ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。
たつログ
えとせとら
佐賀指月会,学びおさめ
旅の重さに
今月二度目。鹿児島。
きょうは書写の単元学習。新しいことをやる。これがあくゆうのモットーだ。とにかく楽しみで仕方がない。新幹線の中を駆けて行きたい気分だ。
そのあとは薩摩半島へ。
向田の作品にある山川漬けのことを壮にたずねると、枕崎あたりのひなびたところらしい。
そんなことを思い浮かべているうちに鹿児島到着。
いつもの笑顔が改札に待つ。鹿児島豚のカツを食し、中学校へ。ここにも仲間、そして学び手。
廊下が輝いている。学校全体が、もちろん生徒が。
今日のテーマは思考と書字。「ようこそ」に「ありがとう」を。
教室に並ぶ言語活動のモデルは「あくゆうの会」の仲間の作。
そして、生徒。
考え、語り、創作する。この往還する学びを繰り返すことが大事だ。もう一つ高みを目指す。高みに導くのは教師だけではない。生徒が高みにたどり着こうとすることが必要だ。そのためにはこれまでの《私》に手応えをもち、今の《私》を知り、今からの《私》に対しての問いを立てることだ。
そんなことに学んだ授業後の研究会も最高だ。あくゆう、ますます質が高まってきている。あくゆう、この尊き学びの集団。鹿児島に確かに在る。ちなみに上の写真の中央に写る男は授業者ではない。はじめての学級でもすぐに溶け込むことができる我らの末っ子的存在で筆ペンの扱い方に詳しい男。
陽が東シナ海に沈もうとする頃。僕は旅の友と枕崎へ。途中、寄った酒屋。どれを連れて帰ろうか。
と、僕にとっては幻、大好きな六代目百合がずらり。鳥肌。六代目に心奪われかけてる横から旅の友がひとこと、「いいのがあります。」
「熟柿」
確かに、名前がいい。箱の色がいい。香りが漂ってきそう。飲んだあとの感覚まで想像できる。
そして宿へ。一人で泊まるのになんと大袈裟なことを。
近くの郷土の店へ。どれもたまらなく美味い。
ほろ酔いで帰った宿。深夜の温泉、窓の外は東シナ海。漆黒。
夜中、何度も目が覚めたのは焼酎のせいではなく、潮騒、波の音のせい。3時過ぎから葉書をしたため、朝風呂に身を沈めた。
枕崎は鰹が空を飛ぶ。
線路の端。最南端。始発。
土産にもらった蜜柑が一つ。鞄に乗っけて枕崎線の旅が始まる。
思えば鹿児島の「あくゆう」たち、この良き友たち。今回は学期末だから、授業研究のあとのがぶ飲みは我慢しようと、僕は柄にもなく気づかい鹿児島市内を離れて宿をとったのに、連中はしっかりと市内で飲んでいたようだ。だったら一緒に、とも思ったけど、こうして昼の研究を一緒に過ごし、夜は互いに離れてみるとなおいっそう友の重さに感じ入る。
こら壮!おい浩!なあ村永、なんやタチワダ、えっ柏木、うんうん前園、いつ来たん粗相野?なんて、まるでそばに居るよう。「洋二兄、」「アニキぃ!」っ声が聞こえる。
枕崎、ひなびた町だからこそ僕は元気であることを確かめられた。
車窓。
7時38分発は僕ひとり。
尾花は山を見てるのか僕に手を振ってくれてるのか。
指宿、次はここに投宿。
みんなの金曜日がいつも通りの一日でありますように。僕の金曜日がいつも通りでありますように。
そうそう、壮から手渡された一品。
ありがとう。壮。
神様、鹿児島に導いてくださりありがとうございます。
日曜日はこまごまと,のびのびと
仲間
北大阪、八重の会の仲間は僕よりうんと歳の離れた若い教師たち。
若いという強さに僕は憧れている。「とにかくやる」を貫いている。「つべこべ言わずにやる」に徹している。だから、確実に力をつけてきた。八重の会に迷いはない。学習課題から《私の問い》を立てる言語活動の単元の質は全国指折りのレベルだ。数字にもあらわれてきた。もはや無解答率0パーセントの学力テストの結果があたりまえになっている。
そして僕は、若いという美しさに酔っている。質問に手加減がない。無駄がない。妥協がない。分かったふりをしない。分かり切るまでたずね続けてくる。
この熱い若者たちの強さと美しさにとりつかれた僕はきょうも大満足のうちに帰路についた。
新大阪、博多と乗り継いで長崎行きの「かもめ」。車内に聞こえてくる長崎弁に安心する。
京都を故郷とし、長崎を終の住処と決めた僕は関西を気にかけ、九州を愛している。
東大阪市に単元学習のきざし
あなたはクッキーが好きですか、チョコレートが好きですか。お気に入りのサンドイッチの具は何ですか。
軽妙な話術、テンポ、爽やかさ。抜群の力をもった指導主事さんに導かれ、僕は心置きなく90分の講演を完結することができた。
研修会は導入で決まる。そのことを見せつけられた。講師に丸投げの研修会に辟易していた僕はいっぺんにこの指導主事さんのファンになってしまった。
また一緒に仕事をしたい!熱いこの気持ちに偽りはない。
参加の教師たちの熱意も大したものだった。90分を構造的にノートテイクしてくださいね、との言葉をちゃんと実行してくださっただけでなく、僕を見る瞳から、声を聞き逃すまいとする姿勢まで、完璧だった。
上手く始まると見事に終えられる。
東大阪市教育センターがこの地の単元学習を胎動させたのは間違いない。東大阪市の単元学習黎明期に乾杯だ。
京都のまち
生まれ育った町というのは歩くだけで包まれている感じがする。生まれてすぐに吸った空気は肺のいちばん奥深くにずっと残っている、って
何かの小説で読んだ。
だから懐かしいんだ。この公園は僕らの遊び場所。泥だんごづくりも山すべりも野球もここ。この木は、野球をするときの3塁ベース。
一日中、遊んでいた。とにかく外で遊んでいた。いつも友だちと一緒にいた。
道路から家の中の時計を見ることができる場所や、叱られずに手を洗うことができる水道、雨宿りに絶好の大きなひさし。必ずカマキリを捕まえられる草むら。この町の遊び場所のことなら知らないことはなかった。
今朝の散歩。今となってはどれも残ってはいなかったけど、3塁ベースの木と古い御堂には会うことができた。
京都。いつまでたってもこの空気こそが母だ。
書斎「のぞみ」
《私の問い》についてまとめることができた。新幹線は僕の頭を整理してくれる書斎だ。
かつて博士論文をまとめたのも新幹線の中だった。毎週、同じ新幹線の同じ席に座り、隣の席もリザーブし、そこには資料を広げ、まとめていた。
きょうは違う。iPadひとつ。ときどき車窓を楽しみながら、最近の研究会での質問に応えるように綴った。
京都の附小の先生たちからは分かりやすいと高評をいただき、2時間かけてやったかいがあったと満足。
さて、明日は大阪。東大阪市教育センターで仕事。そのあとは、久しぶりに賢治と源和とたこ焼き。久しぶり。これがとっても待ち遠しい。
よう来たね。
ようこそ、長崎へ!
