ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。
たつログ
えとせとら
はこべらの花が咲いたよ
時津町の時津小学校を目指して天草からフェリーとバスを乗り継ぐ。
この切符が旅情を深める。機械を通す改札にはない柔らかさにあふれている。途中,小浜で乗り継ぐ。
諫早に着くまでどれくらいの時間がかかったか覚えていないけれど,疲労感はまったくなし。はやる気持ちで長与駅下車。
さて,数分後には6年生の教室に立っていた。小学生の単元学習の中に見られるグループ談話の深まりを省察しながら,子どもたちの語彙使用の傾向をとらえる。
見栄えのいい45分の授業をまとめるのは難しくはないけれど,きょうははこべらの仲間に「単元」と「語彙」を知ってもらいたいからあえて着飾らない授業。参観してくださったかたがどのように授業を見たかは分からないけれど,自分としては会心の単元。
子どもをやすく見積もらない。子どもに恥をかかせない。子どもをできるようにする。きょうだけ教えるのではない。言葉のちからをつける。と,いろいろ,さまざま,かぞえきれないことをめぐらせながら,子どもと言葉の交換としての授業をした。
また,この教室に立ちたい。今はそれだけ。
さて,夜は駅前でがぶ飲み。みんな仲間。はこべらの花が咲きました。
あれ?花ちゃんが僕の列車に乗ってる?
あまくさ 国語教室の会
研修室は畳敷き。本気という言葉しか見あたらない。足のしびれも少しばかりの窮屈さも感じない。子どもが学ぶ教室を見つめる本気の教師の姿はそれだけで力強い。
天草で学びはじめて5回。あまくさ国語教室の会も落ち着いてきたようだ。誰もが名前で呼び合えるようになった。今夜は新しく若い先生が2名。そのあとの年忘れの会も和やかだった。
とその時、赤城ィがくれたお土産。
天草銘菓と言えば「赤巻き」。これは牛深高校発案の「青春巻き」。「あおまき」と読む。牛深産のあおさがお餅に練り込まれていて、口に入れたとたん海の香りがする。美味しい。
お酒のあと、寅さんが隣にいそうな感じの部屋に戻ってから熱いお茶で二つめをいただいた。
やっぱり美味い。あまくさ。人がこの味を育てている。
なんどめかの忘年会
子どもの学ぶ姿、教師の教える力
朝から虹。なんだかいい予感。
二人の教師の授業を見た。単元をつくることに本気で立ち向かったことが分かる教室だった。
キャラクターで子どもの心をつかむのはいかがなものかという考えもあるかもしれない。確かにそれだけでは単元は成り立たない。しかしジョリーの単元はそんなもんじゃない。キャラクターに助けられたのように見えるかもしれないが、実際にキャラクターが登場するのは授業の前後のほんの数分、子どものたちの学ぶ姿にキャラクターなど不要だ。ジョリーが演じる課題提示を子どもたちはまともに受け止め、自らの活動を進めている。
そうだ、その通りだ。僕はこのジョリーの教える力にただただ引き込まれている。
5年生の子どものみなぎる力に流れを与えたのはチハル。「おれたち、できたもん」という少しばかりの自慢と、「私たちできそうな気がする」という芽生え始めた自信を作ったのはこれまでの単元のつながり。許さない厳しさは子どもへの否定ではない。曲げない一貫性は頑固だからじゃない。できないことをできるように、やりたいことが叶うように、チハルさんの信念は分かりやすい。
そうだ、その通りだ。僕はこのチハルの教える力にいよいよ魅了されている。
この年齢だった頃の僕を遥かに越している二人。
さあ、もっとやろう。
ということで、恒例の「がぶ飲み」の会。一足先に店を出る僕も一緒に記念撮影。僕がJRに乗ってから届いた写真は2枚。タイトルは「間違い探し」。
こんな子ども心が魅力的な単元を創るセンスにつながっているのは間違いない。
神様、きょうも一日をありがとうございました。
朝が来る
365日、朝の来ない日はないんだから朝が来たからといってときめいてばかりいられないけど、やっぱり、朝は神様ありがとうございます、からはじめたい。
神様、きょうも一日をありがとうございます。
きょうはJRで東へ。朝の特急の中に届いた壮からの便り。年明けの予定。すでにJRの切符も手にしたとのこと。何気ない便りから元気をもらう。壮のように人にあたたかさとやわらかさを授けられる人になりたい。
