ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。
たつログ
えとせとら
さて、文月
また来るし
大阪での二日間。たっぷり大阪弁。時間もたっぷり。普段できない「余裕」と「ひま」を楽しんだ。
モノレールの窓から見える太陽の塔は僕を子どもにする。1970年,家族で来た大阪万博のときにすっと戻れる。「咲いた♪ひらいた♪輪になった♪」も歌える。「人類の進歩と調和」はそれ以来,僕の頭の中に引っかかったままだ。お兄ちゃんがお祭り広場でトランペットを吹いてたのがとってもかっこよかった。ケベック館で迷子になった。エチオピア館ではじめて日本語じゃない人と握手した。ぺったんこのアメリカ館の「月の石」は長い列に涙を飲んだ。
10年ほど前,吹田市の研究会で「太陽の塔」を材料にして単元づくりをした。僕のゼミ生がプロデュースした1年生から6年生までの単元は今も僕の自慢のひとつ。
ということで,すっかり遠くなったようでまだまだ近い大阪♪
ドリカムの大阪LOVERSの歌詞に「551の豚まん」も出てくればいいのに。と思いながらの帰りのヒコーキ。予定通りの長崎大村着。
いい仕事
教室の軌跡
ホーム
今夜は佐賀。本当に胸襟ひらいた仲間とがぶ飲み。
ありがとう。いつも一緒だけど、今日も一緒がうれしい。
わけもなく,ここは鹿児島
鹿児島の公民館をはしごする僕。午前と午後,異なる公民館で異なるメンバーで,だけど熱さは同じ。熱中する連中に包まれながらうっとりしている僕。学ぶことが美しいのは知っていたが,学び合うことがこんなにうっとりすることだとは知らなかった。教えてくれたのは,ここ鹿児島。
いつものメンバーが大きく見える。うんと逞しく頼もしく見える。それは間違いじゃない。一人一人がみなぎる自信のようなものをもっている。幾重にも重なる一人一人の声のもつ強さ。7回の厚みだ。
夜。僕たちはいつものようにがぶ飲みに酔う。今夜もこの男が愉快な姿を見せた。
鍋,まるごと食らう男。
憎めない姿。愚直な男。僕たちは何度も何度も手を振りながら別れた。鹿児島中央駅13番ホームにも慣れてきた。
子どもの声のする場所で
ごきげんよう
学び合い
昨晩は中学校の先生と「単元づくり」を指導事項と学習材の質から検討した。改めてその奥の深さに心している。
きょうは近くの小学校の先生たちと「ゴールデントライアングル」についてああだこうだと議論した。整理しながら新たな課題と可能性に心躍らせている。
明日は熊本、土曜日は長崎、日曜日は鹿児島。達富の行脚じゃない。各地の仲間が「学び合い」でつながりあっているだけだ。
帰り道、僕の研究室のある建物が夕景にとけこんでいた。
仲間の帰った研究室は子どもが帰った教室に似ている。
帰路。田植えを済ませたばかりの西与賀の水田に薄暮が映る。
なんとも言えない充実感はこんな風景にこそ反応する。見逃しがちなものに立ち止まれるのは、心みちているから。
何度聞いてもいいニュースです
帰り道のNHKラジオ。ニュース番組の最後に聞こえてきたのは「何度聞いてもいいニュースです。」
こんな声がニュース番組に?と車の時計を見たとき「サッカーワールドカップで,」と声が続いた。なるほど,確かに。サッカーに詳しくない僕でもそれはめでたいこと。
「何度聞いてもいいニュースです。」ということばによって,日本代表の勝利はいっそうはなやかなニュースとして国民に届けられたにちがいない。
言葉はその人そのもの。今ごろ,このアナウンサーはきっといいお酒を飲んでいるにちがいない。そして,「何度聞いてもいいニュースです。」の声を聞いた大勢の人も美味しい夕食をとっているにちがいない。僕も,アジの塩焼きを肴に,いい一日をゆっくりと楽しもうと思ってる。
紫陽花苑
この道
新幹線が仕事部屋
僕は列車の中で仕事をするのが好きじゃない。仕事のアイディアを広げたり深めたり、それを手帳に書き留めたりするのは好きだけど、コンピュータをカチカチさせるのは好きじゃない。
が、きょうは新幹線が仕事部屋になってしまった。溜まりに溜まったメールの返信だけで京都に着いてしまった。
ところが、へんな疲れはない。後味悪さもない。むしろ、気持ちいい。それは、溜まったものがなくなった爽快感というよりは、一人一人の相手と十分なやりとりができた満足感のようだ。
日本中の友に便りを出す。列車の中からというのがより粋な感じを強める。「便りよ、飛んでけ!」って感じ。
動く仕事部屋から降りたとき。嵯峨嵐山駅で出迎えてくれる友の笑顔がまたいい!
