 2月20日 Sun. 6:30-8:00
「単元びらき」を通して子どもの学びが立ち上がるから
教師は年間計画を作成するのが楽しくなる。
エピソード2 2月27日 Sun. 6:30-8:00
「学習課題」が子どもの主体的な学びを実現するから
教師は単元づくりが楽しくなる。
エピソード3 3月06日 Sun. 6:30-8:00
「言語活動」は教科書どおりを基本とするから
教師は学級の子どもにが合うようにカスタマイズするのが楽しくなる。
エピソード4 3月13日 Sun. 6:30-8:00
《私の問い》とその解決は日常的なSDGsだから
教師は子どもの《私の問い》を立てる力の成長にかかわるの楽しくなる。
エピソード5 3月20日 Sun. 6:30-8:00
「試験・適用題」は点検の場ではなく子どものまとめの学習の場あるから
教師は問題づくりが楽しくなる。
エピソード6 3月27日 Sun. 6:30-8:00
「評価」の計画は子どもにも教師にも役立つものであるから
教師は評価計画が楽しくなる。
Season 1 は、12名ではじめます。基本的にseason2以降、まったく同じエピソードを行う予定はありません。
先着順で申し込みを受け付けます。mailかLINEで申し込んでください。
次年度、個人の国語科指導力を高めたい方、これまでの授業のリフレクションを試みたい方、新しい授業観にアップデートしたい方、校内研究等のテーマを検討中の方、研究担当として学習指導要領について学びたい方、一緒に学びませんか。日曜日の朝からの学びで、きっと最高の週のはじまりを迎えられることでしょう。九州地区限定の会ではありません。何処からでも参加可能です。
お気軽にどうぞ。mailをくださった方には詳細を返信します。
「土曜日の朝学習」という企画
僕の友達に指導主事がいる。彼は今忙しい。僕の数十倍も忙しい。
僕は平穏な時期に動き回っている。今のような非日常的なときは静かになってしまう。することがない。
彼は、この非日常的なとき、猛烈に動き回っている。もちろん平穏なときも活躍している。
いま、僕は何をすればいいんだろう。何を望まれているんだろう。何を、、、
そして考えた。考えていたことをやろうと動き始めている。
単元づくりについてのオンライン研修を全6回くらいでやってみようと計画している。土曜日の朝の時間帯に「土曜日の朝学習」をやろうと企てている。
第1回 「単元びらき」を通して学びが立ち上がるから年間計画が楽しくなる
第2回 「学習課題」が主体的な学びを実現するから単元が楽しくなる
第3回 「言語活動」は教科書どおりを基本とするからオリジナルが楽しくなる
第4回 《私の問い》とその解決は日常的なSDGsだから更新するのが楽しくなる
第5回 「試験」こそが学習のまとめであるから問題づくりが楽しくなる
第6回 「評価」の計画は子どもにも教師にも役立つから評価計画が楽しくなる
こんなメニューだったら受けてくれる人、いるだろうか。各回2,000円。全回参加は10,000円。限定12人。という予定。
非日常なときだから、静かに熱くなりませんか。
やることいっぱい、土曜日
やっと休日。やっと土曜日。指折り数えて待ってた週末。僕はいささかいそがしい。
この冬に使った分だけ薪をこしらえておかなければならない。三年分を薪棚に積んで大満足。
40年ぶりに自転車を引っ張り出してきた。越してきたばかりのときに近くを走るために仕様をかんたんにした。それを日本一周の旅をしていた頃のスタイルに戻すつもり。道具はある。材料もそろえた。意気込みは最高。あとは時間。
だから、きょうの午後は、まっさきに自転車を分解した。
フレームにある傷はぜんぶ覚えている。五島三井楽のぶっつけ傷、信州上田のすり傷、北海道浜頓別のへこみ傷、青森竜飛崎の打ち身の傷、和歌山串本の水没の傷、愛媛道後温泉の衝突の傷。ぜんぶ覚えている。傷をひとつずつ確かめているから時間ばかりくってしまう。
薄暗くなってきた、と、見上げた大村湾は夕景。
神さま、こうして学生時代の自転車にふれていると、置き忘れてきたものをたくさん思い出しました。残してきたものを思い出しました。きょうも一日をありがとうございます。明日からの新しい一週間がよい時間になりますように。僕は謙遜のうちにつながっていきたいです。
よい一日
朝がだいじ
BICのオレンジ軸のボールペン
知らなかった、生産中止だとは。
