たつログ

ちょっとしたことを綴っておこう。モレスキンのノートとモンブランの万年筆、時々たつログ。

えとせとら

やっぱりここがいい

授業を本気でやる。本気で。僕にはこれがいちばん。こんなに素敵な学生に囲まれて幸せだ。小学校の担任も,中学校の国語教室も,大学の国語科教育法Ⅱもまったく同じ。学びをつくることと教えるということ。まったく同じ。

やっぱり,僕は教室にいたい。やっぱり,ここがいい!

お土産

先輩というのも違う。師匠というのも固い。友だちと言いたいところだけど,ちょっと失礼な気がする。同志,かっこいいけど。ということでやっぱりリエコ先生。

そう,リエコ先生からの贈り物。鹿児島土産。焼酎と薩摩揚げと知覧の新茶。どうして僕の好物をご存知なのか。見事に選び抜かれたこれらの品々に僕は明るいうちから舌鼓。

この薩摩揚げの歯ごたえは,いつも中央駅で買って帰るものとは違う。柔らかいとか固いとかそんなんじゃなくて,跳ね返ってくる。すり身の新鮮さと揚げた衣の力強さが跳ね返ってくるとき,懐かしい香りを連れてくる。なんとも贅沢。

なんなんだ,このフルーティーな厚み。焼酎なんだけど焼酎じゃない。樽の香りに包まれた舌がなんともあたたかい。長い時間,口の中に居座る。新技と書いてARAWAZAと読ませるこの焼酎。深紅のラベルが瓶の中のトパーズしずくをぎゅっと締め付ける。なんとも情熱的。

酔い覚ましは新茶の甘み。新茶の色。新茶の香り。とろとろ,って音が聞こえる。ころころ,って動きが見える。しいんとした空間に知覧の時間が流れる。知覧のお茶ってこんなに甘かったんだ。こんなに穏やかだったんだ。星々の悲しみと絶え間なく流れ続ける三角の波のつぶやき,知覧の風景。瞳を閉じればそこに海と里とがある。

南蛮渡来のステンドグラスの前に置いた瓶はちょっと油断しているように見える。誰にも見られていないと思って油断しているに違いない。

リエコ先生,うまか酒,ざあまに楽しませてもらいました。

おやすいごよう

河島英五が歌う阿久悠の作詞に時代おくれがある。

あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする

僕がいちばん苦手なことをさらりと歌う河島英五がかっこいい。50を越えてからは「おやすいごよう」と言えるように心がけてきた。ことしはなお「おやすいごよう」が口から出るように。いや,「おやすいごよう」とさえ感じない男になりたい。

本日あり〼

息子二人と銭湯。あの頃より高い笑い声は少なくなったけど、湯けむりに漂う言葉はどれも味わい深い。大きくなったものだ。もう従うことのほうが多くなった。

肩まで浸かって100まで数えようとは言わなくなったけど、風呂上がりにコーヒー牛乳を買ってやるのは変わらない。最後からふたくちめを飲ませてくれるのも変わらない。最後のひとくちを飲み込まないでかごを片付けるのもあの頃のまま。

気分上々。銭湯万歳。本日あり〼。

雪舞う花開く

切れるような冷たさの中、雪が舞う。その向こうで小さな花弁が震えもせず固まっている。その横の拝殿で手を合わせる。ご利益なんて何ひとついらない。このまま、いまこのままがいい。

東からの使者

真っ白に霜柱が立つ佐賀平野を車窓に僕は東に向かってる。遅い太陽が照らす野里はお正月の朝という風景にぴったりだ。冷たくて痛いような大地に列車の影が動く。この景色の中で「思考している存在」は僕だけ。

そう思うと、いつでもいつまでも動けるような気がしてくる。東からの使者が僕の手を引く。

うん、行き先なら何処でもいい。

365%「きょういちばん」

春風献上、悠々航洋。

我が家のおとそは暮れに友人から届いた大阪池田の「呉春」。ここ数年のお正月は毎年「呉春」だ。学生時代の思い出というわけではないが(学生がこんなに高いお酒を飲めるはずはないので),池田と聞くと学生時代が重なる。

さあ,2018年がはじまった。「ちゃんとする」というテーマは昨年から継続。全然「ちゃんとする」ことができていないんだから。これにくわえてことしは「きょういちばん」をつくることを目指そう。「きょういちばん」を365回続けることをやってみたい。「きょういちばんの,,,」と床についてからつぶやくことができればどんなに幸せだろう。

ことしも「小さな九州」の気持ちで,みんなと高まっていきたい。長崎も熊本も天草も鹿児島も霧島も大分も宮崎も,風を追いかけて何処へでもいくつもり。まだまだ若い人と一緒に誇り高く生きていきたい。

紅白

高橋真梨子さんがよかったなあ。よかった。

年の瀬

今年もさまざまな地で多くの仲間と語らった。その締めくくりとしてきょうはのんびりとふり返った。ひとつは何度も終電でお世話になった駅。

もうひとつは幾度となく千鳥足のアーケード。

来年もよろしく,と今年最後の旅は山鹿の湯と馬の刺身とお鍋のひととき。

年忘れだからよろしく

年忘れの会というのは、むしろ忘れられない仲間の存在を確かめ、その仲間を大事におもい、仲間との来年を誓い合う会のようだ。今年も何度も年忘れの会をして、多くの友に包まれた。

12月の何日からを年忘れというのか知らないが、例えばゆうべ。佐賀の友と熊本の友とのがぶ飲みは幸せだった。馴染みの焼き鳥屋でのがぶ飲みは時を忘れる。語る声は本当に力強い。

一昨日。22歳の女の子の大学院合格のお祝い。秋は泣きべそだった彼女。その時からの約束だった麻婆豆腐は次の機会にとっておくことにしたけど、はじめてのお店での終わらないおしゃべりに時を忘れる。声を大切にするって美しい。

先週の熊本。上通りの馬刺しも豚足も夜のラーメンも、「美味しいっ」て笑えることに終わりはない。何度も同じことを伝え合うって安心。

年忘れ。それは来年もよろしくっていうこと。それは生きてきたっていうこと。

いつまでも冷めないで

今夜は例の麻婆豆腐。えっ!あの時べそをかいてた女の子?って、薄化粧の目元の素敵な美しさと唇から溢れることばの確かさにもう切迫した焦りはない。これからを悠然と楽しもうとしている強さがある。学ぶことの深さを知ってる。そのうえで、そのことの楽しさを待ってる。かかってこい!という強さと、かかっていくからな!という強かさが見える。もう泣きべそなんてどこにもない。

学ぶことにずるといんちきはないよ、なんてえらそうに言ってたぼくは、この新しい大学院生にかつての自分を見ていたのかもしれない。そしてべそをかいていた女の子は、かつてのぼくなんかよりずっとかっこよくあざやかにずるやいんちきを山の向こうに放り投げてしまった。そう、山の向こうに、なにもかも。

麻婆豆腐は食べられなかったけれど、そして目の前のごちそうもほとんど手をつけないでビールばっかり飲んで、隙間がないほどおしゃべりし続けたけど、どんなあたたかいお料理を食べるよりもあたたまった。

なに食べたっけ。昨日までをみんな平らげたんだよね。そう、じゃあ、次は明日を肴にビールを飲もう。はじめの一杯はレモン味のビール。そのあとは、明後日を肴にサッポロビール。

でもやっぱり、次の前菜は麻婆豆腐にしよう。これを食べなきゃ何もかもを山の向こうに放り投げきった気になれないから。つまらない昨日は麻婆豆腐と一緒に平らげよう。そうそう、まだまだ続きの話はたっぷりあるからデザートも麻婆豆腐がいいかもしれない。

そんなこと考えながらの帰りの窓。思いのほか酔っていないし、走って帰れそうだと思った。

何かの折には湯につかる

今年最後の講演が終わった帰り,ぼくは温泉に寄った。

何も考えず,ただ何も考えず湯につかる。この贅沢な気持ちは何かの仕事を終えたときならなお格別だ。いくつ講演しただろう。何人の先生と話したろう。教室の事実に心ふるわせたことは数えられない。そんな風景が湯に浮かぶ。浮かんだ風景を両手ですくい上げる。もっともっと丁寧に生きたい。

見上げた楼門の上にはお月さん。

くぐった暖簾の向こうに人の声。

もっともっとゆっくり生きたい。

救い主がお生まれになった

聖なる父よ,救い主の降誕をともに喜び祝うわたしたちが,日々の信仰の歩みによって,ひとり子のいのちにあずかることができますように。

不埒なぼくは,「アーメン」のタイミングも定かではなかったけれど,こうして浦上天主堂に導かれ,感謝の一日をおくれたことをうれしく思っている。

我が家の掃除

お正月前の掃除。毎年,僕がまず手がけるのはウッディとバズをきれいにしてやること。年に2度のお風呂というのではかわいそうだから,気がついたら拭いてはやるんだけど,きょうは本格的に洗ってやった。

以前,洗濯機に入れたとき,機械部分に水が入ったせいか,夜中に突然「あんたは俺の相棒だぜ!」とか,「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」とかしゃべり出した。あのときはさすがに驚いた。あるときはしゃべりだすと止まらなくなった。そんなときは逆さにして二、三度振り回すと静かにしてくれる。

薪ストーブからの灰をかぶった帽子や身体をきれいに拭ってやって,おともの柴犬を定位置に配置してできあがり。これからも夜や留守中の我が家を守ってちょうだい。

床屋に行って,長崎県波佐見町の温泉に入って,今夜はジン。お気に入りのmonkey47にかぼすを滴らせて乾杯。

この味が忘れられなくて

このあいだ,壮からもらったルリカケス。一晩に一杯だけ,と決めて,少しずつ長く楽しんでいる。このルリカケスが入っていた紙袋にもう一つのうれしい贈り物。

南の楽園,奄美。手造り「みそぴ~なつ」。

小袋に入ったこの「みそぴ~なつ」。絶妙な味に惚れてしまった。ルリカケス一杯にみそぴ~なつ3粒と決めていたのに,やはり,一瓶には足りなかったようだ。

と,Amazon。便利な世の中だ。ワンクリックで今朝,届いた。

しかも,大きな袋。これならルリカケス以外のあてにもなる。さっそく「れんと」や「くろ」や「国分」,「伊佐錦」で試してみた。全部,壮から教えてもらった銘柄だ。そして,どれにもあうのがこの「みそぴ~なつ」。病みつきになる「みそぴ~なつ」。

