ちょっとしたこと,綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆,時々たつログ。
たつログ
えとせとら
虹が空にかかって
ジョー,ひさしぶりっ!
待ち合わせは銅座
比較するか関連づけるか評価するか
5年担任の谷本さんと山本さんと森さん。3人がつくった単元は、金沢21世紀美術館での企画にヒントを得たもの。それはそれはみごとな単元。単元学習に取り組んでからまだ1年余り。僕はこの創造的な発想力に心がふるえた。素晴らしい。
素晴らしいものにはさらに追究を!ということでBフレーズについての議論。比較するか関連づけるか評価するか。
比較するなら、言語活動には比較したからこその語彙が出てくるはず。関連づけるなら関連づけたからこその語彙。評価することも同様。
じゃあ、どんな評価語彙による表現を言語活動に期待するか。それはつまり、教師がどんな言語活動を想定し、そのモデルをつくり、そして、いつ、いつから、どのような方法で評価語彙の習得のための計画を立て、始めるかということ。
夏休み最後の土曜日。大阪茨木市の小学校。明後日には子どもの声が響くこの教室。一足先に、若い教師たちの声に教室が活気づいた。これだけで子どもを迎える心の準備は万全だ。
さて、僕の旅。ここから6時間ほどかけて西への旅。
近く、新しい特製の鞄を手に入れる予定。それを持って全国の教室を訪れるのが今のいちばんの楽しみ。
ところで、博多駅で珍しいラーメンを見つけた。兄貴夫婦に送ってあげるつもり。
何も考えないことは自分を知ること
きょうは黒崎の教会に居た。何も考えず,ただ何も考えずと急いでいる僕に,言葉が届く。
「何も考えず,なんて考えなさんな。」と。
だから僕は,海を見ながら何も考えないことにした。めがねを外し,万年筆を置き,白い波の数を数えることにした。
何も考えない1時間。きょうのすてきな出来事がいつの間にか頭をいっぱいにしている。ふんわりと僕の中を独り占めしている。
何も考えていない時こそ,いいことがすうっと出てくる。
これはきょうが二度目の学校の玄関。下駄箱に僕の名札が貼ってある。
まちがいなく彼のしわざ。にくいほどさりげない悪戯。
何も考えない僕は友に包まれていることを知る。
ありがたいことだと知る。
そして自分が今一人でここに居ることを知る。
何も考えない僕は人の中で生きていくことを知る。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
夏の終わり
8月15日は手を合わせて
高校野球の途中に村のサイレンが鳴って,黙祷。深い悲しみと後悔と祈り。
その後,雨上がりの西海路をたどり,文学館に着いた。僕はもっともっと愛に満ちた日々を過ごしたい。だめだよ,こんなんじゃ,今のままじゃ,って,もう一人の僕がつぶやいている。
日が傾きははじめた頃,長崎の町は爆竹の音が鳴り響く。それは思いも寄らない鎮魂。見送る人に見守られていることをみんな知っている。
すっかり日も落ちた公園に人はいない。ただ眼を閉じ,天を指す像の前に言葉はない。明日が必ず来ることを知っているから,僕は少しだけ安心して今日を終えられる。
8月15日,ただただ手を合わせて自分を見つめてる。
神様,「きょう」を僕にくださってありがとうございます。
お盆の朝は車に乗って
土曜日のすごしかた
栄冠は誰にも輝く
教会にたたずんで
さあ,心待ちにしていた天草。フェリー乗り場で簡単な朝ご飯を済ませ,10ヵ月ぶりの天草。
天草の小中学校の先生が集まってくる。僕はその心地よい緊張感を楽しんでいる。
いや,楽しむはずだった。しかし,自分の口から出ることばが自分を苦しめる。これが本当に心を重くする。意気込んでいただけにこの不甲斐ない自分が許せない。講演というのは本当に生きている。LIVEだ。
こんなときは天井の高い教会に身を置くのがいい。翌日,僕はかねてより気になっていた『五足の靴』をめぐるハイキングを楽しみ,10ヵ月ぶりの二つの教会をたずねることにした。
世界遺産になったからだろう。夏休みも始まったからだろう。家族づれ。聖堂に緩やかな空気が流れる。僕の背中に幾重の声。その一つ一つの声の主を想像しながら,僕はその声の無邪気な響きをうらやましく思ってる。大江教会は黙って誰の声も受け止めている。
声はもっと自然でなければならない。声はもっと柔らかでなければならない。声は聞いてくれる人のためのものでもあるんだから。僕の声はまだまだ声になっていない。
もっとありきたりの声を人に届けたい。もっと僕のほんとの声を声にしたい。
崎津教会を後にした僕は,先ほどと同じ道を鬼池港に向かった。と,左手に大江教会。先ほどとはまったく異なった景色に息をのむ。
LIVE,いや,そうじゃない。「生きている」ということだ。講演もそう。LIVEじゃない。もっと「生きている声」を届けなきゃいけない。教師としての生活を生きた言葉で届ける。ただそれだけのような気もする。
