たつログ

ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。

えとせとら

ソースをめぐる旅に出よう

実はソースが好きだ。今は金蝶ソースが定番だけど,実はソースは興味深い。全国各地にご当地ソースがある。

ということで,これから定年までの間に九州ソースをまるごと経験しようと考えている。もちろん,コンプリートのときには『ソースの入った鞄』(仮称)という本を出版するつもり。

壮,ぴんきり,宏ちゃん,中尾,赤城ィ,大地をはじめ,みなさん。ご当地のソースを教えてくださいな。

オートラベル君,道案内は頼むよ。

最高の夏にしようぜ♪

あれから3年。

ジントシオ氏による応援歌にアルプスが揺れた夏。あの夏、甲子園に憧れた中学3年生がこの特別な夏を駆け抜ける。

ここで打てよ!早稲田佐賀♪ここで打てよ!早稲田佐賀♪最高の夏にしようぜ!

あのスタンドにいた僕は、あの日と同じ緑の文字のTシャツを着て、きょうの第2試合を想ってる。

夕方、プロ野球が始まったころ、早稲田佐賀が8回表に試合をひっくり返したとのニュース。

昨晩は佐野のサヨナラ。今夜は今永も好投。

感染症でも不安定な気候でも、やっぱり夏は球音。

2020年7月25日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

今朝はFMで!

きょうは月に一度のFMで語る日だったけど、大雨の影響で、見送ることになった。確かに、こんな雨の中、僕ののんびりしたコミュニケーションの話は向かないかも。

ということで、今朝は少し大きめの音でシューマンのピアノ協奏曲 作品54。クリスティアン・ツィマーマンのピアノが気に入ってる。

かけがえのない「あくゆう」たち

「ようこそ!のボード」と「アルコール消毒」が同居している教室。こうすることで授業研究できるならと,徹底的予防をほどこして教室に入る。生徒の熱い学びに包まれるきょうを指折り待っていた。

授業者のマスク越しにひかえめな思いと健気な努力がうかがえる。応援したい。

参観者の誰もがこの教室に一緒にいられることの幸せに浸ってる。

僕は5人の生徒としっかり話した。個々の《私の問い》を聞き,言葉を返し,《問い》の立て方を教えた。ふだんなら,参観中に語りかけることはほとんどないんだけど,きょうは積極的に声をかけた。この生徒たちが《問い》を立てる力をつけるようにと,僕も熱くなる。

そんな時間をくれた立和田教諭に感謝だ。

そして,川内駅から川内駅まで,ずっと僕の鞄をかかえてくれた河野さんに感謝。昼の蕎麦は間違いなく美味かった。

正真正銘の蕎麦。蕎麦っぽい偽物がふえている中,本物の味と香りが僕の舌にしっかりと残っている。

そうそう,「っぽい」話。

言語活動っぽい時間になってしまいそうなときは,学習課題に立ち戻るのがいい。

育成を目指す資質・能力,そこで扱う作品の特性。だからこその言語活動。そして,その過程で有効な思考操作。これらがうまくつながらなければそれは「っぽく」なってしまう。国語っぽい授業にならないように,教えてるっぽい教師にならないように(こんな日本語,ほんとは嫌なんだけど)。僕たちはずっと本物をめざす仲間でいよう。

キャンパスの並木道

学生がいないキャンパスにまだ慣れない。大学スタッフや教授はいるのに学生がいない。

やはり学びの場の主人公は学び手だ。だからこそ僕たちは,教えることの尊さに襟をただす。改めて,矜恃の中で。

教師への夢,教師だからこその夢

きょうは九州での教員採用試験の日。応援団長さんとしては,朝から落ち着かない。とにかく,等身大。とにかく平常心。とにかく普段着。

そんな朝。熊本に向かう新幹線に届いたメール。

しっかり,やっておいで。

教師への夢をふくらませる若い命に責任ある応援をしたい。

さて,熊本。

いつになくつややかな表情でお出迎え。

ここから,5時間半の勉強会。一気にすすめた5時間半。

「本日は長時間の研修、ありがとうございました。説明文や物語文の具体的説明をいただけたことに感謝いたします。また、評価のことにつきましても、これからの研究につながるご示唆をいただけたことに感謝致します!」
 
と届いた声。僕たちには学びきったすがすがしさが残っている。
 
教師として働いている同志,仲間だからこそ,厳しさと分かりやすさの応援をしなきゃならない。
 
新幹線を待つ間,はめを外さない程度に「小さな打ち上げ」。
 
 
学び浸った日曜日。

ひと安心,だから長崎

祥平。無事,着陸。神様、ありがとうございます。

ということで,別にセンチメンタルになったわけじゃないけど,祥平のいない長崎に来てみた。

今や,あのホームに線路はない。

枕木は長い歴史を終え,山積みにされている。

なんてことだ。

このホームには,思い出がつまっているのに。

とりわけ,祥平と乾杯したホームでのサッポロ★。

ということで,祥平の無事到着を祝って,聖地でお昼。

神様,ありがとうございます。

いちばん年下のともだちは現在トランジット中

トランジット。

安心。安心。ちょっとオランダしておいで,と注文を出したら,

こいつ,ちょっと緊張しているのか,根が真面目なのか,時差のためか。

とにかくいい奴。

神様,祥平に祝福をお願いします。

2020年7月11日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

いちばん年下のともだちはまだ日本

「しばらく和食と離れるからちゃんと日本の味を残しておけよ」と言ったのに,届いたラスト「ニッポンの夕食」は,

とのこと。

やれやれ。

そして,いよいよ空港ロビー。今度こそ,ラスト「ニッポンのおやつ」のはず。

なんやねん,このメニューは。

これがいちばん年下という証拠。

ところで今どき「飛行場」って言わんやろ。確かに飛行場やけど,空港やろ。

まあ,日本語はもうええよ。しばらく使わんやろうから。元気で行ってこい!

いちばん年下のともだち

いちばん年下のともだちが異国の地をめざして旅立つ。大村空港からのメッセージ。

元気な姿ともしばらくお別れ。

単元びらき

単元びらきについて考えた。

「単元びらき」とは,子どもにとって単元との出会いである。それは,「読むこと」の単元の場合,作品との出会いでもある。しかし,それだけではなく,学習との出会いでもある。

作品との出会いだけになってはいけない。単元での資質・能力の育成がかすんでしまうから。

といって,学習との出会いだけになってもいけない。感動的な単元のはじまりになりにくいから。

「知的好奇心に満ちた感動」をつくるには,それは「力を出し切ってやってみたい」と子どもにつぶやかせることに尽きる。

単元びらき。教師の専門性が問われる数分間である。長すぎても短すぎてもいけない。「学びどき・教えどき」を見極めて,必要ならば,15分で切り上げて,続きは2時間目に,評価のことは3時間目に。語彙のことは,先取って,単元びらき前に。

やはり外せないのは「学習課題」。そして,この「課題」を子どもの内側にしみこませるには,子どもに「力を出し切ってやってみたい」とつぶやかせるには,専門職としての教師の語りが必要だ。ここには甘えも妥協もない。

先生とあそびたい!

仲間からの便り
 
「昼休みに先生と一緒に遊びたいからと言って、子どもたちが梅雨の中作ったてるてる坊主の写真です。みんなで解決すべき問題も起こしてくれますが、かわいらしいこともたくさんしてくれる子どもたちに、心癒されております。」
 
このメールに癒やされている僕。
僕が癒やしてあげられるのは誰だろう。

この愛おしいゼミ生

自慢です。

zoomのゼミでも楽しい。

僕も同等に学んでいる。そこは真剣勝負。だから楽しい。

僕の自慢の「たつゼミ」。

週にいちどのON-LINEゼミ,そして,ときどき,ポストに投函。

僕は大学にいるのに,ゼミ生はアパート。だけど,ON-LINEでつながっている。郵便でもつながっている。

この不思議な距離感を今しばらくは楽しむつもり。そして,握手できる日が来たとき,もっともっとしなやかなゼミになっていることを確信している。

とにかく,このゼミが大好きなんだ。

きたきた,この葉書

決して近くはない居酒屋からの葉書。

「営業再開」

分かりましたよ。すぐ行きますから。

いつものメニューを調えておいてください。
いつものメンバーを揃えて伺いますから。

では,来週の金曜日に。

さて,カエルと旅

兄貴がかわいいものをくれた。上着を肩に掛け,帽子を乗せ,四角い鞄を下げたカエル。

こいつを連れて少し遠出をした。

久しぶり。

天神さん

毎月,25日は天神さんの日。

きょうは全国のニュースに,幼い頃の遊び場所が映っていた。

テレビの中の人がみんな知り合いに見える。僕もその中にいるよう。

二つ目の鳥居の下の屋台の店の串カツが美味しいよ。

こんなかんじの応援

今年の研修会はこんなかんじ。離ればなれ。聞く側も話す側もどことなくぎこちない。

その中で一体感を創るのが腕の見せどころ。

帰り。お見送りの先生がたの表情に満足している僕はお調子者だとわかってるけど,とにかく一生懸命,伝えました。

神様,きょうもありがとうございました。私の働きがみなさん明日に役立つものとなりますように。

ひだまりロス

元運営委員のはからいで,6月20日がみごとな一日になりました。

誕生日の有効期間が10日ほどあったことをうれしく思いました。

もうすぐ夏至だというのに,残念なことに日の暮れるのが早過ぎます。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