で、校内研究。学び多い4時間。
嵯峨嵐山駅まで送ってくださる友の白い車の中。「先生の講話は、先生の人生そのもの、人がらそのものですね。」なんて言ってくださるから、僕はまたこの学校が好きになる。この友とビールを飲みたくなる。ずっと語りたくなる。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
ジョー
酒一番
ナースプラザ
看護師のかたとの論理学。これがたいへん楽しい。向学心に支えられた教室は魅力的だ。これから始まる学びにわくわくする。講師である僕の「わくわく」が学び手であるみなさんに伝わりますように。
そうそう、今日のお昼は「かろのうろん」。博多に来たらお昼はここ。
江國香織さんのお昼もここらしい。
夜は中洲に出て、ちょっとだけビール。
6月10日は時の記念日
小学生のとき、「時の記念日」の日の朝の会で「時間を守るんですよ」、と教えてもらった。前の日が誕生日の僕は、夜更かししたことを叱られているように思った。佐竹先生は何でも知ってるんやなあ、と不思議に思ってた。
50もゆうに超えた今、「時の記念日」は、時間をまもることを忘れない日だけじゃなく、時間を丁寧に使うことを自分に約束する日のような気がする。
時の記念日、かっこいい日。
そして、このかっこいい日は、尊敬する兄貴の誕生日でもある。僕よりもずっと時間を丁寧に渡ってる兄貴ならではの日だ。兄貴、誕生日おめでとう。
ベイスターズも勝った。今永投手の初勝利。おだやかな日曜日。僕は、昨日、自分へのプレゼントに勝ったパガニーニ(paganini)のヴァイオリン協奏曲のCDを少し大きめに鳴らして梅雨空の大村湾を楽しんでいる。
さて、今夜は奄美の黒糖焼酎「まーらん舟」。これは大島のあくゆう山さんが贈ってくれたもの。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
誕生日ありがとう
きょうのNHKの朝ドラ。昨日まで見ていたわけじゃないからストーリーは知らないけれど、どうやら今朝は「お誕生日おめでとう!の巻」のようだ。何度も何度もテレビから「お誕生日おめでとう!」が聞こえてくる。そのたびに、「ありがとう、」を繰り返す僕。
壮からのメールうれしいなあ。西さんからのメール、ありがたいなあ。
さて、きょうはビッグN。この日をちゃんと過ごそうっと。そうそう、その前に小チビたちの散歩。
そして宅急便で届いたのはゼミ生からの寄せ書き。賢治が声を書けて纏めてくれたもの。もうずうっと、ずっと続いている贈り物。もらっていることに慣れることはない。毎年、そう毎年。ひと文字,ひと文字,一行,いちページがもったいない。達富ゼミのみんな。ほんとうにありがとう。
神様、きょうも幸せをありがとうございます。
いまの仲間、
6月8日。思い出に残る日になった。
仲間との時間は僕を元気にするとびっきりのプレゼントのひとつだ。きょうは関西大学初等部の三人の仲間と語り合った。
どうして僕はこんなにステキな仲間と巡り会えるんだろう?小学生の時にももちろんかけがえのない野球小僧と巡り会えたし、中学校の時にも高校の時にもいい奴はいっぱいいた。だけどそれなりに喧嘩別れもしたし、ぶつかることも多かった。 二十歳を過ぎてからはどうだか忘れたけど、今ほどに心穏やかではなかったと思う。最近になってあの頃を面倒くさく思うことも多い。わけのわからない出来事もあった。し、面倒は今も残ってる。たぶん。
だけど、五十を過ぎてからは心地いいことばかり。人生捨てたもんじゃない。そして6月8日。また、新たな仲間がここにいる。
駅前の細い玄関の店で飲んだきょうは大事な思い出だ。また、すぐにでも会いたい。僕はこの駅がとても気に入った。ここから雨に濡れずに歩いて聞く道のりももう覚えた。そこで待っていてくれる三人の仲間との時間を繰り返したい。
いい一日。この響きもまたいい。格別。
さて、明日は誕生日。一年でいちばん楽しみな日。今の僕を知ってくれている人の中でひとつ歳を重ねるのはいいもんだ。
早くに逝ってしまった大親友の西村さんの歳を越したけど、親父や虎さんよりはまだ年下だけど、僕はやっぱり今を愚直に生きていくのが生きがいかな。
壮!元気かあ。野村さん!そろそろ会いましょうよ。中尾!少し間があいたぞ、明後日、待ってるからな。そして、きょうの三人の仲間たち。この次会えるときは、ひとつ歳を重ねた達富をよろしく!
ことばちず
今夕、志士が来た。そして楽しい話をいっぱいした。
そのひとつ。
ことばちず。ことば地図。言葉地図。
日曜日のドームは打てん中止
試合が始まるまでの焼き魚はよかった。試合が始まったばかりの筒香のホームランにもよろこんだ。試合が終わる直前の柴田と神里のホームランも最高だった。
試合のことを忘れて飲んだ天神も楽しかったしラーメンも美味しかった。
また再来年。次こそは3連勝!
やっぱり、授業。
きょうは伊万里。このクラスがお気に入り。90分なんて、本当に息つく間もないくらいのスピードで過ぎていく。
この中の誰かが、市長選挙に立候補するなら、喉が枯れても応援のマイクを担当するぞ!って言ったけど、これ、本気なんだぞ!
学び手に育てられている僕。
授業は学び手との仕事
やっぱり授業は楽しい。前期8回目のきょう。僕はこの学生といつまでも授業をし続けたいと思った。
一人くらいは「そうですねえ。」と言ってくれる学生がいるかも、、、いないやろな。
休日は記録の整理
新たな一歩
日々,ときどき自分
学生が学ぶ美しさ
今日は第3回 佐賀大学国語教育学会(学内学会)だった。7人の4年生が卒業研究の構想を発表する。それを聞く3年生までの40名あまり。50名を超す参加者(学会会員)にいつもの国語科教室も熱い。
2年生の質問に丁寧に答える。3年生からの質問には資料を繰りながら説明する。教員からの指摘には「これからの課題とします」と答える。どれもが学ぶ誠実さにあふれている。
僕が学生だった頃はどうだったろう。と思い返すのも恥ずかしい。万年筆の書き込みにあふれたノートの冊数は負けない自信があるが,きょうの教室の美しさには届かない気がする。
そんな学び手と日々を過ごすことを職業にできていることを尊く思わなきゃ。僕もまだまだ学びますよ!なんて気分で暮れた西の空に向かって車を走らせた。
写真は学会のあとのおつかれさま食事会(お弁当パーティー)のようす。
穏やかな月曜日
穏やかな月曜日。西に向かっている僕。今日は夕方から西海の会。どんな熱い話が生まれるだろう。
ふたりきりの指月会
東に向かう。賢治とのふたりだけの指月会。
単元学習の「板書」。そこから始まる「見通し」。「私の問い」を解決するための思考を動かす「発問」。学びを自覚し次につなぐ学習の「振り返り」。
きょうのメニューはこんな感じ。それを賢治の教室でふたりで検討する。わくわくする。こんな日から新たな単元が生まれるのは間違いない。
と、午前中のたつログ。
で、深夜のたつログを、と思っていたら賢治からメール。
ありがとうございました。
とっても、楽しい夜でした。
あんな大人な(贅沢で楽しい)飲み方ができたのは何年ぶりでしょうか。
「たつみ」での先生の、たつみ知識の豊富さには驚かされました。
かっこよかったです。

くぎ煮が架け橋となった広島のお兄さんとの繋がり。
あのように、店で人と繋がるのは本当にいいなあ、と感じました。
スタンドは勢いがありすぎて、別のお客さんとゆっくり仲良くなる暇もなかったですね。
でも、老舗が現役で賑わっている感じは嬉しかったです。

あのような元気な大衆酒場が残ってくれることが、何よりも嬉しいです。
三軒目は庶民の味。まるで、芸能人の食べ歩き番組みたいに店に寄りましたよと千社札を貼ったのは愉快でした。
これから、あの店に寄って先生のお名前を確認する楽しみができました。
四件目の板わさと祇園の蕎麦は次の楽しみておきます。
そうでした、お昼のにしん蕎麦もごちそうさまでした。
ということで、今回の京都は単元学習における談話の研究と食文化の調査。
熊本行き鈍行
4時間目に間に合うように早朝に家を出る。熊本へは鈍行も似合う。少しずつ近づいていく感じがたまらない。
明日は長崎、明後日は関西。「ことばの学び」にふれる毎日は心地いい。関西滞在中にご褒美のようにできた何にもない4時間。何をしようか思案中。懐かしい川沿いを歩くもよし、天平の甍を眺めるのもよし、大きな書店に遊ぶもよし、高い聖堂で祈るのもよし。こんなこと思い巡らすには鈍行。しかも熊本行き。贅沢!