天草。深い祈りの地で,僕は深く深く自分を見つめることになった。
心地いい床と食事と仲間の笑い声。今回も天草ならではの宿に僕は包まれた。
そうそう。崎津教会ちかくに気になる看板があった。
口之津港ちかくにも。
25番のスリッパ
やっぱり大阪は串カツやねん
ひさしぶり,表参道のPENNY LANE
時津のなかま「はこべらの会」
大分,旬の会
仲間と4年目の夏。「一年のご無沙汰でした。」の言葉を疑う。先週の続きのようだ。
午後の講演会での黙々とした熱さ。先生たちの静かな思考から,子どもへの確かな,そして値打ちのある単元が生まれることは間違いない。2時間なんて,ほんのわずかな時間だ。
アーケードを歩いた先の夜の会。幻の(うわさの)クロメにはお目にかかれなかったけれど,今年も跳ねるような豊後水道の魚と,滴るような豊後牛に二階堂がすすむ。もちろん,なくてはならない食卓の貴婦人の「かぼす」。3時間なんて,飲み込むような時間だ。
4年。確かに,僕たちは4年分の歳はとった。だけど「ここ大分に仲間がいるんだ!」と言えるようになったこの4年は,僕にとっては大事な大事な,そしてつくりあげたという実感の時間だ。
4年という歴史が僕に問いかける。「4年間に何をしてきた。」って。僕がつぶやく。「まだまだなんにも,もっとできたかも。」って。そして仲間の声が響く「それじゃあ,また。」って。僕は大きく息を吸い込む。夏の大分。この空気がたまらなく美味い。
「旬の会」。「20年間,ずっと旬です!」とのたまう素敵な仲間がいる。『定員3名の熟れた旬』の仲間もいる。そして,旬を作り出そうとしている勢いがある。そう,僕たちはいくつもの旬を味わってきた。どの旬も,きらきら輝いている。今も,きらめいている。旬の会(特別会員枠は定員3名),がはじまった。
そうそう,大分ホルトホールで出迎えてくれたびっくりする茶菓子。
ちょっと期待したけど,やっぱり,最中の中に「関アジ」は入っていなかった。
ホテルからの広い空と別府湾。
それにしても,大分駅はどうして鶏なんだろう。改札の前にも大きな鶏がいたような気がする。
帰路は,完全につながった久大本線をゆっくりと味わった。「おめでとう久大線!」
#NAGASAKI 「夕景」 LOVERS
100回目の夏
佐賀大学,夏
百日紅
白球を見つめるのは
白球。見逃せないという使命感、見逃さないという気迫で言えば審判に勝る者はない。きょうの県営球場、第2試合の一塁塁審の中山さん。見事だった。ジャッジが一流なのは言うまでもない。最短の導線。機敏で正確さが伝わる手の動き。球場の何処からでもその動作が見える。
一つひとつの身のこなし、その所作に込められた選手への想い。とりわけ、攻守交代のわずかな時間にこなす投手板の手入れと両手でボールの汚れを拭う丁寧さ。土の落ちた白球をプレートの中央にそっと置く。精一杯の美しいプレーをしなさい、そのボールにはそんな想いが込められているに違いない。そのボールを握る次の投手にボールをつなぐ重さが伝わるだろう。
こんな塁審になりたい。中山さんと野球談義したい。いろいろ教わりたい。そして、きょうの第2試合の初回の攻防と4回裏のあのプレーについて中山さんの見たてを聞きたい。
白球は、土に汚れても真っ白の美しさを感じさせる。
日差しまるごと元気
壬生の兵(つわもの)
京都の夏は祇園さん。はなやかで少しばかりの寂しさをあわせもつのが祇園さん。
僕にはもうひとつ京都の夏がある。それは壬生の兵の夏。
小学生の頃。父と兄が話している壬生の浪士の話。その話が夏の話だったからなのか、その話を聞いたのが夏だったからか、勝手に夏の話に仕立てたからかは覚えていないが、僕には「誠」が散っていくという京都の夏の物語がある。
僕にはコオロギの声が悲しく響く。淀んだ夏の草のにおいは不安を誘う。路地裏を歩く野良猫に声もない。いずれは独りになってしまうとあきらめるしかない。
僕は何処に行けばいいんだろう。
もしかしたら火筒に燃える鳥羽伏見はこれから先のことかもしれない、とさえ思えてしまう。
栄冠はみんなに輝く
野球の神様
最高の夏にしようぜ!
西京極の土
高城俊人!ありがとう,ジョー
一人一人の選手が好きというよりはチームに惹かれこれまで愛し続けてきた大洋ホエールズ,横浜大洋ホエールズ,そして横浜ベイスターズ。
でも,その中で特別な存在だった一人の選手がいる。江尻選手や松原選手,鈴木尚典選手をはじめとした1998年のメンバー,そして番長!三浦大輔投手,そんなスター選手じゃない。ひたむきで野球を愛し続ける永遠の少年。
九州国際大附属高校時代の活躍も覚えている。甲子園で8打席連続ヒットを打ったのもその場で見ていた。
強肩強打のキャッチャー。ピッチャーからのワンバウンドに向かう姿が熱い,捕球してから送球する時の姿にしびれる。その彼がベイスターズにドラフト2位で入団したときは本当にうれしかった。信じられなかった。