個人差に応じる指導

個を活かす授業とか、一人一人を大切にした授業とか、そのようなことはさまざまあるけれど、結局は「個人差に応じた指導」ができるかどうかだと思う。

ここにはいくつかのわたしたちへのメッセージがある。

個人差を見ているか。

どうやって見ているか。

個人差を言語化しているか。

どうやってその個人差に応じているか。

応じられたか。

個人差に応じた効果はどうやって測定するか。

効果はあったか。

だから明日はどうするか。

明後日はどうするか。

わくわくする。わくわくするから、このことについて仲間と語りたい。

やっぱりしびれる

配球といい,キャッチングといい,さりげなくボールを拭う姿といい,バッターを見るまなざしといい,やっぱりしびれる。

きょうは1打数1安打。

応援しているよ,ジョー。
テレビを撮っているおじさんファンより。

2020年6月12日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

こんなことしてたんだ

机の引き出しを整理していたら古い新聞の切り抜きが出てきた。2008 03 22 新聞(←click!)の社説。

あの頃のまねはもうできない。弟の活躍を見ているようだ。さあ,このバトンとたすきは次の世代に。九州各地の仲間たち,タッチを受け継いでください。

名前は「まくら」

これ,なあんだ。

上五島の花ちゃんから届いた磨き上げた木片。とにかく,あたたかい。

「心がとげとげした時,まあるくさすると心がまるくなります。」との効能書き。確かに,そうなることまちがいなし。

だけど,僕は,心がとげとげしないように,これを両手で包んでいようと思う。これに頬を乗せていようと思う。

だから,「まくら」と名づけた。ありがとう,花ちゃん。

きょうの晩餐

まだ会ったこともない子どもから教室の風景が届いた。子どもの元気な声は僕を元気にする。担任のはからいがうれしい。

きょうから新しい財布。Paulと刻印がしてあるお気に入り。たくさんのポケットにカードを調える。暗くても間違えないように並べる順番は30年間同じ。革の感触を確かめてから夕焼けの湯につかる。

風呂上がりは白いシャツ。お気に入りの新しいPapasのポロシャツを着て,まずはサッポロ★。

今夜は大好物の鴨鍋。どんなに暑い日でも鴨鍋。京都,山本のお豆腐をたっぷり入れる。たまらない豆の味。

酒の肴は鶏。北野鳥松の軟骨と皮を塩で焼く。絶妙。京都三昧。

続いて焼酎。鹿児島の焼酎を選び,薩摩黒千代香であたためる。芋の香りが引き立つ。あこがれだった酒器に大満足。美味い焼酎がさらに美味くなる。

しばし酔う。

食事の後は,京都の教え子から届いた写真と言葉にきょうまでの年月をふりかえる。

そう言えば,佐賀と長崎の若い男からも手紙が届いた。「手紙を認めることが習慣になった」とのこと。うれしいじゃないか,こんな仲間がいることに安心する。

きょうは拓郎さんの曲を高めにならす。
繰り返し聴きながら,フルーツのアイスクリーム。甘夏と雪しおミルク,彼杵茶の味。これが酔った身体を調えてくれる。

そして,最後の一品は,まあるいケーキ。

ふうっと息をふきかけて,「誕生日,ありがとう!」
拓郎さんの「いくつになっても happy birthday」を聴きながら,僕は幸せに酔っている。

朝の6時9分に届いたmessage。途切れることのないLINEやmailにお辞儀しながら返事を送ってる。

ありがとう,みなさん。幸せな1年がはじまります。

神様,遣わせてくださってありがとうございます。

あじさいは星をあつめて,

この季節が来た。あじさい。我が家の庭がいちばん華やかに彩られる月。

双子座から蟹座へ。天球はすっかり夏。このあじさい,ひとつひとつも小さな天球のよう。

蟹座の神様,お月さんの神様,cynthia(シンシア)。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

まちがいない

まちがいない。我が家の庭には啄木鳥がいる。

朝からコココココッと連続する木を打つ音。

まちがいない。いる。

写真はまだ撮れていないけど,もちろん,「おとや」と名付けた。

あれからどのくらい経ったんだろう

ほんとうに久しぶり。一日に1000キロメートル以上移動することも珍しくなかったのに。きょう、このJRが妙に愛おしい。

列車が揺れる。窓に景色が流れる。そして僕が君の街に行く。

ただそれだけのことに心おどらせる。

週明けは、西海東に時津東。いよいよ動きます。

神様、きょうもありがとうございます。

新しい服

5月31日,この特別な日に,僕は一編の詩に出会った。その一節。

けがれたものを清め,すさみをうるおし,受けた痛手をいやす。
かたい心を和らげ,冷たさをあたため,乱れた心をただす。

こんなことは自分の力でできるものではない。
いつの間にかそうなってしまっている。
いつの間にかそうできている。
見えない力に包まれて,新しい自分になって生きていることに感謝している。

半世紀以上生きてきて,何度もけがれやすさみに苦しんだのに,今がある。
受けた痛手は数え切れない,だけど,今も生きている。
かたい心になってしまうことは常。
自分の冷たさに自分が凍り付く。
それなのに今もこうしている。
なぜこんなに心乱しているんだろう,ときょうも心乱している。
そんな僕が明日を待っている。

見えない力に包まれて,新しい自分になって生きていることに感謝している。

神様,新しい服をくださってありがとうございます。

2020年5月31日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

ちょっとだけ,贅沢。

在宅勤務。これが思いのほかたいへん。授業準備に昨年度までの数倍の時間がかかる。

通勤時間がない分,効率はいいが,とことんやってしまう性格をなおさない限り,24時間営業になってしまいそう。zoomっていう会議はプライベートにどんどん入ってくるし。どこかに雲隠れしたくても,県をまたぐこともできない。それが在宅勤務。

そんな中,たったひとつの贅沢。

我が家からの夕景を楽しめること。

カヤックに乗って,昼間のデスクワークでかたまった身体に空気と水分を送る。

これが一日の楽しみ。

神様,きょうも一日の働きをありがとうございます。

勝った試合は何度見てもいい

昨年度の快勝のゲーム。

ベイスターズのチャンネルで放送中。負けていても大丈夫,勝つことが分かっているから安心して観ることができる。というか,ここに僕が映っているはずなんだけど,,,,

2020年5月29日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

Please,休刊

2月22日に天草の松屋に行ってから,僕はおとなしくしている。

だから,JRにも乗っていない。ということは,車内誌,Pleaseももらっていない。

ということで,先月も駅に行ってもらってきた。早くしないと5月号が処分されると思って,きょう,いそいそと出かけた。

あり得ない。

休刊。

九州の文化が止まってしまう。この車内誌で知った名所名店名言がいくつもあるのに。

ここに暮らすようになってからの全号は僕のたからもの。

2020年5月28日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

目覚める時だから

朝日を身体に浴びるというのは、間違いなく身体にいいと思う。心にいいと思う。

2290字の思索

九州の通信を送った。私の中では「学級通信」のようなものである。だから読者からの反応は期待してはいけないと思っている。反応しないのではななく,反応できない,今はできない,その術をもたない,ということがあることを知っているから。

反応を期待してつくっているのではないと言うと嘘になるが,どう読んでもらえるかよりも,どう伝えられるかだ。だからこそ,思いがけないときに感想をもらったり,こぼれ話を聞いたりするとうれしくなる。何より,これが役立つものになってほしいと願ってる。

小学校の担任をしていたときのエピソード。
学級通信「藍より青く」は金曜日発行。子どもと兄弟と母親とおばあちゃんとの金曜日の夕飯は「藍より青く」の話題になるそうだ。
そして,食事の片付けのあと,「藍より青く」は冷蔵庫にマグネットで貼られるそうだ。
深夜,帰ってきた父親は冷蔵を開け,缶ビールを飲みながら,冷蔵庫の前に座って「藍より青く」を読むらしい。なんともうれしい光景だ。
その父親が年末の個人懇談会に登場。
「先生,はじめて会った気がしません。」
なんともうれしい一言だった。

僕の「九州通信」がそんな存在になればいいなあ。

一方で,反応があることは正直うれしいし,私自身の大いなる学びになる。文章にしてよかったと,自分の仕事が役立つものになっていることを誇りに思う。

この休校事態の間に3通の通信をつくった。昨日で佐賀大学の在宅勤務も解除されたので,通信もこれで終わり。

 

この3通の「私の独り言」に付き合ってくださったみなさん,ありがとう。一方的な「送りたい放題」を許してくださったことに感謝している。

そして,声を返してくださった方々にも感謝。

昨夕,届いた熊本からの「2290字の思索」に兄弟愛みたいなものを感じた。正直,ここまで読み込んでくれているんだと身体が熱くなった。
僕が綴った時間よりも,返信に費やした時間の方が長いにちがいない。

この「たつログ」や「通信」が,謙遜の中に生きる者としてみなさんの仕事に役立つものとなっているなら,こんなにうれしいことはない。

通信の反応は,達富「に」ではなく,みなさんの仲間内「で」大いに話題にしてほしい。

そして,できれば僕もその仲間内の語り合いの中に入りたい。

神様、きょうもありがとうございます。感謝のうちにきょうの仕事を終わります。

季節の中で

朝ごはんのあと,西瓜を食べた。

ひまわりも咲かないのに,夕立も降らないのに,西瓜だけがひとあし早く,夏を連れてきた。

そう言えば,小満も過ぎ,あとひと月で夏至。そのころは,みなさんの町に行きます。

さて,完全朝型のこの2ヶ月。朝型というより早寝型。3時にはごそごそと動き出す。空が白んでくるまで星を楽しみ,朝の匂いが漂いはじめたら音楽を少し高めに鳴らして神様にお祈りをする。

その音楽は,「おしえて」♪。これ以上の朝の音楽はない。

https://www.youtube.com/watch?v=h0MreS3bWak

近く,僕は干し草の中で眠るつもり。

ことば,届けます。

5月21日。きょうは5時21分から勉強している。仲間たちに通信を送ろうと思い,ノートに書き留めていた名台詞を集めた。結局,それらの過去の言葉は一切つかわず,今の心のうちを一気に書き上げた。そして,送信。

さっそく,天草から反応。そう言えば,2月22日以来,3ヶ月。赤城ィ!元気にしとるかあ。語りたかあ!