がんばる熊本

きょうはオフで熊本。こちらの友人に会いに来た。

不器用で,かたくなで,だけどにくめない奴。誠実で,一生懸命で,だから気になる奴。そいつに会いに来た。

がんばる奴ががんばる熊本にいる。がんばる熊本で頑張る友が頑張る。だから,何度も何度もここに来てしまう。僕は頑張らないけれど,頑張る友のことは大好きだ。

にくめないやつ

我が家のマスコットにお気に入りの帽子をかぶせた。ますます愛らしい。にくめないやつ。

行き先ならどこでもいい

母からもらった身体のひとつの歯を抜くことがこんなに辛いことだとは思わなかった。

僕がここに生きているのは神様のお導き。僕がこうして動けているのは両親のおかげ。残り,どのくらい生きていくのか僕は知らないけれど,行き先はどこでもいいと思う。

行き先ならどこでもいい。

2017年12月11日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

あくゆうたちの青い鳥

小さな島料理の店にあくゆうの声が響く。悪い奴など一人もいないあくゆうの会の笑い声は少年のようだ。授業を明日に控えているというのにこの陽気な時間はいったいなんなんだろう。それぞれがこれまでに作ってきた武勇伝は互いを尊ぶには十分すぎる。

酔えば酔うほどに文学,酔えば酔ったからこそ教室,酔ったからこそ明日の生徒と我が言葉。いいもんだ,あくなき追究、優劣のかなたをめざす会。優劣を越えたところに学びを。

それほどの量ではないのに思いのほか饒舌なのはあくゆうのせい。誰もが笑って歩く天文館に僕たちの声も重なる。明日,子どもに聞かせる声。明日,子どもに見せる顔。声も顔も自信あるよと,千鳥足。壮の肩にとまったように見えた青い鳥はチルチルミチルのお話しではなくルリカケス。

帰りにもらった壮からの贈り物。我が家のストーブにもルリカケスが似合ってる。

授業は学習

教室は子どもにとって学習の場、教師にとっては授業の場。指導の場。学習を作り上げる場、学習が生まれ出づる場でなければならない。

きょうの二つの授業はどちらもその通りの教室だった。教室の文脈をとらえずに観ると、とらえどころがないとか、てんでばらばらとか、何を教えたかったのかが見えないとか、そんな陳腐な感想が出てくるのかもしれないが、そうじゃない。そんな感想こそが陳腐の極みだ。

きょうの授業は国語で学級づくりをしている瞬間、そのものと言ってよい。

子どもの扱いは子どもがいちばん上手い、というのは僕のモットーだけど、教室の子どもは動きながら(あるいは動けない時にも)振り返り、動きながら(あるいは動き出すちょっと前に)見通しをもつということをしっかり証明したのがきょうの授業だった。

授業中、担任の先生がもっとも重点を置かれた指導は、本の帯を作るという言語活動(いわゆるCフレーズ)のことでもなく、物語の見どころを見つけること(いわゆるAフレーズ)でもなかった。考え方(Bフレーズ)でもない。この教室が今この瞬間に学ばなければならなかった「単元を通してみんなで学ぶこと」がくっきりと学級に共有されていた。そんなさわやかな、そして尊い瞬間に参観者である僕には何のメモも不要だ。

授業後、適切な瞬間に適切な言葉で学級づくりをしてのけたこの若い友人に、僕は、自分が若かった頃には気づきもしなかったということは棚に上げて、「いい授業でした」の言葉を贈った。本当にいい授業だったからそう言うしかない。嘘をついたりごまかすことはできないんだから。

小さな大仕事

あたりまえのことを丁寧に組み立てることがどれくらい値打ちのあることかを見せてもらったきょうの研究発表会。ありがたい経験だった。

えらそうに言うなら細かいことで気づいたことはたくさんある。でも、それらは本当にどうでもいいことばかり。人は他に告げることがなければ、細かいことでもほめたり、細かいことから小言を言ったりするんだろう。

だけどきょうは言いたいことがどんとど真ん中にある。大きな大きな本物がど真ん中にある。だから本物のことしか話題にならない。どうでもいいことは本物の前では何の力ももたない。

この学校で、「学校」というものを見せつけられた。学校というものが動き出す「今」を見ることができた。今がつくる「本当の枠組み」が見えてきた。

小さな大仕事をなしとげたこの年下の校長に何度も言ってやりたい。何度も言い合いたい。何度だっていい続けたい。言い続けられる。学校ってええもんやなあ、って。

それにしても今年は京都の紅葉が近い。

かなり重体

仲間という集まりを意識するようになったのはいつ頃からだろう。二十歳の頃の仲間はみんな同じくらいの年齢だった気がするけど、今、感じているこの仲間には30も離れた連中が何人もいる。それが心地いい。

仲間、それはきっと片想い。だからすぐに会いたくなる。また会いたいなあと思っている時点ですでに片想い。アイツも仲間って思ってくれていたらいいなあという時点でかなり重症。僕に会いたいって思ってくれていたら幸せだなあ。かなり重体。

ということで、微熱気味の僕は北大阪の連中にやられている。

紅葉舞う京都

講演の演台横に飾られた真っ赤な紅葉。この時期の京都の美しさをぎゅっと閉じ込めたようだ。その赤い景色の横、あたたかな紹介をしてくださる校長先生の京都イントネーションの声に僕はすっかり落ち着きを取り戻した。

全部で7つの教室で繰り広げられた学習の向こうに、それらを支えてきた学年の日々があり、その基底に職員室の力がある。昨晩までのひたむきさを思うと、授業教室を巡るだけで胸が熱くなる、教室の掲示物にふれたくなる。昨年度から、ずっと、全部、まるごと応援したいと思ってきた。

3分間延びてしまったのはみっともないけど、僕は話しながら熱くなっているのを隠せなかった。語りたい、届けたい、もっともっもという感情は往々にして上手くいかないことが多い。分かってはいるけど、熱くなったのは紅葉の赤が鮮やかだったからだけではない。

閉会。教頭先生の謝辞。もったいない言葉が並ぶ。そんなにたいした話ではなかったのに。でも、もっと届けたいこともある。

すっかり暗くなった足洗いの料亭の窓ガラスの向こうにライトに照らさらた山紅葉。葉の先までぴんと伸びたままの赤は誇っているようにさえ見える。

きょうは赤い一日。紅葉舞う京都。僕はこの赤の中にもうしばらく居たいと思った。

目を閉じて

ただ目を閉じてこの木の下で♪って、かぐや姫の歌があった。口ずさみながら歩くほど70年代に浸っているわけではないけれど,この木の下ですうっと息を吸い込む。

ここで働いていてよかったなあと,しみじみする。

いいこと思いついた、でも18秒前

いい言葉が見つからない。この思いを伝える言葉をもちあわせていないかもしれない。

安心してここに居られる、じゃない。あたたかな空間、というのもぴったりこない。こういうのが理想なんだ、というのも違う。いいなあ、なんて失礼。これからはこういう授業でなければならない、なんて他人行儀。

きょうの授業に学ぶことは多かった。きょう授業で確かめられることは深かった。きょうの授業が導くものが明日をつくる。

子どもが問いを立てる。子ども課題を解決していく。子どもが互いと混ざり合う。子どもが自分を見つめてる。

こんな授業をしたかったなあ。もっと若い頃に力をつけておきたかったなあ。担任していたあの頃の子どもに申し訳ない。もっともっと、学び浸れる単元を体験させたかった。

きょうの授業。同じ時間、空間に居られたことをありがたく思うとともに、うらやましくも悔しくも思う。そんな尊い一日だった。

そう、何もかもが子どもの学びにあふれていた。学習課題の確認。学習計画の見通し。学習活動の見通し。協働学習のつながり。個人の問いの解決。

残り時間わずかになったとき。廊下側の一人の男子がつぶやいた。「いいこと思いついた、でも18秒前」。あの子が学習活動終了18秒前に思いついたことはどんなことだろう。気になって仕方がない僕はそれ以外のさまざまな余韻も含めてきょうの授業に酔っている。

若楠小学校の11月29日。今年の大切な大切な一日。

教室に学ぶ

子どもの力を安く見積もらないこと。子どもに恥をかかせないこと。それは教室の事実に学ぶこと。

きょうたずねた教室はまさにそのような教室。誰もが誰をも軽くみない。誰もが誰をも価値ある他者とする教室。

こんな教室が動いている静かな人里。僕はそんな処を通うことが何よりも好きだ。

佐賀浪漫の旅

きょうは職場の仲間たちと佐賀浪漫の旅。旅といっても日帰り。約半日の旅だけど中身はなかなかの厚み。呼子のイカで腹ごしらえ,名護屋城本丸址で記念撮影,伊万里大川内山で散策,三瀬鶏で足洗い。

文化にふれ,暮らしに学び,人の息づかいを感じた浪漫の旅は冬の初めの雨を冷たいとも感じさせないあたたかな時間だった。

クリスマスツリーの横で

クリスマスツリーと向き合って講演する。ここに導いてくださった神様に感謝します。

僕の稚拙な声がみなさんの心に届くといいんだけれど。そんなことを思うのはいけないことなんだけど。僕はこの静けさの中で話をさせていただいたことをとても大事なことだと思ってる。これからも「声を聞き,声を届け,声を共有する」ことをたいせつにしたいと思ってる。本当に大切な一日。

好きにさせてくれてありがとう

横浜スタジアム。大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズの歴史を感じるハマスタレジェンドマッチ。

少年野球をはじめるきっかけになった松原選手や中塚選手はすっかりおじいちゃんになってしまっていたし、三浦大輔選手が小僧に見えるくらい厚みのある選手ばかりだった。

1998年の優勝メンバーで誰よりも応援していた鈴木尚典選手の応援歌をもう一度うたえるなんて思ってもいなかった。ただただ「ありがとう」の一日だった。選手にもありがとう、企画にもありがとう。

だけど、このチームを好きにさせてくれた親父にいちばんのありがとう、だ。

2017年11月23日 | カテゴリー : 野球小僧 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

教室で教室を語る

すうっと身体に染み込んでいくのがわかる。それぞれの声が共有されていくのが分かる。「達富先生、ちょっと分かりにくいですよ。」と、うまく伝わっていないことも自分のことのように分かる。そんな校内研究がある。