朝ごはんは鳥栖の中央軒。
昼ごはんはいつもの社員食堂。
島村さんのしつらえる麺は日本中の何処よりも美味い。きょうも!と出かけると接客中。ありゃ、と思ったと同時に、話をしているお客さんに「私たちの兄さんがいらしたよ」って。まるで盆と正月に現れる寅さんのように出迎えてくれた。
午後からの研究会も含め、一点のマイナスもない一日。
下通の居酒屋も、そこでの肴もいつも通り。3人の仲間と僕。
幸せだよ、って言葉が足りないくらい。熊本はでんとそこにある。
立ち止まりたくなる通勤みち
はるか雲仙
西海の会、うまれる
またひとつ、同志の会がうまれた。
サンダルにジーンズで出かけられそうな距離に仲間がいる。赤い橋を渡ると仲間の声が聞こえる。
西海は再会でもあり、再開でもある。教室を大切にされる校長先生が3人。その教えに包まれる教員が集う。そして熱い37歳がそこにいて、彼を慕う連中がいる。何より、ここにはここに生きる子どもが暮らしてる。僕はそのすべてに惹かれてここに吸い寄せられる。
西海の会。日本の西端、潮騒のきこえるここにまた新しい会が生まれた。
来週、また再会!
通町はきょうも笑いに包まれて
通町筋の居酒屋に江口くんを見た。凛々しい顔立ちにうっとり、、 、するはずはない。江口洋介似の彼は、実は僕たちの仲間。昼間の勉強会のある瞬間、彼の仕草が江口洋介の何かと重なったらしい。かつてのゼミの先生からそう言われた彼は終始「よう言われるんです」を繰り返したが、誰もそれを信じない。しかし、確かにどことなく似ていなくもない。眉毛の上から額までの間なのか、ジョッキを飲んでいる口もとなのか、お手拭きで顔をぬぐっている時の目もとなのか。
一晩中、江口になりきっていた彼だったが、タクシーを見送ってくれるときにはいつもの「奴」に戻っていた。
すうっと,息を吸い込んで
昨晩のなごり
さくばん,佐世保で飲んだ。本当に愉快で時の過ぎるのがもったいないと思うほどだった。だから終電も逃してしまった。いや,遅い時間になりつつあるのは,うすうす気づいていた。腕時計を外したのは自分だ。そういう時間だったんだ。
同い年たちでの宴は脱線の方向も同じで,安心できる。その中でひときわはしゃぐ熱い37歳!「大地」というほんとうに素晴らしい名前の通りの生き方をしているこのヤングに50代は圧倒されながらも,負けない気分で満ちている。だから。
月曜日,こんどはそっちに行くよ。
薫風,僕を通り抜ける
鯉のぼりは子どものために
賢治とよく行く店
賢治にたずねてみた。どの店に酔ったかと。するとすぐに返事が届いた。
先生との思い出はたくさんあります。よく行った場所も思い出ですし、
遅くまで研究室に残って研究していた日は、
街に出ますと、ちょっと私は苦手でしたが、豚足の沖縄あだん。辛い辛い韓国の店、緩人。 初の先生とのコラボ授業の後は燻。 なんと言っても、絶品もつ鍋の渡辺屋さん、
京都以外では、大切な大切なそして特別な日は菊一さん。そこに行くまでの敦賀のカレーそば、内田屋。そして、もう特別感がなくなっちゃった名古屋、世界の山ちゃん。一度しか行ってない店はまだまだ数えきれず。
安定している店は何時でも空いている王将。そして、先生の大好きなインドは数知れず。先生が長崎に行かれてからは、京都駅八条口のとり八。
ううん。こんなことを考えていれば、
ということで、先生、次は何処で待ち合わせましょうか。
ということなので、次は、何処にしよう?なあ賢治。
拝啓、この手紙
何年後であってもいい。今すぐでもいい。子どもたちの誰もが幸せであることを願います。祈ります。
そんな気分に浸っている今夜。五島列島の中学生の映画を観て涙涙涙。劇場でも観て、テレビでも観て、Blu-rayも買って、何度も涙したのにまた涙。
子どもの幸せを願います。祈ります。
握手
午前11時,鹿児島中央駅改札口。仲間が立っていた。最高の一日にしたいんです。と,彼。西郷どんの催しで賑やかな駅前を通り過ぎ,僕たちは霧島連山の見える横川に向かった。
「このあたりの桜は鹿児島でも指折りなんです。遠くに見える霧島連山は,栗野岳から高千穂までどれも個性的で見ていて飽きません。今,新聞でよく目にする新燃岳と硫黄山は煙を吐いています。」
ぎこちないガイドが耳に心地いい。
「昼食の前に寄りたいところがあります。」
彼が案内してくれたのは,まさに僕が息を止めてしまう風景。国鉄だ。いい日旅立ちだ。
駅の横。列車も来ないのに,ベンチに座ってお喋りする年配の女性がこの駅のあたたかさを伝えてくれる。脚をぶらぶらさせて微笑んでくれる二人の笑顔は小学生よりも透き通っている。
「おれたちもいい顔して写真を撮ろう!」
彼の笑顔は合格点以上!僕のくたびれた顔は平均点以下。
「桜の季節は終わりましたが,お連れしたいお店があります。」
彼が歩いて行く先に「桜苑」。ルロイ修道士がオムレツを選んだ店が重なる。僕はルロイ修道士のように患っているわけではなくまだまだ元気いっぱいだけど,この見事な場面になんとも言えず,この場所がきっと大きな思い出になる予感。
霧島横川の郷土料理がずらりと並ぶ。料理長が奥から出てきて言葉をかけてくださる。僕は,指をポキポキすることも忘れ,箸を休めることなく,喋るテンポを緩めることもなく,彼の顔を霧島を交互に長めながら,最後の横川そばまで,全部平らげた。
「先生,死ぬのは怖くないですか。」
彼の突拍子もない質問に,鼻がつんとした。こいつは間違いなく僕の友だ。彼が僕のことを面倒と思うまで,ずっと一緒にいたい。
その後は中学校の図書館で勉強会。集まったメンバーとの熱く,そして短く,そして深い3時間のあと,僕たちは隠れ家に移動した。さっきまでの教育談義とはうってかわった少年のような時間。誰もがいい顔してる。
「ごめん,終電なんだ。」
鹿児島中央駅,20時55分。
あくゆうたちが改札の向こうで笑ってる。こんなとき,振り向くのがうれしいような,そして悲しいような,いや,誇らしいような。僕は親指をつったてて13番線のホームを駆け上がった。
長崎発、熊本行き、寄り道アリ
兄貴の車で
19の頃だったと思うけれど、黄色いCDを鳴らしながら、兄貴とよく伊勢まで車を走らせた。後ろに座るのは、お袋の時もあれば、じいちゃんの時もあった。米袋や赤味噌を積んだ時もある。収穫したばかりのスイカをごろごろ並べた時の匂いは忘れられない。
今日、おんなじように車を走らせた。高速道路がずいぶんと伸びて便利になったし、乗ってる車もあの頃とは比べものにならないほど上等になった。僕たちは同じように歳を重ね、丸みを帯び、それなりの大人になったけど、話す会話も笑う瞬間も、夏のような日差しもあの頃のままだ。
「帰りは洋二が運転しいや。」の兄ちゃんの言葉もあの時のまま。
僕の「うん、ええよ。」もその時のまま。
10対8
がぶ飲みはいいもんだ。2点差で負けたけど、やっぱり語り合うっていうのはいいもんだ。僕はこういう友に囲まれているから元気でいられる。宏ちゃん、また行くぞ。
さあ、壮!来週末はよろしく!