夕暮れはとつぜんに
12月は待つことに輝く
動き始めた列車
摂津の子ども
さあ、きょうは大阪。素晴らしく伸び急いでいるように見える子どもたちに会えるのが楽しみだ。自分たちの成長に気づきはじめている子どもは伸びよう伸びようと、伸び急ぐ。そんな姿にふれられる教師は幸せだ。
2、3日前の読解力低下のニュースなど他人事だ。この子どもたちが15歳になった時のことを考えるだけでわくわくする。きっとできる。この子どもたちは間違いなく伸びている。伸び急いでいる。
小学校に着いた。まっさきの言葉は校長先生から。「故郷の新米のおむすびがあるんですが。」「いただきます。」
美味すぎる。美味すぎるおむすび。おむすびを食べた人はやさしくなるんだって。その人の両手のあたたかみを食べるから。
そして,授業。
どの教師の教師も子どもと向き合っている。
分科会。分科会にも学習課題が設定されている。学校全体が単元学習だ。この小学校は全員で子どもを教えている。全員で守っている。全員が一員だ。
そうそう,山崎さんの研究概要説明も分かりやすく誰もがうなずく内容だった。
もっと時間をつかって詳しく話してほしかったんだけど,僕の時間に気をつかってくれて,,,と,驚いた。なんだ!このスライド。「本校にとって大きなターニングポイントでした。」なんて言い過ぎ!
僕が初めてこの小学校をおとずれた日をこんなふうに残してくれるなんて,幸せだ。
本日の授業者。授業者が研究発表会で尊ばれている。あたりまえなんだけど,このあたりまえが分からないことが多い。多すぎる。こんなことをしてくれるなんて,幸せだ。このことに気がついている校長,教頭がいる限り,この学校は安泰だ。
研究発表会後,校長先生と腐れ縁の男2人と写真。
授業者。
打ち上げは,サッポロのビアホール。
そして,幸せを創り出したチームで写真。この小学校の応援団長の僕は,幸せのいちばん上にいる気がする。みんながいちばん幸せ。この学校の子どもたちはもっと幸せ。
幸せの「上」の言葉がほしいなあ,北橋さん,清家さん,山崎!無限!谷本,石川,上野。
神さま,こんな幸せをありがとうございます。
鹿児島から平戸へ
師走は薩摩から走り出す
野村さんからの贈り物
生姜。ケーキ屋さんの生姜。これがたまらなく美味い。
これは昨日の研究大会に参加できなかった僕の友人の野村さんが同じ学校の職員を通じて届けてくださったお土産。
僕は懐かしさを「光」で感じることが多いんだけど、この「味」はまさしく懐かしさだ。
懐かしい味。決して今までに口にした味ではないんだけど懐かしい。
そう言えば、野村さんと最後に別れた駅。列車が着く15分ほど前に駅に送ってくださった。その後、もうお帰りになったとばかり思っていたら、列車がホームにすべりこんで来たとき、野村さんの声。ホーム横の駐車場で待っていてくださったんだ。何度も何度も手を振って別れた夕方。
あの時の光と、この生姜の橙色がこの懐かしさを作っているに違いない。
きっと、近いうちに会える予感。
野村さん、達富は元気です。
そして,もう一つの味。みやき町から届いた山形の洋梨。
実物を手にしたのははじめて。ぎゅっと握ったら,手に洋梨のにおい。もしかしたら僕のてのひらの形が移っちゃったんじゃないかと心配したけど。
この黄色,昼間見た銀杏の葉っぱと同じ色してる。
神様、たくさんの仲間とつながりをありがとうございます。きょう一日に感謝です。
一生懸命であるということ
きょうは福岡県京築地区の小学校国語教育研究大会。
3年生と4年生の授業者の一生懸命さに惹かれた。単元づくりも一生懸命。きょうの授業の導入も一生懸命。机間指導ももちろんそう。個別の指導も丁寧で一生懸命。
二人の教師の授業を観察して束ねて所見するのは失礼なんだけど、両授業とも同じように一生懸命だからこそ、同じように目に映る。違いはもちろんあるんだけれど、それ以上に共通する丁寧さに惹かれた。
翻って、僕の全体講演はどうだったんだろう。慣れからの緩みはなかっただろうか。疲れからの雑さはなかったろうか。奢りからの不遜はなかったか。
きょう一日が僕の本来の姿の仕事でありますようにと、願って出かけたのに、若すぎる美しさを見て心細くなっている。
僕のしたかったことはなんなんだろう。
と、壮からのメール。僕たちの仲間、藤岡浩の指導が生きている報せ。
ヒロシ、乾杯!
空を飛びたい
上五島、この聖なるところ
上五島行きの朝のフェリー。
波は高いとのことだけど,いいことありそう!