一昨年,三浦大輔投手のラストゲーム。僕はハマスタのライトスタンドにいた。彼は泣きながら番長の球を受けていた。その涙は外野スタンドからもはっきり分かった。彼は誰よりも番長のことが好きなんだ。
人なつっこく,誰の心にもすっと入ってくる野球少年。今年,彼が書いたメッセージは「優勝して号泣!」。チームのことを第一に考えるキャッチャー,高城俊人。
ジョーが,きょう,ベイスターズを去った。突然,火が消えたよう。32番のユニホームはここにあるのに。
神様,高城俊人と出会わせてくださってありがとうございます。
いい日をくださってありがとうございます
台風一過
おうい,台風
さて、文月
また来るし
大阪での二日間。たっぷり大阪弁。時間もたっぷり。普段できない「余裕」と「ひま」を楽しんだ。
モノレールの窓から見える太陽の塔は僕を子どもにする。1970年,家族で来た大阪万博のときにすっと戻れる。「咲いた♪ひらいた♪輪になった♪」も歌える。「人類の進歩と調和」はそれ以来,僕の頭の中に引っかかったままだ。お兄ちゃんがお祭り広場でトランペットを吹いてたのがとってもかっこよかった。ケベック館で迷子になった。エチオピア館ではじめて日本語じゃない人と握手した。ぺったんこのアメリカ館の「月の石」は長い列に涙を飲んだ。
10年ほど前,吹田市の研究会で「太陽の塔」を材料にして単元づくりをした。僕のゼミ生がプロデュースした1年生から6年生までの単元は今も僕の自慢のひとつ。
ということで,すっかり遠くなったようでまだまだ近い大阪♪
ドリカムの大阪LOVERSの歌詞に「551の豚まん」も出てくればいいのに。と思いながらの帰りのヒコーキ。予定通りの長崎大村着。
いい仕事
教室の軌跡
ホーム
今夜は佐賀。本当に胸襟ひらいた仲間とがぶ飲み。
ありがとう。いつも一緒だけど、今日も一緒がうれしい。
わけもなく,ここは鹿児島
鹿児島の公民館をはしごする僕。午前と午後,異なる公民館で異なるメンバーで,だけど熱さは同じ。熱中する連中に包まれながらうっとりしている僕。学ぶことが美しいのは知っていたが,学び合うことがこんなにうっとりすることだとは知らなかった。教えてくれたのは,ここ鹿児島。
いつものメンバーが大きく見える。うんと逞しく頼もしく見える。それは間違いじゃない。一人一人がみなぎる自信のようなものをもっている。幾重にも重なる一人一人の声のもつ強さ。7回の厚みだ。
夜。僕たちはいつものようにがぶ飲みに酔う。今夜もこの男が愉快な姿を見せた。
鍋,まるごと食らう男。
憎めない姿。愚直な男。僕たちは何度も何度も手を振りながら別れた。鹿児島中央駅13番ホームにも慣れてきた。
子どもの声のする場所で
ごきげんよう
学び合い
昨晩は中学校の先生と「単元づくり」を指導事項と学習材の質から検討した。改めてその奥の深さに心している。
きょうは近くの小学校の先生たちと「ゴールデントライアングル」についてああだこうだと議論した。整理しながら新たな課題と可能性に心躍らせている。
明日は熊本、土曜日は長崎、日曜日は鹿児島。達富の行脚じゃない。各地の仲間が「学び合い」でつながりあっているだけだ。
帰り道、僕の研究室のある建物が夕景にとけこんでいた。
仲間の帰った研究室は子どもが帰った教室に似ている。
帰路。田植えを済ませたばかりの西与賀の水田に薄暮が映る。
なんとも言えない充実感はこんな風景にこそ反応する。見逃しがちなものに立ち止まれるのは、心みちているから。
何度聞いてもいいニュースです
帰り道のNHKラジオ。ニュース番組の最後に聞こえてきたのは「何度聞いてもいいニュースです。」
こんな声がニュース番組に?と車の時計を見たとき「サッカーワールドカップで,」と声が続いた。なるほど,確かに。サッカーに詳しくない僕でもそれはめでたいこと。
「何度聞いてもいいニュースです。」ということばによって,日本代表の勝利はいっそうはなやかなニュースとして国民に届けられたにちがいない。
言葉はその人そのもの。今ごろ,このアナウンサーはきっといいお酒を飲んでいるにちがいない。そして,「何度聞いてもいいニュースです。」の声を聞いた大勢の人も美味しい夕食をとっているにちがいない。僕も,アジの塩焼きを肴に,いい一日をゆっくりと楽しもうと思ってる。
紫陽花苑
この道
新幹線が仕事部屋
僕は列車の中で仕事をするのが好きじゃない。仕事のアイディアを広げたり深めたり、それを手帳に書き留めたりするのは好きだけど、コンピュータをカチカチさせるのは好きじゃない。
が、きょうは新幹線が仕事部屋になってしまった。溜まりに溜まったメールの返信だけで京都に着いてしまった。
ところが、へんな疲れはない。後味悪さもない。むしろ、気持ちいい。それは、溜まったものがなくなった爽快感というよりは、一人一人の相手と十分なやりとりができた満足感のようだ。
日本中の友に便りを出す。列車の中からというのがより粋な感じを強める。「便りよ、飛んでけ!」って感じ。
動く仕事部屋から降りたとき。嵯峨嵐山駅で出迎えてくれる友の笑顔がまたいい!