素早い反応の,ふっちい,えりぐ,のん,ぴんきり,きり,ありがとう。次号はコンパクトライティングについての予定です。

話しなおし,聞きなおし

on-line授業,その方法はさまざま。僕はiPadを使って,普段の講演のようにしゃべって,それを動画にして配信している。10分程度の動画を3本ほどのセットにして1回の授業としている。

「では,ここで《私の問い》を立ててみましょう。」

「《問い》のサンプルはこういうものです。《問い》を立てるには,」

「さて,学習課題にどれほど迫れたか,何が解決できなかったか,振り返りの時間です。」

まさに,授業だ。しかも,動画で十分できる。動画の方がいいこともある。それは何か。

待たないことだ。目の前に学生がいると,つい待ってしまう。必要だから待つんだけれど,必要以上に待ってしまう。
余計なことを話さないことだ。目の前に学生がいると,つい話してしまう。求められていないのに言葉を付け加えてしまう。
聞かないことだ。目の前に学生がいると,つい聞いてしまう。僕へのアドレスではない声にも反応してしまう。

待つこと,話すこと,そして聞くこと。これらは授業者として大事なことだ。だけど,過剰反応してしまうのが教師かもしれない。

動画をつくる。その際,気をつけるのは,どれくら待つか,どこまで話すか,リアルタイムに聞こえないからこそ,どのように編集するか,だ。

そのために,動画を何度も何度も見る。上手に話せていない自分が恥ずかしい。どこの地域の言葉か分からないイントネーションが嫌になる。小さく聞こえる波の音が気になる。

そして,何度も取りなおす。話しなおす。そして,聞こえない「声」を聞きなおす。

このon-line授業研究。新しい僕を創ってくれている。僕の授業力,進化しています。

銘菓は味に加えて人の情

長崎の「おたくさ」に「茂木びわゼリー」。
「博多通りもん」。
もちろん,鹿児島「かすたどん」に熊本「陣太鼓」。
唐津の「松露饅頭」。

それに勝るとも劣らない一品。

熊本阿蘇の「天空の道」

きょうのおやつは贅沢。

ということで,夏にはPENNY LANEで集まりましょう。各地の美味いもの(お菓子よりも,,,)を持って集合!

サッポロ★100本,冷やして待っています!

そうそう,大分の生野先生にいただいた「かぼす」に花が咲いた。

夏にはこれで「耶馬美人」。

我が家の檸檬にも花。

なんとも文学的な日曜日。

神様,きょうも一日をありがとうございます。

さて,土曜日

雨の土曜日。

土曜日の夜に届いたメール。

みんな会いたがっている。もちろん,僕はそれ以上に語りたがっている。

やりたいこともやらなきゃいけないことも増えてきた。

明日はお天気の日曜日。ミサも部分的に開いてきている。

神様,きょうもありがとうございます。導いてくださってありがとうございます。

参ろうやなぁパライソへ

新聞を変えたことを言い訳にいちゃいけないんだけれど,見逃していた。
5月15日の朝刊で知った。4月19日,皆川達夫さん帰天。

シューベルトの楽興の時 第3番 ヘ短調。日曜日の出勤はラジオのこの曲から始まる。そして「ここでお別れいたします。みなさん,御機嫌よう,さようなら。」で朝と調える。

「たつログ」のカテゴリーにある「ごきげんよう」も皆川さんの真似。僕のon-line授業の動画の最後の「みなさん,ごきげんよう。」もそう。

皆川先生の肉声は,オラショ研究のお話しで何度か聴いたことがある。柔らかくも本物を伝えるその声に,研究への姿勢,かつ「出たとこ勝負」という言葉に込められた「導かれている」という謙遜が伝わる。

パライソでもきっと人生を感激されているに違いない。

「ここにお別れいたします。みながわさん,御機嫌よう,さようなら。」

中止の残念<届いた便り =いい一日

残念なお報せ。

6月14日に予定していた,シンポジウム in 長崎。今の状況を配慮して延期になりました。理想教育財団のホームページでは「中止」となっていますが,「延期」です。秋の長崎での開催を目指して計画中です。6月に予定していた以上の内容でできるように創造的に進めます。ご期待ください!

だけど,
直後にうれしいお報せ。

・・・・・・・・・・・
先生からいただいた通信を読み、学習課題の意味について再考しました。
学習課題をどれだけ子どもの姿で具体化できるか。
つまり、あの子もこの子も動き出すことができる思考操作は何なのか。
通信を頂いてから、私も5年の説明文「言葉の意味が分かること」で学習課題を考えてみました。

A:この単元では「文章の要旨に対して自分の考えをまとめる」力をつける学習をします。
B:筆者の考えや事例に対して「納得できる、できない」ところと、自分の知識や経験を結びつけて、
C:5-1新聞「声voice」欄に『言葉と私のこれから』の投稿文を書こう。

学習材に出合わせる前に、「国語や外国語の学習で大切だと思うことは?」と問いかけたり、「知らない言葉に出会ったとき、あなたはどうしますか。」「あなたが、小さな子どもに『コップ』の意味を教えるとしたらどうしますか。」という問いの文を提示したりして話し合わせておくことで、「自分の知識や経験」を掘り起こしておこうと思います。
その上で、学習課題を提示し、学習材と出合わせます。

「みなさんはこれからも〜『言葉の意味は面である』ということについて、考えてみてほしいのです。」
という筆者の考えを受け、「言葉と私のこれから」というテーマで投稿文を書くという言語活動です。

《私》化した問いの例をこれから考えてみようと思います。
今後ともご指導よろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・・・

みぞ,ありがとう。落ち着いたら,熊本に行くよ。HERO海で明るくなるまで語りつくそう。そして,1月には合宿をしよう。みぞのライフヒストリーに僕が居られることをうれしく思っています。

中尾とみぞの言葉が僕の背中を押してくれているのはまちがいない。

下通の電車道,その横のビル,少し歩いたお好み焼き屋,えらい高い支払いをした豚足屋,どれもが忘れられない思い出。二人に心からの感謝をささげます。

神様,きょうも一日をありがとうございます。明日の新しい朝を楽しみにしています。

zoomで研究会

正直,自宅の書斎(僕は図書室と呼んでいるけど)に会議が入ってくるのには抵抗があるけれど,この時節そうも言ってられない。やってみると,すぐそこに仲間が居るようで,それはそれで楽しいし,気に入っている。

すでに数回,このzoomっていうものの恩恵を受けた。確かに便利だ。だけど,もっと使い方がある。まだまだ満足度は低い。クリエイティブな教師として,この程度の使い方ではつまらない。そのうち,飽きてくる。飽きてくると参加者は減る。どうすればいいか。

そんなことカンタン。

そりゃあ,通信でしょ。こんな時期は

ほかにすることがなかったわけじゃない。だけど,どうしてもこの質問に答えるには「丁寧さ」が必要だと思った。だから,言葉を探しながら,だけど,話しかけるように書かなきゃ,って一生懸命に仕事をした。

まず,質問をくださった学校に,そして,次に九州の仲間に届けた。

そして,驚いた。すぐに,ほんとうに,すぐに返信が届いた。たくさんの方から。

学級通信を配ったとき,椅子に座るのも忘れて,通信を読みふける子どもたちを思い出した。まさに,そんな景色。

この通信で,僕は,新たな枠組みを提案した。

《問い》には,
①「指導事項的な問い」
②「言語活動的な問い」
そして,
③「《私》化した問い」である。

実は,この①と②の間に,「内容把握的な問い」がある。

これまで私(私たち)は,この「内容把握的な問い」を発問として教室にばらまいてきた。時に「こんなことを考えてほしい!」と熱を込め,時に「みんなの初めの感想を読むと,こういう感想が多かったんだけど・・・」とすり替え,時に「分かる人?」と限定的に内容把握の流れを作り,授業と呼んでいた。

①は教師として当たり前のレベル。②は授業研究レベル。
「内容把握的な問い」は教師の研究ノートのメモレベルだ。

「《私》化した問い」,これこそが,《私の問い》である。子どもが学ぶ教室が,③の「《私》化した問い」で溢れますように。

きょうの通信がほしいかたがいれば,連絡をください。PDFでお届けします。

さて,夕飯。

と,その前に,先ほどの通信の感想メールを紹介。真っ先に届いたのは熊本から。

・・・・・・・・・・・
達富 洋二 先生
とてもわかりやすい通信をありがとうございます。
「3フレーズでつくる学習課題」は達富先生のお考えの根幹を示すものだと思います。
私の実践も、学習課題が核になっていることを実感致しますし、言語活動とわたしの問いが学習課題を核にして、言葉の学びを生み出していきます。
そのような学習課題とわたしの問いの関係がとてもわかりやすく書かれていました。
今回の通信において、また新たな考えが私の中で生み出されたのは、Bフレーズについてです。
「B:文章からくちばしの「形のことば」と「使い方のことば」を見つけて」は、私の中でいくら考えても出てこないものでした。
どうしても「関連付ける」や「比較する」「分類する」などの思考行為動詞のようなものが、頭に浮かんでしまいます。さらには、物語文で言うと「会話文」「地の文」「言動」などの学習指導要領の指導事項にあげられるような文言が浮かんでしまいます。
しかし、今回のBフレーズでは、教材の内容に寄せながらも、思考する方法がどの子にもわかる表現になっていました。AとCについての考えは深められてきたのですが、Bについての考え方をまた深いものとすることができました。
今回のBフレーズにするならば、単元の最後にAとBを結び付けることのできる振り返り(「形のことばや使い方のことばが文章の中の重要な語なのだ」ということの確認)が有効に働きますね。
もっともっと研究の核に、この学習課題をしっかりと据え、実践を深めていきたいと思わされました。
価値ある通信を配信していただき、ありがとうございます。この通信だけでも書籍化につながりそうですね。
・・・・・・・・・・・

中尾,ありがとう。読んでほしいことを理解してくれている。立ち止まってほしいところを言葉にしてくれている。聞きたいことを言ってくれている。同志として何よりもうれしい。

神様,きょうはいい仕事をしました。この働きの実りがお望みに役立つものとなりますように。ありがとうございました。

薪づくり

FBによると,2年前の5月の連休にも僕は薪づくりに汗を流していたようだ。

チェーンソーの振動に踊らされているとき,薪割りにもてあそばれているとき,「もうこれで終わりだ」「もうエアコンに変える」「来年からは通信販売で薪を買うぞ」と,つぶやいているのに,こうして薪棚にならぶ景色を見ると,癒やされる。

薪は僕の生活そのものだ。手をかければ,暖かく包んでくれる。これで,約4トン。ふた冬はいけそう。

どこまでも,どこまでも

風になりたいと思っていた頃がある。大好きな吉田拓郎さんの歌にも「風になりたい」というのがある。拓郎さんの歌詞には「風」がよく出てくる。きっと,拓郎さんも風になりたかったんだろう。

ボブ・ディランにも「風に吹かれて」という曲がある。僕もこのギターとハーモニカを繰り返し練習した。

だから,今年のこどもの日は,風になる。

世界中のこどもたちに祝福を

高く高く,何処までも泳げ。

屋根よりも高く,父さん母さんよりも大きく,果てしない未来へ。

こどもの日,この日は我が家にとっては特別な日。

明日を待てず,きょう,鯉のぼりを泳がせた。折しも大村湾からの風。

夕方まで,風を戯れる音が心地いい。

そんなこどもたちの下で,僕は大地のたまねぎに舌鼓。昨日,手に入れたミミガーと合わせて和辛子に醤油。そしてサッポロ★。

世界中の子どもたちに乾杯!

