ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。
たつログ
えとせとら
島立ち
嬉しい時には友に喜び
悲しい時には友に哀き
私はとんな酒に生りたい
こんな言葉が綴られた焼酎「島立ち」が届いた。
蓋を包んだ紙には「酒はもう十分だと言うかもしれないが,最後にもう一杯だけ飲みたまえ友よ。」とある。
飲む前からすでに言葉に酔っている。鹿児島県甑島の酒だ。芋は中学生が育てている。一緒に「六代目百合」も。
我が家の焼酎棚。四合瓶は,喜界島からはじまって,三岳,水ノ森,白波,燻枕崎に一どん,鹿児島がずらり。そして磨き大島から五島灘へと長崎の焼酎がにぎやかだ。
一升瓶は,石楠花から三岳,愛子,魔王,六代目百合に島立ち,村尾,真鶴,島娘。
酒が好きだけじゃない。酒の向こうにいる友が好きなんだ。酒に集う仲間が好きなんだ。杯を交わす言葉がたまらないんだ。
イエス様,葡萄酒もいいですが,焼酎もよかですよ。
どこまでも赤く
大学への道。彼岸花が咲き出した。まるで暦を見て確かめているように,毎年,同じ頃に咲き始める。
彼岸花といえば「ごんぎつね」と言わなきゃいけないとでも思っていたんだろうか。かつては,国語教師として彼岸花は作品研究を忘れさせないための「赤」だったかもしれない。小学校の教師をしていたときは,図画工作科の線描の材料としても彼岸花を使っていた。この赤は教室で大活躍していた。
今では,「秋になったなあ」「今夜はあたたかいものでお湯割りだなあ」を気づかせる赤。
もうあれから一年かとつぶやかせる赤。
鹿児島は霧島横川の彼岸花も咲いているだろうか。京都の美山平屋のあぜ道は赤で縁取られているんだろうな。安曇野道祖神にはコスモスと彼岸花。と,旅愁の赤。
きょう,僕は,嬉野の赤に今年の9月を感じている。もう100日もすれば降誕祭。一年はいつものようにはやい。
そういえば,2002年9月に学級通信に綴ったものにこんな文章がある。小学校3年生の担任をしていた頃の作品だ。
どこまでも赤く
達富 洋二
教室に彼岸花が届けられました。心あたたまる話や悲しい話、艶やかな話、種々のエピソードをもつ花ですが、突然の「赤」に戸惑いながらも、教室は一気に秋色に染まりました。◆「どこまでも 赤いぞ赤いぞ 彼岸花」これは子どもの一句。外からは運動会の練習の声が聞こえてきます。心なしか比叡山が紫色に見えます。◆素肌に触れる机もひんやりと心地よく、窓を開ける前、どんな風が入ってくるかが楽しみです。手の届きそうなところを舞う季節外れの蝶。晩夏を惜しむような名残りの青い空。◆二〇分ほどボールを追いかけて走ってもシャツの色が変わるほどにはならなくなりました。出かけに着てきた厚手の服もそんなに気にならないようです。◆放課後になっても水筒のお茶がなくならない子どもが「一杯どう?」と友だちにすすめています。「じゃあ一杯だけ。」「そんなこと言わんともう一杯。」◆少し短くなった久しぶりの長袖をちょいと腕まくりして机に向かう三年生。前屈みの頭の向こうで赤い花弁がつつつと揺れていました。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
どこででもつながるから会いたい
最近はzoomで話をきいてもらうことが増えた。
天草国語教室の会,佐賀県教育センター,北九州市教育センター,大阪府の小学校の校内授業研究会,京都市の小学校の校内授業研究会に西海市の小学校の校内授業研究会。参加者が一人一台の端末を準備し,姿を写してくださる方法はリアリティがあって話も進む。グループに一台というのはもったいない。姿が見えないのは悲しい。参加する方の都合を第一にと考えるが,話しやすさと聞きやすさはみんなで創り上げたい。
必要なら,十全な打合せとリハーサル,機器点検が必要だ。
僕の疲れは,同じ会場で話すときの5倍。達成感は65パーセント。つまり,くたびれながらの不完全燃焼,ということになる。だけど,「ナシ」になるよりは100倍うれしい。だから,これからも「断らない」を続け,「リモート」に慣れる,ことにする。そのうち,いきいきリモート国語教室している僕ができるにチガイナイ。
と,そんな夜は,お気に入りのカップで寝酒の梅酒ロック。
小学校に入る前から使っていたカップ。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
仕事人
今夜は横浜ベイスターズの快勝。
ゲーム後にベンチに戻る仲間たちの握手の列。田中健二朗が三浦監督と喜びをかみしめる姿。
僕はこういう仕事人になりたい。こういう生き方をしなきゃいけない。こんな仕事人でないなら、今すぐにでも辞める。
神様、ありがとうございます。
日本語習熟論研究会に学ぼう!
コミュニケーションの習熟について幅広く考え,話し合うことを目的とする日本語習熟論研究会が2022年の夏にできます。設立には達富もかかわっています。
これに先立つプレイベント(オンライン)が2021年10月23日に開催されます。みなさん,参加してみませんか。もちろん僕は参加します。
パンフレット→click
申し込みは,以下のURLまたはQRコードからどうぞ。
その際,申し込みフォームの末尾にある「コメント(任意)」の欄に「達富から参加しないと後悔するよ (^^) と言われました」と記入してください。
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設立プレイベント
2021年10月23日(土) 13時~ (オンライン)
12:50 開場
13:00 開会ご挨拶 米田猛(奈良教育大学)
13:10-14:00 基調講演 森山卓郎(早稲田大学)
14:20-16:30 シンポジウム
14:20-14:50 発表1 山田敏弘(岐阜大学)「学校文法をリフォーム!?」
14:50-15:20 発表2 小林ミナ(早稲田大学)「日本語教育と国語教育の境界線 」
15:20-15:35 発表3 橋本修(筑波大学)「習熟論研究会に期待すること」
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そして,これからの予定。
こんばんは指月会
以前、調子に乗って「おはよう指月会」を早朝5時からだったか6時からだったかに開催したことがある。今回は「こんばんは指月会」。夜の9時から11時まで。
もう二度とすることはないでしょう。こんな遅くに働くのはよしましょう。