そんな時間に身を置くことができた日、僕はここに居てよかったなあとしみじみ思う。

きょうはそんな日。誰かに自慢したい日。手帳に残しておきたい日。

一緒にやってきたんだから

僕にできることは一緒にすること。一緒にやってきたから応援できる。いっしょにやってきたんだからこんな僕でも守りたい。それだけだ。

授業をつくった者、学びを運んだ者、教室を見つめた者、そんなことにかかわれることが幸せだ。ありがたいことだ。

そういうことにかかわっていない者にどうこう言わせない。そういう者にはなりたくない。

風のようにあざやかに

向田邦子を追いかけていたのは学生の頃。柴田翔や庄司薫しか知らなかった僕は向田にやられた。

その向田が通っていた小学校で数百人を前に講演をするなんて、向田に叱られる。でもやってみたい。これがこの話を受けたときに感じたことだ。ことばを学び、ことばで学ぶことを話せばいい。当日まで、僕は何度も向田と打ち合わせをした。彼女のコレクションを真似て買い集めた食器やぐい呑をならべ、彼女が好んだ料理を前に作戦会議をした。

そんなこんなで迎えた11月9日。JRの事故で鹿児島入りが予定よりも遅れはしたが、前夜は悪友と乾杯。現地に緊張感をほぐしてくれる友がいるなんて、本当にありがたいことだ。翌日の話題に一切ふれない愚弟はどこまでいい奴なんだろう。二人で一本を空にした帰り際、「洋二兄、明日はあざやかに!」のひとこと。

そうなんだ、僕は向田の言葉のあざやかさにやられたんだ。それなら「あざやかさでお返しだ!」なんて、できるはずないんだけど。

講演終了、中央駅までの帰り道。あざやかだったのは僕の講演ではなく山下小学校の授業。山下小学校の教師たち。その授業に学ぶ鹿児島の先生たち。そして、そんな「あざやかさ」を言葉にして届けてくれた愚弟の壮。

あざやかな講演はまた次の機会に!と、新幹線にはあざやかに乗り込んだ。

大阪行きは14番ホーム

悪友と新大阪駅で待ち合わせ。昼からの真面目な仕事があるのでここは我慢をしてアルコールなしの昼の寿司。

あいかわらず弟みたいな悪友の屈託のない笑みにこちらまで若返る。彼は話し上手で、ついつい聞き入ってしまう。

20年ほど前の僕の失敗談をよく覚えている彼はある意味困った存在でもある。彼は達富さんの武勇伝と言うが、どれもこれも間違いなく悪いことばかり。きょうも新たな情報を得た。

1998年、10月のことらしい。その頃、働いていた職場にとっては最も大切にしなければならない業務に僕はたずさわっていたらしい。(そんなことまったく覚えていない)その業務が始まり、関係者が集まったにもかかわらず達富がいない。(そんなはずはないんだけど)困り果てた関係者が彼にたずねたらしい。関係者「達富先生がいないんですが、」、彼「そんなことないでしょ、探しなさい」、探し疲れた関係者「何処にもおられません」、彼「もっと探しなさい。」(そうだそうだ!)さらに疲れ果てた関係者「見あたりません、、、」彼「約束は?」、関係者「もちろんです。約束してます、間違いありません。」(それにしてもよく覚えてるもんだ)彼「分かった。連絡を取ってみる。」

携帯電話を買ったばかりの彼は、これまた携帯電話の使い方をよく知らない僕の携帯を鳴らしたらしい。(まったく記憶になし!)長く長く鳴らしたらしい。

「あっ!達富さん!何処にいてはるんですか?」「甲子園に決まってるやんけ!」「えっ!?甲子園?えっ?大事な仕事忘れてはりませんか?」「忘れてへんよ。それよりお前なに言うてんねん。きょう、ベイスターズの優勝やで、お前もつべこべ言わんとはよ来い!佐々木が出てくるで!」

と言うことらしい。あれから19年。彼の話よりもベイスターズは今年も甲子園でいい試合をしたなあ、と感慨深い僕なんだけど、彼は達富の覚えていない達富をもっともっと知っているようだ。困ったことだ。

さて、きょうの仕事。第43回 大阪府小学校国語科教育研究大会は無事に終わった。僕が参観した授業は素晴らしいものだったし、彼が指導助言を担当した分科会も盛会に終わったと聞いた。仕事の前の寿司屋での話の方が衝撃的だったけど。

大阪かあ。若かった頃は何にも怖くなかったし、何をやっても美しく見えたし、輝いていたなあって、思いながらの帰り道。551と缶ビールを買い込んだ。

大阪発の新幹線は22番ホーム。さてと、西に向かって帰るか。

2017年11月8日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

天草からの帰りはかっこつけて

天草。天草空港。松屋旅館。崎津教会。亀川小学校。どれを抜かしても成立しない今回の一泊二日の旅。

人間関係をひらくのは声。声を届け、声を受け止める。そのことをちゃんとすることが何より大事だと今さらながらだけど確かめた天草の旅だった。
目指しているところが同じ者で語り合うのは楽しい。楽しいから目指すところがぐんと近づいてくる。目指すものが見えてくると話が分かりやすくなるからもっと楽しくなる。楽しくなりすぎると、、、どうなるんだろう。天草では、楽しくなりすぎたから大きな声で笑って、笑って、それを実現しようと確かめ合った。そんな松屋の夜。

寅さんが出てきそうなこの旅館は何から何まで僕のお気に入りになった。

翌朝、崎津教会を歩いた僕は、昨晩の心地よさを本当のものにするよと決めた。授業も研修も丁寧な教師の謙虚な姿に包まれていた。僕はもう一度、本当のものにするよと、心に決めた。

天草空港まで送ってくださった友が、僕を一人にしまいと離陸の時間まで付き合ってくれた。彼の口からこぼれる声は、天草の教師仲間のよさばかり。天草の先生がたの誠実な様子を語り続ける彼の声はまさに人間関係をひらいてる。小さな飛行機に乗り込もうとするとき、彼が差し出した手。ぎゅっと握手した僕は、本当のものにしましょう、と声を届けた。

飛び上がった飛行機の窓の天草の灯りはすぐに分からなくなったけど、福岡空港に着いたとき、天草から帰ってきたんだよと誰彼に言いたくなっている僕は、ちょっとかっこよかったと思っている。

N先生、また来ます!

何度目だろう、福岡県京築地区。

ここには仲間がいる。仲間たちをぎゅっとくっつけてくれるN先生がいる。いつもいつも心地いい研修の場になるのは仲間とN先生のおかげ。そしてきょうも。いや、今までにない充実があった。仲間たちは「時間がたりませんよ」「あっという間に研修が終わってしまって、」と帰り際にうれしい声を届けてくださった。

今夕は、このまま福岡空港まで出て、天草に飛ぶ。飛行機に接続するJRの時間を調べ、駅まで送ってくださる車内でも研修の話に花が咲いた。そしてこのご縁を感謝し合った。

念には念を入れて確認したはずなのに、苅田駅には20分ほどはやく着いてしまった。改札口まで見送ってくださろうとするN先生にそのお気持ちだけでありがたいことだとお礼を告げ、ホームに降りた。夕焼けが照らす田舎町のホームはそれだけで絵になるのに、何とも言えない充実感に包まれた僕は、山田洋次監督の映画の主人公にでもなった気分でホームをゆっくりと歩いたり、しゃがんだり、腰かけたり。誰も来ないホームは時間を止めたよう。10分も待つ頃には列車が来ないんじゃないかと心配になるほど静かだ。ようやく小倉行きが見えてきたとき、「達富先生、きょうは本当にありがとうございました!」の声。あわててふりかえるとN先生。もうたまらない。もっと気の利いたことを言えたはずなのに、僕の口から出たことばは「また来ます!」
電車には思いのほか多くの高校生が乗っていて、向こう側の窓がさえぎられている。せめて手だけでも振りたいと、高校生の隙間から見えた線路の向こうには、きっと僕の姿など見えているはずがないのに深々と頭を下げてくださっているN先生。

「こんなこと、あたりまえのことじゃないんだぞ」、と自分に言い聞かせつつ、熱くなる目がしらに豊後水道に沈む夕陽がまぶしい。

また京都に来ます

京都市総合教育センター4階、永松記念ホール。

15年ほど前、大村はま先生がお立ちになった場所に僕が立っている。「教えるということ」に教えられた僕が、「教えられるということ」を語っている。あり得ないことだと思っていたのに、90分はあっという間だった。

「教室の事実」を語る。僕にはそれしかできない。でも、そのことに耳を傾けてくださる方がここにいる。

「ありがとうございました。」と、「やっぱり僕は京都が好きなんや。」をここ置いてひとまずきょうはおしまい。「また京都に来てください」のやわらかいことばをだいじにだいじに包んで持って帰ることにする。

6時間目のつづき

西海橋を渡る。西彼杵半島はひとつの島のように感じる。さらに馬の背のような道を抜けると、そこに潮風を受け地域を包む元気な小学校が建つ。玄関に活けられた秋の花は子どもたちの声を聞いているからか、野里に咲いていたときよりも彩りを濃くしているようだ。
先週は200人ほどの研究会だった。1000人を超える人の前で話すこともある。きょうは10人ほどの先生がたと2時間ほどの時間に学んだ。
研究会は何人いるかや誰がいるかではない。歴史でもなければ、地域でもない。子どもの何を見ているか、子どもをどのように見ているか、教室をどのようにしたいのか、事実をどのような言葉で語るのか。この誠実で丁寧なやりとりで研究会の質は決まる。

海辺の小さな小学校の教室で繰り広げられた先生方との誠実で丁寧な2時間は、この教室の6時間目の続きのようだった。子どもの声に学ぶ研究はこうでなければならない。

日なたが待ってる

あなたには日なたが待ってるんですよ、って子どもに。

今はまだ日なたを歩いていない子どもがいる。歩けていない子どもがいる。日かげで、いえ、そこが日かげだと気がつかないでいる。いえ、気がついているかもしれないけれど、勝手に折り合いをつけている子どもがいる。

そんな子どもを日なたに。手を引いて日なたへ。そして、自分の足で、自分の力で日なたを歩けるように。自分の力だけで歩けていると思えるように。

あまんきみこさんの言葉が僕の心を包んでいく。

もっと遊ばせなきゃ、もっと、もっと。

それはくじらぐもの上の子ども。いやいやえんを走りまわる子ども。

子どもって何かをやりたがっている。子どもってどんなことでもこなそうとする。子どもは夢中。

中川李枝子さんの子ども哲学に僕はただただうなずくしかない。

おおい,みんな!拍手が聞こえてるかあ

ことばと学びをひらく会。第11回だ。第1回からの参加ではなく、途中からの参加ではあるけれどそれなりに思い出深い。今回が講師としての参加は最後ということで、なお平易平明なワークショップを心がけた。テーマは「語彙」。わたしの「ちいちゃんのかげおくり」の実践の事実を「語彙量と語彙力」から観察した。