中ちゃん!ちょっと間が空いてしまったぞ!
はじめまして
きょうから新しい学校の授業が始まった。初々しい学生さんにこちらまで桜色に染まった感じになる。
はじめまして。達富です。
VAN
学生の頃から愛用のVANのスタジャン。これには原宿表参道がよく似合うんだけど、長崎大学のキャンパスもよく似合う。熊本通町も鹿児島天文館もよく似合う。僕はこのスタジャンで今を楽しんでいる。
いいこと思いついた
きょう,僕はこのベンチの上でいいことを思いついた。だから,モレスキンにモンブランで書き込んだ。忘れないうちに。とってもいいこと思いついた。
「いいこと,思いついた」
大発見をした。わくわく,なんて通り越してドキドキだ。
きっと、これからはじまる熱い仲間との深い時間がこの発見を導いてくれたんだ。さっき食べた天ぷらを添えた最高に美味いもちもちうどんが脳みそを刺激したからかもしれない。夜の「がぶ飲み」への期待が発想を引っ張り出したにちがいない。
何のおかげかは分からないし,すべてが織りなされて「いいこと思いついた」に違いないんだけど,とにかく,きょうは最高の気分だ。
やっぱり,此処は,僕のホームグランドになりつつある。うん,なりつつある。
そうそう,「がぶ飲み」は新装された馴染みのお店。これまた愉快なひととき。
仲間っていいもんだ。ずっと一緒にいたいって思う。
小さな鴨の脚
ちいさなちいさな,大きな春。
さあ,新学期。やっぱり,教室。
お昼のトマト
菜の花の道を集団登校
春ほんばん
さあ,出発
旅立つ者に鯉のぼり,旅立つ春は鯉のぼり
バイバイの切なさ
まあ,とにかくよくしゃべったものだ。4時間,ずっと。お酒の杯は数えていないけど,心地よい時間。お月さんの図案のようなのれんのこのお店はそれだけで僕を饒舌にしたけど,心地のよさは聞き手のまなざしのせい。聞いてくれるっていうのはなによりもの贅沢。そして,こんな僕に語りかけてくれるっていうのも申し分のない贅沢。贅沢ばかりの時間があっという間に過ぎるのはあたりまえ。
予定より一本送らせたJRは終電。その終電さえも逃してしまいそうな冷酒。タクシーの席に身をくっつけて,降りたらホームまでかけっこ。先頭の車輌にたどり着くまで、見えなくなるまでのバイバイはほんとうに切ない。
あの頃の泣きべそはどこにもいやしない。次こそは麻婆豆腐。また思案橋から駅のホームまでかけっこの続きをしよう。
球春、故郷まるごと甲子園
朝早く甲子園。急ぐのはいい席を確保したいからだけじゃない。早く球場との一体感を感じたい。
九回に三塁打を放った伊万里高校主将の試合後の言葉。「ここ甲子園やぞ、打たんでどうするってベンチで話していた。アルプス席も上まで埋まって、本当に感謝しかないです」。
本当にその通りだった。昨夏の早稲田佐賀の一塁側アルプスもそうだった。きょうの三塁側もそうだ。野球のルールなんか知らない高校生もいるだろう。生まれて初めて野球帽をかぶった年配も子どもも少なくないはず。
試合後。第三試合の応援団にアルプスを譲る。引き上げる伊万里。応援用の帽子とタオルとペットボトルを入れたレジ袋に地元のスーパーのマークが見える。故郷ごと甲子園に連れて来たんだ。だから甲子園。すぐに一体感ができる。お国ことばも、水菓子を包んだ個人商店名の入ったガス屋のふきんも、日に焼けた肌の色も、土の匂いのする手のひらも。
さて、博多駅。帰りの特急に乗ったら、通路の向こうに創成館高校の応援帰りの母と男の子。「ええ試合やったな」と声をかけたのに人見知り。「よか試合やったなもんねえ」といい直したら、母親が笑ってた。帰ってからパパにどんな話をするんだろう。まるで甲子園を駆け回ったように話すんだろう。カレーライスも焼きそばもイカの串焼きも全部平らげたように自慢するんだろう。僕もここに来るよって誓ったことはひみつかなあ。
これぞ京都直前
桜色のお土産
僕と同じ名前の友だちがはるばる吉野ヶ里から2トントラックで来てくれた。職場で伐採したから薪にしてくれと山積みの青いトラックが我が家の前にとまった。
ロープを解きながら二人でなんだかんだと四方山話。あっという間に荷をおろした。二人だとはやいですねとの言葉に、一人で積んでくれた彼の汗を思った。
倒した時は小さなつぼみだったように思うんですが、と言って横にしてあった桜を撫でているその先にほころび始めた淡い花弁。
切られたあとでも花を咲かせるなんて。そうしようとしているのか、そうなってしまうのかわからないけど、僕には咲いていることに違いはなかった。
これは薪にせずに皮を残してランタン掛けにでもしよう。
青いトラックが懐かしい音を残して見えなくなったあとも、桜色のお土産は春の日差しの中にあった。
やっぱり、バズ
合宿、やっぱり合宿
僕は合宿が好きで、何かと言えば大勢で泊まっていた。小学生や中学生の頃の野球は羽目を外せなかったけど、高校時代に八ヶ岳に流れ星を見に行ったときや、大学に入ってからのギターを持って集まった時や急行八甲田から青函連絡船合宿、寝台特急日本縦断計画の合宿なんかは、「楽しすぎる!」時間がもったいないほどだった。
50も過ぎたこともあり、無茶はできないけど、この頃は《日帰り勉強合宿》というのが気に入ってる。朝から終電まで勉強して、飲んで、語り続ける。
きょう、3月21日。15人が集まった。誰もがひとり残らずいい奴。みんながみんなを大事に思ってる。だから大切な時間にならないはずがない。
別れがさみしく感じるなんて、次は?って約束したくなるなんて、まだまだ僕は合宿に魅了され続けてる。
青春18切符
全部とまる列車はかっこいい。ひとっ飛びって、急ぐ特急よりずっといい。その線を支えているものがどんなものか、どんなことが起こっているからこの線がここに在るのか。どんな人がこの線に暮らしているのか。
支えているものを知らないかぎり、その未来は見えてくるはずはない。だから僕はひとつの居眠りもせず、ずっときょろきょろしてた。すてきな名前の駅も、いつもはひとっ飛びで降りる駅も、さっきとよく似た駅も、誰もいない駅も、全部、覚えてる。