博多乗り換え。いつもののぞみ20号の9号車のいつもの窓際。そろそろ海の底のトンネルを走る。
この窓からの黒い景色を見るのがいつもの僕のやり方。何が見えるわけではない。窓に映るのは自分の顔や通路向こうに座るスーツ姿。
見えるはずのない馬関を泳ぐ魚の群れを思いながら、トンネルを出た時に真っ先に見える右手の低い山を待つ。アポロチョコのような形をしたこの低山はその周りの山々にある鉄塔をもたない。周辺の小山が見事に電線でつながれている中、アポロだけはその中央でやけにのんきそうにしている。それがいい。
さて、きょうもアポロを見届けたことだし、鞄に入れてきた全集の第7巻の続きでも読もうかな。
ということで京都に到着。
さあ,こんな日は
神様,きょうも朝を迎えました。ありがとうございます。
僕は朝の運転中,お祈りの言葉を口にする。それほど長いものではないが静かな気持ちになれる。右手に大村湾が見え出すと「与えることで与えられ」のフレーズになり,やがてそれは終わる。
今朝は心が曇っていたせいか言葉が湿っぽかった。そんなときは,もう一度と息を吸ってからはじめる。
こんな日は自分の唇からこぼれる言葉にさえ悲しくなる。そんなとき,僕は遠い空を眺めることにしている。光る海を見ることにしている。
帰り道。目を細めたような,笑った口のようなお月さん。神様,きょうも一日をありがとうございます。
こんな夜は,フーテンの寅さんのメロディで替え歌を歌いながら寄り道。この自作の替え歌。我ながら自分の人生を上手く綴れたもんだと気に入ってる。
♪
曲がったことを許せぬために
無礼な奴だとたたかれる
何処吹く風と旅に出るけれど
話しかけますお月様
道草食うのがおれの道
飲んで語って
飲んで語って友を待つ
友を待つ
♪
教育実習というかけがけのない時間
教師たち
きょうは佐賀大学での教員免許状更新講習。毎年のことだけど,僕はこの講習が嫌いではない,というより好きだ。
お金を払って,日曜日の朝から夕方までを大学キャンパスで過ごす教師達の顔はどれも学生時代に戻っている。僕よりも年上はほとんどいなくなったけれど,だれもがうんと若返る一日だ。
きょうもそんなヤングたちと熱い一日を過ごした。集めた答案はどれもみごとなできばえで,一日の充実がそこに溢れている。
講習が終わってからも談話が続く。最後のヤングと話し終えたのは講習が終わってから小一時間後だ。
さあ,来週。こんどは中学校に勤めるヤングたちと会える。
そんな日曜日。前大学のゼミ生からの写真付きの便り。まだまだ正真正銘のヤングだけど,そのヤングが大きく伸びようとしているのが目に浮かぶ。そうなんだ。僕たちは教室の中で育つんだ。その教室と佐賀大学とがつながっていればいいな。きょうの教員免許状更新講習のように。そして,僕が続けている「7時間目の国語教室」のように。
その便り。僕にもまったく同じような経験がある。こうして教師は大きくなっていくんだ。
・・・・・
今年は音楽会で1年生が歌う曲のピアノを弾かないといけなくて,,,
当日までは弾
弾いて止まって,弾いて止まってを何度も繰り返して
その後の合奏の指揮もたぶん顔が引きつっていたでしょう。
全体の舞台係だったのでその日は子どもたちに会えず,謝れなかった
落ち込んで放課後教室に行ったら、黒板にメッセージがありました
6年目にして少しずつ余裕が生まれ,この仕事が楽しくなってきま
・・・・・
よかったな,みき先生!
仕事
このままじゃいかんぜよ!
赤いタオル
いいお天気の日は遠回りをして
風は誰にも吹いている
はこべらの会。間違いなく僕たちの距離は近く、目指すところも明瞭になってきている。その求心力は一人一人の熱い思いだ。
だってこんな迎えられかたはじめてだもん。
僕は、20歳の頃、校内研修が好きではなかった。それは研究テーマを理解できなかったことや、教育委員会や大学教授の指導助言が僕の頭には分からなかったことも原因だと思うけど、それ以上に、「校内研修がみんなの楽しみな時間」に思えなかったからだと思う。
今夜、「校内研修を楽しみな時間にしたいです」という竹ちゃんの言葉と、「本気の話をしたい」という時ちゃんの声を聞いた。
ほんとその通りだよなあ、と僕はこの25年を振り返ってる。だから、やろう。そんな気持ちに溢れる長崎の夜だった。花ちゃん、本気でやるぞ!