神様,ありがとうございます。感謝と賛美のうちにきょうの仕事を終わります。

2020年5月4日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

聖なる,,,

卒業生にもらった瓶。10年以上も前。以前,勤めていた大学でのこと。教員と学生との距離がほんとうに近い大学だった。だから,学生も僕の趣味嗜好をよく知っていた(知られていた)。

ということで,卒業の時にいただいたのがこれ。「焼酎サーバーです」と聞いたけれど,僕はすぐにいいこと思いついた。名前はすぐに決まった。Lourdes Penny Lane。ルルド。

聖なる水。清らかなる一瞬。永遠の未来。そして,きょうの悔い改め。

ということで,我が家ではこの瓶の下からマリア様が見守ってくださっている。

こんな日は音楽を

巣ごもりの土曜日。iTunesを整理した。並んでいるアルバムはたくさんあるんだけど,ジャンルが少ない。アイーティストが限られている。やれやれ,これじゃあ発想が広がらんな。

と思いつつ,やはりclickするのは「ペニーレインでバーボン」「While My Guitar Gently Weeps」「クレド」。やれやれ。

ちょっと,待ってて。

「ちょっと,待ってて。」の言葉は使いたくないんだけど,今ばかりは「ちょっと」だ。やりたいことが多すぎる。やらなきゃいけない気分になりすぎている。これは自分の都合ばかりではない。なんとなく,望まれている気がする。

「ひとりでもできる単元学習」の導入パッケージづくり。

「ひとり学習」は「ひとりぼっち学習」ではない。
「ひとり学習」は「個人学習」でもない。
「ひとり学習」は「ずっとひとり学習」でもない。
「ひとり学習」は「自己満足学習」でも「自己完結学習」でもない。
「ひとり学習」は,この次,みんなと会えたときに「花ひらく,根を張り,実を結ぶ学習」なんだ。

ということを,「してみせたい!」。

だから,「ちょっと,待ってて。」

「ひとり学習」は「ひとりぼっち学習」じゃない。
「ひとり在宅勤務」も「ひとりぼっち勤務」じゃない。

僕には仲間がいる。

夕方,「うううんっ,,,」と庭に出て,身体を伸ばす。そこには,小さな鴨の脚。

「きょうもよくがんばりました,たつとみ先生。きょうのお仕事はおしまいです。」と,つぶやく木曜日。

球児とおじさん

NHK杯,中止。夏の前哨戦として,欠かさず通っていた大会が中止。

野球に限らない。すべての部活に悔いと残念とやり残しがないように。かつての球児のおじさんも応援してる。

2020年4月30日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

きょうはタジン鍋

大地のたまねぎ。きょうは昼食にタジン鍋。

待つこと,しばし。

たまねぎの甘みと水分がお肉を包む。美味しい水曜日。

まるごと,たまねぎおでん

たまねぎをまるごとおでんにした。これは,金沢に通っていたころ,おでん屋「菊一」の大将に教え手もらった一品。

美味い!大地のたまねぎは,どこまでも美味い。

大地のたまねぎ

「たまねぎ,食わんですか。」の誘いに,二つ返事でこたえた。

今夜は,たまねぎサラダ。

大地のたまねぎ。ありがとう!

何をしてもかっこいい人

この頃,僕は手の洗い方を極めた。見事だ。というより,僕は以前から手を洗うことには自信があった。理由はふたつ。

福島孝徳氏。ずいぶん前のことだ。この脳神経外科医のドキュメント番組があった。手術室に向かう前の福島氏の手の洗い方をカメラが捉えた。ナレーションは患者の様子を語っている。特に映像に目を留めるような場面ではなかったのかもしれないが,番組の中の記憶のいちばんはそのシーンだ。手を洗うことから手術は始まる。

土井善晴さん。「お料理の基本を手を洗うことですわ。わたしは,肘まで洗いまっせ。ほらこんなふうに,こうして洗うでしょ。そんできれいな手ぬぐいとかタオルで拭くんですわ。ほら,ほら,ええお料理つくったろいう気分になるし,ほんまええお料理できるんですう。手を洗わへん人のお料理,食べたないでしょ。」この言葉にやられた。

何をしてもかっこいい人はいる。福島氏,土井さん。手を洗える人。だからいい仕事をする。

僕も,仕事の前,講演の前,本気で手を洗う。

こんなふうに,何をやってもかっこいい人の真似をすることが今の僕をつくっている。

僕らは言葉に生きている

この1週間ほど,考え込んでいる。

どの新聞にするか。

今,毎朝,届けられる新聞のおじさんはいい人だ。お店も丁寧で申し分ない。だけど,届けられる新聞を飾る記事,そして,それを綴る言葉にため息が出る。言葉が僕の朝から離れていく。心が冷たくなっていく。だから,新聞を変えることを考えている。試しにいろいろ集めてみた。ジャイアンツは好きじゃないし,平和を希求しているのでそれらは辞めた。

新聞は,「おはよう」から「おやすみ」まで,僕のそばにある。

毎朝,いわばその日に初めて出会う言葉は「あたたかい言葉」でありたい。人のつながりに感謝できる言葉でありたい。生きる励みとしたい。今,ここに居ることが誇り高く感じられる言葉がほしい。

それなのに,政府を批判し,行政を揶揄し,どうにもならない昨日のことをああだこだとこねくり回す。自社のことは棚に上げて。

今は悲しいときだ。つらいときだ。面白くない春だ。そんなの誰もが分かっている。だからこそ,言葉できょうと明日と明後日を作っていこう。言葉で昨日までの美しさと健気さを残しておこう。言葉で語り継ごう。

なあ,いいか。僕たちは言葉に生きているんだ。

大学はからっぽで大喜利

在宅勤務になったというのにきょうも大学へ。研究室に居ることしばし。

窓を開けても誰もいないからBEATLESを少し大きく鳴らしてみる。

「こんな本あったっけ?」「鉛筆、削っておこう。」

普段飲まない珈琲でも。

日曜日のような木曜日。本当なら国語科教室で中等国語科教育法の授業中。でも,きょうは空っぽ。学生たちはアパートは自宅の部屋で僕の作った動画で勉強中(のはず…)。

そして,帰宅。佐賀の仲間にメールで語りかけ。こんなことでもしなきゃ,滅入ってしまう。

♪,,,「在宅勤務」とかけて,,,

●「在宅勤務」とかけて、「消防車のサイレン」ととく。
その心は…「かじ(家事・火事)」が気になります。(MATSUO)

●在宅勤務とかけましてビールとときます。
その心は、あわないと寂しいです。(Naka Eri)

●「在宅勤務」とかけまして,「悪天候で急遽、変更になった旅行先」とときます。
その心は、「どちらも残念だけど、意外な楽しみが待っている」でしょう。(E.Daisuke)

●在宅勤務とかけまして望遠鏡ととく。
ズーム(zoom) が必須。(Masashi)

ということで,今夜の一席は,平田昌志ですね。

こんな夜は

さかなクンとお天気の斉田さんと3人で飲みたいなあ。

2軒目でリリーフランキーさんと合流。

そんな夜になればいいなあ。

こんな昼下がりは森田童子

古いビルの横。風だけの通り道。都会の隙間に立ち止まった。見上げる春の日がやけに眩しい。

こんな昼下がりは,

森田童子。

「あかん」から生まれた新たな授業づくり

「たっつん,今は,旅に行ったらあかん。おれやったら来んなって言う。」
「気持ちが分かるだけになんとも言えませんでしたが,今は他の方法で,」

と,速攻で留められてしまった。もちろん,僕も県をまたいでの移動を自粛することは分かっている(じゃあ,佐賀大学への通勤はどないやねん,って気もするけど)。

ということで,zoomでもwebexでも。groupLINEでも。そしてお得意の通信でも。

さっそく,大阪とzoom。思わず,手を振ってしまう。

ありがとう,花ちゃん,ひとみさん。ここでできることを全部やります!

みなさん,zoomに招待してくださったら,参加しますよ!