昨日のミサに与った五島の方々と一緒になった。船の中でも,まだ教皇様の話題が尽きない。僕も,うんうんとうなずきながら,だけど,ときどき床に体をくっつけながら。もらったみかんは握ったまま。
高い波,白い波,三角の波。
ようやく有川港。
この男。
前回は強風のため歓迎の幕を広げられなかった。その反省から,今回は上着の下に紙をしのばせる作戦に出た花ちゃん。しかも,昨日の POPE IN JAPAN 2019 のTシャツを着てくれている。実は僕も持ってる。
小学校に着く前に,途中に暮らす南慎太郎に会う。相変わらず元気すぎる。妹のこはるもいた。
そして小学校着。
この小学校はいつもあたたかく迎えてくれる。玄関の小黒板には「子どもたちも研究同人」とのこと。そう!その通り!学校は教師と子ども,みんなでで創るものだ!
そして授業。これまでの中学年複式の単元,高学年複式の単元の成果と課題を見事に調和させ,発展させた低学年複式の単元。
正直,僕は焦った。嫉妬した。うらやましかった。こんなに短期間で一体化した学校。僕は唸ってしまった。ここまでの学びを目の当たりにして,戸惑った。
すべては,大人が子どもを信じていることから始まっている。子どもを安く見積もらないことが創っている。子どもの伸びを誰よりも願った担任だからこそできるわざ。
僕は,この3人の担任教師と出会って幸せだ。この学校の校長や教頭,かかわっているすべての教師に感謝だ。間違いなく,僕がいちばん勉強させてもらってる。そう言い切れる。
きょうの低学年複式の単元は複式ではなかった気がする。複数学年の子どもたちが複数の単元を同じ教室で行っているだけ。異学年による本質的な「言葉の学び」だ。
「複式」っていう区別がそもそも教師の都合だ。子どもは12ヶ月間の誕生日の幅でなくても学びの仲間をつくることができる。誰とでも学べる。大人の都合がいつもいつも最適とは限らない。だって,全校児童全員で遊びの工夫をしたり給食したり掃除したり走ったりできるんだから。
子どもは教師の都合で教えられるのではなく,子どもは子どもの都合で学ぶほうがいい。
そんなことを頭にめぐらせ,言葉にし,共有できたのが放課後の研究協議。先生方のメモをとってくださるタイミングがいい。3回の校内研修で僕を受け入れてくださったんだとうれしいひとときでもあった。
時間だ。終わりの時間,お別れの時間だ。
みなさんが,玄関で,そして駐車場が見える廊下の窓から,いつまでも手を振ってくださってる。僕も熱い熱い気持ちで両手を振った。この学校に縁をいただきありがとうございました,って,何度言っても足りない。
帰りもフェリー。別れのテープは悲しいけれど,ちっともさみしくはない。やっぱり五島の行き帰りはフェリーでなくっちゃ。
上五島。やっぱり,ここが僕のはじまりだ。光も空も水も香りも願いも祈りも,全部,抱きしめてる。
ありがとう,花ちゃん。いつまでも手を振ってくださった二人の影を見続けた僕は幸せでした。
そうそう,昼休みは無理を言って外につれてもらった。
すうっと息を吸い込んで,ふうっと声を出す。
「きょうもいい授業をありがとうございます。」って。そして,「また来るけん」って。
神さま,ほんとうにありがとうございます。僕は五島に惚れとっと。
わたしたちは兄弟姉妹
本日,ローマ教皇,来県!!
いよいよ「本日」になったきょう。今にも降り出しそうな朝,僕たちはバス7台で長崎市へ向かった。
途中のサービスエリア。普段なら混むことはないところにバスがぎっしり。佐賀ナンバー,福岡ナンバー,大分ナンバーはもちろん,岡山ナンバーや高知ナンバーまで。
浦上天主堂の前を通過する頃,天気予報通り,ちゃんと雨が落ちてきた。
長崎県営野球場までは,平和公園に来られる教皇様を迎える人,ミサに向かう人,それを整理するスタッフ,報道,いつもの長崎市が雨に濡れながらその時を待っている。
会場もミサ開祭4時間も前からその時を待っている。知り合いの五島の方は「覚悟してミサに行くけん」とおっっしゃっていたが,その想いが雨に調和し,静まりかえった長崎はむしろ落ち着いた景色となっている。
教皇様が平和公園で祈られてるお姿がスクリーンに映る。
歓声ではない。みんな手をあわせている。祈っている。3万人が同じことを祈っている。
そして,ミサ開祭。空は快晴。強い日差し。
VIVA! PAPA!