成果があったのかどうかさえ覚えていない。
ものを書いたり話すことを考えたり、外に出す仕事は早朝にするといいですよ、とシスターに教わったことがある。「自分中心のよこしまな考え方が目覚める前に書いておくの。」とシスターはおっしゃった。よこしまが目覚めて元気に活動しはじめたら、本を読んだり野菜を作ったり祈ったりするそうだ。
昨夜のよこしまな達富に付き合ってくれた仲間にありがとうとごめんなさいを伝えます。
さて、明日はおやつの時間に天草とオンライン研究会。さしずめ「こんにちは天草松屋の会」といったところ。上品な研究会になりますように。
思いついたら読み返し,しばしば反省,ときどき感動
思いついたら読み返し,しばしば反省,ときどき感動。何のことか。それは自分の論文を思いついたら読み返しているという僕のくせ。そして,ほぼ100パーセント,下手くそな表現,稚拙な思考,なにより薄っぺらい研究に反省。しかし,しかし,ときどき,ほんとうにまれだけど,「いいこと書いているやん。」って思うことがある。気が遠くなるような確率だけど。
2020年3月発行の「国語教室研究 番」第4集。「教えることの点検-自分流のスタイルができたことで安心してはいないか-」。
文章は下手,語彙は幼稚,言いたいことの半分も書けていない。それは認める。だけど,言いたかったことの全部は今もそう考えていることばかり。
実践者は酔ってはいけない。安心してはいけない。自分の都合で生きてはいけない。実践者は謙遜のうちに自分を見なければならない。
神様,あのとき,書く機会をくださってありがとうございます。望まれる成長には足りませんが,きょうもよい一日を過ごすことができました。ありがとうございます。
日本海からの贈り物
やっぱりここがいちばん
この店がホームグランド
きょうは科研の調査
きょうは日帰りで調査研究。万全の対策をしてきょうを迎えた。
仲間と学び合えることが仕事であることを幸せに感じる。なりたかった仕事ではないけれど,望まれた仕事であるなら,それがもっとも幸せなこと。
会場の小学校への途中。見上げれば青空に飛行機雲。
いつもの仲間の笑顔が迎えてくれる。
僕たちの目の前にいる子どもの力を信じる。子どもの力を低く見積もらない。もちろん,子どもを買いかぶることなく適切に見ることはいうまでもない。目の前の子どもを信じ,愛する。
そんな仕事をしているからこそ,子どもを見る力を伸ばしたい。そんな教師がここにはいる。
3時間。もうそんなに経ったのだろうか。そろそろ切り上げなくっちゃ帰りの船に間に合わない。
港まで送ってくれた友からの写真。
このフェリーの中で僕はきょうの3時間をいつもの黒い手帖に綴っている。きょうを残すために言葉にしている。別れ際の友の姿も一緒にはさんでおくことにする。
さて,明日は教員免許状更新講習の2回目。その前には教育実習生の応援。
望まれた仕事だからこそ,創意工夫があふれてくる。
神様,きょうも一日をありがとうございます。生きているということは謙遜の中で声を聞くことのように思いました。
きょうをありがとうございます。
教師たちの夏
教師と一緒にいること
滞在時間7時間。きょうはとにかく教師であることに浸った。だからこそ,名言(迷言)に笑った。
・作品との出会いで感動させることも大事だけど,要約できるようになった自分に感動させたい。
・《私の問い》を立てられるようにするは教師の仕事の中の最大のSDGsです。
・子どもを案内できるように語る力は,どの教師もがもっている力であり,誰もが求め続ける力であり,いつになっても届かない憧れ続ける力です。
・つべこべいわずにやろう。
ほか,なんだったけ?たけちゃん,なんだったけ?
神様,えらそうなことことばを並べてごめんなさい。きょうというよい日をありがとうございます。
「う」忌
きょうは向田邦子が天に召されて40年目の日。
花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る
森繁久彌の言葉のとおり、いまなお薫る向田の香り。
僕が開発した向田単元は少なくない。先日、南日本新聞「文学の小径」を言語活動として設定したものが区切りの10編目。
今年の秋用に少し大きめの単元を構想中。どこかの中学校で授業させてくれませんか。5日間、泊まり込みの覚悟です。
実現したら、「ままや」はもうないけれど、「う」の引き出しに放り込まれた向田の愛した店に行こう。食べ歩こう。きっと、花こぼれるほどに向田に酔いそう。とことんごちそうしてあげる。
教室の語りは「みんなとひとり」への案内
一昨日,ある小学校で単元への案内の下ごしらえを再現した。この営みを「模擬授業」と呼ぶ人もいる。
この研修会でいちばんメモをとってほしかったのは,この「語り」のときの「案内語彙」と「ポーズ(間)」である。「同じようなこと」を語ってもうまくいかない。教師の都合を再表現しても子どもの上を通過するだけだ。
僕だって上手くない。上手くいかない。すべての子どもを案内できるなんて無理だ。だけど,数えしれない教室に参加してきた。出会った子どもの数はい5桁に達する。この指導事項ならではの学びがいを説明する言葉,この言語活動の可能性を心に染みこませる言葉,どのように考えていけばいいかをまるでやったことあるように感じさせる言葉,そして,それらの言葉と学習履歴と見通しを思考と憧れとしてつないでいくポーズ。
これを聞いてほしい。このことを記録してほしい。
僕のことを「分かってください」とはまったく思わないけど,あの時間がみなさんの次の単元をつくることに役立つものになっていくことは謙虚に期待する。
僕は模擬授業が好きではない。「教師の都合の再確認」会になることが多いから。「時間配分(ここまでで15分)」や「予想される子どものい発言(ここでこんな考えが出てきて)」など,ほんとうに情けない話だ。15分でそのことができない子どもはどうなるんだ,その子どもをどうするつもりなんだ。予想外の発言をどうするんだ。予想する発言ができない子どもをどうするんだ。そうじゃない。学びがいと可能性をできそうだと案内するために必要な事前に行う子どもとの対話なんだ。それが,単元への案内の下ごしらえなんだ。
大事なことは,一人一人の子どもの学びがちゃんと成立するために,教師はどんなことをどのように案内するか,である。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
きょうはいい天気!