途中、駆けつけてくれたキリにもありがとう。
そして、この縁をつないでくださった校長先生に何よりもありがとうございます!です。いい夜。いい時間。かけがえのない友。この尊い月曜日。
大村線のお見送りも最高!少し恥ずかしかったけれど。
神様、きょうも一日をありがとうございました^ ^。
第95回 指月会 はゆっくりとはじまりました
同窓会という気分だけではないんだけれど、歴代の達富ゼミが集まった第95回の指月会。2期生は淡路島から、3期生は神戸から、4期生は甲賀から。もちろん、ホームグランド京都からも。
単元学習を丁寧に謙虚に学ぼうとするこの会は着実に力をつけてきている。きょうの瀧川実践はこの5年間の集大成ともいえる厚みのある単元だった。もちろん課題もある。まずは、語彙。そして、深める対話、自己の考えの形成。
ただ、他の初見作品を使って行った適用題は素晴らしかった。彼は「学びの自覚化」と称し、適用題に取り組んでいる。市販テストに頼らない評価観は「僕が作った単元ですから、僕の評価でやります。」と言い切った言葉に表れている。
もちろん日が落ちたあとは京野菜でがぶ飲み。杯を重ねる。語り合いに興じる。夜が深くなる。
さあ、明日の月曜日、子どもに見せる顔。やっぱり教師は背を伸ばして悠然としているほうがいい。大きいほうがいい。そしてなりより、誠実で謙虚でなければならない。
お月さまを指差す指はひとつ。教師の仕事もひとつ。ただひとつ。子どもを一人で生きていけるようにすること。そのために、国語教室ではことばの力をつけること。
神様、きょうも一日をありがとうございます。
賢治の学校
きょうは久しぶりの指月会。達富ゼミ3期生の瀧川賢治が仕事をしている小学校で開催。達富の名札がここにも。しかも児童の靴箱に。
賢治の教室は10年以上経っても変わらない彩りをもっている。信念に支えられた学級経営が連続しているということだ。
辛い時期があったことも知ってる。いつもいつも順調でなかったことも分かってる。しかし信念がそれらを今につなげている。
彼は僕のことを師匠と呼んでくれる。僕は決して匠ではないけれど、この愚直な男を見守っているということについては間違いなく近い距離にいる。
酒の店に行く途中。僕の鞄を代わりに持ってくれる姿を見ると、あの時と変わらんなあ、と思いつつ、少しばかりは地に足がついてきたようにも思う。なあ、賢治。誇り高く生きていかなあかんよ。
師走の日差しは暖かくて
旅の宿
今夜は何処に笈をおろして
竜飛崎からの帰りのバス。朝いちばんに発つ。
遠望。かなたは室蘭か函館か。
バスは岬を走る。左に下北を眺め、右に紫陽花の道をゆく。この下をトンネルが走り海峡を渡っているのかと思うと、勇敢な男たちの偉業を誇らしく思うとともに、青函連絡船への旅情に沁みた思いに寂しさも重なる。
午前の仕事のことはもちろん気にしてかかるんだけど、この先の旅の空にも心が躍る。
今夜は何処に笈をおろそうかとバスの運転手さんにたずねてみたりするのも旅の醍醐味。
さて、仕事。
仕事を終えてから、絞り込んだ行き先をひとつに決める。いくつか行きたいところはいくつもあったんだけど、やはりたどり着いたのはここ。
憧れの地に来た僕はそれだけで大満足。夜半の雪にさらに満足。
ごらんあれが竜飛崎
午前中は本当に大きな仕事。考えながら話しながら、また考える。ふうっとひと息ついたら、午前が終わっていた。
青森での仕事を終え、少し足を伸ばして津軽線。
蟹田を通って、
三厩で降りる。30年ほど前に親友の雅文と来た地。
町営バスはもちろん貸し切り。
転がり落ちるような断崖に秋の紫陽花が咲いているのは今も変わらない。
上野駅からの急行八甲田、そしてホームを走って青函連絡船。懐かしい記憶が鮮明によみがえる。あの頃、間違いなく僕は若かったし、歪に輝いていた。信じることと疑うこと、許すことと諦めること、さまざまな葛藤の中を美しく生きていたはずだ。
僻地ばかりを選んで受験した教員採用試験。青森も合格し、勤務地も決まっていた。縁を結ぶことはなかったけれど、僕の未完成な青春の1ページは「青森の章」に綴られている。
その頃にはなかった歌謡碑をたずねた。
誰が押しても、何度押しても、いつ押しても、赤いボタンを押すと津軽海峡冬景色が流れる。しかも2番から。「こんなに荒れた天候の中歌い続ける石川さんもたいへんだろう。」と思いつつ、「さ〜よなら〜あなた〜♪わたしは〜か〜え〜ります〜♪」と口ずさみながら、僕はカバンを下げて歩いてる。大切な竜飛崎をゆっくりと確かめている。ゆっくりゆっくり確かめている。あの頃の仲間の顔を一人一人思い浮かべながら、名前をフルネームで呼びながら。
京都、紅葉のひかりの下で
仲間からの便り
高弟、壮からの便りを読んでいた。そりゃあそうだ。
「冬は語らう。」だ。だから、壮。早く語らおう!