結果。時間後にいただいた拍手から伝わるメッセージからは「まずまず」といったところだろうか。わたしはほんとうにうれしかった。

子どもに学んだことを話すことで、教室に生きる先生がたから拍手をいただく。なんともありがたいことでもったいないことだ。拍手を受け、頭を下げているとき、僕はいつも思っている。「みんな聞こえてるか、あの教室のあの国語の授業がこんなに拍手をもらってるぞ。」って。

遊びごとではないので

10月15日,甲子園。5回2アウト。ランナー1塁。縦縞のピッチャーの2球目が青いバッターの顔面付近を襲う。大きくのけぞった背番号25は弾かれたように背中からバッターボックスを外れ,ぬかるんだ地面に足をとられて転倒した。青と白のユニホームは泥で色が変わった。バットを汚れから守ったからか顔にまで泥がはね上がっている。ニュースや新聞が田んぼのような球場と報じたが実際はそれ以上の泥だったはずだ。ベンチに戻り,青いタオルで泥をぬぐい,バッティンググローブを交換した25番は,打席に戻り8球目をライト前にはじき返した。

試合後のインタビューの「遊びごとではないので」の言葉が頭に残る。

「遊びごとではないので。」その通りだ。わたしたちの「今」は遊びごとではない。

つぶらなかぼす

大分の仲間がかぼすを届けてくださった。今年の夏,あの夜。関サバ,関アジを愉しみながらそんな話をした。かぼすがあると食卓がぐんと香り高くなる。つぶらなかぼすは誰からも愛される。

もちろん僕も愛してる。酒屋で買ってきた二階堂にかぼすを滴らせる。夏の終わりがなんとも贅沢なものになる。

2017年9月12日 | カテゴリー : 旅の途中 | 投稿者 : Paul.TATSUTOMI

静かな研究室に

きょうは静かな研究室。お客さんもほとんどなし。時折の雨。こんな日はお昼も抜き。

読みはじめられなかった本。匂いを楽しみながら帯を表紙の内側に移す。もちろんその前に手をきれいに洗って。

返事を書きそびれていた葉書。相手とのこれまでを思い出しながら手持ちの絵葉書から一枚を選ぶ。小磯良平と雲仙普賢岳とスタジオジブリと江戸小紋。万年筆のインクが染み込む。

研究室にかかるタペストリー。運動会の空の色の秋物。柔らかい生地がゆれるとまだ青いみかんのにおいがしそう。

ゆったりと時間が流れる。こんなとき、ぼくはこの研究室にいてよかったなあと思う。もっと心地いい研究室にしたいと思う。何か生まれそうな予感のする学問とちょっぴり疲れて行き先の分からなくなりそうな学問をそっとここに置いておきたくなる。

年下の校長先生

年下の同級生が校長先生になったのは昨年の春。校長2年目のこの夏,彼の校長室に行ってきた。正門の前まで出てきて迎えてくれた彼の表情は30年前のままだったが,彼の向こうに建つ大きく,そして生きている校舎は間違いなく彼の学校だった。

校長室でのやりとりは30年前に大学に通っていた阪急電車の中のやりとりと何もかわらない。京都のことばで途切れることなく重なるやりとりは心地よい。僕が何を言うか分かっているくせに「うんうん」うなずくところは一つも変わらない。何を聞きたがっているか分かっているのに回り道する僕もあの時のままだ。

校長室に入ったときから見えていた紙袋。正面にどんと置かれた紙袋。どう考えてみても僕への手土産であろう紙袋。案の定,扇子をとじて「ほなな」と立ち上がったら紙袋を手渡してきた。思いのほか重い。「お前からの手土産なんかいらん,しかもこんな重いもん」とのぞくとなすび。「小学校の畑の野菜や,子どもと地域の人が作ってくれてるんや」ということ。やられた。長崎まで持って帰らなあかんやん。

「また来てえや」なんてことばをストレートに言う。「そんなこと言うのはお前だけやぞ」と返しはするが,絶対に来てやると思うのもこいつにだけだ。僕のことを「洋二!」と呼ぶただ一人の男は相変わらず僕のライバルだった。

マカロニサラダ

好きな食べ物はとたずねられたら。

かっこつけるなら少しばかり値の張るものや珍しいものをあげたいところだけど,正直言うと,マカロニサラダ。他には,だし巻き,茶碗蒸し,ひじき,かぼちゃの煮付け,おあげのやいたん,しめ鯖,菜っ葉とおあげのたいたん。全部,お袋が子どもの頃につくってくれたものばかり。

今,ひじきやかぼちゃを食べなくなったのは,二十歳までに一生の分を食べ尽くしたから。それほどにお袋の味は僕の身体をつくっている。身体だけじゃない。どんな料亭にはいっても,その店の匂いとお袋の出汁の匂いを比べてる。菜っ葉を切ったときの匂いも,酢で締めたときの匂いも,炊きたてのご飯をよそってもらったときの匂いも,お袋の台所の匂いは格別だ。

「女として,ひとかどの人物になった息子が,自分の晩年に自分の人生の花と言える子育ての頃の思い出の一コマを,自分の手料理とともに思い出してくれることは,自分の人生には意味があったなぁと胸が満たされることです。きっと。」向田だったっけ,人生を見つめている女性の言葉にうなずく。

お袋の味の中でただひとつのカタカナ料理がマカロニサラダ。京都の台所に立つお袋。慣れないカタカナ料理にさぞかし工夫を凝らしたことだろう。その工夫が小学生の僕にはまたたまらなかったにちがいない。覚えていないけどまちがいない。

この次,実家に帰ったら,と思うと週末が楽しみでならない。

上通の馴染みの店

熊本に馴染みの店がある。月に一度だけど。今夜はここで男二人。お気に入りの品を少しずつ。慣れた焼酎を少しずつ。喰っているよりも飲んでいるよりも語り合っている時間がずっと長いのに,その語りを邪魔しない上品さがいい。今夜もいい酒。いい友。いい時間。

熊本に馴染みの店があること。少し自慢げに歩く自分に酔っている。

そうだ,こんど,鹿児島の壮をこの店に連れて来よう。

仲間うちだからこそ

きょうは豊前市。はりきりすぎて6時前に出発。予定時刻の90分も前に着いてしまうことが分かり,急遽,高速を降りて国道で東に向かった。昨年は耶馬溪を越えたが今年はナビが飯塚経由に連れて行ってくれた。おかげで新しい風景を楽しみながら,懐かしい土地に入ることができた。「帰ってきた」なんて大げさだけど,そんな思いがよぎったのも本当。だって「おはようございます」じゃなく,「ごぶさたしています」「お元気でしたか」の言葉が重なる。仲間うちだからこその朝だ。

学習指導案検討は実りのあるものだった。グループに分かれての検討と交流は思考の質を高める。それを大きな紙に書いて全体で発表する。言語化することは思考の質をさらに高める。分かったことや分かりきれなかったことが分かる瞬間だ。そんな時間の流れの中に僕が立った。

いちばんの反省は時間を10分近くも延ばしてしまったこと。いちばんいけないこと。だけど,もっともっと話したいことがあるんだから,と言い訳をしてしまう自分も許したくなる。仲間うちだからこその甘えだ。

第2部。それはお昼をとりながらの時間。それぞれの先生の近況。部活のことやクーラーのない教室の壊れかかった扇風機のことや武勇伝。小さな話もつぶやきもあたたかく聞きながら,いつの間にか言語活動の話になっている。本物の教師だからこそたどり着く話。10分近くも延長してたっぷり話したはずなのに,まだまだ一緒に語り合いたいことが出てくる。みなさんも話してくれる,たずねてくれる,うなずいたり聞き返したり,ちょっと口をつぐんだり,ひとりごとでまとめてみたり。

仲間うちだからこそ。そう,仲間。僕は教えてもらった通りの道を走りながら,もう少しここに居たかったなあとルームミラーを見る。小さな鏡に,国道10号線の陽炎の向こうの大きな仲間の教室が広がっている。

ありがとうございました。N先生。

学ぶということは

べそかいた女の子がメールをよこした。だから,僕は「学ぶということはインチキやズルではできないんだよ」と伝えた。自分のことは棚に上げて。

僕にとっての「学ぶということ」はなんだろう。論文を書くことではない気がしてる。人前でそれらしい講演をすることでもない。分かりやすい講義をすることだろうか。それは仕事として必要なことであって学んだ結果。

僕にとっての「学ぶこと」の先には「教室での授業」がある。まちがいなく。

論文を書いても,講演をしても,それらしい顔をしても,「教室での授業」が見えなきゃ何にもならない。子ども不在の「学び」なんて,ちっともおもしろくない。

だからね。「これまでの知識や技能を学んだこととして自覚し,再整理して思考する。それを目の前の課題が求めているスタイルで表現する。課題の文脈で再整理し,ふさわしいスタイルで表現する力をつける。課題という相手をよく知るために,自己内対話をして自分の考えを確かなものにする。いいかな。」なんて,物知り顔。女の子はきょとんとしているはず。僕は得意な顔をしている。自分のことは棚に上げて。

だけど,学ぶことにインチキやズルは通用しないんだ,これは本当のことのような気がする。

だから,丁寧に学ぼう。そして,きっと勝っておいで。そのときは,もっと楽しい話をしてプロの麻婆豆腐を食べよう。

日帰り合宿

きょうは長崎大学で日帰り合宿。長崎の中学校の先生たちとの10時間におよぶ単元研究。熊本や宮崎からの参加もあり,それはそれは,夏休みの記憶を塗り替えてしまうほどの心地よい疲労感に包まれた時間だった。

「みんな,やっているなあ」こんな陳腐なことばがむしろ的を射ているような気がする。そう,みんな「やっている」。みんな単元づくりに全力だ。その「やっている」言葉を受ける僕は完全に「やられている」。

そうきたか。なるほど,じゃあ,これはどうだ。ちょっと待てよ。だからさ。ちがうやん,で?