で、校内研究。学び多い4時間。
嵯峨嵐山駅まで送ってくださる友の白い車の中。「先生の講話は、先生の人生そのもの、人がらそのものですね。」なんて言ってくださるから、僕はまたこの学校が好きになる。この友とビールを飲みたくなる。ずっと語りたくなる。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
ジョー
酒一番
ナースプラザ
看護師のかたとの論理学。これがたいへん楽しい。向学心に支えられた教室は魅力的だ。これから始まる学びにわくわくする。講師である僕の「わくわく」が学び手であるみなさんに伝わりますように。
そうそう、今日のお昼は「かろのうろん」。博多に来たらお昼はここ。
江國香織さんのお昼もここらしい。
夜は中洲に出て、ちょっとだけビール。
6月10日は時の記念日
小学生のとき、「時の記念日」の日の朝の会で「時間を守るんですよ」、と教えてもらった。前の日が誕生日の僕は、夜更かししたことを叱られているように思った。佐竹先生は何でも知ってるんやなあ、と不思議に思ってた。
50もゆうに超えた今、「時の記念日」は、時間をまもることを忘れない日だけじゃなく、時間を丁寧に使うことを自分に約束する日のような気がする。
時の記念日、かっこいい日。
そして、このかっこいい日は、尊敬する兄貴の誕生日でもある。僕よりもずっと時間を丁寧に渡ってる兄貴ならではの日だ。兄貴、誕生日おめでとう。
ベイスターズも勝った。今永投手の初勝利。おだやかな日曜日。僕は、昨日、自分へのプレゼントに勝ったパガニーニ(paganini)のヴァイオリン協奏曲のCDを少し大きめに鳴らして梅雨空の大村湾を楽しんでいる。
さて、今夜は奄美の黒糖焼酎「まーらん舟」。これは大島のあくゆう山さんが贈ってくれたもの。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
誕生日ありがとう
きょうのNHKの朝ドラ。昨日まで見ていたわけじゃないからストーリーは知らないけれど、どうやら今朝は「お誕生日おめでとう!の巻」のようだ。何度も何度もテレビから「お誕生日おめでとう!」が聞こえてくる。そのたびに、「ありがとう、」を繰り返す僕。
壮からのメールうれしいなあ。西さんからのメール、ありがたいなあ。
さて、きょうはビッグN。この日をちゃんと過ごそうっと。そうそう、その前に小チビたちの散歩。
そして宅急便で届いたのはゼミ生からの寄せ書き。賢治が声を書けて纏めてくれたもの。もうずうっと、ずっと続いている贈り物。もらっていることに慣れることはない。毎年、そう毎年。ひと文字,ひと文字,一行,いちページがもったいない。達富ゼミのみんな。ほんとうにありがとう。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
いまの仲間、
6月8日。思い出に残る日になった。
仲間との時間は僕を元気にするとびっきりのプレゼントのひとつだ。きょうは関西大学初等部の三人の仲間と語り合った。
どうして僕はこんなにステキな仲間と巡り会えるんだろう?小学生の時にももちろんかけがえのない野球小僧と巡り会えたし、中学校の時にも高校の時にもいい奴はいっぱいいた。だけどそれなりに喧嘩別れもしたし、ぶつかることも多かった。 二十歳を過ぎてからはどうだか忘れたけど、今ほどに心穏やかではなかったと思う。最近になってあの頃を面倒くさく思うことも多い。わけのわからない出来事もあった。し、面倒は今も残ってる。たぶん。
だけど、五十を過ぎてからは心地いいことばかり。人生捨てたもんじゃない。そして6月8日。また、新たな仲間がここにいる。
駅前の細い玄関の店で飲んだきょうは大事な思い出だ。また、すぐにでも会いたい。僕はこの駅がとても気に入った。ここから雨に濡れずに歩いて聞く道のりももう覚えた。そこで待っていてくれる三人の仲間との時間を繰り返したい。
いい一日。この響きもまたいい。格別。
さて、明日は誕生日。一年でいちばん楽しみな日。今の僕を知ってくれている人の中でひとつ歳を重ねるのはいいもんだ。
早くに逝ってしまった大親友の西村さんの歳を越したけど、親父や虎さんよりはまだ年下だけど、僕はやっぱり今を愚直に生きていくのが生きがいかな。
壮!元気かあ。野村さん!そろそろ会いましょうよ。中尾!少し間があいたぞ、明後日、待ってるからな。そして、きょうの三人の仲間たち。この次会えるときは、ひとつ歳を重ねた達富をよろしく!
ことばちず
今夕、志士が来た。そして楽しい話をいっぱいした。
そのひとつ。
ことばちず。ことば地図。言葉地図。
日曜日のドームは打てん中止
試合が始まるまでの焼き魚はよかった。試合が始まったばかりの筒香のホームランにもよろこんだ。試合が終わる直前の柴田と神里のホームランも最高だった。
試合のことを忘れて飲んだ天神も楽しかったしラーメンも美味しかった。
また再来年。次こそは3連勝!
やっぱり、授業。
きょうは伊万里。このクラスがお気に入り。90分なんて、本当に息つく間もないくらいのスピードで過ぎていく。
この中の誰かが、市長選挙に立候補するなら、喉が枯れても応援のマイクを担当するぞ!って言ったけど、これ、本気なんだぞ!