花ちゃんから届いた便り。
冬は、温めるです。旧交を温める、
さすが花ちゃん。さっそく温めんば!来週,駅前で待っとるけん,早よ来んばよ。
秋を楽しむには
かけたることも
秋はどこまでも色づいて
男たちの夜
ひとやすみ,ひとやすみ
第34回 長崎県小学校国語教育研究大会 西海・西彼大会 力のかぎり
「みんなで勝つのが好きなんや」という僕のモットーを改める気はないけれど,しみじみ感じ入ったのは「みんなでやりきることが美しい」ということ,そして,「いい仕事をしたことの誇らしさはみんなのもの」ということ。仲間を強く感じたこの「第34回 長崎県小学校国語教育研究大会 西海・西彼大会」だった。ひとりきりより、仲間がいい。
ほとばしるこの思いは,そんな簡単には思い出なんかにはならないぞ。
教室の中に,教師たちの本気の仕事が見える。これまでの軌跡が見える。こんな教室で学べる子どもをうらやましくも思うが,こんな教師たちと仲間でいられることが心地よく,それは僕の大きな誇りでもある。
授業後の子どもたちは,期待を遙かに超える力を発揮し,優劣のかなたに学んでいた。笑顔がそれを物語っている。
そして,
教師たちもまた,誇り高く生きてきた自分たちのこれまでに学び浸っていた。
コラソンホテルでの打ち上げは,お疲れさま会なんかじゃない。西海・西彼の明日への打ち上げだ。はじまりのはじまりだ。
仲間たち,ありがとう。ありがとうございました。まだまだ,これから。さあ,これからがはじまりはじまり。
神様きょうも見つめてくださってありがとうございます。
明日はきょうの続き
酒の友
日曜日は思いっきり遊ぶ!
ぐりとぐらの秋
若いという美しさ
生徒の力,生徒への力
長崎銅座
五島列島で働いていたとき、長崎市内への出張の夜は銅座か思案橋だった。30年前とはずいぶん変わったけれど、今でもこの夜の帳が下りるころの細い道が好きだ。きょうは「飲み友」と細い道で待ち合わせ。
それぞれが、それぞれの職場での仕事を片付け、それぞれに集まってくる。もうそれだけで顔が緩んでしまう。
「バスで向かいます。」のメールを受け取ったのは左手に有明が見え出した頃。日が落ち、普賢岳も見えないけれど、僕はこの長崎線に身を任せるのが好きだ。
花ちゃん、きょうはごめんね。壮、元気にしよるとかあ?中尾、丁寧に授業しとるか?宏ちゃん、侍ジャパン楽しんでるか?赤城ィ、あの焼き鳥屋に連れてってちょうだい!
みんな飲み友であり、同志であり、ライバル。仲間うちって、いい!
武雄、夕景
九州、東の果て
できてきたぞ、うれしいぞ、
天草の友
さいごのかばん
幼稚園に通っていたときのたすきにかける紺と緑のチェックのかばん。
年長のときに兄貴が作ってくれた箱のかばん。
ランドセルには母さんが名前を書いてくれた。
野球部の黒くて大きなかばんは底の革のところに父がきりで「洋」と彫ってくれた。
高校の時は WALK ABOUT のデイパック。
学生時代は風呂敷。
教師として働き始めてからは30年で9つ。一澤帆布店のトートバッグ。芹沢銈介の丈夫な風呂敷。KENZOの黒鞄(これは賢治に譲った)。吉田カバンの茶色の手提げ。COACHの茶色の肩から下げられるものが大小2つとファスナー付きのトートバッグはまだ現役。COACHの黒は息子が使ってる。兄貴のスペイン土産の一点物は土日用。
そして、10月31日。おそらく人生最後になる革の鞄の完成。久留米の革職人にお願いしたオリジナル。一点物。モデルは寅さんのかばん。
11月からはこれを下げて労働の旅に出るつもり。
語彙の授業
きょうは熊本大学教育学部附属小学校6年生の教室で少しだけ授業をさせてもらった。普段の担任の先生のご指導の積み重ねがあるからこそなのだが、本当に気持ちのいい時間だった。
子どもってこんなに食いついてくるんだ。子どもの目ってこんなに透き通ってるんだ。子どもの声ってこんなに柔らかいんだ。
僕はもっと長くこの教室に居たいと思った。
げたんは
みんなで勝つのが好きなんや
一人二人の授業名人がいるより、とにかくみんなが丁寧に単元を進める学校のほうがずっと強い。研究会もおんなじ。数名のがんばり屋さんが引っ張って行くんじゃなくて、みんなが同じように続けるほうが美しい。
「ぼくはみんなで勝つのが好きなんや。」そんなことをしみじみ感じたきょうの八重の会。
強くなりつつあるともだちとの年忘れの会は12月14日。
この日までお互いに美しくあり続けよう。誇り高く生きていよう。
帰り道
語ることより耳を傾けること
南国土佐をゆく
日本晴れ,友とおやつ
朝から高い空。日本晴れ。散歩もついつい遠回り。
お昼前に友が来た。庭でハンバーガーでも作って食べたいところだけど,きょうは勉強。何枚ものプリントを手繰りながら,話す内容も熱を帯びてきた。中学校の単元づくりは本当に楽しい。語りたいことばかりだ。
ということで,休憩。我が家の庭のレモングラスのフレッシュハーブティーにお土産にもらったチーズタルト。本当に美味しい。
絶妙の味に,頭もリフレッシュ。二人の年齢を足したら僕と同じくらいになるのかな,と思いながらの真剣勝負。たずねられる内容に感心。本当に教室のことを考えているんだなあとこれまた感心。というより,あこがれ。
熱さもおやつも,ありがと。またおいで。
佐賀大の森,寒露
台風一過
やぐらしかあ!花ちゃん
長崎。まずは万年筆病院へ。
あいにくのお休み。ちょっと修理してほしいモンブランのペン先があったんだけど,次にしよう。おくんち前の長崎の空気にふれられただけでももうけものだ。
待ち合わせの時間よりも早くに駅前に着いた。いつもはニュースの背景に見える山もきょうは近い。風雲前夜のせいか,すこし荒々しい空に叱られているよう。飲むにはまだ早すぎるかも。
と,思ったのもつかのま。向こうで手を振る我が友。その笑顔に会えなかった乾いた1ヶ月間を忘れさせるやわらかな笑顔。
そのあとは怒濤の時間。言葉が途切れることはない。笑いが重なるからなおのこと。
気がつけば終電なんかとうの昔。どがんして帰るっか,と思いつつ「また来っけん。」の言葉しか出てこない。
この駅前広場。夕方のニュースで写るところ。僕の大好きな場所でこうしてみんなでセルフィー。なんて気持ちいいんだろう。
で,もう一枚!