疲労した頭に夕方の風が心地いい。西彼杵半島の海岸沿い。窓を開けて走る帰路。仲間たちがつくる9月の教室の手ごたえを確かめた。

きのうの続き

きのうの続きはきょう。間違いなくきょう。だけど,きょうはきのうの続きじゃないと思った。きょうは明日への「今」。

きのう怪我したところにきょうも絆創膏が貼ってある。だけど,絆創膏の下にはきのうなかった生命が生まれている。新たな営みがはじまっている。明日のために。僕はその「明日への営み」に「すごい」ということばしか贈れない。だけど,「すごいね,すごいんだよ」ということばが,このことばだけが,ぴったりのような気がする。

仲間が集まるから

8月16日,17日,18日。研究室の登校日,って訳じゃないけど,仲間が集まってきた。きょうまであたためてきた単元案を持って。

「先生!2学期はじめの教室びらきの準備をしているんですが」,うんうん。

「先生!1学期のまとめがどうも気に入らなくて,もっとやってきたような気がしていたんですが」,そうでしょそうでしょ。

「先生!いい言語活動を思いつきました。ブログです,ブログ」,それでそれで。

立派な先生たちが,夏休みの自由研究の発表会をするような顔で話す。それを僕が聞いている。なんて幸せな時間だろう。

「なんかできそうな気がしてきました」の言葉を残して研究室を去って行く仲間の背中を見ていると,ちゃんと背中を押せたかな,しっかりてびきすることができたかな,と弱気にもなるけど,それはそれ。この次,集まってくるときは,「先生!」の次にどんな言葉をつないでこの研究室に入ってきてくれるんだろう。

さあ,夏休みも終わり。研究室に集まる仲間とだけではなく,各地の仲間に会いに行かなくっちゃ。23日は佐賀県神埼,みやき町。25日は熊本,長崎。29日は江北町。30日は福岡県豊前市,N先生!久しぶりです。楽しみです。

お盆は手を合わせて

ここに住むようになってからお盆の実感が少なくなった。大文字五山送り火が当たり前だった50年間だったけれど,今ではそのニュースも流れない。

浴衣着て,つっかけはいて,湯飲みにお水入れて,裏の坂道から見える大文字さんの送り火をその水に映す。「大」の字を揺らさないようにしてお水をのむと「ムビョーソーサイ」,「ナンマンダー」。

中学校で「無病息災」の字を習ったときに,「ムビョーソーサイ,ナンマンダー」を続けてことを誇らしく思ったのを覚えてる。

大文字の送り火は見えないけれど,浴衣を着ることもなくなったけれど,やっぱりお盆は手を合わせて,ムビョーソーサイ,ナンマンダー,チン。

 

何も言わなくても甲子園

8月11日。午前6時半に満員通知。

確かに6時前の阪神梅田駅の様子がいつもと違った。優勝経験校が5校も顔を見せる大会第4日は,組み合わせ抽選会の時から話題になっていた。梅田駅に緊張感がただよう。

阪神電車。隣に座った親子連れがチケットを買えるかどうか心配している。父親が小学生に駅改札口からチケット売り場までの走り方を教えている。子どもがそれを繰り返す。何度も確かめる。「まずはチケット確保,で,座席確保,そのあとジュースとカレーを買いに行こう。」と父親。そのまま夏休みの日記になりそうなやりとり。僕の分のチケットをあげましょうかと言ってしまいそうになるのを何とかこらえて,僕は自分の麦わら帽のへこみをなおした。

あの親子は予定通りには走れなかっただろう。駅の階段を降りたところから既に長蛇の列だった。チケットを買うための列が駅に届きそうだ。列の最後尾のプラカードをもった係員の声がすでにかれている。その列のずいぶん先,つまりチケット窓口のすぐ近くに「売れきれます」のプラカード。並んでもチケットを手に入れられるのはほんのわずかな人だけということだ。前売りのチケットを持っていることが申し訳ないことのようにさえ感じる。僕は列に目を合わさず足早に中央特別自由席に座った。

いつもは試合中であってもチームの特徴や見たい選手,ピッチャーの右投げ左投げでスタンドを移動する。でもきょうはいちど立てば次に座るところは見つからないだろうから4試合とも1塁側を応援するんだと決めて放送席の西側に座った。そう決めたのに,3塁側の高校のシートノックや,ベンチの様子,アルプスのどよめきも気になる。どちらが勝つとか負けるとか以上に,ここは青春の賛歌を綴る場所だから仕方ない。

あの小学生はどうなったろう。お父さんはどうしただろう。僕は,中学生野球の頃から注目している一人の長崎出身の背番号8の夏を見つめている。

そう,甲子園,何も言わなくても甲子園。

そんな夕方が心地いい

僕はいま、宮崎空港で宮崎牛を頬ばりながら生ビールを一杯だけ飲んでいる。昨日の研究会と昨晩の余韻に浸りながら。あんなにおおぜいの宮崎の先生と一緒に単元の研究をできたことに深い感動。あんなに奥深い宮崎焼酎を堪能できたことに大きな感動。また必ず来てください,の声には,また必ず来させてください,しかない。

2時間の講演はあっという間だった。先生方の深くて何度も繰り返されるうなずきと,いつまでも続くメモ,そして質問。ありがたいこと。

懇親会は橘通り沿いのお店。大学の先輩に教えてもらった(と勝手に記憶してしまっている)お店。食事が始まる前に少し散策。宮崎県庁の前に腰掛け,暑い暑い一日を振り返っていた。講演が始まるまでの半日の大騒動などすっかり忘れてしまったけど,今ここ宮崎に,確かに宮崎にいることを確かめた。暮れなずむ空に建つ県庁が夏の夕べは少しの達成感と少しのもの悲しさと,大きな思い出になったんだと教えてくれている。

だから、やる

僕はいま、熊本空港で太平燕を食べながらきんきんに冷えた麦茶を飲んでいる。先ほどまでの熱い研究会の余韻に浸りながら。夕べは、県の研究会の会長の先生はじめ、多くの事務局の先生方との食事。教育の話が尽きない。杯を重ねるにつれてその話も深くなる。子どもを語り、授業を語り、教室を語る。そんな時間はかけがえのないものだ。元どおりに向けて手を施している熊本城を眺めながら、僕はこの1年間のことを思い出す。熊本城が少しずつ形を確かにするのと同じように、この地とのかかわりも重なってきた。誰も知らなかった熊本の先生方と名前を呼び合い、街を歩き、明日を語れるようになった。

えっと、そのう、ですから、2秒間

すうっと吸い込んだら、少し息をとめてみたくなる。ふうっと吐きだしたら、やっぱり息をとめてみたくなる。そんなわずか2秒のひそかないたずらのようなことがきょうの僕には似合ってる。

嵐山。嵐山だよ嵐山。京都の嵐山の小学校に僕の話を聞いてくれる仲間がいる。慎重になりすぎるわけではなく、だけどもちろん横着にもならず。急ぎ過ぎちゃいけないけど、もったいぶることなど似合わない。そんなときは2秒間。2秒間、自分の呼吸を確かめる。そうするとひとつ言葉がこぼれてくる。その言葉がそっと次の言葉を導いてくれる。2秒間がつくる言葉は、僕だけの言葉ではなくて聞いてくれる人が求めている言葉でもあるようだ。だから、僕はきょうも2秒間を大事にした。

子どもにあたたかいって何より必要。子どもに近いことも大事。子どもと学ぶのはあたりまえ。子どもに恥をかかせないのは僕のあこがれ。

語る時間は学んできた時間のほんのひとかけら。だから、そのことを自覚して僕はもっともっと学ばなきゃ。語る時間、語る場、聞いてくれる人にありがとうを届けなきゃ。

2秒間が僕の背中を押してくれている。

旅のはじめは

旅のはじめは眼鏡を拭いて手を洗う。右ポケットの手ぬぐいをたたみ直して旅がはじまる。

この地に暮らしてから旅がふえた。京都に暮らしていたときは旅というより通過点。西の端の住み家は通過点にはなれない。「ここからはじまる」しかない。もちろん、「ここで終わる」ことにもなるのだが。

はじまりなら「きれいな」がいい。はじめるなら「きれいに」しておきたい。だから手ぬぐいをたたみ直す。

僕の夏用の上着は紺の麻。軽くて涼しくしわになりやすい。このしわがいい。漱石と歩く書生の気分になれる。ふだんはこれに麦わら帽をかぶる。最近は兄貴にもらったアースカラーのパナマ帽かせがれが贈ってきてくれたベイスターズブルーのこれまたパナマ帽。昔ながらの麦わら帽ではなく少しいかした感じが気に入ってる。

上着のポケットには扇子。これまた愛用の品は二本。ひとつは京都の寺町で見つけた軸のしっかりしたもの。もうひとつは友人からの誕生日の贈り物。紺と青。どちらも上着や帽子と似合ってる。

ちょっと出かける時には風呂敷。芹沢銈介の気に入ったものを使って25年になる。

こんど小遣い銭が入ったら靴と鞄を買おうと思ってる。メイドインジャパンの茶色い革靴をねらってる。鞄は少し大きめのアジア製を探してる。今、提げているスペイン製は日本の夏の湿気には合わない。

そんなことを考えながらきょうの旅もはじまった。誰と会って、何処を歩いて、何を見て、つまみ食いの種類と量に注意して、銭湯をさがす。風呂上がりの一杯はもう決めてある。

旅はやめられない。

それから、それから!のメッセージ

大分。先週の土曜日に続いてきょうも大分。ホルトホール大分は交通至便で整った場所。ここで先生たちと学ぶ。ありがたいことだ。大分の先生たちの聞き手としての表情の豊かさは何よりものメッセージだ。

「退屈な話だ!つまらない!」というようなメッセージとしての表情ではない。そんなものはここには存在しない。

「そう!それ!」「そこそこ!」「たとえば?」「じゃあ?」「なるほど!」「つまり!」これらのメッセージが表情に乗せられて届く。最高だ。

表情や表現は身体性だ。それはすなわちその人の人間らしさでもある。大分の先生たちの「らしさ」はこの情熱的なメッセージそのものだ。

だから欲ばってしまった。ついつい話したくなり過ぎてしまった。2時間もいただいたのに、僕の中では40分くらいにしか感じない。「もっと、もっと」が降り注ぐ。

だから夜。熱いメッセージの第2部。もちろん語り合ったんだけど、語り合った熱さとともに、開いてくださった懇親会がたまらない。「これをお通しと呼んじゃいけないでしょ!」と、目を疑うようなお通し。はじめてだ。浜ゆでの甘エビを七輪で焼いて食べるお通しなんて。そしてそして、お皿のそばまで泳いできたような鯖や鯵が惜しみなく身を晒している。どこまでか素材の味でどこからが秘伝の味付けかさえ分からないような絶品!中津唐揚げに鳥天。煮物にも焼き物にもさりげなくかぼす。素材の味を引き立てる。

麦焼酎にかぼすを滴らせて飲むのは最高だ。杯が重なる。満喫、堪能、大満足。普段は箸をつけることのないご飯ものまでたいらげた。ご飯ものと言ってもこれまた新鮮な豊後水道のにぎり寿司。

美味しいものをいただき、熱い教師の話に花が咲き、一人一人の先生方の「らしさ」を心の中に染み込ませることのできた大分。ありがとうございました。先生がたの誠実な「つまり!」のお返しに、僕の冒険的な「それから、それから!」を贈ります。またお会いできる日をほんとうに楽しみにしています。

栄冠のひとつ手前に

長崎大会決勝。朝からの入念な天気予報チェックなど無用のことだった晴天。長崎県営球場 BIG  N。日焼け注意報!