学び手に育てられている僕。
授業は学び手との仕事
やっぱり授業は楽しい。前期8回目のきょう。僕はこの学生といつまでも授業をし続けたいと思った。
一人くらいは「そうですねえ。」と言ってくれる学生がいるかも、、、いないやろな。
休日は記録の整理
新たな一歩
日々,ときどき自分
学生が学ぶ美しさ
今日は第3回 佐賀大学国語教育学会(学内学会)だった。7人の4年生が卒業研究の構想を発表する。それを聞く3年生までの40名あまり。50名を超す参加者(学会会員)にいつもの国語科教室も熱い。
2年生の質問に丁寧に答える。3年生からの質問には資料を繰りながら説明する。教員からの指摘には「これからの課題とします」と答える。どれもが学ぶ誠実さにあふれている。
僕が学生だった頃はどうだったろう。と思い返すのも恥ずかしい。万年筆の書き込みにあふれたノートの冊数は負けない自信があるが,きょうの教室の美しさには届かない気がする。
そんな学び手と日々を過ごすことを職業にできていることを尊く思わなきゃ。僕もまだまだ学びますよ!なんて気分で暮れた西の空に向かって車を走らせた。
写真は学会のあとのおつかれさま食事会(お弁当パーティー)のようす。
穏やかな月曜日
穏やかな月曜日。西に向かっている僕。今日は夕方から西海の会。どんな熱い話が生まれるだろう。
ふたりきりの指月会
東に向かう。賢治とのふたりだけの指月会。
単元学習の「板書」。そこから始まる「見通し」。「私の問い」を解決するための思考を動かす「発問」。学びを自覚し次につなぐ学習の「振り返り」。
きょうのメニューはこんな感じ。それを賢治の教室でふたりで検討する。わくわくする。こんな日から新たな単元が生まれるのは間違いない。
と、午前中のたつログ。
で、深夜のたつログを、と思っていたら賢治からメール。
ありがとうございました。
とっても、楽しい夜でした。
あんな大人な(贅沢で楽しい)飲み方ができたのは何年ぶりでしょうか。
「たつみ」での先生の、たつみ知識の豊富さには驚かされました。
かっこよかったです。
くぎ煮が架け橋となった広島のお兄さんとの繋がり。
あのように、店で人と繋がるのは本当にいいなあ、と感じました。
スタンドは勢いがありすぎて、別のお客さんとゆっくり仲良くなる暇もなかったですね。
でも、老舗が現役で賑わっている感じは嬉しかったです。
あのような元気な大衆酒場が残ってくれることが、何よりも嬉しいです。
三軒目は庶民の味。まるで、芸能人の食べ歩き番組みたいに店に寄りましたよと千社札を貼ったのは愉快でした。
これから、あの店に寄って先生のお名前を確認する楽しみができました。
四件目の板わさと祇園の蕎麦は次の楽しみておきます。
そうでした、お昼のにしん蕎麦もごちそうさまでした。
ということで、今回の京都は単元学習における談話の研究と食文化の調査。
熊本行き鈍行
4時間目に間に合うように早朝に家を出る。熊本へは鈍行も似合う。少しずつ近づいていく感じがたまらない。
明日は長崎、明後日は関西。「ことばの学び」にふれる毎日は心地いい。関西滞在中にご褒美のようにできた何にもない4時間。何をしようか思案中。懐かしい川沿いを歩くもよし、天平の甍を眺めるのもよし、大きな書店に遊ぶもよし、高い聖堂で祈るのもよし。こんなこと思い巡らすには鈍行。しかも熊本行き。贅沢!
朝ごはんは鳥栖の中央軒。
昼ごはんはいつもの社員食堂。
島村さんのしつらえる麺は日本中の何処よりも美味い。きょうも!と出かけると接客中。ありゃ、と思ったと同時に、話をしているお客さんに「私たちの兄さんがいらしたよ」って。まるで盆と正月に現れる寅さんのように出迎えてくれた。
午後からの研究会も含め、一点のマイナスもない一日。
下通の居酒屋も、そこでの肴もいつも通り。3人の仲間と僕。
幸せだよ、って言葉が足りないくらい。熊本はでんとそこにある。
立ち止まりたくなる通勤みち
はるか雲仙
西海の会、うまれる
またひとつ、同志の会がうまれた。
サンダルにジーンズで出かけられそうな距離に仲間がいる。赤い橋を渡ると仲間の声が聞こえる。
西海は再会でもあり、再開でもある。教室を大切にされる校長先生が3人。その教えに包まれる教員が集う。そして熱い37歳がそこにいて、彼を慕う連中がいる。何より、ここにはここに生きる子どもが暮らしてる。僕はそのすべてに惹かれてここに吸い寄せられる。
西海の会。日本の西端、潮騒のきこえるここにまた新しい会が生まれた。
来週、また再会!
通町はきょうも笑いに包まれて
通町筋の居酒屋に江口くんを見た。凛々しい顔立ちにうっとり、、 、するはずはない。江口洋介似の彼は、実は僕たちの仲間。昼間の勉強会のある瞬間、彼の仕草が江口洋介の何かと重なったらしい。かつてのゼミの先生からそう言われた彼は終始「よう言われるんです」を繰り返したが、誰もそれを信じない。しかし、確かにどことなく似ていなくもない。眉毛の上から額までの間なのか、ジョッキを飲んでいる口もとなのか、お手拭きで顔をぬぐっている時の目もとなのか。
一晩中、江口になりきっていた彼だったが、タクシーを見送ってくれるときにはいつもの「奴」に戻っていた。
すうっと,息を吸い込んで
昨晩のなごり