あれ,僕が写ってないやん!
花ちゃん!やぐらしかって!
教室の事実
津軽海峡から
あくゆう,健在
出迎えてくれたボードに心弾む。
その横で授業を待つ友の姿に心和む。決して「廊下に立ってなさい!」と僕が指示したわけではない。
小さな学級の大きな学びをつくる丁寧な授業に,心洗われる。
やっぱり授業。やっぱり生徒。そしてやっぱり仲間。この連中との学びはたからものだ。
年休をとって集まるあくゆう。授業と協議が終わったら部活に戻るあくゆう。こんなあくゆうの考え方と行動力に心打たれない者はいないだろう。
僕はあくゆうが部活から戻るまで,少し贅沢に温泉に身を預け,心落ち着ける。
遅めの夕飯。あくゆうの言葉に昼間の生徒の名前が混じる。いや,よくそこまで記憶しているもんだと感心するくらい生徒の名前と姿と思考が再現される。見事だ。あくゆうたちは教室を見て,教室を語り,教室に生きている証拠だ。
いい連中だ。いい笑顔だ。いい時間だ。
あくなき優劣のかなたを!という意味のあくゆうの会。その名前の意味を覚えている奴はきっと一人もいない。間違いなく「あくゆう」であり「悪友」である。
同じように生きてきた、はず
自分が特別な生き方をしてきたとは思わないけれど、自分とよく似た生き方をしてきた奴と出会ったことはない。なかった,そう,この人に会うまでは。
ここにきて「なんでや?」と思うほど「楽しんで生きていく考え方」というか,人生観というか,センスが重なる男が現れた。「男」という言い方は失礼だ。年上だから。だけど、なんとも言えない空気の共有がある。ここまで重なるか?という感じだ。
安心感、安堵感、安定感。
僕は鳥栖のこの男とこの焼き鳥屋で焼酎を飲むと安らかな気持ちに包まれる。
よく似た生き方をしてくると串を手にする仕草や、焼酎が空になるタイミングまで似てくるようだ。
さあ,明日は天草。明後日は鹿児島。壮,元気にしてるかあ!
いいもの届いた
きょうからかぼす,あしたもかぼす
新しい《これから》は,同じじゃないことから
9月22日,福岡教育大学での九州国語教育学会。僕は毎年この学会での発表を自分に課している。ここで発表することは,この1年間に訪ねた教室への恩返しでもある。子どもたちの学び,先生たちの工夫から「教室の事実」を考えることが僕の仕事。「教室の事実」を言語化することが生涯の仕事だと決めている。だから続ける。
さて,今年。きょうも多くの学問にふれ,多くの指摘に学び,多くの展望と反省に包まれた。今日までの日本の国語教育を支えてきた研究のスタイルがこの学会を形作り,その流れがこれからを導いていくに違いない。この安定感が教育を揺るぎないものにしているのは事実である。
しかし,これまでのスタイルだけが研究の方法ではないような気がする。
《これから》を記述するとき,「これまでと同じスタイル」とともに,「ちょっとだけ同じでないスタイル」でもやってみたら,《これから》がぐんと多様なものに見えたり,魅力的なものになったり,違和感を覚えるようなことも受け入れられるようになったり,自分が変われたりするような気がする。はじめは少しの不安定感があるかもしれないけれど,みんなのことや自分のことを尊重し,多様性を愛おしく思えるようになるに違いない。
ちょっとだけ同じでないことがたくさんあつまれば,これまで遠くだと思っていたことが、思いのほか近くにあったことに気づくんじゃないかなあ。
新しい《これから》は,「同じじゃないこと」がたくさんあることに気づくことで見つかるように思う。僕の研究もそんなんだったらいいなあ。
そうそう,僕のライバルの《これから》へのスタイルも素敵だった。とっても。
同じ時刻,松坂世代の引退試合があった。ゴメス選手を見送る松坂大輔。中日ベンチに一人残る松坂。ゴメスと松坂,小池の視線の中に入れるのは何だろう。同じではないことを求め続ける松坂世代。僕は憧れる。僕はそうありたい。僕はちょっとだけでも同じじゃない明日を創り続けたい。
やっと,夏休み
ちゃんと、秋
台風一過、秋来たり
何度でも、何度でも、ほら乾杯!