この次、特急の窓から見えるこの駅は、今までよりずっと身近で、きょうよりずっとあたたかいはず。
だって、僕はここの駅前の栗弁当がとっても美味しいことを知っているんだから。ここから足をのばせばあつあつのちくわ屋さんが昼からお店を開くことを知ってるんだから。
青春18切符は、いくつになっても青春時代の好奇心にあふれた僕に引き戻してくれる切符なんだ。
ぼくのだいすきなK先生
ランタン
今夜は庭食べ。我が家での外食はお店に行くことではなく、庭で食べること。始まりが遅くなりそうだったので、明るいうちからランタンをみがいておいた。
赤い屋根に丸みのある風よけのランタン。25年ほど使っているけれど、未だにつやを落とさないのは大事にしているあかし。
タンク横のへこみや、ポンピングの時にできた傷、倅が蹴飛ばしたときにできた色落ちも全部いい味を出している。
それなら、と、緑の屋根のも出してきた。こいつはもっと古い。なんどもメンテナンスに出したり、自力で分解して組み立て直したり。目をつぶっても全部わかる。
さて、夕飯。貝に魚に鶏肉に。何を買っても庭食べに勝るものはない。
声高らかに笑ってもお月さんまで届かない。長崎空港に着陸する飛行機の音も風に流されて聞こえない。ぽちゃんと跳ねたのはスズキかボラか分からないけど、それよりもジジジと燃えるランタンの音が心地いい。
馴染みの店
確かにこの道のはず。スーパーを曲がって高架の前。しかし、ない。
そうだそうだ、違った。もう一本手前の道だ。郵便局の角。でも、ない。
今度は線路の方からたどった。やっぱりない。
物忘れがひどくなった。自己嫌悪。昼は抜くことになりそう。と思ったけど、もう一度。今度は電話をして確認。
電話の向こうの声は馴染みの声。「引っ越ししたんですう。」って。
僕の物忘れのせいじゃなかったことに安心しながら産んで再開。「ですう」って、伸ばしながら「迷わせてごめんなさい」って伝えてくれたお店の人とお気に入りの餃子に会えたのは午後2時半を過ぎていた。
つながって,網になって
駅で出迎えてくれたのは出水の鶴。会場で出迎えてくれたのは事務局の鶴長さん。町中に鶴のモニュメント。めでたい気分というよりは何かが生まれそうな予感。講演前に湯を楽しむのは部活をしている先生方に失礼とは思いながらも,源泉掛け流しに朝からの慌ただしさを忘れた。
100まで数えてから出よう。10まで数えたのは覚えてる。11,12,と,そのうちに,頭の中は,今夕,伝えたいキーワードの復習。キーワードの復習のつもりが「見通しを立てる」の項目ですでに思考は脱線。この研究会と僕の見通しは何だろう。と,思い始めたとき,駅前の鶴を思い出した。鶴は群れるて飛ぶよなあ。花岡大学の「百羽のつる」がそうだった。そういえばガンもそうだ。群だ。そうそう,ここから霧島連山を越えたら栗野岳,大造じいさんとガン。となると,青木幹勇先生の授業を思い出す。先生は発問をゼロにしたいとおっしゃっていた。ゼロか。ノンアルコールビールの銘柄も「ゼロ」,ニュース番組も「ゼロ」,何だったっけ?ゼロ?ちがうちがう。青木先生。そう青木先生,で,大造じいさん,ガン,鶴,そうそう「見通し」。その次は粘り強く,そして振り返り,で,つなぐことが大事。そうだよなあ,今日だけの単発ではなく,今日が何かとつながらないと。「百羽のつる」では鶴がつながって大きな網のようになって子どもを救ったんだった。「真っ白な羽をひわひわと鳴らしながら」飛んでいた鶴が,そう99羽の鶴が「月の光をつらぬいてとぶ銀色の矢のように」子どもの下に回って網になって。網になって,そうか網か。今日の講演が何かの網みたいになったらいいんだけど。このお風呂のタイルみたいにきれいにつながらなくても,えっと,30くらいまでかぞえてたっけ,,,
20人ほどの懇親会。つながりはじめてるぞ。そして午前零時を回っても,鶴さんたちと「木挽き」のお湯割りの二次会。鶴さんが「あたたかくなったら」って言ってくれてる。つながってる,つながってる,つながりはじめてる。
2時間の講演よりも,壮の教え子を発見したり,壮の同期採用の教師と語ったり,壮と同時期に研究校で力を伸ばした教師に出会ったり,「つながっている」を実感した金曜日。
「ひわひわ」ってほど叙情的ではないけれど,つながっている中で生きているって,どんなことでもできそうな気がする。
はじめまして!なのに
はじめての学校。駅の改札の右に行くのか左に行くのかから分からない。迎えにきてくださる方も分からない。下駄箱の位置もスリッパを脱ぐタイミングも、廊下の歩き方も分からない。
変わらないのは先生方の熱意。みなさん子どものために何かしたいと思っていらっしゃる。学校の力を高めたいとうずうずしてらっしゃる。だって、子どもが好きで学校が好きでこの仕事に就いているんだから。
ちょっと忙しいだけ。ほんの少し慌ただしいだけ。わずかな時間、教師になった時の情熱を忘れてしまうことがあるだけ。
それを思い出そう!子どもの元気、子どもの笑顔、子どもの伸び!そう、それが教室、それこそが授業!大事なことは「どの子も!」。
そのお手伝いというか、そのきっかけというか、いや、そんなおこがましいことではなく、みなさんと一緒に熱中するために僕がいるのなら、それはとってもうれしいこと。
ということで、はじめまして!竹の里小学校!きょうのはじめの一歩、僕は先生方の熱い熱い90分に元気をもらいました。
橋を渡る、心はずむ
西彼杵への入り口は西海橋。この赤い橋は、再会に心寄せる切なさや赤い糸の心恋しさと意味を重ねたところ。
今夕、まさに僕は再会に心おどらせて、太くなりつつある赤い糸に引かれてこの橋を渡った。
相変わらず熱い37歳。心得たとばかり、僕に投げるストライクゾーンど真ん中の直球は、投げられた僕にも、また、同じ部屋にいる者すべてに心地よくて、この心配りが90分を忘れる時間の始まりをつくった。もちろんそのきっかけを提供した若い教師の本音と心意気が尊い。