山本二三の雲の立つ空に向かって走ろう。
「社会に足並みをそろえる必要はない(もちろん穏やかな意味で)」。友の言葉に向かって語ろう。
何ももたないことの美しさに心ひらいて祈ろう。
8月20日。みなさんがよい時間を過ごせますように。僕は仲間の中に生きられてほんとうに幸せです。
だけど,残念なおしらせがひとつ。click
僕の道草の定番だったうどん屋が店をたたむことになった。さみしくなる。
学びに向かう教師たち
きょうは小学校での校内研修に行ってきた。そこには,他の学校の教師も来ていて,たいそう似熱心な会になった。
そして,夕方からは公民館で指月会。
十分な距離を保って行った研究会だけど,熱さは十分だった。僕も一生懸命だった。新たな単元づくりの話は,ただそれだけで心たかまる。
だから,この勢いで通信でも作ろう。と大学に戻った。
誰もいないキャンパス。これはこれで落ち着く。学生のにぎやかな姿を取り戻すまで,研究者が大学を守り続けなきゃ。
しかし,深夜の研究室はちょっと怖いのも確か。
そうだ,そうだ。お昼にいただいたお菓子を食べようと思い,お茶を淹れ,包みを解いた。
とたんに,もっと怖くなった。
ミルクボーイじゃないけど,最中ってなんでこんな怖いんだろう。確かに美味しさは抜群なんだけど,深夜の研究室には,,,,ちょっと似合わないかも。
神様,きょうも一日をありがとうございます。学ぶこと,教えることが僕に望まれていることでなら,謙遜のうちにその中に身を置いて生きていきます。
佐世保の町は僕の町
きょうは仕事を早めに終えて映画を観た。長崎に暮らす僕にとっては見逃すわけにはいかない。
幻に長崎を想うとき。田中千禾夫の戯曲を映画化したというこの作品、足元を流れるテーマをどのように感じ取れるか、題名が僕の心に語りかけてくる。
戦争を知らない僕には、きょう一度では分からないことも少なくなかった。平和への希求対立する二者に共通の信念だ。それに間違いはない。
先日のNHK「ボーイズタウン」での「ほうっておいてくれ」の声がずっしりと重い。
もう一度くることになると感じつつ下町を通り、行きつけのL ucca。
さっきまでの心地いい重さにすがすがしい風を吹かせてくれる店。
新鮮がしたたるサラダが抜群。
熱さと香ばしさと旨味はシェフの願いに違いないとうならされるパエリア、絶品。
そして、奥さまのあたたかさとしなやかさのデザート。
大好きな店に大満足。
二回目の映画の夜はパスタも食べようっと。
神様、きょうも一日をありがとうございます。L uccaのお二人もここに集うお客たちも安心して平和なうちにきょうの仕事を終えられます。
みなさん あのね
月曜日。昨日の晴れ間がなかったかのように、土曜日のような音に目覚めた。また、降ってきた。みなさんの町が無事でありますように。仲間の暮らしが平和でありますように。
4時30分、これからミサに与ってきます。
さて、自宅に戻り、NHK。長崎商業と熊本工業、どちらもいい試合に浸ってほしい。九州勢のたたかい。
ここまでは朝の「たつログ」。
夏季休暇最後の一日,長商が勝って気分のいい僕は,肥後守で鉛筆を手入れすることにした。雨は同じ降り方ではない,絶えずその大きさを雨音と肥後守が木を削ぐ音の重なりを楽しんでいると,小さくオートバイの音。
「こんな豪雨の中でも郵便屋さんは走っているんだ。」
革のエプロンについ削り片をはたいて,届いたたくさんの郵便物を仕分けるのも休みの日の醍醐味。
プラハの友のバチカンからの葉書。うらやましい。さっきまで会っていたシスターからの祈りの葉書。これは手を洗ってから。クレジットカードの明細はどうでもいい。楽しみにしている月刊誌の9月号。これは今夜の食後の楽しみ。と,かつてのゼミ生からの封筒。
4期生。苗字の中の一文字を取り出してつけたニックネームは「ぐ」。大阪に暮らすぐ。ぎっしりと思いが綴られた8枚の便箋。僕が集めていることを覚えてくれていて,気にかけてくれていたことがよく分かる手拭いが一枚。そして,小さな教師の大きな仕事がいっぱいつまった学級通信。
やられた。「みなさん あのね」。
大学4年間のうち2年間を達富ゼミで過ごしたぐ。僕のゼミは毎週1枚の文集を発行していた。誰もがいつでも書くことができるようになるため。誰もが読み手として他の表現に心を重ねることができるようになるため。生涯,書き手として,読み手として,言葉の近いところで生きていくことができるようになるため。言葉で語ることを厭わない人になるため。2年間続けてきた。
それを,今も形をかえて続けている。それが「みなさん あのね」。ぐの成長を心から賛美したい。ぐの誠実さに心から感謝したい。ぐの謙虚さに僕が学んでいる。
8枚に綴られた思いはしっかりと受けとめた。約束する。「京都指月会」の合宿をしよう。十分な感染症対策をしてやろう。涼しくなった頃,京都か九州のどこかの静かなところでやろう。24時間,学び続けよう。必ず実現しよう。だから健康でいよう。
経験年数や立場やお金なんかとはまったく違うものにふれたぐからの便り。ありがとう。ぐの「おうち 終わりの会」に僕が登場することがあればうれしいなあ。なほやなおこも元気かあ。
と,ここまでが午後からの「たつログ」。
いつもいつも,一つ先を案内してくださっている神様ありがとうございます。もう一つ先に導いて下ってありがとうございます。
善なるもの
8月15日に考えている。子どもは善なるものだと。
なんの罪ももたず生まれてきた子どもは、ただそれだけで善だ。その善なるものが汚れることなく成長することを期待し、責任をもってともに生きるのが大人の仕事だ。
僕は罪だらけの大人だけど、子どものそばで成長を案内できる大人になりたい。
ただただ、そう祈りながら8月15日を生きている。
長崎は雨
虚空蔵山と大村湾に囲まれた僕の家は大丈夫。強い雨に怖いくらいの夜だったけれど大丈夫。神様が守ってくださっているから。
そして、次から次と届けられる仲間からの声にも「大丈夫」をもらってる。大丈夫だったら返信はいりませんよ,の声に,大丈夫だから声を返したいって思ってしまう。それぞれが心配してくださっている「向き」は違うけれど,すべてが僕とつながっていてくれていることは同じ。だから,大丈夫だいじょうぶ。
正美さん,ひろ,ぐ,石井,ありがとうございます。大丈夫です。
君の町はどうだ?
来週の火曜日まで雨らしい。僕の住む長崎県大村湾沿いの小さな町も雨。JRは止まっちゃうし,道は冠水。思っている以上に僕たちの暮らしは強くない。
みなさんの町が無事でありますように。
千葉の友からメッセージ。「雨,大丈夫?」
重なるように北海道の悪友から「大丈夫と思いつつも気をつけろよ!」の声。
鹿児島や摂津の妹分からも,金沢の恩師からも,京都の弟分からも,堺の娘からも,新潟のあんちゃんからも。
みんな自分の町もたいへんなのに。
日本中から届く「大丈夫?」に「大丈夫!」と返し,「大丈夫?」に感謝して「大丈夫!」を届けられることに幸せを感じ,僕は雨音に長崎メドレーを歌っている。
赤城ィ,岩下さん,天草は大丈夫かあ?壮,ヒロシ,枕崎の浜省,てらまい,鹿児島はどうだあ?
神様,僕のともだちが安心して夜を迎えられるよう守ってくださってありがとうございます。
平和を生きる
11時2分。長崎の教員になったのは30年以上前だけど、あの日以来、11時2分の黙祷は欠かさない。小学校の階段の踊り場で立ち止まったこともある。炎天下の運動場のこともあった。夾竹桃の陰で空を見上げたこともあった。きょうは、大村湾を眺めながら平和を祈った。
平和はを祈ることは過去のことでも他人事でもない。いま、私たちが悲しい歴史を見つめることだ。家族で平和を語り合うこと。ここから世界の平和は始まる。
そんな昼下がり、僕は武雄温泉の湯船に身を沈め、「日ごとの糧をお与えください」と祈ってる。
神様、きょうも一日をありがとうございます。
がまんの夏
やっぱりこの時間
謙遜と貪欲は共存する。健気と一生懸命は一緒にはたらく。学ぼうとする姿は伝えたい情熱を高める。
東小での3時間はまさにコラボレーションの時間だった。こういう時間に流れに身を置くことを幸せと呼ぶのだろう。僕はまちがいなく,幸せだった。
帰り道,近くの郵便局に寄った。
ドライブスルーポスト。ぎりぎりまで近づけるのに緊張はしたけれど,熱いコンクリートの上を歩かなくても投函できる便利な郵便局。こんなこともきょうの幸せを盛り上げてくれる。
さて,今夕は,二日続きの絶品「白苦瓜」に愛子。そうそう,その前に夕涼みの大村湾にカヤックで出よう。マゴチの一匹でも上げることができれば白身の作りに舌鼓。
神様,極上の一日をありがとうございます。
はい,世話してます!