「愛」を飾らず表現するフランシスコ教皇。私たちを愛してくださっているフランシスコ教皇。教皇を濡らした雨と同じ雨に濡れたきょう。僕は,「愛することや許すこと」をすんなり心に染み込ませることができた気がする。
ミサはショーではないという教皇の言葉にしたがって,ミサ中はカメラを持たなかった。そのかわり聖別のために連れてきた羊を手に包んでいた。
この子羊がこれからの我が家で謙遜と愛を思い出させてくれるはず。
神さま,ありがとうございます。ありがとうございます。
さてと,東京
きょうは日帰りで東京。一泊する余裕はなし。だって,明日はパパ様に包まれるから。だから日帰り。
一日をありがとう。
今,長崎は
いい仕事の帰りは嬉野の湯
テレビもいいもんだ
新米は友の味
上五島から時津東へ
朝5時半。ぐっと冷え込んだ大曽教会。僕は地元の祈りに包まれた。
約3時間,教会の外は快晴。
十字に鳶がやけにのんきそうだ。
奈良尾港まで,しばし花ちゃん校長と昨日の授業協議の協議。先生方の誠実さの褒め称える言葉しか出てこない。と,僕を乗せるフェリー椿の入港。
二度目のきょうは紙テープはないだろうと思っていた僕が甘かった。さすが花ちゃん。やっぱり花ちゃん。
同い年の男を見送る同い年。同い年の姿の上に,同い年の影。
金曜日の朝のフェリーなど,見送る人影はない。たった一つの人影がいつまでも手を振っている。小さな島影より大きな花ちゃんの影。ありがとうを置いていくよ。
さて,遅めの朝ご飯はクリームパン。旅の途中はクリームパン。
そう,まだ途中なんだ。きょうは午後から大きな授業研究が待っている。これほどに熱量を感じる単元研究があるだろうか,と思うこの半年。竹ちゃん先生は見事な授業を楽しんでいた。
教師が授業をつくるということは,学級を創ることにほかならない。小さな揚げ足を取るような発言はみっともない。何より見つめなければならないのは,「授業者の技」ではなく「自分の授業を観る目」。授業を観ることができる目と感性をもつことができれば,その人の授業力は伸びる。
この授業。間違いなく輝いていた。この授業に生きる子ども,間違いなく響いていた。
「おつかれさま!」の言葉より,「またね!」の笑顔。時津はこべらの教師たちはいつも「またね♪」だ。だから,僕も「Yes!」か「はい!」か「よろこんで♪」。きょうからは「もちろん★」も付けることにする。
見上げればクリスマスイルミネーション。今朝の大曽教会の祈りの声と長崎駅前の人の音。
神様。きょうも一日をありがとうございました。僕の働きが何かの望みにかなうならうれしいです。
祈りの島、上五島
さあ、はじまる。上五島、紺碧の会。
南風が強い今朝の五島灘。
30年前の海を思い出す。こんなときは船と身体をぴったりくっつけるに限る。ということで、じゅうたん席を選んだのは大正解!
五島灘。まぎれもなく、僕はいま、祈りの島に近づいている。これから小さな小学校の大きな学びにふれ、夜は教え子のさばく魚に舌鼓。明日の朝は静かな集落のミサに与る。
五島。僕にとってとても大切なところ。
馴染みのスーパーが見える。そして,懐かしい男が見える。
あいにくの南風。彼の演出もなかなか上手く運ばない。
「もう,よかけん!」
小学校も迎えてくれる。
校長室は地域や縁のあたたかさで満ちている。
授業に背筋が伸びる。ふたりの5年生とふたりの6年生が同じ教室で学ぶ。
子どもの学びに教室のサイズは関係ない。ひたすら学ぶ姿はどこでだって同じだ。心洗われる思いで小学校を後にした僕は,前回とは違うコースで宿に向かった。
明日の朝に与ります,と約束してがぶ飲みへ。
この男。「よか男」過ぎにつき要注意。
五島ならではの魚。酒,そして「かっとっぽ」。
家族にも包まれ,僕も花ちゃんも大満足の上五島の夜。
WELCOME BACK ジョー
もしかしたら,お帰り!ジョー!
こんなニュースが飛び込んできた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191111-00000250-sph-base
本当にこうなったら,僕は来年横浜に住まなくっちゃ,って思ってる。
さて、大阪
久しぶりの大阪。まだまだ大阪弁は錆びてへんでえ。
今から3時間あまり、めちゃくちゃ楽しんできたんねん。ここの仲間はこてこての関西人やし、何ゆうてもかまへんみたいな空気やさかい、はめはずしすぎひんようにせなあかん。
ほな。
仲間が集うから、九国研 佐賀大会
明後日の会、元気です。
声が出ないんだけど
きたきた,鹿児島の壮から届いた。
学ぶ姿はどこにでも
10月30日。中学校の数学の授業にふるえた。生徒が「問いを立て」,その解決に浸っている。中学2年生が数学の授業で問いに夢中になっている。担当の教員は「これまでの授業とは歴然とちがいます。」「何もかも違います。」「これまでこんなことやっていなかったことが不思議なくらいです。」
僕はこの授業の教室に居られたことを誇りに思う。この教員の単元づくりの話を聞くことができたことを誇りに思う。そして,きっとこの教室に何度も来ることになると確信している。
いい授業とは,こんなふうにして教室にあるもんだ。
そして,夕方。大学に戻ると,国語科の学生たちが学内学会の準備を進めている。せわしなく動く姿に無駄はない。4年生は発表準備に汗を流す。
涙を流す,というのは大げさだ。だけど,うんうんとうなずきながら,この姿をずっと忘れないでおこうと思ったのは本当。40代前半の教員も,二十歳を過ぎたばかりの大学生も,学ぶ姿はまちがいなく美しい。
神様,きょうという日をくださってありがとうございます。
さあ,仲間と
さてと、動く!
よう来たね。って,
今朝は朝から寄り道をした。3時間ほどかけて瞳をとじて。
「信じること」って何だ?って,瞳をとじて。
ただで与えられていることを,ただで行う。ただでいただいているんだから,ただで与える。
「よう来たね。」って,声がする。
我が家に秋がやってきた。
いちばん年の離れた友
大崎高校の野球
だんだん分かってきた
東へ
在来線から見える田んぼは黄金に光ってる。田んぼに映る列車の影を見ていると、きらめく世界を走っているような気分になる。
秋。きょうも僕は教室に向かって旅してる。
奮闘努力のかいもなく
あくゆうがいるから。
ご存知,「壮」。今夜も鍋まるごと食らう男。
飲み放題はもちろん,サッポロ★!