今年は佐世保地区の二校による決勝。長崎地区としては今ひとつ熱が入らないかもしれない、と思いつつ乗ったタクシーの運転手さんは、決勝に残ったチームの3番バッターの身内。降りぎわ、「おいは仕事のあるけん、代わりに応援ば頼みます。」との言葉とともに渡されたジュース代の300円。もうそれだけで僕は走り出したくなる。

3塁側に座った。ジュース代をくれた運転手から聞いた名前がスコアボードにある。この日は全校応援。まだ慣れない応援だからこそ力強く伝わってくるものがある。試合は3塁側の押せ押せムード。応援に押されるように攻撃も守りも流れをつくる。

しかし、正直、僕はどこか落ち着かない。3塁側の声援よりも1塁側のため息に心をもっていかれてる。そう、実は地方大会の1回戦から追っかけて見続けてきたのはノーシードの1塁側のチーム。

タクシーのおじさんごめんよ、と7回表に移動した。こちらも全校応援。3塁側は蜜柑色、こちら1塁側は新緑色。新緑色の帽子をかぶった生徒にも保護者にも知った顔がある。聞き慣れた応援団長の声。僕だって歌えるし踊れるよ、とつい体が動くオリジナル応援歌。9回に同点に追いついたときはすでに甲子園にいるような感覚が重なった。

延長10回。頂点に沸き立つ対岸の蜜柑色にこちらから贈った惜しみない拍手と甲子園でのエール。

栄冠のひとつ前。

スタンドの真っ白のままのユニホームがくたびれたメガホンを集めてる。聞き慣れた声の応援団長が太鼓を片づける。「これまでありがとうございました」と交わす親たちのあいさつは息子への言葉とともに支えた自分たちにも終わりがきたことの確かめ。「もうお茶を運ぶこともなかねえ」のひと言が悲しすぎることを隠すようにグランドの土が整備されていく。試合は終わったんだ。

そう、終わったんだ。ふうっと吐き出した夏のため息の隣でいくつもの新緑色の帽子が肩をふるわせている。赤くなった僕の腕も頬も夏の勲章だ。

相浦球場

白球を追う夏 17歳になる

僕の夏は地方大会。定員に満たないチーム、あふれるチーム。楽器のない応援。5回の攻防で終わる夏、指を空に向かって伸ばす影。グランド整備のトンボ、ぎこちないアナウンス。親たちの悲鳴、どこからか集まってくる元球児、紳士、深いしわの男たち。

佐世保相浦球場はいつでも僕を17歳にしてくれる。

長崎夕景

NHKローカルの夕方のニュース番組。イブニング長崎。この番組のエンディングに長崎駅前の風景が映る。近くのNHK長崎の社屋からのカメラ映像なんだと思う。地震の揺れや豪雨の様子を伝えるときと同じ角度だ。

しかし、夕景を映すこのエンディング風景は別物だ。画面を見ていてもすうっと空気を吸い込みたくなる。まさに「今」だ。長崎の「今」がそこにある。

だから、一度は写ってみたい。と思いつつもう何年にもなる。

今夕は長崎の研究会の友と会食。まさにイブニング長崎の時間帯。「駅前の陸橋の広場を通って行きましょう!」と言おうか言うまいか。

長崎の夕景はいつでもいつまでも懐かしい。

0から1へ

この夏の熊本北高等学校野球部のスローガンは「0から1へ」。甲子園出場回数を「1」にするということだ。思えば昨夏は藤崎台球場のスタンドで熊本北に熱くなった。そのときもらった野球部の青いタオルは今でも宝物だ。今年の熊本北の登場は明日。県営八代野球場。守りを徹底的に鍛えてきた今年のチームは見ていてもすきがない。まさに守りは最大の攻撃だ。

晴れの舞台の前日。つまり、きょう。その熊本北高等学校でぼくは文法の授業をした。真っ黒の野球部もぼくの文法の授業に笑ってる。明日は文法どころじゃないんだから、文法は甲子園から帰ってからでいいよと言ってやりたくなるぼくをよそに、指示語、省略、デフォルト値、とメモを取っている。野球部じゃない生徒も文法している。

文法している高校生って、どこかかっこいい。自分の言葉を気に入り、自分の言葉に責任をもち、自分の言葉にすきをつくらない。部活の姿と重なる。こんなに気持ちのいい文法の授業ならいっまででもと思ってしまう。すてきな50分をありがとう。

さあ、明日。グランドで白球を追う高校生!スタンドで友とつながる高校生!明日は君たちから学ばせてもらうよ。

常連になりたいのかも

日曜日の夕方、わずかな晴れ間。何をしよう、何処に行こう、としばし考えて嬉野に行くことにした。県営球場も雨で長い中断のようだし、湯につかりにいくことにした。そうだ、帰りにうなぎでも下げて帰ろう。我ながらいい考えに満足だ。

さて、シーボルトの湯。みなさん常連なのか、浴場に入るとき、みんな「こんにちは」と挨拶してる。湯につかっている人も、洗ってる人もみんな「こんにちは」だ。

そうなるとぼくも言ってみたくなる。浴場に入るときに「こんにちは」と言えばよかった。

今さらだけど、もう一度、服を着て、そして脱いで「こんにちは」と入って来ようかな。水でも飲みに行ったあとにしれっと「こんにちは」をする手もないわけではない。

しばし作戦会議。結局、「こんにちは」はできないまま、常連たちは去って行った。静かなお風呂に湯気がすべっていく。今さらながら湯につかりながら「こんにちは」と小さく言ってみる自分がなんだかおかしい。

帰り道。行きつけの鰻屋の暖簾を「こんにちは」とくぐり、大きめのを一尾下げてきた。店に入るときなら言える「こんにちは」が湯に入るときには言えない。京都の銭湯のときはどうだったか。通いつめた信州別所温泉はどうだったか。

そんなことを考えながらの帰り道。ラジオからは初日を落としたひいきの横綱を報じる声。アナウンサーの声にもため息が聞こえる。うまくいきません、いいところがなかった、なにもできないままでした、と繰り返す。ぼくも常連相手に手が出なかった。

よしっ。二週間後にもう一度。千秋楽の夕方は関取みたいにして「こんにちは」と入ってやろうとぼくは考えている。

高校生の夏

20時29分、佐賀発。

佐賀市内の高等学校の野球部と一緒のJR鈍行。
 
制服に野球帽がかっこいい。左手にグラブをはめたまま乗っているのがかっこいい。この時間にパンを4個食っているのがかっこいい。
 
ぼくは何度も何度も深呼吸して、高校生の夏と一緒になろうとしている。

みんなにも分けてあげたい

野球をしていたからか,大家族に育ったからか,「みんな」「みんなで」が好きだ。だからいいこともそうじゃないこともみんなで一緒がいい。とりわけ元気や美味しいや楽しみはみんなで分けたくなる。もちろん分けてもほしいけど。

台風一過の海を見ながら「みんな」「みんな」と考えていたら,こんな歌が出てきた。覚えた記憶もないのに間違わずに歌えた。

懐かしい人に出会ったような やさしい便りが今届いた♪ 忘れかけていた幸せ♪ あなたにも分けてあげたい♪ ほおらチェルシー♪ もうひとつチェルシー♪

好きだったなあ,あのヨーグルト味。最後まで噛まないでおくのがむずかしかったなあ。いい言葉だなあ、「あなたにも分けてあげたい」って。

ただ,それだけ。

父であること

週に一度くらいは父であることを確かめことにしてる。倅の名前を声に出して呼ぶ。起きた時でも、運転中でも、語りかけるようにでも、つぶやくようにでも。

元気かと付け加えることもある。ちゃんと食ってるかと添える時もある。辛くないかと口にしてしまう日もたまにある。

きょうは、真っ先に誕生日おめでとう!が出た。少し大きめの声で。

梅雨を聴きながらただ鶏飯を食う

待ち合わせは12時06分中央駅改札。真っ先に降りたくせに少し遅れてエスカレーターに足を乗せる。夏休み明けの教室に入るときの気分だ。

見える見える。改札の向こうに大柄の男。ひとつ前の季節以来。相変わらずの大男。坊主頭の口もとが緩んでる。ひさしぶりっ!その一言だけでじゅうぶん。名前は壮。

2週間ほど前のメールのやりとりで、昼も一緒に食おうということになった。ぼくは「びっくりするほど汚い店でもいいし、飛び上がるくらい高級な料亭でもかまわんよ」と送っておいた。

車を走らせること10分。きょうの昼は駐車場です。と、壮。車を停めるのは駐車場が当たり前だ。とぼく。

海に面した広い駐車場に車を停めて、では、お茶だけ買ってきます。と壮。確かにここはセブンイレブンの駐車場。ほどなく帰ってきた壮の手には「お〜いお茶」と「綾鷹」。

で?

ここから板前に変身した壮。みごとな動き。繊細な指。無駄のない仕事の運び。そして、まかしておけという少年の瞳。あれよあれよという間に、運転席と助手席をつなぐ空間に鶏飯ビュッフェが仕立てられた。

ゆうべ奥方と下ごしらえしたという品々が温かいご飯の上に散りばめられ、熱い鶏スープがたっぷりと注がれる。

何も言うことがないよと思うほどにぼくの心はやられてしまった。言えないほどに心が洗われてしまった。いや、でもこの瞬間を言葉にしておかなきゃと頭がめぐる。美味い!はあたりまえ過ぎる。ありがとう!では足りない。おどろいた!なんて表現は陳腐だ。この感動と感謝と感激と。それなのにぼくはただただ鶏飯を食い続けてる。

そうだ、いい言葉が見つかった!そうだ、壮!お前、ずるいぞ!こんなことさらりとしてのけるなんてずるい、ずる過ぎる、ずる過ぎるぞ!