水色のひまわり
ワインをならべて
遠く,雲仙普賢岳
学び手への評価は僕への評価
背筋を伸ばして、そして、文字を追う。
正座して、文を確かめる。
もう一度、何を書きたかったのかを問う。
そして、この課題に向かう一人一人の思いに寄り添う。
こんな調子だから採点がすすまない。だけど、この時期、評価の時期だからこそ味わえる教えることの尊さを感じる。
下手くそな自分の授業に付き合ってくれてありがとう。勝手な進め方について来てくれてありがとう。
本当に大切な存在。もっともっと学生と語り合いたい。
こんなはずじゃなかったのに
僕はいま鹿児島での研究会を終え、長崎行きの新幹線の中。トンネルを走る窓に映るマスクの顔を見てる。
役立つ仕事ができなかった力不足ともっと成長しなきゃいけないのにという戒めと少なからず芽生えているおごりが情けない。
大事なものを見ていなかった気がする。それは分かっている。会場近くの球場からの歓声に心奪われたわけではない。
ふとよぎった最近聞こえて来る評価に心乱しているわけでもない。心の中心に置かなければならないものに目をつむっている自分が原因であることはわかってる。
だから。心をまっすぐにしようと朝からザビエル大聖堂に行ってきた。心の中心を確かめるため。
ホテルの豪華な朝食には見向きもせず、新幹線ホーム下でうどんを食べることにした。この店のお母さんはいつも「気をつけて行ってらっしゃい」と言ってくれるから。
トンネルを抜けた。不確かな僕の顔が消え、見えるのは7月の日差しに光る里山の緑。
ああ風を感じたい。開かない窓はつまらない。新鳥栖からは鈍行で帰ることにしよう。自然の思ったら声を聞くだけで、きっと、それだけで心満たされる気がする。
学びの夏休み
青春の讃歌を綴れ
天草からの帰り道。夏色の中を走る。目指すは県営野球場。
一塁側、35列6番。一人で来るときの定位置のひとつ。ブラバンも控え選手のアカペラ応援もない今年の予選。球音だけでなく、ミットにとまる革の音、振り放ったバットが転がる芝の音、スライディングの砂煙の向こうの土擦れの音まで聞こえる。
そして、センター池田君とライト乙内君のあいだを行き来する短い言葉にどきどきしている僕がいる。マウンドに集まる汗まみれの顔からこぼれる言葉が聞こえてきそうなくちびるの動きをじっと見つめている僕がいる。
美しい賞賛や力強い応援、励ましや慰め、他者への感謝の言葉はもちろんだけど、信じ切っている仲間の間にある短い声こそが青春の讃歌かもしれない。
試合後、スタンドを後にする僕の横を控えの選手が応援を片づけている。こんな姿に僕は熱くなる。
いいもんだ。こんなところにも青春の讃歌があふれている。
さてと、第二試合までのあいだに腹ごしらえ。きょうは大波止の馴染みの店は定休日だから、もうひとつの店にしよう。
天草に友あり
口之津港まで、島原半島軽トラの旅。
30分ほどの島鉄フェリー、そして鬼池港から海辺を東へ。松屋旅館を目指す。
何度目だろう、天草。何人の友ができただろう、天草。きょうの研究会を心待ちにしていた。
熱を測り、手指を消毒し、アクリル板を立て、マスクを外さず、万全の対策の上に研究会ができる。面倒だなんて言ってられない。天草の学びを止めるわけにはいかない。
ということで、本当に充実の時間だった。話題提供の二人に感謝。言語活動の属性、教科書作品の読み方、説明文は感動的に、物語は科学的に。こんなキーワードでまとめられるきょうの研究会。
みんなで飲んで騒いでというわけにはいかないけれど、「また来月、」の言葉に元気が出る。
ところで、最近の天草のトレンドといえば、
僕はこの店に心うばわれている。
もっと丁寧に言えば、この店の駐車場を忘れることができない。
ということで、今年は天草の友の学校をたずねます。迷子にならないように、大きな道まで迎えに来てくれるなら、二つ返事で行きます!
天草には僕の友がいる。
なんて素敵な響きなんだろう。
校内研修のあとはなぜか僕も謙遜
きょう,三週間前にも話しに行った学校を再訪した。みなさんとの距離も小さくなり,心地いい。
「子どもの《私の問い》を立てさせることができる教員になりたい」という年齢を超えた一生懸命な姿はそれだけで謙遜にうちにある。僕はそういう時間が大好きだ。
満足しました。心が穏やかになりました。教師としての力が伸びたように感じます。などの声を聞くと来てよかったとしみじみする。
交通事故でもあったのか,大渋滞の帰り道。迂回に迂回を重ねて,道を探し,結局,高速道路を使うことにした。
気がつけば,先ほどまでいた小学校の近くに戻ってきている。苦笑。
だけど,この運転しながらの時間に謙遜についてとらえ直すことができた。
謙遜のうちに生きるということは,貧しく生きることと重なる。貧しさとは求めるのに足りないことではない。自分を見ないであれもこれもと欲張ることでもない。何もないことを知ることだ。自分には何もないことを知るからこそ貧しさを受け容れることができる。
神様,きょうも一日をありがとうございます。謙遜と清貧,そんなことに少しだけでも心を向けられたきょうは僕にとって美しい一日です。さて,明日は久しぶりの天草。みんなに会いに行くよ。
明後日の会、ふたたび
夏、何も聞こえないから
夏本番
「今日7月13日(火)11時、気象台は九州北部地方と中国地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。」とテレビが言ってた。
といことで、夏本番。サザンを聞きながら海辺を走る。
おもてなし
ていねいな授業は全部がていねい
段落ってよかですね。
きょうは看護学校で論理学。この学校の学生たちが好きだ。なぜって、学ぶことにストレートだから。分からんもんは分からんし、って顔して寄ってくる。分かりつつあると、表情が和らいでくる。自信のときは世間話に盛り上がる。
そんな学生のきょうの帰り際のことば。
達富先生、段落ってよかですね。
僕はスキップして帰りたいくらいだった。
「ただいま」が言いたくて
なぜ、問いを立てるのか