さくばん,佐世保で飲んだ。本当に愉快で時の過ぎるのがもったいないと思うほどだった。だから終電も逃してしまった。いや,遅い時間になりつつあるのは,うすうす気づいていた。腕時計を外したのは自分だ。そういう時間だったんだ。
同い年たちでの宴は脱線の方向も同じで,安心できる。その中でひときわはしゃぐ熱い37歳!「大地」というほんとうに素晴らしい名前の通りの生き方をしているこのヤングに50代は圧倒されながらも,負けない気分で満ちている。だから。
月曜日,こんどはそっちに行くよ。
薫風,僕を通り抜ける
鯉のぼりは子どものために
賢治とよく行く店
賢治にたずねてみた。どの店に酔ったかと。するとすぐに返事が届いた。
先生との思い出はたくさんあります。よく行った場所も思い出ですし、
遅くまで研究室に残って研究していた日は、
街に出ますと、ちょっと私は苦手でしたが、豚足の沖縄あだん。辛い辛い韓国の店、緩人。 初の先生とのコラボ授業の後は燻。 なんと言っても、絶品もつ鍋の渡辺屋さん、
京都以外では、大切な大切なそして特別な日は菊一さん。そこに行くまでの敦賀のカレーそば、内田屋。そして、もう特別感がなくなっちゃった名古屋、世界の山ちゃん。一度しか行ってない店はまだまだ数えきれず。
安定している店は何時でも空いている王将。そして、先生の大好きなインドは数知れず。先生が長崎に行かれてからは、京都駅八条口のとり八。
ううん。こんなことを考えていれば、
ということで、先生、次は何処で待ち合わせましょうか。
ということなので、次は、何処にしよう?なあ賢治。
拝啓、この手紙
何年後であってもいい。今すぐでもいい。子どもたちの誰もが幸せであることを願います。祈ります。
そんな気分に浸っている今夜。五島列島の中学生の映画を観て涙涙涙。劇場でも観て、テレビでも観て、Blu-rayも買って、何度も涙したのにまた涙。
子どもの幸せを願います。祈ります。
握手
午前11時,鹿児島中央駅改札口。仲間が立っていた。最高の一日にしたいんです。と,彼。西郷どんの催しで賑やかな駅前を通り過ぎ,僕たちは霧島連山の見える横川に向かった。
「このあたりの桜は鹿児島でも指折りなんです。遠くに見える霧島連山は,栗野岳から高千穂までどれも個性的で見ていて飽きません。今,新聞でよく目にする新燃岳と硫黄山は煙を吐いています。」
ぎこちないガイドが耳に心地いい。
「昼食の前に寄りたいところがあります。」
彼が案内してくれたのは,まさに僕が息を止めてしまう風景。国鉄だ。いい日旅立ちだ。
駅の横。列車も来ないのに,ベンチに座ってお喋りする年配の女性がこの駅のあたたかさを伝えてくれる。脚をぶらぶらさせて微笑んでくれる二人の笑顔は小学生よりも透き通っている。
「おれたちもいい顔して写真を撮ろう!」
彼の笑顔は合格点以上!僕のくたびれた顔は平均点以下。
「桜の季節は終わりましたが,お連れしたいお店があります。」
彼が歩いて行く先に「桜苑」。ルロイ修道士がオムレツを選んだ店が重なる。僕はルロイ修道士のように患っているわけではなくまだまだ元気いっぱいだけど,この見事な場面になんとも言えず,この場所がきっと大きな思い出になる予感。
霧島横川の郷土料理がずらりと並ぶ。料理長が奥から出てきて言葉をかけてくださる。僕は,指をポキポキすることも忘れ,箸を休めることなく,喋るテンポを緩めることもなく,彼の顔を霧島を交互に長めながら,最後の横川そばまで,全部平らげた。
「先生,死ぬのは怖くないですか。」
彼の突拍子もない質問に,鼻がつんとした。こいつは間違いなく僕の友だ。彼が僕のことを面倒と思うまで,ずっと一緒にいたい。
その後は中学校の図書館で勉強会。集まったメンバーとの熱く,そして短く,そして深い3時間のあと,僕たちは隠れ家に移動した。さっきまでの教育談義とはうってかわった少年のような時間。誰もがいい顔してる。
「ごめん,終電なんだ。」
鹿児島中央駅,20時55分。
あくゆうたちが改札の向こうで笑ってる。こんなとき,振り向くのがうれしいような,そして悲しいような,いや,誇らしいような。僕は親指をつったてて13番線のホームを駆け上がった。
長崎発、熊本行き、寄り道アリ
兄貴の車で
19の頃だったと思うけれど、黄色いCDを鳴らしながら、兄貴とよく伊勢まで車を走らせた。後ろに座るのは、お袋の時もあれば、じいちゃんの時もあった。米袋や赤味噌を積んだ時もある。収穫したばかりのスイカをごろごろ並べた時の匂いは忘れられない。
今日、おんなじように車を走らせた。高速道路がずいぶんと伸びて便利になったし、乗ってる車もあの頃とは比べものにならないほど上等になった。僕たちは同じように歳を重ね、丸みを帯び、それなりの大人になったけど、話す会話も笑う瞬間も、夏のような日差しもあの頃のままだ。
「帰りは洋二が運転しいや。」の兄ちゃんの言葉もあの時のまま。
僕の「うん、ええよ。」もその時のまま。
10対8
がぶ飲みはいいもんだ。2点差で負けたけど、やっぱり語り合うっていうのはいいもんだ。僕はこういう友に囲まれているから元気でいられる。宏ちゃん、また行くぞ。
さあ、壮!来週末はよろしく!
中ちゃん!ちょっと間が空いてしまったぞ!