そして,学校再開したら,みなさんの教室の授業とzoomしよう。きょうは「たっちゃん先生が参加しますよ!」なんて,素敵すぎる。問いの立て方の特別授業も任せてちょうだい。

ぱうろ,動きます

結局,そういうことだ。

この春。日常ではないことは分かっている。だから,みんな一生懸命だし,そんな姿に応援したくなっている自分がいる。

学校に行けない間,子どもは家庭で自学自習。それも分かる,分かる。分かるからこその点検だ。

体育のチームゲームや音楽の合奏,特別活動の学校行事の自学自習は現実的でない。しかし,どの教科でも自学自習できることはたくさんあるはずだ。

だけど,自学自習プリントは国語と数学(算数)と英語。なぜ。しかもその内容は,ドリル的、繰り返し練習、単純な調べものに限られている。

平穏な日々が戻ってきたとき,どうなるんだろう。

学校は年35週。その中の5週間を使ってしまったわけだ。若干の余剰週はあるが,残った30週を全教科で仲良く割り算するのだろうか。国語と数学は既に5週間にプリント学習をしていたということで,当然,週あたりの配当は,1,2時間少なく計画されるだろう。そうしなければ,全教科漏れなく内容未消化,つまり未履修となってしまう。

じゃあ,国語の5週間分のプリント自習の成果はどうなんだろう。思考力・判断力・表現力のプリントはあったんだろうか。言語活動の自学自習を成立させることはできていたんだろうか。

5月6日から学校再開。

そうなったとき,残りの30週間で新学習指導要領の趣旨を全うできる教育課程をこの2週間で完成させなければならない。

結局,そういうことだ。教師がいなければできない国語をやってきていたわけだ。教師が発問して,指名して,「なるほど」,「ほかに」と言わなければ進まない授業をしてきたわけだ。

やってこなかったことは問題ではない。そういう時代だったんだから仕方がない。

だからこそ,だ。

だからこそ,これまでの続きに甘んじるのではなく,今からつくっていけばいい。今から動き出せばいい。

さあ,やろう。今こそ,課題解決学習を自学自習で。言語活動をプリントで。単元学習を一人でもすすめる学び方を。すべての子どもの学ぶ力を守るんだ。

僕には仲間がいる。九州にいる。関西にいる。全国にいる。大阪の連中は,4月から5月6日までずっと自学自習スタイルに悔しい思いをしている。谷本,梶田,石川。こいつらの本気に応えるのも僕の仕事だ。

九州の教室の声に学んでいる仲間たち,動いているか。立ち止まってはいないか。

ぱうろ,動きます。

進むしかない

さっそくの反応!

負けないで〜
どんなに離れてても 心はそばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

(・´`U  ←スヌーピー 
元気が出ました!
ありがとうございます。  
        (‧⃘︠˾ͨ̅‧⃘︡˒᷅̈́)ナカエリ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スヌーピーには見えへんけど、おおきに。うれしかったでえ。

こなす課題ではなく、解決に向かう学びの提供を!

「こんな春、はじめてです。」という挨拶がめずらしくなくなってしまったこの春。わたしたちは新しい語彙にふれました。

「濃厚接触」や「感染爆発」。そして、「社会的距離」。それらを普通につかっている自分がいます。

すべての命を守るために社会的距離が必要なことはわかりますが、社会的な距離を広げることが心の距離を広げることになってはいないでしょうか。むしろ、一定(2㍍以上だそうですが)の社会的距離を保つからこそ、「ここにいます」「そこにいるんだよね」という互いの存在の近さを感じ続けることが必要です。心の距離と心の態度はこれまで以上に親密であり、配慮を尽くした愛に包まれるべきです。わたしの心は渇きをおぼえつつあります。悲しいことです。

さて、わたしの勤務する佐賀大学は前期の15コマが遠隔授業となりました(社会がよほどの改善に向かわない限り対面授業はないということです)。つまり、動画や無観客授業(無聴衆授業)のライブ配信、大量のワークシートをダウンロードする環境を整えるということです。ICT的授業と言ってもいいかもしれません。
従来、単元学習(もちろん大学生との授業でも)をあたりまえとしてきた私は戸惑っています。記憶再生を目的とせず問題解決のための動画、講義型ではなくアクティブ・ラーニングのためのビデオコンテンツ、たった一人でクリエイティブに書き続けられるワークシート、これらを創るための一週間でした。

今、ほんとうなら、新学習指導要領デビューの春です。こんなにかわいそうな学習指導要領は初めてです。おあずけ状態の学習指導要領なのですから。日本中が、新しい学習指導要領に心弾ませ、アクティブ・ラーニングにトライ&エラーの毎日だったはずです。これまでの、「一斉授業」や「教師主導講義型授業」が見直され、「子ども主体の学び」で時間割が魅力的に動き出すはずだったのです。そんな春をみんなが待ち続け、そんな春のために準備し続けてきたのです。待望の令和2年度だったのです。

だからこそ、ここで逆行したくないです。「講義形式」に戻るなんてもってのほかです。私たちは、COVID-19に立ち向かっている現在、教育を後回しにするのではなく、こんな状況であっても新しい単元学習の道を切り開いていきましょう。予定していた単元学習からさらに高まった単元学習ができるんだ、という希望に満ちた春にしていきましょう。

これ以上の困難な状況はもう起こらないと誰が言えるでしょう。もっとやっかいな規制の中で暮らさなければならない時代がくるかもしれません。そのたびに、教育を一旦停止し、逆戻りし、教えることを後回しにすることはできません。

この状況において、社会的規範に背くことはしません。ですから私の愛用しているあの鞄にもうっすらとほこりがかぶっています。もうずいぶんと列車にも乗っていません。今は自宅で、子どもの研究、単元学習の研究、評価の研究に一生懸命です。

ですが、疲れた頭を切り替えようと伸びをしたとき、わたしには、いつも九州の仲間の顔が見えます。そう、わたしたちはつながっています。わたしたちの教室もつながっています。日本中の子どもがつながっているのです。

主人公登場

大学は遠隔授業。学生は大学キャンパスには来ない。自宅であってもアパートであっても、一人きりでコンピュータやスマートフォンを通して授業を受ける。

だから、教員は遠隔授業づくりに一生懸命だ。

どうやって教えるか、どんなコンテンツをつくるか。どんなアプリを使うか。パワーポイントで動画を作るには、、、教師たちも全力だ。

だけど、教師主語、自分主語、になりがち。

僕は、学生主語にしたい。相手主語にしたい。その気持ちをもち続けたい。

合格後、一度も大学を訪れることなく、キャンパスに足を踏み入れることなく、教室に座ることもなく、ただただ、アパートで前期を過ごすことになるかもしれない。そして、そのまま前期が終わってしまうかもしれない。

学生は何を学びたいか。
学生はどんなふうに学びたいか。
学生は何をしたいのか。
学生は、、、、、、

先生になりたい!って夢を抱いて大学に来た学生!
その夢を1ミリメートルでも縮めることなく、1グラムでも減らすことなく、夏に会おう。

僕は、自分の教える都合ではなく、学生の学ぶ都合で前期を創ることに力を尽くしたい。

世界中の学び手のみなさん、夢を叶えよう。

あなたたちが主人公なのだから。

やれやれ

たまった新聞を片付けていた。やれやれ。

楽しみにしていた長崎県大会、中止。やれやれ。

雑巾で拭きそうじ。僕の鞄にもほこり。

あり得ない。

そういえば、もう一ヶ月以上、旅に出ていない。鞄が風に吹かれていない。駅そばが懐かしい。友に会わなきゃ。

おおい、壮、元気かあ。宏ちゃん、飲んでるかあ。中尾、あいかわらずやろ。赤城ィ、何してるう。粗相野、復帰したかあ。大地、慣れてきたかあ。徳、北海道のつぼみは膨らんだかあ。雅文、身体は元に戻ったかあ。

慎太郎からの荷物

僕の五島時代の教え子、慎太郎。

とてつもなくいい男になっている慎太郎。慎太郎から荷物が届いた。

きのう、潜って70ほど捕ってきたとのこと。いちばんいいのを送ってくれた。

アワビ。もちろん、刺身とバター焼き。ではない。慎太郎の荷物にはこんなものが入っている。

ペットボトルの中は五島の海の水。この水でゆっくりゆっくりと煮る。アワビは蒸す。まるごと五島。

先日、桐谷祥平が下げてきた焼酎「五島灘」を氷で、お湯で、生で。

まるごと五島。どこまでも五島。とにかく五島。

「五島」。僕は五島で働いていたわずかな時間を忘れない。この時間がなかったら、今の僕があるはずはない。

そう、五島はあのときも、あの時からも、そして今も僕を見ていてくれている。僕が「五島に行った」のではなく、はじめから「五島が導いて」くれていたんだ。だから、「五島」に抱かれている、いつも。

こんな生き方をしてこられたことが奇跡だけど、いまは現実。だから謙遜のなかに生きていきたい。

2020年4月10日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

照らしてくれるものが月であっても

やっぱり見ていてくれている。

太陽の光であっても、月明かりであっても、いつも見ていてくれる。

そう、謙遜に生きるとはこういうことなんだ、きっと。

2020年4月8日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

空の色がちがっても

空の色がちがっても、同じように見ていてくれる。それは父が子どもを見ているのと同じ。

子どもは幸せだ。自分よりも先に自分を見ていてくれる父がいるんだから。

そう思うと、謙遜にうちに生きていけるような気がする。

2020年4月7日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

一日のはじまりが花

仕事を始める前に贅沢な自然に見つめられた。僕よりもうんと大きな自然が僕を見ている。僕が眺めはじめる前から、この花は僕を見ていた。

僕が発見したのではなく、花が先に此処にあって、此処から僕を見ていた。

だから、「すごい」じゃなくて、「きれいだなあ」でもなくて、「ずっと此処にありつづけていたんですね」と語りかけたくなる。「僕が見るより先に見ていてくださっていたんですね」と。

これって、謙遜の中に生きていることに近いと思う。

2020年4月6日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

自然の中で

テレビもビルも本もないところにいると、自然と話ができるようになる。自然に学ぶと生まれた頃の自分の姿を見つけたようになる。だから、自然は何よりも大きいことが分かる。だって、僕は雨を降らすことも日を照らすこともできないし、花を咲かすことも蟻ををつくることもできない。

麦。麦は麦でしかないけれど、他のどんなものも麦にはなれない。

だから僕も僕でしかない僕であり続けたいし、そんな僕を見つめていたいと思っている。それは多分、謙遜の中に生きることに近いと思う。

2020年4月5日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

春が届けてくれたもの

春。ちょっと早めに仕事を終えて道草。

桜、遠望。

知っている色の名前が全部ある。赤に橙、黄色に緑、青に紫、すみれ色。

そして、足もとはれんげ草。

子どもの頃の遊び場所の主人公。春。春。春。

みなさんに長崎の春を届けます。

と、家に帰ると、、、、

長崎県時津町立時津東小学校の研究紀要が届いていた。

64ページの研究紀要。学習計画、適用題、問いの一覧、そして、研究部からの通信。圧巻。とにかく何度も何度も見たくなる。これは紀要というより「教師のてびき」。

僕の家にはいただいたものが数冊あります!学校にも少しは余裕があるかも。どんな参考書よりも、どんな研究本よりも、この「時津東小の研究紀要」が春を元気にしてくれることは間違いなし!