午前3時、目が覚めた。遠足前夜の気分はこんな感じだったっけ、と思いつつ、夜が明けないことには庭の準備もできない。しばらくは勉強でもして朝を待つことにした。
芝払い、草集め、椅子、机、ランタン、薪、炭、燻製、一夜干し、、、
昼前、準備はととのった。
あとは仲間を待つだけ。
第三陣は佐賀から。第四陣も佐賀から。その度に乾杯!
カヤックで大村湾に遊ぶ家族あり、長崎和牛を石板で焼く者あり、庭のカニと戯れる親子あり、ランタン に興じる中尾あり、ただひたすらにがぶ飲みする男あり。ヤングとのキャッチボールに悲鳴をあげる我あり。五十肩が辛い。
語る言葉がとぎれることはない。子どもの声が重なる。寄せる波よりこちらの笑顔のリズムの方が調子いい。
仲間が集う我が家に日が暮れていく。
またおいで。
神様、きょうも一日をありがとうございます。
ほら,うずうずしてる。
外海の鳥
隠遁
研修という雲隠れ
あたりまえの朝に
新しか橋ば作らんば
午前中の雨も上がり、計画通りに天草に着いた。勉強会の会場までの橋を渡るときの渋滞にひやひやしたけれどみなさんは笑顔で迎えてくださった。
ひとつしかない橋だから混むのは仕方ない。だけど、誰もがここを通らなければ対岸に行けないという事実を僕は嫌いじゃない。
誰もが同じ道を通って行きたいところに行く。ここだけは誰もが同じ。だから少し遅れても「しかたんなかですもんね」って、共有できている。そう、しかたんなかなんだ。
だけど、次、来るときに同じことをしでかすわけにはいかない。
これは授業も同じ。誰もが通るしかたんなか時期がある。ゆっくりになったり、いらだたしく感じたり、時には止まってしまうこともある。誰もが通らなければならないこの橋みたいなものだ。
いつまでたっても渋滞に巻き込まれる奴もいる。渋滞するもんだと決めつけてる奴もいる。渋滞をあきらめてる奴もいる。そんなもんだと開き直る奴もいる。
しかし今夜は違った。もうひとつ新しか橋ば作らんばね、あと三つか四つ欲しかね、の声が共有する。
天草の友たちは、今のままでとどまろうとはしていない。だからこそ、仕事が終わってからもこうして多くが集うんだ。今はひとつしかない橋だけど、そのたったひとつの橋を渡って集まってくることが美しい。みんな同じ気持ちというのがいい。
天草の小学校の教師も中学校の教師も自分たちの教室にかける新しい橋を自分たちで作ろうとしている。
夜は友と語らいの時間。
教えることを
きっと登れそう,
僕も包まれている
虹が空にかかって
ジョー,ひさしぶりっ!
待ち合わせは銅座
比較するか関連づけるか評価するか
5年担任の谷本さんと山本さんと森さん。3人がつくった単元は、金沢21世紀美術館での企画にヒントを得たもの。それはそれはみごとな単元。単元学習に取り組んでからまだ1年余り。僕はこの創造的な発想力に心がふるえた。素晴らしい。
素晴らしいものにはさらに追究を!ということでBフレーズについての議論。比較するか関連づけるか評価するか。
比較するなら、言語活動には比較したからこその語彙が出てくるはず。関連づけるなら関連づけたからこその語彙。評価することも同様。
じゃあ、どんな評価語彙による表現を言語活動に期待するか。それはつまり、教師がどんな言語活動を想定し、そのモデルをつくり、そして、いつ、いつから、どのような方法で評価語彙の習得のための計画を立て、始めるかということ。
夏休み最後の土曜日。大阪茨木市の小学校。明後日には子どもの声が響くこの教室。一足先に、若い教師たちの声に教室が活気づいた。これだけで子どもを迎える心の準備は万全だ。
さて、僕の旅。ここから6時間ほどかけて西への旅。
近く、新しい特製の鞄を手に入れる予定。それを持って全国の教室を訪れるのが今のいちばんの楽しみ。
ところで、博多駅で珍しいラーメンを見つけた。兄貴夫婦に送ってあげるつもり。
何も考えないことは自分を知ること
きょうは黒崎の教会に居た。何も考えず,ただ何も考えずと急いでいる僕に,言葉が届く。
「何も考えず,なんて考えなさんな。」と。
だから僕は,海を見ながら何も考えないことにした。めがねを外し,万年筆を置き,白い波の数を数えることにした。
何も考えない1時間。きょうのすてきな出来事がいつの間にか頭をいっぱいにしている。ふんわりと僕の中を独り占めしている。
何も考えていない時こそ,いいことがすうっと出てくる。