はじめまして
きょうから新しい学校の授業が始まった。初々しい学生さんにこちらまで桜色に染まった感じになる。
はじめまして。達富です。
VAN
学生の頃から愛用のVANのスタジャン。これには原宿表参道がよく似合うんだけど、長崎大学のキャンパスもよく似合う。熊本通町も鹿児島天文館もよく似合う。僕はこのスタジャンで今を楽しんでいる。
いいこと思いついた
きょう,僕はこのベンチの上でいいことを思いついた。だから,モレスキンにモンブランで書き込んだ。忘れないうちに。とってもいいこと思いついた。
「いいこと,思いついた」
大発見をした。わくわく,なんて通り越してドキドキだ。
きっと、これからはじまる熱い仲間との深い時間がこの発見を導いてくれたんだ。さっき食べた天ぷらを添えた最高に美味いもちもちうどんが脳みそを刺激したからかもしれない。夜の「がぶ飲み」への期待が発想を引っ張り出したにちがいない。
何のおかげかは分からないし,すべてが織りなされて「いいこと思いついた」に違いないんだけど,とにかく,きょうは最高の気分だ。
やっぱり,此処は,僕のホームグランドになりつつある。うん,なりつつある。
そうそう,「がぶ飲み」は新装された馴染みのお店。これまた愉快なひととき。
仲間っていいもんだ。ずっと一緒にいたいって思う。
小さな鴨の脚
ちいさなちいさな,大きな春。
さあ,新学期。やっぱり,教室。
お昼のトマト
菜の花の道を集団登校
春ほんばん
さあ,出発
旅立つ者に鯉のぼり,旅立つ春は鯉のぼり
バイバイの切なさ
まあ,とにかくよくしゃべったものだ。4時間,ずっと。お酒の杯は数えていないけど,心地よい時間。お月さんの図案のようなのれんのこのお店はそれだけで僕を饒舌にしたけど,心地のよさは聞き手のまなざしのせい。聞いてくれるっていうのはなによりもの贅沢。そして,こんな僕に語りかけてくれるっていうのも申し分のない贅沢。贅沢ばかりの時間があっという間に過ぎるのはあたりまえ。
予定より一本送らせたJRは終電。その終電さえも逃してしまいそうな冷酒。タクシーの席に身をくっつけて,降りたらホームまでかけっこ。先頭の車輌にたどり着くまで、見えなくなるまでのバイバイはほんとうに切ない。
あの頃の泣きべそはどこにもいやしない。次こそは麻婆豆腐。また思案橋から駅のホームまでかけっこの続きをしよう。
球春、故郷まるごと甲子園
朝早く甲子園。急ぐのはいい席を確保したいからだけじゃない。早く球場との一体感を感じたい。
九回に三塁打を放った伊万里高校主将の試合後の言葉。「ここ甲子園やぞ、打たんでどうするってベンチで話していた。アルプス席も上まで埋まって、本当に感謝しかないです」。
本当にその通りだった。昨夏の早稲田佐賀の一塁側アルプスもそうだった。きょうの三塁側もそうだ。野球のルールなんか知らない高校生もいるだろう。生まれて初めて野球帽をかぶった年配も子どもも少なくないはず。
試合後。第三試合の応援団にアルプスを譲る。引き上げる伊万里。応援用の帽子とタオルとペットボトルを入れたレジ袋に地元のスーパーのマークが見える。故郷ごと甲子園に連れて来たんだ。だから甲子園。すぐに一体感ができる。お国ことばも、水菓子を包んだ個人商店名の入ったガス屋のふきんも、日に焼けた肌の色も、土の匂いのする手のひらも。
さて、博多駅。帰りの特急に乗ったら、通路の向こうに創成館高校の応援帰りの母と男の子。「ええ試合やったな」と声をかけたのに人見知り。「よか試合やったなもんねえ」といい直したら、母親が笑ってた。帰ってからパパにどんな話をするんだろう。まるで甲子園を駆け回ったように話すんだろう。カレーライスも焼きそばもイカの串焼きも全部平らげたように自慢するんだろう。僕もここに来るよって誓ったことはひみつかなあ。
これぞ京都直前
桜色のお土産
僕と同じ名前の友だちがはるばる吉野ヶ里から2トントラックで来てくれた。職場で伐採したから薪にしてくれと山積みの青いトラックが我が家の前にとまった。
ロープを解きながら二人でなんだかんだと四方山話。あっという間に荷をおろした。二人だとはやいですねとの言葉に、一人で積んでくれた彼の汗を思った。
倒した時は小さなつぼみだったように思うんですが、と言って横にしてあった桜を撫でているその先にほころび始めた淡い花弁。
切られたあとでも花を咲かせるなんて。そうしようとしているのか、そうなってしまうのかわからないけど、僕には咲いていることに違いはなかった。
これは薪にせずに皮を残してランタン掛けにでもしよう。
青いトラックが懐かしい音を残して見えなくなったあとも、桜色のお土産は春の日差しの中にあった。
やっぱり、バズ
合宿、やっぱり合宿
僕は合宿が好きで、何かと言えば大勢で泊まっていた。小学生や中学生の頃の野球は羽目を外せなかったけど、高校時代に八ヶ岳に流れ星を見に行ったときや、大学に入ってからのギターを持って集まった時や急行八甲田から青函連絡船合宿、寝台特急日本縦断計画の合宿なんかは、「楽しすぎる!」時間がもったいないほどだった。
50も過ぎたこともあり、無茶はできないけど、この頃は《日帰り勉強合宿》というのが気に入ってる。朝から終電まで勉強して、飲んで、語り続ける。
きょう、3月21日。15人が集まった。誰もがひとり残らずいい奴。みんながみんなを大事に思ってる。だから大切な時間にならないはずがない。
別れがさみしく感じるなんて、次は?って約束したくなるなんて、まだまだ僕は合宿に魅了され続けてる。
青春18切符
全部とまる列車はかっこいい。ひとっ飛びって、急ぐ特急よりずっといい。その線を支えているものがどんなものか、どんなことが起こっているからこの線がここに在るのか。どんな人がこの線に暮らしているのか。
支えているものを知らないかぎり、その未来は見えてくるはずはない。だから僕はひとつの居眠りもせず、ずっときょろきょろしてた。すてきな名前の駅も、いつもはひとっ飛びで降りる駅も、さっきとよく似た駅も、誰もいない駅も、全部、覚えてる。
この次、特急の窓から見えるこの駅は、今までよりずっと身近で、きょうよりずっとあたたかいはず。