今夜はこれを眺めながら「磨き大島」をロックで!

昼は花、夜は研究(と、焼酎)。達富、幸せです!

2020年4月2日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

春はあたりまえに

未明の雨が連れてきた桜の花びらが一枚、洗面所の窓にとまっている。我が家の山桜はもうおしまい。

昼過ぎ。雨も上がり、花の色が輝きはじめた。

春はあたりまえに目の前にある。

いつもの春がここにある。

それなのに、いつもの4月1日はない。神様が見えなくならないように、ちゃんと言葉にしてきょうを見つめる。ちゃんと言葉にして明日を迎える。ちゃんと言葉にして明後日に生きる。

桜、咲く

「桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません」

3月26日に発信された「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」だ。ここ数日のことを誰が予想できただろうか。

僕にはまったくわからないことだらけだ。せっせと手を洗うこと。ちゃんとご飯を食べ、よく眠ること。学生がいない大学なんだから、人混みをさけ、早朝や深夜に研究室で論文を書くこと。こんなことしかできない。

だけど、桜は咲いている。憂えているのか、誇っているのか、それでも桜は咲いている。今を一生懸命に。

東京から届いた桜。そうっと抱きしめるように、そして何度も何度も眺め、世界がどんなに慌てていようと、桜は咲いていることに安心もした。

みんながそれぞれに平安でありますように。

僕にできること。

せっせと手を洗うこと。ちゃんとご飯を食べ、よく眠ること。早朝や深夜に研究に浸ること。そう、もうひとつ。

祈ること。

神様、本年度もありがとうございました。遣わされたものとして、きちんと生きていきます。

お出かけ前のアップデート

今朝のNHK「おはよう日本」の桑子アナウンサーの言葉。

さあ、月曜日。アップデートして平和な1週間に行きましょう。

先生、ありがとう。の声に心高くする春

弟分から届いた写真。クラスの子どもとの別れのときにもらったそうだ。宝物のメッセージ。

僕たちの仕事は、子どもに教えることだ。「力を付けること」「人として大きくすること」「人と交わって創造できること」「一人でも生きていけるようにすること」など、いろんな言い方で「教えること」を言い表すことができる。

そのためにも、僕たちには仲間が必要だ。研究会に身を置くことが大事だ。そして、研究会では受け身であってはいけない。

一人一人が、ひとつずつ「自分が遣わされている意味を確かめつつのりしろの仕事を引き受ける」からこそ、みんなが伸びていくことができる。九州の仲間とはそのようにして学んでいきたい。こうした謙遜を実現できる集団でいたい。

そんなことを感じさせてくれたこのメッセージ。

「先生の授業をうけていって」の言葉がうれしい。だけど、この「先生」は一人じゃない。「先生」はたくさんの「先生」の中で学んでいる。そう、「先生」が「先生たち」と伸びているから、みんなにも教えられる。

「教えられる教師」は「先生たちの中で学び続けている教師」なんだ。

そんな「学び続けている教師」のエピソードをもう一つ。きょうの午後3時に届いたメールがひとつ。

…‥……
先生のブログをいつも読ませていただいていますので、その先生のお言葉を読んで、「ちゃんと終わろう」と決めていました。(略)
最後の最後、5時間目は、子どもたちが不安な気持ちで明日からを過ごさないように、話をたくさん聞く時間をとっていたのですが、そこでも「私の問い」についての話になったので、本当の気持ちを私からも話し、子どもたちは子どもたちなりに受け止めてくれているようでした。31の問いを解決するところを見たかったなと思います。あの日は、いつも以上に子どもたちは、私の言葉、友達の言葉、校内放送の校長先生の言葉、すべてに真剣に耳を傾けていた一日でした。最後まで、この1年、ずっと言い続けてきた、「今、何ができるか。」を子どもたちが自分に問うていたと思います。(略)
ちゃんと終わらせようと休校中も毎日、ばたばたとしている中で、達富先生が「6歳から問いを立てる」をしていこうというお話をしていたことが忘れられないでいました。わが子も6歳です。このたった6年しかいきていない子に、力をつけさせることに向き合ってみたいと、来年度は、1年生担任を希望しています。

今年は、ぜひ九州にも学びに行きたいと思っています。「この指とまれ!」は、九州に住んでないとだめかあ。
阪急電車では九州は行けないけれど、コロナなんかには、負けないで「問いを立てられる6歳」を育てたいと思っています。
…‥……

阪急電車とは、関西を走るかっこいい電車。僕もいつも乗っていたおしゃれな電車。その阪急沿線に働く「なかつる先生」からの便り。

僕が新幹線のぞみ号で、「問いの練習単元」を持って行きますよ。

ずっと担任なんだから。

beer with peer

早く日常が戻ってきてほしい。そして、笑って仲間とビール。が、待ち遠しい。

いそいそ、お出かけ

いそいそ、長崎へ!

有明海の向こうの普賢岳が美しい。はやくはやく、と、特急かもめの中を走りたい気分。

高架化まであと3日の長崎駅に到着。心待ちにした食事会。今夜はきっと上品な食事会。

予想と期待を遥かに超えた素敵なお店。絶品。そして語らう仲間の心。どれもが完ぺき!

我が家までの終電を逃したにもかかわらず僕はとってもいい気分。こんな夜、終わってほしくない。

途中の駅までのJRの中でもサッポロ★で乾杯。ひとりになってからの帰り道。もらったムーミンのブックカバーを何度も何度も撫でている。

 

旅立ちの日に

きょうは、佐賀大学の卒業式。今年は主役不在。

だから、達富研究室で卒業式。11時から。

「5人のゼミ生、卒業おめでとう。あなたたちのこれからに祝福がありますように。」

午前11時。研究室に足音。ノックの音。そして、とびっきりの笑顔。ゼミ生たちがやってきた。「たつゼミっ子」。これが僕のゼミの通称。

式が行われなくてもきょうは卒業の日だ。この晴れ舞台の主役は君たちなんだ。式ができないことも分かる。だけど、一生で一度の「きょう」。僕はいつものシャツにいつもの上着、だけど、とびっきりの気持ちでゼミ生を迎えた。

おめでとう。旅たちの日だね。

ゼミっ子からの贈り物は、、、、

「洋二の酒」。鹿児島県霧島市の佐藤酒造の「黒 佐藤」が特別な瓶に詰められている。そういえば、このゼミで焼き鳥に行くたびに僕が飲んでいたのは「黒 佐藤」。覚えていてくれたんだ。ありがとう。

あやか、なな、なつみ、まなみ、さき。5人のたつゼミっ子は、僕のたからものだ。ゼミでは語り、聞き、笑い、そして綴ってきた。僕たちのゼミ文集「葡萄の木」はたつゼミの軌跡だ。

click → 2020 03 24 葡萄の木 08

さあ、春の空に舞い上がれ、夏の空を包み込め、秋の高い空に飛び上がれ、冬の空を彩ってやれ。たつとみゼミは洋々と果てしなく広がっていくよ。

学び舎に別れを告げて青空に羽ばたく5人。きっときっと、大きな祝福が待っている。

いつでも帰っておいで。

山桜、咲く

我が家の山桜。

今年も春。すうっと深呼吸が似合う。

春なのに、春だから

きょう、スーパーからの帰りの車のラジオから聞こえてきたのは、中島みゆきさんの「春なのに」。

流れる季節たちを微笑みで送りたいけれど。

佐賀の小学校では卒業式に涙した教師も多かったに違いない。突然の休校が続いた異例の春。別れる準備も十分できないままの3月。子どもも教師も、どこまで本当の気持ちを言葉にできただろうか。

自分が卒業生を送り出したときのことを思い出しながらウイスキーを飲んでいると届いたメール。

「今日の子どもたちからのサプライズ。手紙には、国語の力がついた、国語が好きになったと書いた佳乃さん、健伍君。苦手な国語が好きになった遼君。最後のスピーチでは、語彙力をのばすことができたと語った達義君。」「子どもたちが自ら身についた力を実感し、自信に満ち溢れた表情が印象的でした。」

春なのにお別れ、でも、春だから自分の成長に気づく。春だから新しい自分に挑む。

明日は、大阪でも卒業式、上五島でも卒業式。

全国の子どもたちに祝福を。

2020年3月18日 | カテゴリー : 恵みに満つ | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

元気予報 〜本日も晴天なり〜 はっぴい!FM

今、午前3時30分。

この時間の挨拶は、「おはよう」なのか、「こんばんは」なのか。と、朝から言葉の謎を楽しんでいる。

そんなことをおしゃべりしようかな。きょうは10時からFMラジオ、はっぴい!FM(FM佐世保)です!

https://fmplapla.com/happyfm/

といことで、「心も会話も 晴れ晴れ講座♪」に行ってきました。出演してきましたというより、語ってきましたというより、楽しんできました。アナウンサーの NOKKOさんが、どんどん語りかけてくださるのがとっても心地よくって、もうついつい、あっという間の1時間でした。

前回のオープニング曲は、アンパンマンの「勇気りんりん」、今回は「手のひらを太陽に」。たつログでも紹介した僕の大好きな名曲。「僕らは」という主語ではじまるこの歌は、僕たちへの「いのちの賛歌」だ。

ちょっとくらい緊張しなさいよ、いうくらい普段着。いつものMONTBLANCの万年筆とMOLESKINEの手帳を手にして、いつものたつとみスタイル。目の前でにこにこしてる NOKKOさんも普段通り。

途中、ヒロからのメッセージ。これがたまらなくうれしい♪

「暖かくなったら、家族で長崎に遊びに行っていいですかあ!」の便りに、「ええよおー!」って答える。もちろん、スカーレットの喜美子ふうに。

さて、この番組は「心も会話も 晴れ晴れ講座」。きょうは「おはようとこんにちは」をどのように区別するかということからはじまった。10時か11時か、午後2時ならどうか。という時刻での切り替えから、家族には使えるかどうか、という対象での切り替え。家を出てから実家に戻ったときはどうか、という時間距離での切り替えまで、ああだこうだと NOKKOさんとすったもんだしてきた。

途中、「若いと若々しいはどう違うんですか?」とか「最近の言葉の進化(?)をどう思いますか」など、ラジオを聞いてくださっている方からの質問も届いた。遠いところでは甲府からのメッセージも。ありがとうございました。(下の写真は番組本番中!白魚のような指はNOKKOさん!)