大人として生きている。予定をたずねられることはある。指導法について相談されることもある。感想を訊かれることもあれば、意見を求められることもある。だけど、どれも考えなくても答えられることばかりだ。
この歳になって、考えなければ答えられないことを問われる機会はほとんどなくなった。考えることがなくなってしまった。これでは僕の成長は期待できない。
いや、そうだろうか。
人にたずねられなければ考えないような大人になってはいけない。
自ら問いを立て、いつも本当の幸せに向かって考え続ける大人になるようなりたい。そういう人であり続けたい。
そのためにも子どもの頃から問いを立てて解決に向かうという生き方があることにふれさせ、その体験を重ねさせたい。
問いを立てるという営みは、思いの外、楽しくて奥が深い。
開店休業
木曜日なのに「17分発の会」は開店休業中です。連続企画も小休止。ということで、今夕は足をのばすつもり。
さて、きょうは6月24日。クリスマスの反対側。あと半年でクリスマス。お祝いの準備をはじめましょう。
興味のある人、3人
いくつになっても
クリスマスと同点。お正月より上。遠足よりも、やっぱり上。
誕生日はいいものだ。この日ばかりは、こんな僕でもいい人になれる。
4時に起きて、朝のミサ。午前中に本気の授業を2本。どの学生も本当にいい表情。お昼は小さな中華。床屋経由で佐世保。
この静かな店は成長している。前回来たときよりも、その前に愉しんだときよりも成長している。その変化はおもてなしの距離に表れている。「適度な距離」なんて安っぽいものではない。「安心感の距離」という分かるようで分からない表現でもない。この店の距離は「気づかない距離」。
「さあ、オーダーしようかな。」の瞬間にはすでにそばに笑顔。そしていつの間にかおもてなしに包まれている。
と思えば、知らない間に厨房へ。シェフとの笑い声に僕はもてなされている。
気づかない距離を作るには、もてなしともてなされの信頼が必要だ。そう、信頼。信じるっていうのは自分を預け委ねること。預けたからこそ気づかない関係になれる。委ねたからこそ愛し愛されてるあいだがらになれる。
気づかないことは気づかわないこととちょっと似てる。
大満足のイタリアン。cafe de “Lucca”
さて、きょうのふりかえり。
6時9分のメール。かちんかちんに凍らせたどこまでも赤いいちごを食べ、どこまでも白い花束と手作りのアルバムを眺める。週末のバーベキューのための岩盤を撫で、イタリアのロザリオを握り、新しくて懐かしいTシャツを着てラスクを肴に分厚い手紙の束を読みながら最後のプラハビールを飲んでいる。
さて、次の週末の予定。
土曜日は熊本。ちいさな研究会に誰か来ないかなあ。
日曜日は自宅。溶岩板で野菜を焼きながらビールを飲み、そのあとはチーズでワイン。母屋に戻ったあとは、熊本製粉の麺でしめる。
6月9日。神様に命をいただいた日。
僕は神様の都合でこの一年を生きる。
望まれた仕事に汗を流す。
神様、いつもともにいてくださりありがとうございます。
にわかファン
黙陽日(もくようび)の会
ふたつめの誕生日に
残念なおしらせ
キス,はねる。
このごろの授業研究は
第四の書く,の反響
海の上には親子,ただふたり
「聞く」ことこそ愛することのはじまり
「きく」ことが大事です。ひとりの社会人としていい仕事をするにも、子どもが関係をひらいていくにも、「聞く」力を高めることが必要です。そこで、学生にたずねてみました。「きく」を漢字で表したとき、それぞれどのように印象が違いますかと。
まずは「聴く」。これは、〈一生懸命に聴く〉、〈心を込めて聴く〉〈耳を傾けて聴く〉とのこと。次に「聞く」。これは、〈普通に聞く〉とのこと。普通とは?と問い返すと、「聞こえている」とのこと。そして〈訊く〉。「確かにそれもきくですね」と、言われてから気づく学生もいました。関心は高くありません。
どうやら〈聴く〉の人気が高いようです。「傾聴」という熟語からも、心を傾ける印象が強く、また、「聴」の中に「耳」だけではなく「心」もあることが視覚的にも心を込めているイメージをつくり出しているようです。一方で「聞」には心はありません。
確かに「聴く」ことが大事だと感じる方は多いです。しかし、学生が言う「聞こえている」ことは、「聴く」ことよりも相手を大切に思っていないことなのでしょうか。大人には「聞く」力より「聴く」力が求められるのでしょうか。
私は「聞く」力こそが大人に必要な力だと考えています。それは、一生懸命に耳と心を傾けて「声」を聴き、相手を理解することなど、大人として当然だからです。それよりも、聞こえている「声」から相手の今を知り、相手を受け容れることがずっと尊いことですし、うんと難しいことだからです。
「聞こえる」声から、聞かなければならないことを「聞く」ことは、耳と心を傾けるだけではできません。全身のあらゆる感覚を研ぎ澄ませ、心を開いておくことで「聞く」ことが実現するのです。
「お気に入りの曲を聴く」と言います。確かに、「聴」という漢字が、その曲に入れ込んで期待している気持ちを表現しています。「子どもの声を聴く」からも子どもを大事にしている姿が見えます。
しかし、「子どもの声を聞く」姿には、語りかけてくる子どもだけはなく、「みんなの輪の外からぽつんとつぶやいた子どもの声も聞こえているし、ちゃんと聞いているよ」という平安を感じませんか。「聴」は「聴く」のみで「聴こえる」にはなりません。「聞こえる」からこそ「聞く」がはじまります。「聞く」ことこそ愛することのはじまりなのです。
ただし、わたしの大好きな吉田拓郎さんの曲、「サマータイムブルースが聴こえる」は例外です(笑)
*この文章は長崎の仲間との研究会「番の会」の論集(第5集)に寄稿したものです。
白黒が物語るもの
花ちゃん校長先生のいい仕事
プロフェッショナル
紫陽花の歌
とつぜんの電話
6月に広島で授業をすることになった。「書くこと」の単元。
もう,今から楽しみで仕方がない。「考えるから書ける」,そんな授業をしてくる!