だって、僕はここの駅前の栗弁当がとっても美味しいことを知っているんだから。ここから足をのばせばあつあつのちくわ屋さんが昼からお店を開くことを知ってるんだから。
青春18切符は、いくつになっても青春時代の好奇心にあふれた僕に引き戻してくれる切符なんだ。
ぼくのだいすきなK先生
ランタン
今夜は庭食べ。我が家での外食はお店に行くことではなく、庭で食べること。始まりが遅くなりそうだったので、明るいうちからランタンをみがいておいた。
赤い屋根に丸みのある風よけのランタン。25年ほど使っているけれど、未だにつやを落とさないのは大事にしているあかし。
タンク横のへこみや、ポンピングの時にできた傷、倅が蹴飛ばしたときにできた色落ちも全部いい味を出している。
それなら、と、緑の屋根のも出してきた。こいつはもっと古い。なんどもメンテナンスに出したり、自力で分解して組み立て直したり。目をつぶっても全部わかる。
さて、夕飯。貝に魚に鶏肉に。何を買っても庭食べに勝るものはない。
声高らかに笑ってもお月さんまで届かない。長崎空港に着陸する飛行機の音も風に流されて聞こえない。ぽちゃんと跳ねたのはスズキかボラか分からないけど、それよりもジジジと燃えるランタンの音が心地いい。
馴染みの店
確かにこの道のはず。スーパーを曲がって高架の前。しかし、ない。
そうだそうだ、違った。もう一本手前の道だ。郵便局の角。でも、ない。
今度は線路の方からたどった。やっぱりない。
物忘れがひどくなった。自己嫌悪。昼は抜くことになりそう。と思ったけど、もう一度。今度は電話をして確認。
電話の向こうの声は馴染みの声。「引っ越ししたんですう。」って。
僕の物忘れのせいじゃなかったことに安心しながら産んで再開。「ですう」って、伸ばしながら「迷わせてごめんなさい」って伝えてくれたお店の人とお気に入りの餃子に会えたのは午後2時半を過ぎていた。
つながって,網になって
駅で出迎えてくれたのは出水の鶴。会場で出迎えてくれたのは事務局の鶴長さん。町中に鶴のモニュメント。めでたい気分というよりは何かが生まれそうな予感。講演前に湯を楽しむのは部活をしている先生方に失礼とは思いながらも,源泉掛け流しに朝からの慌ただしさを忘れた。
100まで数えてから出よう。10まで数えたのは覚えてる。11,12,と,そのうちに,頭の中は,今夕,伝えたいキーワードの復習。キーワードの復習のつもりが「見通しを立てる」の項目ですでに思考は脱線。この研究会と僕の見通しは何だろう。と,思い始めたとき,駅前の鶴を思い出した。鶴は群れるて飛ぶよなあ。花岡大学の「百羽のつる」がそうだった。そういえばガンもそうだ。群だ。そうそう,ここから霧島連山を越えたら栗野岳,大造じいさんとガン。となると,青木幹勇先生の授業を思い出す。先生は発問をゼロにしたいとおっしゃっていた。ゼロか。ノンアルコールビールの銘柄も「ゼロ」,ニュース番組も「ゼロ」,何だったっけ?ゼロ?ちがうちがう。青木先生。そう青木先生,で,大造じいさん,ガン,鶴,そうそう「見通し」。その次は粘り強く,そして振り返り,で,つなぐことが大事。そうだよなあ,今日だけの単発ではなく,今日が何かとつながらないと。「百羽のつる」では鶴がつながって大きな網のようになって子どもを救ったんだった。「真っ白な羽をひわひわと鳴らしながら」飛んでいた鶴が,そう99羽の鶴が「月の光をつらぬいてとぶ銀色の矢のように」子どもの下に回って網になって。網になって,そうか網か。今日の講演が何かの網みたいになったらいいんだけど。このお風呂のタイルみたいにきれいにつながらなくても,えっと,30くらいまでかぞえてたっけ,,,
20人ほどの懇親会。つながりはじめてるぞ。そして午前零時を回っても,鶴さんたちと「木挽き」のお湯割りの二次会。鶴さんが「あたたかくなったら」って言ってくれてる。つながってる,つながってる,つながりはじめてる。
2時間の講演よりも,壮の教え子を発見したり,壮の同期採用の教師と語ったり,壮と同時期に研究校で力を伸ばした教師に出会ったり,「つながっている」を実感した金曜日。
「ひわひわ」ってほど叙情的ではないけれど,つながっている中で生きているって,どんなことでもできそうな気がする。
はじめまして!なのに
はじめての学校。駅の改札の右に行くのか左に行くのかから分からない。迎えにきてくださる方も分からない。下駄箱の位置もスリッパを脱ぐタイミングも、廊下の歩き方も分からない。
変わらないのは先生方の熱意。みなさん子どものために何かしたいと思っていらっしゃる。学校の力を高めたいとうずうずしてらっしゃる。だって、子どもが好きで学校が好きでこの仕事に就いているんだから。
ちょっと忙しいだけ。ほんの少し慌ただしいだけ。わずかな時間、教師になった時の情熱を忘れてしまうことがあるだけ。
それを思い出そう!子どもの元気、子どもの笑顔、子どもの伸び!そう、それが教室、それこそが授業!大事なことは「どの子も!」。
そのお手伝いというか、そのきっかけというか、いや、そんなおこがましいことではなく、みなさんと一緒に熱中するために僕がいるのなら、それはとってもうれしいこと。
ということで、はじめまして!竹の里小学校!きょうのはじめの一歩、僕は先生方の熱い熱い90分に元気をもらいました。
橋を渡る、心はずむ
西彼杵への入り口は西海橋。この赤い橋は、再会に心寄せる切なさや赤い糸の心恋しさと意味を重ねたところ。
今夕、まさに僕は再会に心おどらせて、太くなりつつある赤い糸に引かれてこの橋を渡った。
相変わらず熱い37歳。心得たとばかり、僕に投げるストライクゾーンど真ん中の直球は、投げられた僕にも、また、同じ部屋にいる者すべてに心地よくて、この心配りが90分を忘れる時間の始まりをつくった。もちろんそのきっかけを提供した若い教師の本音と心意気が尊い。
この西海市という地に、この西海東小学校という学び舎に、どれほどに心奪われ、何度、赤い橋を渡ることになるのだろう。心待ちにしている。
という、三寒四温の水曜日。心にまつわるエピソード。