この西海市という地に、この西海東小学校という学び舎に、どれほどに心奪われ、何度、赤い橋を渡ることになるのだろう。心待ちにしている。
という、三寒四温の水曜日。心にまつわるエピソード。
声が届く,声を届ける
長崎の日曜日
本気の夏,100回目
今年は第100回大会。センバツも始まらないうちから夏が待ち遠しい。
もちろんセンバツにも行くけど。センバツに重なって開催される143回地方大会にも行くけど。
球春。この響きがたまらない。
春の嵐
研究会中に何度も空が光った。部屋の屋根をたたく雨の音で自分の授業を語る彼の声も聞き取りにくい。春の嵐。
三寒四温という悠長なものではなく、この雨で寒さとはお別れだと言わんばかりだ。そう、この雨で冬は終わり、今夜で時が変わる、明日からは新しい季節なんだ。
本物を見すえて取り組んだ彼の授業はまさに春の嵐だったんだ。話題性もあった。関心も高かった。評価も分かれた。だからこそ、この男の歩いたところには色とりどりの花が咲く。大地に根を張り、幹を太らせる。やってみたい、ついていきたいと願う若い者が集う。
3時間後、僕たちは互いの声も届かないほどの雨の中を肩も袖も裾もびしょびしょに濡らしながらビール屋に向かった。
10年若返ってこいつと一緒の学校で働きたい。冬を声高らかに笑い飛ばすこいつは僕にはまぶしすぎる。
二軒目に向かう頃には雨も上がり、街に人の声が戻ってきた。スキップでもしたいなあと振り返ると、水色の傘をくるくる振り回しながら、春はこっちですよと奴が笑ってた。
こんな夕方があるから
きょうのお昼は青りんご
男ごころに惚れる僕
戦友と言おうか、好敵手と言おうか、同志と言おうか、腐れ縁と言おうか。
こいつに惚れてる僕がいるのは事実。
春は黄色く
西海東,ああこの仲間たち
西海東小学校の研修会。西海市の先生がたが集まった5時間目。西海東小学校の先生方が授業を終えてかけつけた6時間目。この90分間,僕はあたたかくも真剣なまなざしを「外すもんか!」とぐっと受け止めた。厳しくも熱い表情に「届け!」と声をつないだ。
尊い。強い。あたたかい。美しい。どんなことばも足りない。じゃあ,なんて言えばいいんだ。この仲間たちの愚直さ。
空けたビールジョッキの数を忘れかけた頃,熱い37歳が言った。「いいでしょ。僕はこの西海が大好きなんですよ。」って。僕はその熱さがうらやましく,だけど,それが分かる気がしたし,今年の夏には「ほんとだよね!」って言えるようになってる自信がある。
ほんとうに素晴らしい縁に乾杯。確かめ合った宴にも乾杯。西海との再会にもういちど乾杯。
3年ろ組,あつまれ!
僕が3年ろ組で担任していた頃,作文を書くことを楽しんでいた女の子が,その小学校の教室で子どもに教えてる。その姿を僕が見ている。ずっと見ている。
あいつが先生をやっている。
こんなうれしいことはない。だからずっと見つめている。僕はもう担任じゃないのに先生のことが気になる。と思っていたら,見つめられていた。その目は15年前とおんなじだったけれど,先生の目になっていた。それがうれしくてうれしくて。
こんど,先生どうしでお話ししよう。
さあ,帰ってきた。
定宿。ここしかない。
きょういちにちで十勝から日常に戻らなきゃ。
こんなポスト見ちゃうと,ますます日常が遠くなっちゃう。
さあ,帰ってきた。
チビの散歩。薪割り,ストーブ掃除,旅の革鞄の手入れ。モレスキンに日記。そうそう,これが僕の日常。
そんなことしているうちにテレビがオリンピックを伝え始める。燃える薪の前に座って,一杯。きのうまでのサッポロクラシックに変わって,我が家の酒棚を眺める。肴は決まってる。焼酎も決まってる。先日もらったいいものをとってある。
鹿児島焼酎チョコの宝箱と喜界島の焼酎。
酒瓶にこんな詩が添えてあった。
光の中に見つけた一匹の蝶
華やかな香りに魅せられて
「ひらりひらり」と
華の誌 唄っています
北の大地はどこまで白く
予定していた羽田行き第1便は十勝平野の霧のためとかち帯広空港に着陸できず,上空をくるくると回って天気と相談しているらしい。確かに,僕が立っているここも霧でほとんど見えやしない。すっと風が動いたときに見せる白い木立は凜としている。
上空の飛行機を見ようと(見えないから着陸できないんだけど),空港の外に出ると,二日前には気づかなかったトトロ。
スケールが違う。そういえば,ここはすべてのスケールが違う。昨夜,こっそりと深夜徘徊しておとずれた帯広市内の銭湯もびっくりした。本当の温泉につかる地元の人と話ができた。「十勝のよさを知ってもらいたいけど,あと5年はかかる。」とのこと。5年住めば,十勝のよさを語れるようになるらしい。
ほんとうにそんな気がする。
幸福駅は確かにここにある
きょうは朝から新聞社の5階で講演。話し始めたとたん、カシャカシャとシャッターの音。記者会見ってこんなふうなのかな、って思いながら、僕はすでに十勝の方との時間の中にいた。
90分が異様に短く感じる。17枚の資料の量が多かったのか少なかったのか。みなさんがうなずいてくださると調子が上がる。
北の大地でも学習課題と「個の問い」への関心は高い。「もっと聞きたいです」「また来てください」の声をもったいなく思いながらのきょうの講演だった。
昼は地元のカレーライス。美味い!しか語彙がないのが情ない。
そしてそのあと、友人にお願いをして雪の大地に車を走らせる。
幸福駅は確かにここにある。30年も前に来たことがある。「いい日旅立ち」の国鉄時代のことだ。今はもう列車が動くことはない。だけど、あの時の時間もあのままここにあるようだ。
十勝、帯広。市内の銭湯に身体を沈めた夜。もう何日もここに居るような気持ちになる。懇親会で語ったひとつひとつの声。一人一人の笑み。どれもが心地いい。
マイナス10℃の夜が更けていく。
ここにも、仲間が
今夜は帯広。昼間のやりきれなさをどこかに置いていきたいと思っていたら,JAL。青い空の上に面倒なことを置いてきた。