したいことなど何もない
「このおしゃべりは何を言いたいのだろう。」「こいつはおかしな考えの宣伝をする者らしい。」と言われていることは知っている。確かに僕はおしゃべりかもしれないし,伝統とは異なったことも語っているように見えるのかもしれない。
「あなたが説いているこの新しい考え方がどんなものか,知らせてもらえないか。」「奇妙なことをわたしたちに聞かせているが,それがどんな意味なのか知りたい。」とたずねてくれる人もいないわけではない。しかし,「教師の都合の発問はひかえましょう。」ということを聞くと,「それについては,いずれまた聞かせてもらうことにしよう。」ということになる。
僕たち教師が一つの大事なことを創り上げるなら。
そのためには,
子ども自らが自分の幸せを実現していくためにはどのような学ぶ力をつけなければならないかを知り,その実現のために僕たちが知恵と勇気を分かち合ってつながることだ。
「受け容れる」中で何かを飲み込まなければならないときもある。
「命を育て,守る」という大きな案内に従うことが大事なときもある。
僕がほんとうにやりたいことは,おしゃべりや宣伝ではない。
僕がやりたいことなど何もない。
自分のしたいように生きるなんて,なんとも滑稽だ。
すべての子どもが幸せに向かって学んでいくために,大人には何ができるのか。
そのことにはちょっとだけ関心はあるけど,今の僕に何かができるなんて思いもしない。
したいことをするより,望まれたことをするだけだ。
何かを声高らかに説きたいはずがない。
それは,一人でできるものではないんだから。
それは,みんなでつないでいくものなんだから。
その答えは,数年後の子どもの中にあるんだから。
鯖くさらかし岩
連休中のてがら
どこまでも黄金
さあ,はばたけいのち
五島福江から季節が届く
連休中の仕事
薫風
ゆだねる
雨の降る休みの日の午後。僕は古いCDを引っ張り出して,革張りの本を読んでいる。万年筆の文字,鉛筆の走り書き,赤鉛筆の線。何年も前の自分に会える。
背伸びしていた僕が居る。甘えていた自分が見える。とがっていた頃の僕の姿が見える。
そんなこと,何でもなかったように今がある。
“What has changed since then?”ラザロがたずねる。
“Let it be to me according to your word.”僕が答える。
どんぶらこ
各駅停車のことを「どんぶらこ」というのは佐賀の方言ですか。それともあの娘の感性あふれる表現ですか。
言い得て妙。きょうから使わせてもらいます。
さて、きょうは昼からどんぶらこで大村線。
学ぶとは分かち合うこと
万全の対策と十分な準備と愛情ある配慮を心がけ、鹿児島。自分だけが新年度のスタートを切るのではなく、仲間とみんなではじまりたい。始めるではなくはじまりたいんだ。僕の鞄には、2021年度の「みんなの入り口」が入っている。
中央駅に着いたら仲間が鞄を持ってくれる。まずは腹ごしらえ。この甘い豚は鹿児島ならではの味。
満腹したあと,桜島を眺めようと駐車場。粋な風景,名残の八重の桜の花弁,,,
ではなく,桜島からの迎えの灰。上着に積もる灰もきょうは許せる。とにかく,久しぶりのあくゆうたちとの勉強会だから。
きょうは船に乗ってうどうを平らげることはせず,この雄大な景色に満足して公民館に向かった。
俳人,浩の指導した中学校が学校賞に輝いた伊藤園の記念のペットボトル。
単元づくりの研究,そして《私の問い》を立てるワークショップ。みんなの声も弾む,なんとも言えない言い時間が続く。こんな日常の風景を誰もが待っていたはず。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
セ・リーグ、開幕!
週末、鹿児島で
30年ぶりの喫茶店
長崎に学び合う日
いそいそと出かけてきた。きょうは長崎で新しい企画。「九州をめぐる学びの旅」の第1回。「長崎に学び合う日」だ。
諫早駅で仲間と待ち合わせ,駅前でちゃんぽんに満腹し,中町教会の坂を上ってセントヒル長崎へ。
懐かしい顔がそこにもここにも。
「久しぶり」「元気でしたか」「今,どこにおると?」
そんなに離れていたわけではないけれど,仲間と仲間のあいでには言葉があふれる。
時津町立時津東小学校の研究主任,竹中奈月さんの話題提供は魅力にあふれていた。学校全体でひとつのテーマに取り組むことの尊さが伝わってくる。そして,全員でやるからこその成果に心おどる。陳腐なことばだけど「すごい!」。
そのあとは,僕がコーディネートして「《私の問い》を立てる」ワークショップ。これまで,やりたいやりたいと思いながらも,実現してこなかったこのワークショップ。なぜ,今までやらなかったのかは明解。単なる形式になってはいけないから。「問いの立て方講座」ではない。子どもの姿を語りながらのLiveでなければこの熱さと大事さは共有できない。
問いを立てる(問いを立てさせる)ための細かなことを実感する時間となった。
ということで,圧巻の「問いの大全集」ができた。途中,中町のローソンまで走ってくれた佐賀の二人の仲間にも感謝(本当に走ったかどうかは???)。
手にした「問いの大全集」は今回の宝物だ。
マスクの着用と距離の確保はもちろんのこと,十分に手指消毒を施し,45分ごとの換気と休憩も万全。羽目を外すことなく実施すれば,僕たちは学び続けられるということも確認できた。
九州から集まってくれた仲間,ありがとう。来週は鹿児島です。今回のメンバーの連続参加も歓迎,南九州の仲間との再会も鶴首。
神様,ありがとうございます。僕にこのような一日をくださってありがとうございます。
ZETTAI
花は季節を忘れない
くじら雲
大学ではたらくようになった年の春。ゼミ通信をつくろうと思い立った。おそらく一生,この大学ではたらくだろうと思い,これからの歴史をつくる第一集として,通信の名前を「くじら雲」とした。小学校1年生の教科書に載っている作品だ。
その後,2期生には「ぽぽんた」,3期生には「かげおくり」,4期生は「ごん」,5期生は「山猫軒」,6期生は「クラムボン」というように続けていった。その大学を10年目で辞するまで僕のゼミは「文を綴ること」を丁寧に続けた。
その1期生。「くじら雲」のゼミ長から,突然の便りが届いた。なんと,自分の子どもが通う小学校に,「くじら雲」のメンバー,つまり,たつゼミ1期生の学友が赴任してきたらしい。
そこで,思い出してのメールだということだ。
みんなが元気であることがなによりうれしい。そして,みんなが幸せだったら,なおうれしい。
神様,縁ある人たちとの出あいをありがとうございます。
website
最近,このwebsiteのトップページの写真を頻繁に変更している。昨年までは,子どものグループ学習の様子を定番にしていたけれど,飽きた。
グループ学習に飽きたのではなく,同じことに飽きた。
だから,「教室をたずねる旅」にふさわしい写真を折々に変えていこうと思っている。
ということで,今回は,2000年前と変わらないわたしたちの「月」。
月を見上げるとき,僕たちは月に語りかけている。そのことも2000年前と同じはず。
仲間の活躍
少し紹介が遅くなったけれど,仲間の活躍がこんなところに。
長崎県時津町立時津東小学校の博報賞「奨励賞」授業の新聞記事。
そして,佐賀県鹿島市立明倫小学校,ナカエリ先生の指導の成果。
彩華さんのコンパクト・ライティングに拍手!ナカエリに拍手。
「学習課題」+《私の問い》+コンパクト・ライティング=主体的な学習のきっかけ,っていう手応えを感じはじめてる。
そしてそして,京都市立竹の里小学校や長崎県時津町立時津東小学校の研究紀要が素晴らしい!手元に一冊!
神様,こんなにすてきな仲間と出会わせてくださってありがとうございます。仲間とずっと仲間でいられますように。
そうそう,きょうは吉田拓郎さんの誕生日。おめでとうございます。75歳!