でしょ!と自慢気な少年の顔を見せるかと思ったらそうではない。いやあ、本当に残念です。と壮。えっ?とぼく。ここから見える桜島は最高なんです。桜島を見ながら洋二兄と鶏飯を食いたかったんです。こいつはどこまですてきな男なんだろう。

デザートもありますから、と差し出されたかるかんの甘さを感じないくらい、この雨の車内食堂は深い味に包まれている。時折、激しく窓を打つ雨もまた一興。50前後の大男がふたり、出会えたことを感謝しながら鶏飯の匂いを楽しんでいた。

梅雨を聴きながらただ鶏飯を食う

あくゆう

それは兄貴でしょ。

ぼくのことを兄貴と呼ぶ男の名前は浩。三つぞろいのちょっきの似合う不良だ。この男のかけがえのない友が、これまた不良の壮一。この二人と縁をもらったぼくも含めたこの勉強会があくゆうの会。もちろん悪友なんかじゃない。あくの強い友人の会でもない。「あくなき追究、優劣のかなたをめざす会」のことだ。

この会の自慢は生徒に恥をかかさないこと。丁寧に寄り添うこと。自分からして見せること。本当はみんな謙虚なこと。

だから、ぼくは壮や浩が好きだ。彼らの授業はとにかくとにかく丁寧だ。

ということで浩の授業。この日を楽しみにしていた。壮の授業以来の鹿児島。壮のときの感動をもう一度。浩の文字がぼくらを迎えてくれる。

 

 

折り句が心にくい。

2年4組。美しい言葉が飛び交う教室というのはこういう教室のことだ。無駄のない会話とはこういう時間だ。生徒が力を出しはじめるとはこういう瞬間だ。だから、もっともっと深く学ばせよう。「ぐっ」という音が聞こえてくるくらい生徒が弾む授業はもう目の前にある。

あくゆうの会。まぶしい会だ。

ホームランテラス

きょうのがぶ飲みの会は野球を観ながらの会。まさかの逆転サヨナラホームランにぼくたちの日曜日はどこかに飛んで行っちゃうんじゃないかと思った。

劣勢のゲームを観るのはつらい。9回の表を完璧におさえても残りアウト3つ。

ところが、だ。こんな夜はこのメンバーといつまでも一緒にいたいと思う。だから「この日」と「この日のチケット」を一緒にして手帳に貼っておくことにする。

よか日曜日。

ひとつのできごと

学年という単位は力をもっている。それは教師でも同じだ。子どもが学校行事で成長するように、教師も学年での取り組みで強くなる。そんなことを目の前で見せてくれたきょうの授業だった。

単元学習とまではいかなくても、本当に価値のある、そして踏みこんだ課題の言語活動を子どもたちがやり切ったのは学年の先生がたの丁寧な「教えること」のおかげだ。もちろんをそれを支えられた研究主任の支援は絶大だけど。

わたしたちは子どもが好きだ。子どもと対峙する仕事を選んだのはわたしたち共通の高い志があるからだ。だから、子どもに恥をかかせてはいけない。子どもが一人で生きていけるようにしてやることが何より大事なことだ。

きょうの単元。6年生の教師がつくった単元。みごとに子どもが力を出し切った。互いを認め合う教室で、一人一人が自分の力を見つめている。自分ができたこと、自分ができそうなこと、そしてこれからの自分を自覚しつつある。子ども主体の学者とは、まさにこういうことである。

この教室に教師の劇場型授業などどこにもない。

親父

小学生のとき。年に何度か親父が甲子園球場に連れて行ってくれた。西陣織の仕事を早く切り上げてくれて連れて行ってくれるその日はお正月よりも誕生日よりも特別な日だった。

6時間目が終わってすぐに帰る。お父さんが「洋二」と呼んでくれる声をひたすら待つ。あまり近づきすぎたら叱られる。あきれられる。でも、離れすぎて「洋二」が聞こえなかったらと思うとお父さんの匂いのするところにいなくっちゃと焦ってしまう。

待っている間にはしゃぎ過ぎて、素足にサンダルで遊んでいて足の指を切って連れて行ってもらえなくなったこともある。お父さんの仕事の段取りが悪くなって行けずに泣いたこともある。そんな中でもいちばんの思い出といえばやはり6月の甲子園だ。

てるてる坊主の機嫌も悪く、その日の予報は雨。今のような降水確率などない時代。ぼくは何度も何度も空を見上げていた。お父さんとお母さんの会話から連れて行ってもらえそうにないことを感じ取ったお兄ちゃんはかぶっていた野球帽を机の上に片付けたのに、ぼくは緑色と蜜柑色の帽子を脱ごうとはしなかった。阪急電車に乗って大阪に出て、さらに阪神電車に乗り換える道のりは小学生にとっては本当に遠いものだったし、野球じゃないんだったら決して行きたい距離じゃなかった。

それでも帽子をかぶり続けていたぼくは「試合ないかもしれへんよ」というお父さんの声に「かまへん」としか言えなかった。

甲子園球場。カクテルライト。試合前の練習。何もかもが予定通り。雨が降りはじめたこと以外は。結局、試合開始時間を遅らせることになり、カッパを着たぼくたちはスタンドから通路に移動した。1時間近く待っても試合は始まらず、中止。

「洋二、イカの下足焼きたべるか。イカ食べて帰ろ。」

2017年6月18日。親父の命日。カッパを着たぼくは土砂降りのスタンドに座ってる。帽子の色は青に変わったけど、親父が好きだったチームをぼくは今も応援してる。こうして雨でノーゲームになってもここに来てしまう。この球場にイカの下足焼きはないけどその匂いは今でもぼくの中にある。

あの日、雨が降ることは小学生のぼくにも分かっていた。だけど空を見ないでグランドを見ていると試合が始まるような気がしていた。だって松原選手や江尻選手、シピン選手が目の前にいるんだから。雨じゃないんだ。お父さんとここにいるんだ。

だから、ぼくは今でも試合前の練習を見るのが好きだ。きっと、練習だけでもいいんだと思う。いや、球場にいるだけでいいんだと思う。野球場に来れば、ここに親父と来ているんだって感じられる。

通路の向こうに芝が見えたら、そこがぼくとお父さんの時間なんだ。

いくつになっても

ことしの誕生日のたつログは二日遅れ。

誕生日の当日,もっとはしゃいでおけばよかった。とちょっと後悔した6月11日。家に帰ったら大きな音で拓郎さんを流そうと決めていた。お風呂も食事も終え,たっぷりの氷にジンをこれまたたっぷりいれたグラスを片手にソファーのいつものところにすわる。テレビはもちろんつけない。こんなに大きな音は月海と星海に迷惑かなと思いつつ,拓郎さん。

いくつになっても HAPPY BIRTHDAY !

これしかない。人生の賛歌だよこの歌は。僕もまだまだ楽しまなきゃ。そんな気持ちが右手の親指の膨らんだところにわいてきた気がする。

そう,二日遅れの HAPPY BIRTHDAY ! 誕生日,ありがとう。

甥っ子

甥っ子とはいいもんだ。うんと幸せになってほしいと願ってしまう。

その甥っ子の父親の誕生日に甥っ子とビールを飲んだ。つまり僕の兄貴の誕生日に兄貴の息子と飲んだということ。それがすこぶる楽しい時間だった。生ビールでの乾杯だけで目頭が熱くなる。さとられまいと,普段,何を食っているのかわからない一人暮らしの甥っ子に余計なお世話とは知りながら,上等の和牛をどんどん注文することにする。僕よりもずっと野球のことを詳しく知っている甥っ子にいろいろ習いながらのビールは格別だ。

そんななんでもない話のすき間に,彼の将来のことなんかもぽつりぽつりと。

頼りにされていることはないだろうけど,まかせとけ!なんて気分になってしまう。「改札まで送りましょう。」なんて言葉が出てくるとは思わなかった。いいよいいよ,と手を振りながら別れたけど,もう一杯,ウイスキーでも行きたかったなあと振り返ったとき,彼と目が合った。

幸せになれよと,帰りの特急の窓ガラスに映る自分の目元のしわを見ながら彼の若い肌を思い出していたらLINEが届いた。「またお願いします!」。

この「!」がたまらなくうれしい。そう,また行こう。

大村湾

なんにもないのにいつまでも眺めてる。真っ暗でなにも見えないのに海側の席に座ってる。窓も開いていないのに潮を感じる。

大村線の列車は乗っているだけでいい。乗っているだけがいい。

ほんとうに仕事のできる人

庭に銀杏の木を植えることにした。屋根よりも高い木ともなれば,素人仕事では銀杏に申し訳ないので職人に相談することにした。根を切って運ぶことから習おうと思っていたのだが,職人は地面の見方と土のさわり方から水の流し方まで教えてくれた。

いちいち納得。これまでかかわってもらっていた園芸屋の兄ちゃんが偽者だということがわかった。あいつはあかん。

木を植えるということはデザインすることだけではない。見栄えだけではない。生き物である木をそこで生きながらえさせること。その木と一緒に生きていくことだ。

考えてみれば,この銀杏。間違いなく僕よりも長生きするはずだ。やがては大村湾を通る船からの目印になるかもしれない。長崎空港を離着陸する飛行機から黄色い葉に手を振ってくれる人がいるかもしれない。

ほんとうに仕事のできる人。それは20年,30年先を見ている人。今を生きている人。かかわった人をだいじにできる人。自分を愛せる人。だから人も愛せる人。

この銀杏の木の名前が決まった。「かわかみさん」。今年の秋は黄色い「かわかみさん」に会える。

はまぐり

はまぐりを焼いたとき,僕が焼くと身が上の貝殻に付いてしまう。下の貝殻に身の付いたはまぐりが食べたい。何度,焼いても身が上。バランス悪い。どうにかしてくれ!

と,いう話題で飲んでいたら,頼もしい助っ人が登場した。全部で4人。それぞれが実績を積んで次回の会で報告することになった。

はまぐりの会。どうでもいいようで,だけど、とっても気になる会である。

さて,5月21日

思ったとおり,さわやかな日曜日。5月21日。こんな日曜日は鯉のぼりでもあげたくなる。カヤックで海をすべりたくなる。大きな声で「よろしく」と言いたくなる。何によろしくって?