ところで、

聞き手が聞きたいことを話す。これは話し手としては、ごくごく当たり前のこと。いや、当たり前のことというより、話し手の責任や義務かもしれない。さほど珍しいことではないこと、当たり前すぎること、予想通りのこと、さらに、聞かなくてもいいこと、聞きたくないこと、を話してもこれは自己満足。「そんなん、あかんやろ。」って、自分でつっこみを入れるしかない。僕の漫才の相方の中尾だったら、「もう少し詳しく話してみ、聞いたるさかい。」とミルクボーイふうに相手してくれるところだ。

聞き手の聞きたいことを話しているだろうか。僕は当たり前すぎること、聞き手の期待を考えずに、ただただ話しているだけで自己満足してはいないか。これは、きょうのラジオ番組だけのことではない。人として、家族として、近所のおじさんとして、僕の周りに集ってくれる仲間の一人として、そして、教室に生きる教師として。そんなことを考えた1時間でもあった。

 NOKKOさん、こんな機会をありがとうございました。次は、5月ですね。楽しみにしています。準レギュラーの気分と、はっぴい!リスナーの立場を楽しみながら、明日からも応援しています♪

ということで、声を届けたラジオ出演のあとは、しばし心を落ち着かせ、今度は神様の声に耳を傾けに行ってきた。

神様、振り返ることを教えてくださってありがとうございます。

さあ、長崎。楽しくなりそう。

長崎新聞社の玄関は、福山雅治が一面を飾った長崎新聞がずらりと並ぶ。彼の曲はひとつも知らないけれど、長崎に暮らす者として、なんだか誇らしい。

そして、3階。

6月14日。ここでシンポジウムをする。

趣旨はこんな感じ。
 新学習指導要領における国語科の授業では言語活動を通して指導を行うことが示されています。ただ、「言語活動を位置づけた単元で本当に学力が伸びるのかどうか分からない」「子どもは楽しそうに活動しているが、それだけで教えたことになるのだろうか」という声もあるようです。「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、学びがいのある言語活動に《コンパクトに書くこと》を取り入れることがたいへん有効です。
 本シンポジウムでは、はがき新聞用紙を使ったコンパクトライティングの取り組みの効果とその実践方法を語り合い、具体的な指導法を共有したいと考えています。
 第一部では、「全学年で取り組んだ小学校において、学年ごとの取り組み方によって学力の伸びが異なる事例」と「学年で同じように取り組むことで大きな伸びを実現した事例」を紹介します。
 第二部では、小学校と中学校の具体的な実践例をもとに、学習のどのような場面でコンパクトライティングを取り入れると効果的であるかを語り合います。
 第三部では、これまでの話題提供を総括し、「主体的・対話的で深い学び」を効果的に実現させるためのコンパクトライティングの指導方法について具体的に紹介します。

4時間ほどの熱いシンポジウムにしたい。それまでに社会が平穏を取り戻していることを願ってる。

ということで、下見のあとは、

僕のいちばん年下の友だちが教えてくれたおでん屋さん。

きっといいシンポジウムができそう。その前祝いだ。東京から来てくれた友も大満足。満足し過ぎて、2軒で撃沈。きっとスーツのまま朝を迎えたはず。

一人の僕は、少し早めの長崎駅。もうすぐ新しい駅舎になる。この景色もあとわずかかなと、駅まわりを撮りながら懐かしんだ。初めての日本一周の旅のときは三角の屋根だったような気がする。そのときも陸橋広場はあった。ここにPanasonicの青いと白の自転車をとめて写真をとった。その後、坂を上ってユースホステルに行って、次の日は西彼杵半島を北に向かい、オランダ村に驚いて、早岐駅のベンチで眠ってしまった、、、、と、思い出は尽きない。そんなことつゆ知らず、友は深い眠りに落ちているはず。

神様、きょうも人の中で自分を見つめさせてくださりありがとうございました。

いっておいで、いつでも会えるから。

今夜は小さなお見送りの会。

線路の端。

珍しいと思わないのは見慣れた風景だから。日本全国にそんなにありふれたものではない。鹿児島県枕崎や青森県三厩も懐かしい。

お見送りの会の前に、少しだけピッチング練習。

日本各地のクラフトビールを集めたお店。

僕は静岡と新潟と、、どこだっけ?3つとも線路の途中の駅だったことと、3つとも美味しかったことは覚えてる。

そして、語って語って飲んだお見送りの会。

ちょっと足を伸ばして二軒目。

いっておいで、いつでも会えるから。友なのか、兄ちゃんの気分なのか、親父の心境なのか。

とにかく、こいつはいい奴。

この指とまれ!

正解を知っている教師が提供する「問い」を受けるだけではなく、解決したい「問い」を自分が立てる。

解答を見つける「問い」を待つだけではなく、解決策をながら《私の問い》に挑む。

考えなければならない《私の問い》が存在する教室をつくろう。

だから、《私の問い》を立てる練習になる単元を開発中だ。

九州の仲間たち、この単元ができたらみんなの教室で《私の問い》を立てることができるようになる練習単元をやろう!

練習単元、ほしいひと!この指とまれ!

ひまひま星人はやる気に満ちている!

 

と、10分後。

はやかね!

ぴんきり

ひっそり、こっそり、鹿児島。新幹線も空いている。遠出を控えた方がいいのは分かっているけれど、そうも言っていられない。うずうずする。友が待つ。

10時55分に中央駅着。11時05分には湯につかっている。11時30分にはとんかつを食べている。そして午後はずっと勉強した。

休憩時間のおやつ。

夜はもちろん、がぶ飲み。

終電の新幹線もやっぱり空いている。

帰り道はしんみり、とんぼり。新鳥栖で乗り換え。

ところで、「ぴんきり」って、どういう意味だろう。ピンからキリまで。ピンがいいのかそうでないのか。キリが上なのか下なのか。しばし、考察中!

少なくとも僕の友だちの「桐」はいちばん年下。

ぼくらはみんな生きている

夕暮れがさみしいとき、友だちに上手く言えなかったとき、学校が少しだけ遠くに行ってしまった気がするとき、お父さんに叱られたとき、兄ちゃんばかりがほめられているとき、そんなときこの歌。ぼくらはみんな生きている♪ いつもいつも歌ってた、ぼくらはみんな生きている♪

子どもの頃からそうだ。

小学校からの帰り道も、高橋公園からの夕暮れも、銭湯帰りの路地裏だって、いつもいつも口ずさんでいた。

こんな歳になっても?って思うけど、今でもふと気がつくと歌ってる。みんなみんな生きているんだ♪ 友だちなんだ♪

昨日もきょうも、新型ウイルスの気がかりなニュースばかり。そんなときもやっぱり、ぼくらはみんな生きている♪

だって、子どもだって生きているんだ、友だちが恋しいんだ、先生に会いたいんだ。もちろん、先生だってみんなに会いたいんだ。だから、みんなで歌おう。ぼくらはみんな生きている♪

http://www4.cncm.ne.jp/~togitsuhigashi-e/

こんな素敵な学校がある。ぼくらはみんな生きているってことを伝えているホームページ。一体感がある。語りかけられた子どもたちはきっとつぶやいているはず。「はい、先生!」って。

「1年生のみなさん、げん気にすごしていますか?」→「げん気とざんねんがはんぶんずつ。はやくがっこうに行きたいです。」

「先生たちは、みなさんに会えなくてさびしいです。」→「ぼくだってさびしいよお。」

「がんばったあとは、すきなテレビをみたり、おいしいごはんを食べたりしてゆっくりすごしましょう。」→「ごはん食べたよ。ブロッコリーが美味しかった。先生は何食べた?」

「先生たちは、午前中は学校で仕事をして、午後から校区内を見てまわりました。」→「えええっ。先生、来てたんだ。会いたかったなあ。」

「全部終わっていなくてもいいですよ。」→「ううん。全部やるよ。先生をびっくりさせたいから。先生にほめられたい!」

「先生たちも寂しく学校で過ごしました。」→「いつもの日曜日と全然ちがう。やっぱり学校に行きたいよお!」

明日はきょうよりみんな元気になっていますように。日本中が元気でありますように。

みんなみんな生きているんだ、友だちなんだから。

神様、限りないはからいをありがとうございます。

大丈夫だいじょうぶ

きょう,ひなまつり。そんな穏やかな気分だけではなく,きょうで3学期が終わってしまうかもしれない学校がたくさんあるはず。

そんな中,友だちの校長先生からのメール。

「今日、子どもたちに伝えた言葉です。家の人と先生たちがついているから『だいじょうぶ』!だから、ゆっくり休みなさい…と話しました。その時のカードです。」

「帰りも校門で、このカードをもって、みんなを見送りました。みんな笑顔で帰っていきました。」

「大丈夫だいじょうぶ」って,本当にいい言葉。安心に包まれた言葉。平安につながる言葉。一人じゃないって確かめられる言葉。

校長先生からの《だいじょうぶ》を背中に海辺の道を歩いて帰る子どもの姿が見えるようだ。

神様,子どもの大丈夫のための大人の仕事をします。

きみの町に行くよ

きょうは来春,入学してくる高校生とゆっくりと話をした。夢を抱いている美しさに惚れ惚れした。だからこそ,その夢を叶えるように導いていくのが僕の仕事。

よしっ,やるよ!っていう気持ちでいっぱい。

そんな帰り道,いいこと思いついた。「きみの町に行くよ」企画。わくわくしてきた。

これまた,よしっ,やりたいよ!っていう気持ちでいっぱい。

ひまひま星人

講演など、すべてキャンセル。
3月の泊まり、ゼロ。
プロ野球、無観客試合。
暖冬のため、薪割りの必要なし。
ミサ、自宅で祈りを捧げる。

達富、ひまひま星人に変身!