九州をめぐる学びの旅
敬虔な気持ち
じわる
じわる【じわ-る】(五段動)あとからじわじわくること
というような言葉を教えてくれる若い友達がいる。実際、使う勇気はないけど、使ってみたい気もする。
こんな言葉をすいすい使っている人を軽蔑する人もいるけど、僕はそうじゃない。使い手としては言葉の流行りには乗り遅れたいけど、聞き手としては「うんうん」とあいづちうちたい。
と、そんな若者の中で使いこなしている自分を想像しながら僕はじわってる。
って、使い方、あってるかな。ちはる先生、マツダ先生。
たぶん間違ってるやろなあ。
春,らんまん
旅たちの日に
きょうは佐賀大学の卒業式。たつゼミからの4名の若者が旅たつ。
いつもの道が輝いて見える。
ということで,そわそわしながら研究室にいた。本は開くけれど読みたいわけじゃない。廊下の足音の聞き分け,ゼミに来るときの4人の音を探す。
来た!
なんともはなやかだ。もう笑みがこぼれるこぼれる。そこで,卒業証書授与。
「えっ?」卒業証書は君たちがもらうもの。
それなのに,僕がもらってしまった。「ありがとう」ほんとうに。しかも,贈り物まで。
なんにもしてあげられなかったのに,とは思っていないけれど,もっともっとかかわり合いたかったのは本当。大きく旅立ちなさい。なりたい仕事に就くだけではなく,望まれた働きができるようになりなさい。生涯,最後の担任のたつとみせんせいはずっと応援しています。
桜って,やっぱりはなやかで艶やかで,そして悲しくって。この季節になくてはならない花。
神様,4人の学生に出会わせてくださってありがとうございます。
雨の日曜日
こんな日は,甲子園を思いながら窓ガラスに降る山桜の花弁をそのままにして雨のドライブ。行き先のないまま車を走らせるのがいい。国道沿いの床屋さんにでも行こうかな。
カーステレオは「明日があるさ」♪
降水確率100%
椿と桜の島の満開の下
各地の卒業式,人数をおさえてひかえて巣立ちを祝う。どうしても,ひとことだけでも,と前日にそっと言葉を置きにいった。
小さな島の小さな小学校の大きな愛に包まれた教室。子どもにも会わない,先生方とも語らない,そんな今どきの常識と配慮を悲しく思うけど,それでも来てよかった。
おめでとう。三人の卒業生!この学校で学んだことは確かな誇りだよ。
午後はしばし巡礼。
海からの風に煉瓦にも漆喰にもときを感じる。この島を出ていく子どもに平安の鐘を,この島に戻ってくる子どもに安心の鐘を。
人の暮らしの中の石積みは,そのまま歴史の語り手でもある。この石を積み上げた人は何を祈っていたのだろう。
僕は,三人にどんな言葉を贈ればよかったのだろう。切り離された言葉ではなく,この島に生まれ,生きていくつながりの言葉を届けたかったのに。
と,帰り道。ぽつんと椿。苔むした石段に紅がひとつ。
いつもの宿に帰る。
ここにも椿。
ほら,ここにも。
ぽつんと落ちた椿。だけど,ひとつひとつの花弁が大地をくれないに染める。連続した時のなか,「わたしはここにいるよ」の声みたい。
この島は一つ一つの花弁によって紅く染まったあと,今,まさに桜色の巣立ちを迎えている。
神様,この島に導いてくださってありがとうございます。この島の子どもの学びに役立つことができますように。
根っこ
昨日、ある研修会で話しながら思いついた。《問い》とは、根っこなんだと。
ときどき、僕のたとえの話が上手だと言ってくださる方がいる。それはそれでたいそう嬉しいことなんだけど、たとえの話なんぞ、たかが枝葉。大事なのは幹の部分。そう考えていた。
しかし。しかし、だ。幹がしっかりと立つには根っこが必要。今さらだが、これは間違いない。根っこがあるから樹は立つ。風雨に耐える。
聞くところによると、樹木というものは外から見える木全体の姿と同じくらいの高さ深さ広さ広がりの根っこが土を握りしめ、大地に立っているらしい。
《問い》がしっかりしているからこそ、論理に支えられた中心的主張が揺れない。
じゃあ、どこからが根っこ?どこからが幹?
地表と地中とのさかい目。土の中か外か分からないあたりまで、ちょっと出ているところあたりまでを根っことしよう。なぜなら、《問い》は往々にして主張とつながるものだから。
他者の《問い》の上に自分の花は咲かないよなあ。周辺の根っこに頼るばかりじゃつまんないよなあ。
だけど、自分と仲間たちの根っこが網目になって大地を握り、水を蓄え、生き物を守り、森になったら楽しいだろうなあ。自慢だろうなあ。自分を誇らしく思うだろうなあ。仲間をさすがだと感じるだろうな。一緒に生きているという幸せ浸るだろうな。
という、たとえの話は枝葉。
言いたかったのは、《問い》は根っこだっていうこと。
はじめまして、じゃないような
子どもの文字が出迎えてくれる。いや、ボードだけではない。実は、駐車場のところに4、5人の笑顔が揺れていた。
「達富先生ですか。」「はい、そうです。こんにちは。」「こんにちは。楽しみにしていました。」
なんのぎこちなさもない。
5時間目は「達富先生」とのこと。
いつもと違う雰囲気なのかと思っていたら、すうっと、授業が始まった。
学習課題を確かめて,
《私の問い》を立てて、すうっと、授業は始まった。
学習計画表が配られたら、さっそく自分から線を引き、書き込んでいく。
書く。
読み直しては書く。
ちょっと交流、深く共有。
調べる。
さらに書く。
《私の問い》は、学びを創り出す。
あっちへ行き、こっちの声を聞き、次はどっちだ?
椅子に腰掛けることはなかった。こんなに素敵に準備してもらっていたのに。
見事な45分。どの顔もやりきっている。こちらもやり切った充実がある。なぜだろう。学ぶ姿は周囲をも幸せにするんだ。
そのあと、
少しだけ子どもとおしゃべり。みんな自慢のコンパクトライティングを持ち寄ってくる。少しだけコメント、でっかい感動。
もう一度、訪ねたい教室。6年1組。いいクラスだ。
帰り道は神様に感謝。いい仕事をさせてくださりありがとうございました。
きみの教室に行くよ
学級担任とやりとり。その中にマイナスの言葉はゼロ。すべての言葉と行間に子どもへの信頼と愛情とこれまでの指導の誇りがあふれている。
そんな教室をたずねるときが来た。3月9日。みんなの教室に行くよ!13時30分に行くよ。紺色のジャケットを着て行くよ。
「帰り道」を一緒に読もう!