昼間の研究会は頭から汗をかく深さ。誰もがこの時間を自慢したくなる。
しかし。しかししかし,それよりも,やっぱり,壮の奥方の手料理。鶏飯。
お昼休み,12時10分に届けられた「お昼セット」
粗相野さんが準備を仕切る(少し邪魔もしてる)。出汁をあたためるコンロまで,,,,
見るに見かねてみんなで手伝う。
一人分ずつ,きれいに小分けされたお昼セット。鶏飯セット。
るみさんの手料理。鶏飯。三度目だけど,この味がたまらない。一度目は,雨の桜島 in 壮の車。二度目は,ようこそ達富王国 PENNY LANE!そしてきょう。
全部,美味い。何もかも美味い。あくゆうの全部が美味い。ありがとう,るみさん。ありがとう,壮。ありがとう,鹿児島あくゆうの会。ごちそうさまでした。
ということで,夜の二軒目。
あくゆう,初のワイン。その後,静かに新幹線に乗りました。
神様,感謝のうちに友と仕事を終えました。ありがとうございます。
さあ、いくよ
日帰りだけど、楽しいことぎゅうぎゅうづめの日曜日。さあ、行くよ。
友,博多に来たりて
さがりの紫陽花
せみ
彼岸花
4年生の担任をしてきた頃。お彼岸を「おひゴン」と言った子どもがいた。僕の「ごんぎつね」の授業の彼岸花の描写に熱が入りすぎていたんだろう。恥ずかしくなる思い出。教材コンテンツだけに目を向けていた古い時代。
彼岸花を見ると思い出す、恥ずかしくも情けない、だけど懐かしい思い出。
その夜、届いた高知からの便りと写真。
日本中、彼岸花。日本の教育中、彼岸花、ごん。
どうかどうか、「彼岸花の頃のきつねの悲しいお話」だけの学習で終わりませんように。
僕の倅は「大造じいさんとごん」と言うことがある。日本の教育は子どもの記憶にすうっとしみ込んでいる。だからこそ、これからはこれからのしみ込ませ方を、と願ってる。
神様、きょう一日、ありがとうございます。
ヒロからの贈り物
ジョー
まだまだこれから!
ずっとファン!
きょうのめあて
めあて 《私の問い》の解決のために学習を進めよう。
これで決まり!
問いを立てる
個別の学び。しかもそれは定食ではなく、一品もの。その子どもに最適化されたもの。つまり、その子どものための個人化。だから、その子どもは自分の学びを自ら作り出すことができる。
ここに自立した自律的な学びができる。
そんな学びの実現に向かいつつある45分。きょうの時津東小学校の6年生の教室。
この時間をどう見るか、それには我々の授業を見る力が問われる。教師のパフォーマンスを見るのは二の次、学習指導案を読むのはそれ以前。この瞬間、教師の観察は子どもの息づかい。教室の事実。教師の関与。
子どもの学びは声によるライブのインタラクション。学びの自覚は文字による丁寧なリフレクション。
我々の授業研究も同じ。すべては教室の事実。観察者の物語ではない。
本当に清々しい授業だった。授業後の協議も授業者、研究主任、司会の謙虚で丁寧な語りによって見事な成果を残した。
そしてそして、声によるリフレクション!
ここに集う仲間、最高!
この学校、成長し続ける学校。楽しみでしかたない。
きらりと流れ星
上五島,あれからの僕はと言えば
「上五島に行ってくるよ。」こんなことが実現するなんて,神様のお恵みに感謝しかない。
2日間の休みをとっての小さくて大きな旅。佐世保港からはじまる旅。30年前にはなかった船が僕を急かすように海の上をすべる。左手に西海大島,崎戸島,右手に平戸島。今となっては,馴染みのある島。30年前はどれがどの島か分からなかったのに,今では手に取るように島影を認めることができる。そう、やっぱり長崎は僕の終の住処だ。
10時5分。有川港。
何度も合っている友だちが,「間違うことがないように!」とメッセージを持って待ってくれている。「とうとう来たよ。花ちゃん!」
懐かしい島。すっかり変わった景色と,あのときのままの風景が織り混ざっている。だけど,やっぱり懐かしい。
何度も通っていたような初めてのこの小学校の玄関にもメッセージ。そして,僕の名前の下駄箱。
複式学級の授業は子どもの力にあふれている。黒板に向かって協働しているこの2人の背中は学び合っていることのあかし。
たった6人の校内研修は家族的。だけど,その根っこの下に流れている本気が伝わってくる。この学校の先生方は本物の教師,学び続けようとする教師,子どもに対峙する緊張感をもち続けている教師。だからたくましい。僕も本気で語った。言葉を届けた。瞳を見続けた。
地域に夕方の放送が流れる頃,花ちゃんが地域の教会をまわってくれた。真手の裏教会,跡次教会。
宿は青方の永田旅館。大好きな天草の常宿の松屋さんのようなたたずまい。フーテンの寅さんが出てきそう。
夜は花ちゃんと教育の話で一杯。子どもの話で二杯,未来の話で三杯。そのあと,五島で教鞭をとっていたときの教え子の慎太郎夫婦もやってきて四杯め。賑やかなひとときが静かな島の夜に溶け込んでいく。明日にそなえて早めに切り上げた空は,30年前と同じ群青色。
朝6時30分。教会の鐘が鳴る。そう,ここは祈りの島。7時過ぎに慎太郎が迎えに来てくれ,30年前にミサに与った教会をたずねた。
そのあと,親友であり兄貴のような存在だった虎さんの遺影に手を合わせた。早いもので逝ってからもう5年になる。写真の虎さんは間違いなく僕に文句を言っているはず。笑いながら。
先立たれたことを語る益代さんとしばし思い出ばなし。あの頃は教え子のお母さんだったけど,いまでは友だちのよう。
帰りのフェリーまで2時間ほど。慎太郎の店でサッポロビール★。
1時間前まで泳いでいたアジとネルを10秒で捌く慎太郎の包丁は見事。そしてその味も見事。「これは丁寧に仕事をして丸一日ねかせたアジ。」「これは五日もの」。五島の魚が美味いのは新鮮な内に食べるからではなく,新鮮なときに丁寧で本気の仕事をするから。教え子に哲学を聞かされ,幸せにひたる。