我が事

仲間が活躍して新聞に載ると,いの一番に僕に知らせてくるのに,自分の実践は「知らんふり」。

そんなかっこいい奴がいる。だけど,奴の計算違いは,そのことをこっそりと僕に知らせてくれる仲間が奴にはいるということ。

ということで,今朝は壮の教えた生徒の力が南日本新聞に掲載された。我が事のようにうれしい,ではなく,我が事だ。

よくやった,壮。

ちゃんと終わろう。

大村湾を右手に見ながらのJR。そう,つまり,きょうは時津東小学校をたずねる日。

この青い列車が大好きだ。

そして,この小学校の玄関,靴箱,職員室と校長室。

きょうもたくさん語り合った。

のに,語り足りなかったのは,夕方の報道のため。

残念。残念。ざんねーん。と叫びたいくらいの帰り道。

2月28日が最後のいちにちになることに整理がつかないのは子どもばかりではない。教師たちのやりきれなさは推し量れない。報道を耳にした担任たちは涙を流した。

4月の学級びらきにはじまり,3月まで。わたしたち教師は,「どう終わるか」を考えながら日々教えている。

「終わる」というのは,次の学年に子どもを渡すということ。

子どもにとっては,「ぼくたちこの一年間,学びきったよ。」と子どもが胸を張って次の学年に進むということ。教師にとっては,一人一人の一年を一人一人に言語化して贈ることだ。

3月はその時間。そのいちにちが突然やってきた。しかも,明日。

分かる。全部,分かる。だからこそ,やりきれない。

わたしたちの教室が,未来に開かれる教室であるために,明日をちゃんと終わりたい。

ほんとうに残念

佐賀県三養基高校出身の濱口が投げるということは、恋女房のジョーが受けるということ。

つまり、2月29日の佐賀でのオープン戦は、ジョー復活の記念日!

のはず。

だったのに。

2月29日の佐賀。

3月1日の長崎。

しょぼん。

2020年2月26日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

たつゼミ,教室のゼミ

さあ,たつゼミ2期生。

本庄小学校で授業研究。4年生(江里口大輔先生),6年生(平田昌志先生)の教室に学ぶ。

たつゼミは教室で学ぶゼミ。教室に学ぶゼミ。

松屋,ここはみんなの中に「ある」

天草。
口之津FTで待ち合わせ。
陸路,五橋から来る仲間もいる。海の上を渡る方がずっと気分がいいのに。だって,天草は世界からの日本の玄関だから,船がいい。
 
鬼池FTで待っていてくれた(勝手に待っていた)仲間と合流。
まずは,お昼。下ちゃんのおすすめの地元ならではのお寿司屋さん。
 
味わうすべももたずに食う二人。
 
眺めて褒めて楽しむ二人。
 
食べることより大将と語っている時間の方が長い男たち。
美味い。
 
そして,研究会「天草 国語教室の会」がはじまる。
我らの赤城ィが語る,天草の「これまで」。
圧巻!
小学校と中学校がひとつになっている。単元が教師と生徒をつないでいる。この誠実さが「天草」を創造している。
みんなが膝をつき合わせて生徒の言語活動を読み合う。
気がつけば5時間。ずっと勉強していた。語っていた。研究とはこういうものだ。
 
この誠実な教師たちのしてきたこと,したいこと,しなきゃならないこと,できるようになること,そして「今」。
それを言語化するのが僕の役目だとするなら,それこそが僕のこれからの仕事。
 
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
(山本五十六)
 
僕は,本気にやっている事実を尊重したい。よこしまに否定されることを悲しみ,悲しみにある仲間を守りたい。
そう,九州に学ぶ仲間はみんな兄弟なんだ。兄弟を守らない人はいない。悲しみにある兄弟の背中がふるえているなら手をあてるだけでいい。兄弟が兄弟を愛さないことはない。兄弟の幸せは兄弟の幸せなんだ。僕は,そのことに生きる。
 
だけど,否定されることを言葉にして受け止めたい。受け止めることもいいことなんだと共有したい。そうすることで,人を否定することは悲しいことだと知るから。否定しない心を育てることができるから。それが教師だと信じているから。否定など素人でもできる。僕たちは玄人になろう。
 
だから,兄弟との酒は格別。
そこからのがぶ飲みは語りきれない。写真もない。記憶もあやしい。それくらい,仲間で飲む酒は美味しいってことだ。長尾会長が差し入れてくださった古酒「天草」がいつ空いたのか僕は知らない。
 
だって,飲んでも食っても語り続けている。
きのうの教室の様子を写真とともに語っている。
ずっとずっと,そばに子どもが居る。子どもが語らせている。
 
松屋のお造り,手料理,赤だしにおむすび。美味い。天草の酒。美味い。松屋の座敷。堪能。
 
途中で部屋にもどって,それっきりになった若いやつもいたけれど,明日の部活の集合時間を気にして,中座したもっと若いやつもいたけれど。みんなが大いに語り,大いに飲んで日付をまたいだ。
 
それぞれの部屋に戻った午前1時。ふすまで部屋が仕切られていても築100年には一体感がある。隣の姿は見えないが床の衣擦れに安心が伝わる。廊下を歩くだけで存在感がある。
 
と,明け方,その廊下が仲間の出発を教えてくれる。朝4時23分に届いた桐谷からのLINE。桐谷は,日曜日の部活指導のために17時45分のフェリーで自宅に戻るつもりだったのに,僕の話「大村はま先生に学ぶ-この小さき学び手にできる教師の仕事-」が長引いてしまったために,翌早朝に宿を発つことに変更。
・・・・・・・
おはようございます。朝早くに失礼します。
昨日は早々と休ませていただきました。申し訳ありません。
一昨日と昨日、やってよかった、来てよかったとつくづくやることの大切さを感じた2日間でした。そして、未熟さを痛感した2日間でした。
昨日は残る選択をして間違いありませんでした😊 天草の先生たちの温かさに触れ、熱さに触れ、こんな大人になりたいなぁと憧れる人ばかりの会がとても羨ましくさえ思えました。
たつとみ先生への感謝はもちろん言うまでもありませんが、下中さん、赤城ィさん、その他の皆様にもよろしくお伝えください。まだまだよろしくお願いします。
部活の試合開始の時間が気になりますので、お先に失礼します。先生方もお気をつけてお帰りください🙇‍♂️ 
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僕のいつもの部屋は「一番部屋」。桐谷の車が駐車場を滑り出るのをカーテンの隙間から見送る。帰りたくないことは車のぎこちない動きで分かる。次は,朝飯まで一緒に食べよう。
 
朝食後,仲間の観光に付き合う。世界遺産を巡り,崎津から大江。
帰りは鬼池FTから船。右手に雲仙,左手に橘湾を眺め,石積みの島原半島を北上。
いい旅だった。
 
23日,夜。
小型イチローからはこんなメールが,
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22、23日とあこがれの聖地、松屋を堪能させていただきました。学習会からがぶ飲みのお世話までありがとうございました。
学習会では、評価でのワークショップでは、今までがいかに曖昧で主観的な評価しかできていなかったのかを実感させられました。力が自ずとつく言語活動、やってみたいと思う魅力のある言語活動、そして評価ができる言語活動を目指していきます。
また、達富先生のお話では「教えたつもりになっていないか」が頭からから離れません。教師の専門性というものを改めて考えさせられました。
夜のがぶ飲みでは、天草の先生方の熱量を分けていただき、明日からまた子どものために頑張ろうと思えました。ありがとうございました。
古賀太一朗
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マサシ平田からは,
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あまくさ国語教室のみなさんへ
まずは、お世話をしていただいた、下中先生、赤城先生本当にありがとうございました。
そして、天草の先生方の熱さ、人間味に惚れました。みなさんが小中関係なく一緒の話題で学んでいく姿に感動しました。また参加したいと強く思う学びの場でした。ありがとうございました。
そして飲み会が、また最高に楽しすぎて、みなさんとの会話でお酒が進み、いつの間にか勝手に寝る(覚えてない)と言う粗相もおかしましたが、それくらい初めてなのに自然体でいられる場所でした。また天草のみなさんと学び、飲みたいです。
平田昌志
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ふちかみさんからも,
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天草の先生方とご一緒させていただき、これまで大切に積み重ねてこられた学び、そして、温かいつながりを感じました。
松屋旅館での学びのとき、そして、天草のお魚と「古酒天草」をいただきながらの語らいのとき。初めてお会いしたことをふと忘れるような楽しい心地よい時間でした。今の自分、これからの自分について改めて考える機会となりました。ありがとうございました。
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たさきさんからは,
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赤城先生のプレゼンを聞きながら、どうしたらそんなことができるのだろうかと思いました。多くの刺激を受けましたが、一言で言うと、
(多分)全国どこでもやっている「地域の定例の国語部会」を、天草では「地域で創り出す本気の国語部会」にしている、ということです。これまで見たことがありませんでした。小学校も中学校も本気。一緒にやるからなお本気。
懇親会での「今までのやり方で授業をやっていこうと思えばできるんですけどね。本当にそれでいいのか、って思うんですよね」の言葉が忘れられません。
また、新規採用の先生がベテラン先生に単元の作り方を丁寧に教えてもらっている。そして「この天草を」という言葉も何度も聞きました。
たつログから立ち上ってくるのは「熱さ」だと思っていましたが、ちょっと違いました。お一人お一人の「天草の子どもたちを思う熱さ」が、先生方のお人柄で「温かく」つながっている研究会でした。
天草国語の会のみなさま、ありがとうございました。私にとって伝説の「松屋旅館」は、やはり聖地でした。
・・・・・・・
僕は,この天草の二日間をそっと両手に包み,明日からまた九州で生きていく。
「九州の仲間」,この本当に素敵な響きのことばにいつまでもいつまでも酔っていたい。
 
神様,きょうも,きょうも,きょうまでも,いつもいつもありがとうございます。
 
 
風がはこんでくれる「仲間」という心地よさにまたひとつ季節が変わります。