そろそろ在庫がなくなってきたから注文しようと、インターネットを見たら、生産中止になっていた。もう売っていない。僕の机にも大学の研究室にも、もう数本しかない。
学生のとき、新宿の紀伊國屋書店で出会ったのがはじまり。それからずっと使っていた。いつも使っていた。五島の職員室でも文部省での会議のときも、附属天王寺小学校の研究発表会でかっこつけていたときも、大村はま先生のことばをノートに綴ったときも、旅先の凍える手にも、酔った居酒屋の割り箸袋の裏側にも。
きょうは朝からぽっかり胸に穴が空いたよう。
神さま、僕はちょっと元気がありません。聖パウロの祝日なのに。ぱうろも元気をとりもどします。
こだわりって、かわるもの
若い頃、ソーセージやベーコンを手作りすることにのめり込んだことがある。身体によいもののみを使い、てまひまをかけ、安心に満ちた自家製は間違いなく美味い。
家族に食べさせたり友人に送ったり、とにかく、てまひまを楽しんでいた。
手づくりは間違いなく美味い。
だけど、こだわりってかわる。
今となっては、シャウエッセン。シャウエッセンの安定した美味さは間違いない。こいつがあればビールも進む、チャーハンも光る、うまかっちゃんもごちそうになる。
ということで、おじさんになった僕はシャウエッセン人になりつつある。
研究はだれの都合か
次々と講演会や研修会が取りやめになっている。先ほどもある校長先生からメール。「本当に申し訳ございません。おゆるしください。」との言葉に胸がいたくなる。校長先生のせいではありませんよ、って、そんなことあたりまえ。
やろうと思えばできるのだろうが、やらないという決断。これって、悲しい。
昨日もリモート、一昨日もリモート。画面越しの先生たちの姿は懐かしくもあり頼もしくもある。同時に「つかれていませんか」という言葉が陳腐に思えるほどに疲弊されているのが伝わってくる。
社会が元気になったら取り戻そう!と言っているが、本当はそうじゃない。今は休憩時間ではない。今も研究は続いている。子どもが学校にいようがいまいが、研究は続いている。集まることができてもできなくても、研究は続けなければならない。
明日に予定していた鹿児島での「僕の授業」も延期。単元びらきと単元のまとめをさせてもらう予定だった。
だけど、いいこと思いついた!完全リモート授業で、単元まるごとをさせてもらうっていうアイディア。
教室に一台の大きな画面の達富先生ではなく、一人一人が持つ端末に僕が映る。そして、一人一人もそれぞれの画面に。
全員が教室にいるのに「一人学習」。じゃあ、「二人学習」はどうするか、「私たち学習」はどうするか。
それを考えるのがきょうからの楽しみだ。
神さま、新しい学びの場をありがとうございます。今は、決して悲観的な時間ではなく、ふだん忘れかけていた絆を思い出し、取り戻す時間なのかもしれません。
南東の杯
友の親父が逝ってしまったらしい。
50を過ぎてもなお少年の瞳からは涙の雫がこぼれていることだろう。奴が悲しみのうちにいると思うと、亡き父にも増して奴が不憫だ。
常に人のことを思い、和を重んじることに法った奴の生きようは、奴の父そのままなんだろう。想像に容易い。
父の名前を忘れる奴などいない。人の名前は自分だけのものではなく、つながった者のためでもある。先の人は後の者の名前を知る術もない。後の者は先の者の名前を心に留めないはずがない。
奴の父の名前は、これからの奴の生きる道標になる。奴の父の名前は、これからの奴の背中を押す。奴の父の名前は、これからの奴の家族を支える礎となる。
奴の父の名前は、これから先も確かにある。
奴も父だ。僕も父だ。父はどうあるべきか。決して越せない父の存在を感じる夜だ。
常に道に法って生きる。その道とは何か。奴は道を問いながらの道を生きるだろう。そして、そこに道は確かにある。道は道をつくる。
伊佐はどっちだ。この小家からは南東のはず、今夜は南東の星に弔いの杯を捧げることにする。父を語りながらの杯。
神様、きょうも一日をありがとうございます。愚弟がゆっくりと別れに浸れますように。いつも急ぎ過ぎの奴ですが、ここばかりは時間をかけて道を調えられますように。
そして、ゆっくりとした別れのうちに届いた言葉。「父と共にこれからの人生を生きるんだという思いを強くすることでした。常に周囲に心配りをした父、文句をこぼすことなく黙々と作業した父……。父を弔いつつ、残された母を気遣いながら、私らしく生きていこうと思います。」
父と語り合った奴がやっぱり不憫だ。弔いの酒ならいつでも付き合うぞ。