これはきょうが二度目の学校の玄関。下駄箱に僕の名札が貼ってある。
まちがいなく彼のしわざ。にくいほどさりげない悪戯。
何も考えない僕は友に包まれていることを知る。
ありがたいことだと知る。
そして自分が今一人でここに居ることを知る。
何も考えない僕は人の中で生きていくことを知る。
神様,きょうも一日をありがとうございます。
夏の終わり
8月15日は手を合わせて
高校野球の途中に村のサイレンが鳴って,黙祷。深い悲しみと後悔と祈り。
その後,雨上がりの西海路をたどり,文学館に着いた。僕はもっともっと愛に満ちた日々を過ごしたい。だめだよ,こんなんじゃ,今のままじゃ,って,もう一人の僕がつぶやいている。
日が傾きははじめた頃,長崎の町は爆竹の音が鳴り響く。それは思いも寄らない鎮魂。見送る人に見守られていることをみんな知っている。
すっかり日も落ちた公園に人はいない。ただ眼を閉じ,天を指す像の前に言葉はない。明日が必ず来ることを知っているから,僕は少しだけ安心して今日を終えられる。
8月15日,ただただ手を合わせて自分を見つめてる。
神様,「きょう」を僕にくださってありがとうございます。
お盆の朝は車に乗って
土曜日のすごしかた
栄冠は誰にも輝く
教会にたたずんで
さあ,心待ちにしていた天草。フェリー乗り場で簡単な朝ご飯を済ませ,10ヵ月ぶりの天草。
天草の小中学校の先生が集まってくる。僕はその心地よい緊張感を楽しんでいる。
いや,楽しむはずだった。しかし,自分の口から出ることばが自分を苦しめる。これが本当に心を重くする。意気込んでいただけにこの不甲斐ない自分が許せない。講演というのは本当に生きている。LIVEだ。
こんなときは天井の高い教会に身を置くのがいい。翌日,僕はかねてより気になっていた『五足の靴』をめぐるハイキングを楽しみ,10ヵ月ぶりの二つの教会をたずねることにした。
世界遺産になったからだろう。夏休みも始まったからだろう。家族づれ。聖堂に緩やかな空気が流れる。僕の背中に幾重の声。その一つ一つの声の主を想像しながら,僕はその声の無邪気な響きをうらやましく思ってる。大江教会は黙って誰の声も受け止めている。
声はもっと自然でなければならない。声はもっと柔らかでなければならない。声は聞いてくれる人のためのものでもあるんだから。僕の声はまだまだ声になっていない。
もっとありきたりの声を人に届けたい。もっと僕のほんとの声を声にしたい。
崎津教会を後にした僕は,先ほどと同じ道を鬼池港に向かった。と,左手に大江教会。先ほどとはまったく異なった景色に息をのむ。
LIVE,いや,そうじゃない。「生きている」ということだ。講演もそう。LIVEじゃない。もっと「生きている声」を届けなきゃいけない。教師としての生活を生きた言葉で届ける。ただそれだけのような気もする。
天草。深い祈りの地で,僕は深く深く自分を見つめることになった。
心地いい床と食事と仲間の笑い声。今回も天草ならではの宿に僕は包まれた。
そうそう。崎津教会ちかくに気になる看板があった。
口之津港ちかくにも。
25番のスリッパ
やっぱり大阪は串カツやねん
ひさしぶり,表参道のPENNY LANE
時津のなかま「はこべらの会」
大分,旬の会
仲間と4年目の夏。「一年のご無沙汰でした。」の言葉を疑う。先週の続きのようだ。
午後の講演会での黙々とした熱さ。先生たちの静かな思考から,子どもへの確かな,そして値打ちのある単元が生まれることは間違いない。2時間なんて,ほんのわずかな時間だ。
アーケードを歩いた先の夜の会。幻の(うわさの)クロメにはお目にかかれなかったけれど,今年も跳ねるような豊後水道の魚と,滴るような豊後牛に二階堂がすすむ。もちろん,なくてはならない食卓の貴婦人の「かぼす」。3時間なんて,飲み込むような時間だ。
4年。確かに,僕たちは4年分の歳はとった。だけど「ここ大分に仲間がいるんだ!」と言えるようになったこの4年は,僕にとっては大事な大事な,そしてつくりあげたという実感の時間だ。
4年という歴史が僕に問いかける。「4年間に何をしてきた。」って。僕がつぶやく。「まだまだなんにも,もっとできたかも。」って。そして仲間の声が響く「それじゃあ,また。」って。僕は大きく息を吸い込む。夏の大分。この空気がたまらなく美味い。