しめは五島うどん。アゴだけでとった出汁に慎太郎が汲み上げた塩。完全にやられた僕は,うなずくしかない。
そろそろかなと時計を見上げた暖簾の向こうに花ちゃん登場。
「港まで送るまでが今回の仕事やけん。」って,粋なことを。学校の先生がたがみんなで見送れないから代表で来てくれたことに感謝。
「また来てくださいよ。」となぜかあらたまった花ちゃん。
「また来るけん。」と思わず僕。
「また来んばよ。」続けて花ちゃん。
「すぐ来っけん。」握手で約束。
「これ持っていかんば。」と渡された2本の紙テープ。
30年ぶりの船の紙テープ。
夜なべして作ってくれたメッセージ。にじんでよく読めないよ。
紺碧の海を流れる紙テープ。二本のテープが切れても,僕の涙は乾かなかった。ありがとう。また来るけん。すぐ来っけん。
帰りのフェリーは赤い絨毯の雑魚寝スペースを独り占め。海から眺める中通島。有川,浦桑,榎津,丸尾,似首,仲知,津和崎。声に出して岬を呼んでみる。前島,野崎島,宇久島,小値賀島。二等客室の天井のしみが島影に見える。波頭に乗り上げ,時折跳ねる船の揺れさえも,もう少し続いてほしいと思う。五島,五島。
神様,きょういちにちをありがとうございます。本当にありがとうございます。
天草は確かにここに
明日は天草教育研究会の公開授業と授業協議、そして僕の講演。これまでの天草の真摯な研究の姿を参加者が共有できる最高の時間になる。
僕は前日のきょう、天草に入る。
やっつけ仕事でもなく、単なる飛び入りでもなく、僕も研究同人の一人として同じ空で朝を待ちたいから。もちろん、いつもの松屋さんには仲間がいる集う。
さあ、11回目の天草がはじまる。
この天気。間違いなくいい予感。
休みの日に集まってくれた仲間たちは,どの顔にもこれまでの自信と誇りがある。
そして,当日。
見事!コンパクトにまとめた赤城ィの研究趣旨の説明。
そして,鮮やか!射塲さんの単元。
丁寧な授業は子どもを惑わさない。本気の授業は子どもに響く。確かな授業は誰をもうなずかせる。
天草 国語教室の会。この仲間たちとの3年間。とりわけ10回の勉強会に学んだ事実がきょうの50分に凝縮されていた。そのあとの僕の講演など,デザートにもならない。教師にとって授業の事実ほどすべてを語ってくれるものはない。天草の仲間と「ありがとう」を包み合いたい。
本当ならこのまま打ち上げ!といきたいところだけど,打ち上げは単元が終わってから,言語活動の作品ができあがってから,というのも厳しくて素敵なことだ。11月,きょうの授業を再現しながら語り合えるのを楽しみにしてきょうは別れた。
活版印刷伝来の地,河浦をあとにし,僕は天草をぐるりと時計回りに夕日と語りながらフェリーターミナルを目指した。
神様,きょう一日をありがとうございます。
そうそう,「美味しかったです!」のメッセージを届けすぎた僕に,長尾先生がまたまた1本くださった。ありがとうございます。
倫明を磨き大島 月光る 万葉
岬の外れから東へ東へ
山口百恵の「いい日旅立ち」のメロディーを聞きながら博多駅を定刻に出発。9号車6番Dが定位置。9-6を選ぶのにはいくつものこじつけの理由があるんだけど,きょうはそんなことより,ちょいと旅。
いつもの黒い革表紙の本をもって,新幹線。
でっかいビルを見上げながら,東へ東へ。いろんなことを考えながらの列車の旅はいいもんだ。
こんなビルで働くなんて僕にはあり得ない。鞄をひっさげて船に乗ったりバスに乗ったりが似合っている気がする。九州の仲間の暮らす処を訪ねる日々が今の僕を創っている。
さて,到着。
32番を見かけることはなかったけれど,僕にとって32番は2011年からのファンのあかし。
さて,ひとり乾杯!
試合は負けちゃったけど久しぶりに楽しんだ。
さてと。夏休み,おしまい。
価値の創造
これまでずっと「価値ある言語活動の設定」を語り続けてきた。これは間違いではない。
しかし、それは価値ある言語活動をさせることを求めているのではない。言語活動を行うことで価値を創造することが大事である。
とかく、教師は価値を説明しようとする。これは必要。ただ、価値は説明されただけでは自分ごとにはならない。
思考や行為を通して価値を創造することこそが学びである。
というような話を行橋の野村さんと車の中でしたよなあ、と思い出しながらきょうは佐賀県内をさまよっている。
途中、友だちの校長室をたずねた。「8分後に行っていいですか」の確認に「もちろん」の返事。
この58歳は偉大な校長だ。「子ども」のための校長を心から楽しんでる。だから、この小学校の子どもも彼のことが大好きだし、なぜか僕まで好かれてしまってる。近々、PENNY LANEでがぶ飲みしましょうと約束。
どこに行っても仲間がいる。迎えてくれる友がいる。
神様、きょう一日をありがとうございます。
西海づくし
学び舎だから
この時期の大学は閑散としている。3年生も4年生も教育実習。1年生,2年生は帰省中。僕は静かな研究室で前期のまとめをしている。もっと教え方を工夫できたはずなのに,と反省ばかり。来年の4月に使う学習材をつくりはじめる。半年,ああだこうだと言いながら学習材と付き合うのは愉快だ。こればかりは小学校の教師も中学校の教師も大学の教授もかわらない。
後期に授業する教室に立ってみる。この教室で使うことを想像しながら準備する。これは自宅の書斎ではなく,学び舎の中でなければできないこと。学び手の息づかいが教師としての僕の感覚を鋭く,そして柔らかくしてくれるから。そんな自分を見つめるために,僕は誰も居ない夏休みの大学に通う。
祝福を
旬のかぼす
宅急便の河内さんが満面の笑みで運んできてくれる。届けられたのは,大切な大切な仲間からのかぼす。この香りが間違いなく秋を連れてくる。
生野さんとはもう5年のおつきあい。大分の美味しいものはぜんぶ生野さんから教わった。生野さんの仲間はみんな味が達者。幸さん,京子さん,園恵さん,そしててっちゃん。みんなみんないい人ばかり。