20時に過ぎには帯広に着いた。迎えてくれたのはマイナス13℃の町。そんなに寒く感じないのはここにも仲間がいるから。
「久しぶり」の挨拶の2秒後には教室の話,職員室の話,これからの話。話がどこに広がってもネガティブなことははなし。しょうもないことは空の上に置いてきた。
仲間っていうのはそこにいるだけでいい。元気をもらったりあげたり。
明日の一日が佳き日になりますようにと23時には帰路についた。マイナス15℃のおやすみ。
が,マイナスの町に惹かれ,午前零時,一人で深夜の帯広を散策というか徘徊。駅前には北の大地の動物のモニュメント。またいで乗ってみたかったけれど,それは我慢した。
すうっと胸の奥に入れようとした冷たい空気は,体に入る直前に凍ったみたいで全部はいってこなかった。じゃあ,もう一度と,すうっと吸いこんだ。二度目はさっきよりもたくさんのマイナス17℃が身体に入ってきた。十勝の空気,このすれていない空気、できたばっかりの帯広の空気は,僕をこの町に近づけてくれた気がした。
息を吸うってことは,此処にいるってこと,此処で生きているってこと,此処の仲間と同じ空気を吸っているということなんだから。
人と人,丁寧にそして誇り高く生きていければ,もう,それだけでいい。
中学生,いいぞ!
九州新幹線、大好き。
あぶない、あぶない。熊本で降りてしまうとこやった。コート着てホームにまで出て、気がついた。今夜は鹿児島や。
ということで、今日、明日は鹿児島。明後日から帯広。どれくらい離れているのか知らないけど待ってくれている仲間がいるなら近いもんだ。何処にだって行く。九州新幹線のおかげで九州が本当に小さくなった。月に5往復以上だからまずまずの常連だろう。
さて、今夜は天文館の群倉。ここは刺身もチャンプルもパパイヤも鶏飯もなんでも美味い。奄美の焼酎がすすむ。ちょっと早めに行ったのに、すでに一人が出迎えてくれる。その笑顔がたまらない。いちばん奥に陣取って、一人二人と集まってくる仲間を待つ。学校を手際よく片付けて集まってくる。0次会をやってきましたという強者もいる。部活指導の格好のまんまで来るのがたまらない。いつもの三つ揃いの紳士もやってくる。
明日が授業だというのにこの熱さは何なんだ。教室を語り、子どもを語る。だからこその授業なんだ。
ちょっと汚してしまったけれど、明日の学習指導案。
雪の降る日曜日
学ぶということ
土曜日なのに教育センターに集う教師たち。輪になって学び合う。膝をつき合わせて語り合う。ノートに書いたり,黒板で確かめたり。一枚のプリントにぎっしりと刻まれた数種類の色の文字はこの150分間の学びの軌跡だ。
僕はサタデーセンターというこの企画が好きだ。だから来年度もきっと土曜日を待ち遠しく思うに違いない。
教室と教室をつなぐ
きょうは佐賀市立の小学校での授業研究に京都や熊本からも仲間が集まった。多忙の2月。流感にも気づかいつつ、自分自身の授業や研究発表会がひかえているにもかかわらず集まってくる志士たちに僕も熱くなる。
授業を創る語彙が飛び交う。子どもを語る語彙が溢れる。酒宴は教室と教室をつなぐ。そして次回はわたしの授業に来てください,と誰もがあたりまえのように言い切る。
仲間がいるからやっていけることってある。それはとても美しい。ありがとう11人の志士たち。
乗り継ぎのこと、あるいは新鳥栖駅の思い出
「乗り継ぎのこと、あるいはフランクフルトの空港の思い出」というタイトルの江國香織のエッセイを読みながらの熊本からの帰り道。ぼくはまさに乗り継ぎの新鳥栖駅でこのエッセイに出会った。そしてこのなんとも言えないカッコいいタイトルをまねして僕も書いてみたくなっている。
素敵な葉書を売っているニューススタンドもハーマンズという名前のホットドッグ屋さんもないけれど、ぼくはこの乗り継ぎ駅でちょっとしみじみしている。
暑い頃だった。僕はこの駅で財布を落とした。鹿児島行きに乗り継ぐためにこの駅で降りなければならなかったのに文庫本に夢中で降り損ねた。次の駅で転がるように降り、タクシーでこの駅に戻り、発車2分前に着いた。予定の新幹線に乗れたのはよかったが、上着を抱きかかえて全力で走ったため、新幹線に乗ったとき上着のポケットには財布はなかった。
40分以上もホームに待たなければならない春先の寒い日。温かいかしわうどんを食べようとしたのにちょっとしたいざこざに巻き込まれて食べ損ねたこともある。余計なことを気にしないでおけば済む話だった。
お忍びの旅ではないが、くたびれた顔を人に見られたくない人と思ってグリーン席に座ったら通路を隔てた隣の席に知り合いを見つけたのもこの駅だ。
以来、この駅では走らない。財布は鞄に入れる。お腹がすいていても他にお客がいるときは我慢する。ホームをぐるりと見渡して知り合いがいたらとにかくこちらから挨拶をする。という具合になった。
しかし、これらのいましめは実は僕に旅がはじまること、あるいは終わりが近づいていることを教えてくれている。
上着の財布を手で確認すると宮崎の果物の色が眼に浮かぶ。かしわうどんの匂いを感じると春のセンバツの雨に濡れた冷たさを思い出す。ホームにいる誰もが知り合いに見えるこの小さな乗り継ぎ駅は旅のすき間を見事に作り上げている。さあ、今度の旅は誰に会うんだいとたずねられているようだし、帰ったら誰に葉書を送るか決めておきなさいよと確かめられているようだ。
そして今日。僕は熊本での3日間に大きな刺激を受け、新たな夢をつくり、帰りたくない気持ちで乗り継ぎを待っている。帰るのが嫌じゃない。3日間が終わるのが嫌なだけだ。この駅は僕を旅の途中に留まらせる。
さあ、明日もこの駅を通る。だけど明日は乗り継ぎではなく通過駅。博多行きの特急の窓からこの駅を見るとき、財布を落としたエスカレーターも、食べ損ねたうどん屋もすっかり油断して平日の午前をやり過ごしている。
この木は「問いかける」木
熊本のともだち
藏田さん、一緒に語り続けてるともだち。
溝上さん、単元の迷いをほぐしているともだち。