いいことがあったんだ
先週の水曜日の僕のラジオでの話を聞いてくださった方が話しかけてくださった。
届けたいことをちゃんと受けとめてくださっていた。きちんと届いていた。言葉に乗せた思いが届くことがこんなにうれしいなんて。こんなに心やすらかにさせるなんて。こんなに仕事の実りを感じるなんて。
ラジオで話してよかった。ラジオで届けてよかった。
きょうは雨の日曜日。
ぬくたい海からの風に我が家の山桜のつぼみがふくらんだ。
春はもうすぐ。
FM佐世保に感謝。アナウンサーのノッコさんに感謝。いつもメッセージをくださる山ぼうしさん、TTさん、風林火山さん、ひろ、羊のモーさんにたちに感謝。聞いてくださり言葉をくださった仲間、シスター、神父様に感謝。そして神様に感謝です。
旅の重さに
きょうは枕崎。もちろん十分な配慮と対策をもって出かける。行く先々でスタンプラリーのように手指に消毒液をかけながらの旅だ。
新鳥栖で乗り換え。熊本をやり過ごし中央駅に着いた。いつもなら満面の笑みで、だけどほんの少し照れながら待っていてくれているツアコン君は改札にいないけれど大丈夫。車内でのLINEでいい昼の店を教えてもらってるから迷わず歩いていける。
おおむね満足できる味。
さあ、これから3時間ほどの枕崎線鈍行の旅。南日本新聞を自分で買うのは初めてかもしれない。黄色いディーゼルに僕の鞄がよく似合う。
指宿で乗り換え。
ほぼ貸し切りの列車には既に扇風機が動いている。春本番。
幸せの黄色いポスト。
開聞岳、久しぶり!
春のまっただなかをゆっくりと西に向かう。枕崎に向かう旅。
まだ列車が止まらないうちに仲間の姿を見つけた。ホームにまで来てくださっている。それだけでいい仕事ができそうな予感。そのあと、小さな町を西に東と動き、たくさんの人と言葉を交わしながら会場に向かった。
手応え。あったようでそうでなかったようで。
反応。まちがいなく完ぺき。
感謝。当然のことながら最上級。
もっと伝えたい。もっと語らなきゃ。そしてやっぱり、みなさんの声を聞きたかった。話しすぎた僕が声を重ねる時間をつくらなかったのに、僕がもっとちゃんと時間を残せば声を共有できたのに。
話を聞いてくださった枕崎の先生がたに感謝。こんな機会を作ってくださった仲間に感謝。そして、ともにいてくださった神様に感謝。
後味はよかったんだけど、もったいなかったなあ、と十字を切りながら食事の店に向かった。
絶品。たまらない。
宿は潮騒に包まれた部屋。一晩中、波の音。贅沢。朝いちばんの温泉に大満足。
そして、土産にもらった地元の逸品。
何?
しばらくはこれで焼酎の晩酌にきまり。
神様、人のつながりをありがとうございます。いつもいつもともにいてくださりありがとうございます。
ラジオでつながる
FM本番前。きょうは「訊く」こと。
オフコースと中島みゆきさんのの歌詞から考えてみることにする。さあ、ブースに入ってきます!
10時50分。本番終了。本当に短く感じる。
訊くこと、たずねること。これは3つの世界に分けられる。
ひとつは「知らないから訊く。」だから、当然、答えてくれそうな人に訊く。そして「ありがとう。」を返す。
ふたつめは「知っているとを訊く。」そんな場面はなさそうだけど、実はある。例えば、授業中の学校の先生。「今何時ですか。」と時計を見ながら小学2年生に訊く。先生も時計を見ているのに訊く。だから、分からなさそうな顔をしている子どもに訊く。時計を読めるようになってほしいから。「12時25分です。」そのあと「よくできました。」を返す。「ありがとう。」ということはない。
じゃあ、みっつめ。これは「十分に分かっているわけじゃないことを訊く。」訊く相手は近くにいる人。その人も十分に分かっていないことが多い。だから、二人で「ふさわしい結論」を創り出す。なんどもなんども声を重ねながら。創造的なコミュニケーションとはこれだ。教え合いでもなく、評価のためでもなく。一緒によりよいことに向かって創り出す「学び合い」だ。
訊いてくれた人はどんなことを期待しているんだろう。訊く相手はどんなことを考えているんだろう。訊くことで分かってほしいことがあるのに。訊いてくれることで分かり合えることがあるから。
「卒業だけが理由でしょうか。」「君を好きになっていいの。」
何がどれくらい分かっていて分かっていなくて、yesかnoだけではなくて、メッセージを届けたり確かめたり。だから「訊く」って大事。
ってことを話したんだけど、伝わってないよな。きっと。
もっといい仕事をしたいとため息の水曜日。
いいもの見てごらん
まだ熱さを覚えている。だから,みんなにも伝えたい。
クリック→ https://www.youtube.com/watch?v=MCyyeWGzInc
making of 「大阪府摂津市立味生小学校の研究発表会」の様子。
職員室の力って,やっぱりすごい!
心のものさし
僕の好きな風景。
僕にもこんなときがあった。僕の小学校の近くにはこんなに長い階段はなかったけれど,ランドセルにふうふう言いながら小学校に通っていた。その頃とくらべて,今はどうだろう。身体は大きくなった。目尻のしわもできた。少しばかりはいい仕事もしたかもしれない。
だけど,いちばんは人生の歩みがどうだったかだ。
人生の歩みには心がかかわっているんですよと神父様が教えてくださった。そして,心のものさしを成長させなきゃいけませんと導いてくださった。
僕の心のものさしはどうだろう。僕はまだまだ湧き上がってくる感情に揺らされている。だめだ。
「今,僕は何を感じているんだろうか。」そんなことをたずねるようにしている。そうすると,自分の心のものさしの傾向が見えてくるから。
自分の心のものさしの成長を人任せにしてきた50年間。まだまだこれからだ。人任せにしないで,自分自身で自分自身の傾きに気づくこと。自分自身が心のものさしの感触を確かめること。
まだまだ。まだまだ。まだまだだ。
神様,きょうもいちにちをありがとうございます。自然の中に身を置くと,「今,僕は何を感じているんだろうか。」が少し聞こえてきそうです。
自分でやる
春が来る
あれからいちねん
あたたか記念日!cafe de Lucca
あたたかい心でつくられたお料理を食べると,お腹だけではなく身体まるごとあたたかくなる。そんなお店に出会えるなんて,きょうは特別な記念日。
新鮮なサラダも,
具だくさんのパエリアも,
とにかく美味しい。そしてお店のご夫婦が最高にあたたかい。隠れ家としてとっておきたいほどのお店。だけど,ひみつにするなんて僕の都合はやめて,みんなで来よう!ここで身も心も満たされて語り合えるなら,どんなに贅沢なことだろう。
佐世保,常盤町の「cafe de Lucca」。ぜひ,まるごとあたたまれ!
人とつながり,人と生きていく。大事な記念のお店,大事な大事な記念の日。
もちろん,ワインも格別。
神様,こんなにいい記念日をありがとうございます。ありがとうございます。
見上げる天にはお月さま。














































































































































