箱いっぱいのかぼすを眺め,この堂々としたのは生野さん,この包み込むような色は幸さん,このしっかり者は京子さん,この瑞々しいのは園恵さん,そしてこの飛び跳ねる強さはてっちゃん,などと,仲間の顔を思いうかべながら机の上に並べてみた。
さあ,今夜からは麦焼酎。
生野先生,本当にありがとうございます。今年も,我が家はかぼすに包まれています。
九州,せいぞろい
ありがとうって,いい。
大島から崎戸島,学びひたる
長崎県西海の大島。
小さな小学校の小柄な先生が大きな仕事をしている。見事な授業に何処に居るのかを忘れてしまう。この教室にあるのは小さな島の穏やかさだけではない。九州の,いや日本の先に立つしなやかさと強さがある。
何よりリズム。子どもが学ぶテンポを知っている教師は授業を見事に運ぶ。そして教師の語り。子どもの心に声を届けるとはこういうことだ。厳しい。そして清々しい。もちろんやさしくて分かりやすい。
僕はこの教室にどれだけのことを学んだことだろう。iPadに残った動画をきちんと見直したい。
さあ,感動的な授業のあとはがぶ飲みの会。
もう一つ先の島が今夜の場所。
新しい仲間との乾杯に心おどる。
語って語って笑って,飲むことを忘れるくらいの時間はすぐに過ぎる。大島東小学校の仲間たちに感謝。
真っ暗な島の夜が帰路の仲間を飲み込んでいくようだ。
「ありがとう」を何度も繰り返し,島の夜はさらに黒くなる。群青の海が明るく見えるのは漁り火のせい。
そっと手ぬぐいに包みたくなるようないちにちをありがとう。
夕方,僕は仲間よりひとあし先に学校を出た。崎戸島に行くまでに寄りたいところがあったから。
五島灘、西海に面した小さな小さな集落の中にぽつんと赤い屋根。耳を澄ましても潮騒のほか何も聞こえない。誰も歩かないから足音もない。夏の花の葉擦れの向こうにも何も聞こえない。だけど,この大きな海の上に,そこにきっと神様がいらっしゃる。僕を見ていてくださっている。
僕の人生の師が少年時代を過ごしたところ。
神父様,きょうもいちにちをありがとうございます。
天草の潮騒
日曜日の夕方
天草島原、風の道
たぎりたかあ!
10回目の天草松屋の会。
きょうは9月下旬の大きな研究会での単元検討会だ。8月末からの大雨で2度の日程変更があったのに,多くの仲間が集まってくる。僕もいつもの鞄をさげて橘湾沿いを走る。
いつもの松屋さんに到着するやいなや,女将さん。「暑かけん,ビールでも飲まんですか。」
さすがに勉強の前なので遠慮したが,この心がうれしい(サッポロ☆ならなおうれしい)。
そして,夕方。ぞくぞくと仲間。
3時間なんて,わずかな時間だ。ここまで話し込んだことはないくらい,今夜の天草松屋の会は深い時間だった。
そのあとは,天草の魚とビールと焼酎。赤城ィが言った。「たぎりたかですもんね?」下ちゃんが言った。「そう、たぎりたいんですよ。」まさにその通り。僕たちはたぎりたいんだ。たぎらんば。天草の夜は今夜も熱い。そう熱い。
今夜で天草十夜。この仲間とのかけがえのないつながりも僕のたからもの。
鹿児島の集いのときには天草からもぜひ。みんなで一緒にやろう。
ありがとう、下ちゃん。赤城ィ。田中さん、射場さん。クラタ。そして天草松屋の会の仲間たち!
神に感謝。
水のあと
男は黙って
きょうは雨。朝から大雨。
たくさんの仲間からの雨のお見舞い。それぞれに僕と共有している話題にふれながらの気づかいが心にくくもあり,うれしくもあり。そんな中,一人の友達に返した僕の「家に閉じ込められるいちにちはビールでも飲みたくなります。」という不謹慎なメールに再びメールが届いた。通信文はなし。写真一枚。
僕はこの大きな男ともだちが大好きだ。
そういえば,夏のはじめにこんな暑中見舞いが届いた。
まさか小学6年生が飲んでいるわけではないけれど,にやりとうれしい。この子のお父さんがビール好きなのか,このクラスの担任が「達富先生は★サッポロビールよ。」と言っているのか。
さて,日本が無事でありますように。九州が無事でありますように。警報が解除されたら,乾杯するつもり。
あくゆうがつなぐ仲間
ブーメラン島
教えるということのもろさ
教えるということは、教える内容や教える方法以上に、どのタイミングで、どのような場で、どのような声で、どのような表情で、ということが織り成してはじまる。
そして何より、教えるようとする相手が教えてほしいと心を開いていることが第一条件だ。
だから、教えることを仕事としている僕は、相手が教えてほしいと心を開いてくれるようにすることからはじめてる。
では、どうすれば開いてくれるか。
そんなことを語り合いませんか、今夜でも明晩でも。
神さま、むずかしいですね。
長崎で語り合う
栄冠は君に
さあ,集まろう!
ちゃんとしなきゃ。
ひまわり,夕立,蝉の声
通勤路。朝6時に見つけた。帰りに写真を撮ろうと決めた。忘れないように「帰りはひまわり,帰りはひまわり」と何度もとなえた。
夏休みはひまわり,夏休みは夕立,夏休みは蝉の声。
吉田拓郎さんの「夏休み」は人生の名曲だ。
きょうは京都の五山送り火。遠く離れた僕は,せめて京都の夕暮れをと思い,家の前に打ち水をした。子どもの頃,母が打ち水をするのをもったいない気持ちで眺めていた。水道代がもったいないというのもあったかもしれないけれど,家の前の道が濡れてしまうことできょうの遊びの終わりが宣言されたような気持ちになったんだと思う。
きょう,打ち水。その打ち水の上を宅急便が来た。河内さんが運転席から降りてくる。「達富さん,冷蔵です。」
また,酒が進む。味も抜群,この図柄も最高。ビールも焼酎もばっちり。ありがとう!
長崎海星高校もベイスターズも負けたけど,五山送り火の日に子どもの夏休みを思い出すことができた。松浦漬で自分の子ども時代に乾杯!