中尾、未来をたぐり寄せるともだち。
熊本はともだちがいっぱいの町。今夜も通町筋で熱くなっている。
青い空の真下で
人生最後の国語の授業を
雪の降る日は
ぐんと近い熊本
熊本の友人が授業を見せてくれるというので出てきた。もちろん私にとっては研究の一環だし,彼にとっても授業力を高める勉強だ。しかしどうしてだろう,この高揚感。月曜日は朝が早いので前日入りし,熊本城を散策した。「がまだせ!」の言葉に僕も思いを重ねる。
授業は見事なものだった。隙のない仕上がりという意味ではない。創りあげている真っ最中という力強さがみなぎっているという意味だ。荒削りの授業は力強い。ここから丸みを帯びていく過程を自分の手で創っていくのは授業者の醍醐味だ。
午前中の授業を終え,昼ご飯。給食でも近くのファミレスでもない。お弁当でもない。製粉工場の社員食堂で食べる月見うどんが美味くないはずがない。何と言ってもこの地元密着の空気に酔ってしまう。
熊本がどんどん近くなる。
帰りの新幹線。「また来るよ」って,これで何回目だろう。
おじさん,おはよう
霜柱が立つ散歩道。日曜日はキャンプの朝に出くわす。大寒にもかかわらず日中はあたたかかった昨日は二組が冬キャンプを楽しんでいたようだ。
朝ご飯の支度をしているお手伝いだろうか。水を汲んでいる子どもがいた。30メートル以上も離れているけれど,僕は「おはようううう。」と声をかけた。寝起きの早朝,子どもの反応は悪い。きょうもそうだった。10メトールくらいになって僕の「おはようう。」も5回目,「おはよっ。」となっても反応がない。相当,機嫌が悪いのかな。あきらめようとしたとき。大きく何度も手を振って「おじさん,おはよう。」と少年。
5メートルも離れていないのに手を振られたのははじめて。だけど,元気がいっぱい。気持ちいい朝だ。手を振る「おはよう」はこんな朝に似合ってる。
きょういちにち,きっといい日曜日。
きっときっと,いい日曜日。
帰り道の寄り道
きょうも小学校に出かけた。あたたかい雰囲気の研修会だった。一生懸命に聞いてくださるという感覚より,一緒に作り上げているという印象が強い80分だった。研究主任が閉会を告げられたのに,職員室に戻られる先生方が少なく,自然と研修会の二次会がはじまった。子どものために何かしたい。自分の授業をもっと高めたい。それぞれのそんな思いがあふれた時間だった。
ぼくも気持ちよかった。心地よさに包まれた。ちゃんと働いたよ,って感じ。こんな日は少しくらい寄り道したって罰は当たらないだろう。ということで温泉。
教会の屋根のようだけど公衆浴場。僕はここのお湯が好きで,いつも窓際の湯船でじっとしている。大相撲六日目も気になるところだけど,きょうはじっとずっと研修会のことをふり返っていた。もう少しうまく話せたかもしれない。「深い学び」のところはまずまず分かってもらえたかな。「実践事例」はもう少していねいに話すべきだった。説明文の事例を紹介しなきゃ。最後は肩までつかって100まで数える。小さなコーヒー牛乳を飲んで帰る。明日は土曜日。今週もしっかり働いた。少しくらい贅沢しても罰は当たらないだろう。ということで,今夜はごちそう。
この店の鰻は最高なんだ。
終電
仲間と飲んで帰る終電は嫌じゃない。もう少し飲んでいたかったな、と思える終電は心地いい。今夜はK先生と話し込んだ。飲んだ量以上に頭が熱い。考えることに酔った。ここに冷たいカルピスがあればなおいい。
きょうもいちにち働いた。
と言っても、教育することと研究することが仕事だ。やりたいことを仕事にして生きていることをありがたいと思わなきゃいけない。好きなことに打ち込んで、気になることをとことん追い続けることが仕事だなんて幸せなことだ。
K先生は今年でご勇退。ぼくはK先生の分まで働けるなんて思っていないけど、K先生が生きてこられた日々を真似しながら生きて生きたい。K先生がしたかったことはまだまだあるはず。ぼくはその一部、ほんの少しだけでもK先生みたいにやってみたい。
動き始めた佐世保行き列車の窓に佐賀のネオンが映る。その赤や黄の点々を数えながら、今夜はその点々が少なくなっていくのを少しだけさみしく感じてる。
霧に沈む
都大路の風をささえる人たち
春高バレーにはじまった1月。サッカーもラグビーも追いかけたけど,なんといってもきょうの女子駅伝。友人が大会の役員をしているということもあって,選手以外のスタッフまで応援してしまう。終始,涙だ。
一時はトップに立った長崎も目標だった3位でゴール。どうしてこんなに美しいんだろう。
試合後,友人からメールが届いた。何よりも心配していたのはやはり天気らしい。無事に大会を終えた短いメールにこいつのやさしさとひたむきさがつまっている。全国の駅伝ランナーを支えている影の応援団長だ。
メールの最後にぽそっと付け加えられたひとこと。「さて,明日の朝会の話を考えないと,,,」そう,明日からはまた小学校の校長先生なんだよ。
こんな人たちが支えている都大路。みんなの余白が集まって織りなす大会。美しいのはあたりまえだ。
僕はと言えば,自宅裏の月待浦に沈む夕日を眺めながら春不遠とつぶやいている。
ひとの顔っていいもんだ
これまでの人生では交わることのなかった人と僕がしゃべっている。その人が「たつとみさん」と呼んでくださる。専門でもないのに,その人から教えてもらった知識で僕が応えている。僕の考えを聞いてくださる。
僕はこの人のことが好きなんだと思う。その人も僕のことが好きだったらいいのになあ,と思ってその人の顔を見ていたら会話がとまって見つめ合ってしまった。そして,微笑んで,そして,また話し出して。
人の顔っていいもんだ。人の声っていいもんだ。人と生きているで最高だ。














































































