もちろん,明日からもよろしく。

ほら,ここにおいでよ

本年度はじめの熊本。くまもと国語教室。

はじめましての夏から数えてもう5回目。慣れてはいけないけど,親しんだ。失礼になってはいけないけれど馴染んだ。ぎこちなさがなくなって,しなやか。だから,みんなとの話が深くなる。一人一人の参加者の教室が見えてきた。

今夜は一人ずつ作品を声に出して読んだ。だから僕たちはもっと近づいた。

こんな時間はかけがえのない瞬間だ。そっと手拭いにくるんで持って帰りたい。

そして,終電までのほんの短い時間のビール。あげ豚足。ビール。ビール。もちろん,熱い語り。こんな関係はみんなのおかげだ。いつまでも綴り続けたい。

同僚なんだから

きのうもきょうも小学校。「ぜひ,来てください」なんてもったいないことば。お客さんになりたくない。ここは勤務校ではないけれど,同僚でいたいといつも思う。だから,えらそうなことなんて言えない。先生方の学びの時間に一緒にいられるだけで大満足だ。

子どもが学び浸る単元。

いま,学校はこのことばに真摯に向かいあわなければならないと思う。

YOKOHAMA BLUE

やっぱりこの街を歩くと「歩いても歩いても小舟のように♪」と口ずさんでしまう。住んだこともないのに懐かしい。白黒だった家のテレビから流れてくるこの歌がこの街に来ると青くなる。

歌の似合う街。

「はじめまして」の次があるから

きょうは京都の小学6年生と45分を過ごす日。学びのきっかけを作るため「はじめまして」の時間をいただいた。無難に運ぶことに不安はないけど、「はじめまして」の次をどうするかを考えると、無難というのが無責任に感じる。やはり、教室の「はじめまして」は生命と生命の営みでなければならない。授業は生命と生命。教室はかけがえのないもの。

だから、無難ではなく誠実、そして丁寧、ただひたすらでなければならないと思う。

「先生の45分には無駄がなく、流れるようにやりとりが進みましたね。」と、感想をくださった。ありがたいことだ。

だけど、無駄とか流れるようにとか、そんなんじゃないかもしれない。だって、生命と生命なんだから。

ぼくは、一生懸命に45分を生きたと思う。やった。やれた。だから、終わったあと、ふうっと息を吐き出したとたん、お腹がすいた。

今夜は串カツにビール!

たつとみげんきです

甲子園球場のスコアボードの選手名と審判名がすべて平仮名でかかれたこどもの日の次の日,朝日新聞のスポーツ欄の選手名も平仮名だった。つつごうせんしゅのホームランに酔った昨晩に引き続き,今朝はこのスポーツ欄に心ひかれた。

難しい言葉を並べる論文ではなく,平易平明なことばで語るように綴れる人であり続けたい。そんな気分の5月6日,たつとみげんきです。

風の声をききながら

スケッチに出かけた。そして栞をいただいた。そうしたら風の声がきこえた。

「だから,明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦は,その日だけで十分である。」マタイによる福音書 6章 34節

1ダホー!

きょうは福岡。上林選手のすぐ後ろですてきな時間を過ごした。ただそれだけだけど,いい一日だった。また来たくなる。なんどもなんども振り返りながら唐人町駅まで歩いた。

本年度もよろしく

旧友再会。

この仕事をしていてうれしいことのひとつに「本年度もよろしく!」のことばがある。きょう,そんな声が届いた。豊前市のN先生。ぼくはこの方の誠実な仕事ぶりが好きだ。2年前だったか3年前だったか,たった数行のメールに思いが溢れていた。それは「伝えましたよ」のメールではなく,「届けます」のメールだ。だから,彼からのメールには「はい,Yes!,よろこんで!」しかない。いや,これからは「はい,Yes!,よろこんで!+もちろんです!」も加えようかな。

今年も会える。あの仲間たちと会える。一昨年は「行為動詞」,昨年度は「語彙」,今年はどんなキーワードを届けるかはこれからだけど,ぼくはあの耶馬溪を越える道を今から楽しみにしている。旧友再会。

シンシア号

大きな舟が隣の町の港に着いたとニュースが知らせてくれた日の午後,ぼくは小さなシンシア号で大村湾に出た。

お月さんが好きでこのカヤックに「シンシア号」と名付けた。急ぐことはない,決まったコースもない,ただ波とたわむれながらパドルを動かす。これが,ぼくのやり方。

ときどき,まねごとのように釣り竿をもってキスやアイナメを連れて帰ることもあるけど,あまり上手じゃない。今までに数えるほどだけどイルカに遇ったこともある。写真を撮るどころじゃないくらい息を止め続けた。

きょうは南からの風。ぼくのシンシア号はいつもの大きな岩にさえたどり着くことができず,月待浦のなかをくるりと2周まわっただけ。

鯉のぼり

誕生日が好きだ。お正月もクリスマスもいい。だけど,こどもの日がいちばんだ。

甍の波と甍の波と雲の波,重なる波の中空を♪と歌いながらの帰り道を思い出す。なぜ「中空を」なんだろう,「中空に」でもいいのに,とお兄ちゃんにたずねたことも覚えている。今も鯉のぼりを見上げるとその時のお兄ちゃんのことを思い出す。

「を」のほうがかっこええやん。なんか強そうやろ。

そう,「を」のほうがかっこういいし,強い。「を」でなければならない。

そんな思い出もぜんぶまとめて,鯉のぼりが泳ぐこどもの日ウイークは最高だ。

研究室のもようがえ

5年間,手にしなかった資料を整理した。5年間,開けなかった本を書架の端に移動した。1年間,動かさなかった掲示物を捨てた。これから,読みたい本を机の近くに積んだ。明日,やることがすいすいできるように研究室のもようがえをした。

驚いた。片付けは得意なほうだと思っていたのに,なんてざまだ。余計なものであふれている。なんてことだ。大事なものが見えやしない。どういうことだ。誰の部屋なんだ。焦ってきた。

ということで,研究室のもようがえ。

その途中,部屋を訪れてくれた学生たち,ごめんなさい。ゆっくり座ってもらうこともなく話を急いじゃった。調った研究室にぜひおいで。今度は摘みたてのフレッシュレモングラスのハーブティーで歓迎するよ。

薪をつくるということ

ゼミ生だった瀧川賢治がやってきた。研究の話はそこそこにして,ぼくたちは薪をつくることにした。冬の間に集めておいた玉切の樫や橅,焚き付け用の檜を40センチに切り,割る。

チェーンソーの目立ての仕方,それぞれの作業をする場所,木っ端を集めておくところ,飲み物の場所,一輪車は常に見えるところに置くこと,そんなことをなんとなく確認し合ってからというもの,僕たちはすれ違いざまに声を掛け合う以外は黙々と仕事をした。

言わなくても通じるということは確かにある。重なるようにわかり合うというのは同じ仕事をしている時だと思う。

瀧川賢治を頼もしい男だと思った。来る日も来る日も小学1年生の談話をトランスクリプションにして,「あんな」がどのような文脈でつかわれているかの傾向を分析していた22歳だった賢治が,もう10年を越える教師になっている。そのことも大いなる拍手だけど,ぼくは手拭いを頭にまき,チェーンソーを操り,そして何より,まったく無駄のない動きをみごとに組み立てる賢治に惚れてしまった(かもしれない)。

看護学校で単元学習

ここ5年ほど,看護学校で論理学と哲学を担当している。おそらく講義型がもっとも効果的な「教え方」だと考えられているだろうが,ぼくはもっとも魅力的な「学び方」として単元学習を行っている。

看護師,看護師を目指す者。その隣にあるのは「実の社会」だ。輪切りの知識の伝達よりも,絡み合う意味の創造を実現したい。

と,勝手に熱くなっている僕だけれど,手ごたえを感じ始めている。きっと看護学校の教室でも単元学習は待望されているにちがいない。だって,学生があんなにまっすぐに盛り上がっているんだから。真剣勝負,90分。やりがいの10コマ。

届け、球音

ドームではない魅力は風と光とにおい。そして、球音。

我らの星、戦え、誇りを胸に♪

土曜日の集い

桜の降る道を抜ける。建物の中のひんやりした空気が土曜日の午前であることを実感させる。

新しい学期がはじまって1週間。その1週間の事実を持ちよって集まった仲間と語り合う時間は格別だ。

こんな時間がぼくたち教師を大きくする。

さりげないやさしさ

この地に来た日からの付き合い。何を言っても分かってくれる。言わなくても通じる。

仲間うちのことばが作るディスコース。それは互いを尊ぶコンテクスト。

そう、さりげないやさしさで僕たちはつながっている。

本屋

ともだちが海外に行くので一人の時に読むか綴るかするものをと思い、博多の本屋を歩いた。

そして、完全にやられた。本屋には魔力と魅力がある。

島尾敏雄とミホの往復書簡、小津安二郎の作品、野球の新しいルール、株を売るコツ、長持ちするロープの洗い方、かぼちゃの種類 ‥‥‥

時間もお金もこれを入れて帰る鞄の大きさも足りない。結局、帰りの列車を二度も遅らせることになった。もちろん、贈りたいものもまだ見つけられていない。でも、

「ここは僕の秘密基地だ。」僕は両眉を上げた。来週も来なくっちゃ。

はしからはしまで

やっぱり鉄道がいい。窓から見える景色に生活があふれていて、その感傷と僕の心が重なるのがいい。浮かれた春は車窓の桜を、懐かしい日差しの夏は白い雲を、物思いの季節は休みに入った自然の中を、悲しい時は悲しい景色を。

やってみたいことがある。新幹線をはしからはしまで一気に乗りたい。函館から鹿児島まで。咲く花々も、山のいただきの色も、川に沿ったすすきの群れの大きさも、屋根瓦の粘土もガードレールも。動く景色の中の暮らしをつないで感じたい。

これは一人旅がいいのか二人旅がいいのか。見つけたことを一緒に語りたいような、無粋なおしゃべりはいらないような。

食事はどうするのがいいか。少し前の駅の味を後から食べるのがいいのか、やっぱりご当地で熱いものは熱いうちにがいいのか。どこででも食べられるものであきらめたくない。

こんなことを考えながら見慣れた景色を眺めてる。いつも通過しているだけなのに何だかよく知っている気分。この店は最近できたとか、いつも大きなダンプが停まっているとか、あのお寺の前にはいつも墨の字が貼ってあるとか。そうそう、この橋を渡った家の庭にはこの週末に鯉のぼりが立つはず。去年も一昨年ま4月はじめの週末だったから。

誕生日

きょうは吉田拓郎さんの誕生日。おめでとうございます。拓郎さんが生まれていなかったら僕はどんな大人になっていたんだろう。なんて考えないけれど,拓郎さんと同じ時代を生きていることがうれしい。拓郎さんの「今」と「今の拓郎さん」を知っていることは僕の自慢だ。

春らんまん

春が来た。

京都に居た頃はきょうが入学式。式の帰りにスーツ姿で天ざるを食べるのが新年度の行事だった。だから4月1日は天ざるのにおいがするものだった。

あいにくここには蕎麦屋がないため4月1日のにおいが変わりつつあるこの5年。西からの風に打ち上げられた海藻が暖かな日差しに照らされて磯の香りをただよわせる。このにおいが山桜の花弁によく似合う。それは三重県大王崎の港でもそうだったし五島の浜でもそうだった。

さて我が家の山桜。満開はまだ先だが,ちゃんと磯の香りに花弁を揺らしている。