神様,きょうもありがとうございます。
東の空から届いた便り
さて、甲子園。
夏休みなのにテレビの前はつまらないから、ラジオを携えて外へ。もちろん、NHKの高校野球の放送を聞きながら。
きょうは第1試合で車の油を入れに行って、第2試合で早めの昼と買い物に行って、第3試合のときはまるまる庭の芝生の手入れ。第4試合で車を洗って柴犬の散歩。
やれやれ。まだまだこれからスポーツニュースと熱闘甲子園。まだまだ忙しい!
そうそう,きょう届いた贈り物。五島時代の教え子から。
日本一の五島うどん屋,しおづくり名人,そしてアイディ男の南慎太郎のお店のユニホーム。「とらや」は僕の大親友である犬塚虎夫がつくった店。ぼくにとっても忘れられない思い出を継いだ慎太郎からのこのシャツを着ると虎さんに抱きしめられているようだ。
神様,きょうも縁をありがとうございます。
夏の夕暮れはさみしくて
Tシャツに夏の空
オリーブの枝を手にとって
僕の軽トラにはペンホルダーのようなものがある。そこを花の一輪挿しにしようと試みたんだけど,生花はすぐにしおれちゃってかわいそうだから,造花にすることにした。しかし,なんだか安っぽいので自分でつくることにした。
ということで,完成!
オリーブの枝。かなりのお気に入り。もちろん,いろいろなものを使い回してつくったわけだからオリジナルではないけれど,世界に一つのオリーブの枝であることは間違いなし。
8月8日。長崎では明日の献水のための水を調えたと聞いた。
僕は戦争を知らない。けれど,もしかしたら,平和も知らないかもしれない,と思いながらオリーブの枝を眺めてる。
きょう、今年はじめての海に足をつけた。
世界が平和で満たされますように。
青い空の下で
台風の開会式
恵みの中で
同じように,どこででも同じように
長崎往復
さあ,帰り道
夏旅
朝5時過ぎのJRに乗って出発。きょうは日本海へ。飛行機で馬関をまたぐのも不粋。
7時間かけた列車の旅を選んだ。いつものカバンを下げて車窓を楽しむ。この旅、列車の中での宿題はなし。だから、ポケットに入る大きさの本を持ってきた。ところどころ、折々に読むのが楽しみ。
さて、有明海を右手に過ごし、新幹線に乗り換えた。
08時21分、このあと、しばし読書。
さて、岡山までは「のぞみ」、「こだま」に乗り換えて姫路。
こだまに乗ったのは何年ぶりだろう。20年ほど前はこだまに個室があった。東京のデパートの地下でたくさん買い込んでゆっくりと時間をかけて東海道を楽しんだものだ。
さて、姫路駅。ここには二つの楽しみがある。ひとつは駅そば。「天ぷらそば!」と注文して、出てくるのは黄色い麺。見た目は間違いなく「天ぷらラーメン」。
もうひとつは、その場で作ってくれるおむすび。但馬牛の時雨煮が入ったものがお気に入り。きょうは10分ほどの連絡なので但馬牛を選択。ペットボトルはもちろん綾鷹。
そういえば、国鉄時代にはお茶っ葉をお湯に浸す熱いお茶だったよなあ。と、昭和を懐かしみながら日本海をめざす。
ただ今、10時54分。
懐かしい駅に着いた。和田山駅。以前、勤務していた大学では教職支援センター長を兼任していた。何にもできない形だけのセンター長だったけど、教育実習生に何かがあったらすぐに駆けつけることだけは心がけた。いつでも、どこへでも。新潟から熊本まで。在任期間中の全国行脚の回数はおびただしい。
和田山。その中のひとつ。
通ったなあ。よく通った。そのおかげでつながった人との縁で、その後も5年近く、地区の研修会の講師として訪れることにもなった。ありがたいことばかり。
と、懐かしい和田山の空を見上げながら、おむすびの時間です。
ただ今、正午です。
ここはかばんの街、豊岡。僕のかばんもここの職人さんの技が詰まってる。
12時21分です。もちろん次の停車駅は城崎温泉。志賀直哉。大渓川。小僧の神様。赤西蠣太。清兵衛と瓢箪。或る朝。
なんでもない景色が迎えてくれる。きょうの講演の会場もなんとものどか。
新温泉町温泉総合支所。しかし,研修会の熱気は本物!
こんなに充実の2時間半はありません!とおっしゃった会長の先生に感謝。講演のあとは,ゼミの教え子の安藤君が働く小学校を訪問。
この笑顔は10年前のまんま。
そして,懇親会。
美味い。
美味い。
あたたかい!
本当に本当にありがとうございました。
懐かしい日本海,山陰の旅。感慨深いいちにち。
神様,きょうもいちにちをありがとうございます。
野球少年
仲間の旬
気分上々。仲間が待つ大分道、気が急く。
大分、旬の会。一年ぶりなんだけど旬は続いてる。今が旬、ではなく今も旬、いつも旬、いつでも旬。
昨年、僕が語った教室への提案が実際に行われている。てっちゃんが実践している。もちろん、ちゃんと自分の教室に合わせて調整して。
一昨年は、京子先生が実践してくださっていた。みんなみんな、ちゃんと、そして丁寧に教室に生きておられる。
だから毎日が旬。
今年の僕の講演の出来はどうだったろう。あんまりいい出来ではなかったことを自分では分かってるんだけど、スタッフのみなさんやアンケートには花マルが並んでいる。
ううん、、、って気持ちも残るんだけど、仲間が「また聞きたいです」って言ってくれてるんだから、その言葉を信じることにしよう。もっとできたはず!という自分への叫びは次の機会にとっておく!
とはいえ、今年まで5年連続、声をかけてくださってありがとうございました。生野先生、幸先生、園恵さん。ほんとうにお世話になりました。
ということで、ここでも打ち上げ。
話題は僕の講演内容よりも葡萄!
大分の仲間との夜は更けていく。仲間、そう仲間なんだ。
神様、きょういちにちをありがとうございます。