「旬の会」。「20年間,ずっと旬です!」とのたまう素敵な仲間がいる。『定員3名の熟れた旬』の仲間もいる。そして,旬を作り出そうとしている勢いがある。そう,僕たちはいくつもの旬を味わってきた。どの旬も,きらきら輝いている。今も,きらめいている。旬の会(特別会員枠は定員3名),がはじまった。
そうそう,大分ホルトホールで出迎えてくれたびっくりする茶菓子。
ちょっと期待したけど,やっぱり,最中の中に「関アジ」は入っていなかった。
ホテルからの広い空と別府湾。
それにしても,大分駅はどうして鶏なんだろう。改札の前にも大きな鶏がいたような気がする。
帰路は,完全につながった久大本線をゆっくりと味わった。「おめでとう久大線!」
#NAGASAKI 「夕景」 LOVERS
100回目の夏
佐賀大学,夏
百日紅
白球を見つめるのは
白球。見逃せないという使命感、見逃さないという気迫で言えば審判に勝る者はない。きょうの県営球場、第2試合の一塁塁審の中山さん。見事だった。ジャッジが一流なのは言うまでもない。最短の導線。機敏で正確さが伝わる手の動き。球場の何処からでもその動作が見える。
一つひとつの身のこなし、その所作に込められた選手への想い。とりわけ、攻守交代のわずかな時間にこなす投手板の手入れと両手でボールの汚れを拭う丁寧さ。土の落ちた白球をプレートの中央にそっと置く。精一杯の美しいプレーをしなさい、そのボールにはそんな想いが込められているに違いない。そのボールを握る次の投手にボールをつなぐ重さが伝わるだろう。
こんな塁審になりたい。中山さんと野球談義したい。いろいろ教わりたい。そして、きょうの第2試合の初回の攻防と4回裏のあのプレーについて中山さんの見たてを聞きたい。
白球は、土に汚れても真っ白の美しさを感じさせる。
日差しまるごと元気
壬生の兵(つわもの)
京都の夏は祇園さん。はなやかで少しばかりの寂しさをあわせもつのが祇園さん。
僕にはもうひとつ京都の夏がある。それは壬生の兵の夏。
小学生の頃。父と兄が話している壬生の浪士の話。その話が夏の話だったからなのか、その話を聞いたのが夏だったからか、勝手に夏の話に仕立てたからかは覚えていないが、僕には「誠」が散っていくという京都の夏の物語がある。
僕にはコオロギの声が悲しく響く。淀んだ夏の草のにおいは不安を誘う。路地裏を歩く野良猫に声もない。いずれは独りになってしまうとあきらめるしかない。
僕は何処に行けばいいんだろう。
もしかしたら火筒に燃える鳥羽伏見はこれから先のことかもしれない、とさえ思えてしまう。
栄冠はみんなに輝く
野球の神様
最高の夏にしようぜ!
西京極の土
高城俊人!ありがとう,ジョー
一人一人の選手が好きというよりはチームに惹かれこれまで愛し続けてきた大洋ホエールズ,横浜大洋ホエールズ,そして横浜ベイスターズ。
でも,その中で特別な存在だった一人の選手がいる。江尻選手や松原選手,鈴木尚典選手をはじめとした1998年のメンバー,そして番長!三浦大輔投手,そんなスター選手じゃない。ひたむきで野球を愛し続ける永遠の少年。
九州国際大附属高校時代の活躍も覚えている。甲子園で8打席連続ヒットを打ったのもその場で見ていた。
強肩強打のキャッチャー。ピッチャーからのワンバウンドに向かう姿が熱い,捕球してから送球する時の姿にしびれる。その彼がベイスターズにドラフト2位で入団したときは本当にうれしかった。信じられなかった。
一昨年,三浦大輔投手のラストゲーム。僕はハマスタのライトスタンドにいた。彼は泣きながら番長の球を受けていた。その涙は外野スタンドからもはっきり分かった。彼は誰よりも番長のことが好きなんだ。
人なつっこく,誰の心にもすっと入ってくる野球少年。今年,彼が書いたメッセージは「優勝して号泣!」。チームのことを第一に考えるキャッチャー,高城俊人。
ジョーが,きょう,ベイスターズを去った。突然,火が消えたよう。32番のユニホームはここにあるのに。
神様,高城俊人と出会わせてくださってありがとうございます。




































































































































































































































